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ヴァルダ~国なき人々~  作者: 神坂彩花
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邂逅

「――降ってきましたね」

 ふいに声をかけられて、レイフィルは窓辺を振り返った。

「たしかに、けっこうな降りだな」

「事件の捜査の時は、雨がかなりの痛手になるんですよね。屋外の痕跡を綺麗に洗い流してしまったりしますから」

「それは仕方がないだろう。雨は我々の都合に合わせて降ったりやんだりするもんじゃない」

 レイフィルは傍らでぼやくフィリエルに言葉を返しながら報告書にペンを走らせた。

「――まあ、それは確かにそうですけど」

 フィリエルも同じように手を動かしながらこちらに視線だけを向けてきた。

「それ、本当に上に報告するつもりですか?」

「もちろんそうするつもりだ。可能性のあることは全て報告する。どんなにありえないと思ったことでも、それが手がかりになるかもしれないのなら徹底的に追いかけるのが、捜査の基本のはずだが」

「それはまあ、たしかにその通りですけど。でも、現実問題として泥棒は隣家のことまで気を回さないんじゃないですか?よしんば何かに気づいたとしても、絶対にそれを申し出てきたりはしないですよ。いったいどんな悪党だったら、他人の犯罪を暴くために自分の犯した罪まで、わざわざ告白するんですか?」

「話させることがあるとしたら捕まえた後だから問題はない。それについては大丈夫だ。目撃したのが事実なら泥棒はすぐに話してくれるだろう。目撃したことを話せば罪を軽くしてやれるとか、取引を持ちかけてやればそれで簡単に口を開くんじゃないのか。運が良ければそいつの証言ひとつで殺人と窃盗と、二つの事件が同時に解決するだろう」

 するとフィリエルは溜息をついてきた。そううまくいけばいいですけどね。と呟いてくる。

 レイフィルはその言葉を聞き流しながら黙々とペンを動かし続けた。レイフィルが書いている報告書は、あのアルヴァイスの家の隣家で起きた窃盗事件に関する報告書だ。レイフィルはその事件の犯人がアルヴァイス一家殺害事件を見聞きしているのではないかと考えていた。

 なぜならアルヴァイス一家が殺されたとされている時間帯に、隣家に空き巣が押し入っていたことを示す痕跡が見つかったからだ。あの家は確かに留守だったが、あの後に帰宅してきた住人の通報でそのことが明らかになったのだ。盗まれたものはたいしてなかった。被害と呼べそうなものは寝室にあったという毛皮のコートとキッチンにあった僅かな調味料ぐらいで、それ以外のものには一切、手をつけられた様子がなかったという。どこかの難民か、失業者が食い詰めた挙句に道を外れたのだろうというのが捜査に当たった者たちの共通した見解だった。しかし昨夜、誰もいないはずだった家に人がいたというのは重大な事実の発見に他ならない。その空き巣が何か重大な手がかりを持っている可能性は皆無ではなかった。ひょっとしたら、犯行の瞬間や、アルヴァイスの家を出ていく犯人の姿すら、目撃している可能性だってある。それならば警察にとってこれほど都合のいいことはなかった。だからレイフィルは、とにかくその空き巣の捜索を優先することにした。今のところ、アルヴァイスの家から犯人に結びつくような有力な手がかりは出てきていないのだから、空き巣の証言だって頼ってみる価値はある。万が一、その空き巣がなにも知らなくても問題はなかった。どうせ窃盗事件のほうも捜査して解決させなければならないのは同じだからだ。

 報告書を書き終えると、レイフィルはその書類を持って席を立った。上司の執務室を訪れてこの報告書を提出したら、すぐさまその空き巣の捜索に向かわねばならない。それで急ぎ足に部屋を出て、手早くそれらの用件を済ませると警察署の正面出入り口へと向かったが、外へ出ようとしてふと足が止まってしまった。正面ではなく、裏口のほうが何やら騒がしい。

「どうした?」 

 怪訝に思ってレイフィルが声をかけながらそちらに歩いていくと、顔見知りの刑事の一人が困ったような顔で振り返ってきた。

「ああ、レイフィルさん。たいしたことじゃないんですが、ちょっと困りましてね。どうしたもんでしょう」

「何かあったのか?」

 レイフィルは彼に訊ねながら人々が集まっている辺りを覗き込んだ。人々は裏口の付近に集まっている。裏口は単に法律に定められているから設けられているにすぎない非常口だ。日頃は誰も使わない。そんな場所で、いったい何があったというのだろうか。

 怪訝に思いながらレイフィルは人々の肩越しに裏口を覗き込み、そして驚愕した。気がつくとレイフィルは前方の者たちを引き倒さんばかりの勢いで強く引いて、外に駆け出していた。

「おい、どうした!大丈夫か!」

 声をかけながら裏口の外に躍り出る。外には数段ほどの短い鉄製の階段が設置されていた。今は雨に濡れたそこを半ば滑るようにしながら急いで駆け下りると、レイフィルはその下の歩道に倒れていた子供を抱き上げる。ずっと雨にさらされていたのか、全身がずぶ濡れで、しかもぐったりとしていた。レイフィルが抱えて呼びかけても全く反応しない。肌は血の気がなく蒼白で、息も弱く荒かった。かなり衰弱していることは明らかなようだった。急いで助けねばならない。

「どけ。お前ら、いい年して倒れた子供を見ても見ていることしかできんのか?」

 レイフィルは未だ裏口のところに集まったままの人々を罵りながら、子供を抱いて階段を駆け上がると署内に戻ろうとしたが、そのとき彼らの一人が当惑したような顔でレイフィルを押し止めてきた。

「待ってください。――まさか、ヴァルダを署内に入れるつもりではないですよね?」

 なんだって。レイフィルは思わず足を止めた。咄嗟に目の前に立ちはだかる同僚と、抱えた子供を見比べる。よく見れば、確かに子供の容貌はレイフィルたちのそれとはずいぶん異なっていた。明らかに、子供の外見はこの国の民のそれではない。すると、腕のなかの子供がヴァルダであることに疑いの余地はないことになるが、だったらどうだというのだ。

「だったら何だ?お前はヴァルダだったら子供が倒れていても捨て置けと言うのか?」

 レイフィルが睨むと、同僚は気圧されたかのように僅かに後ずさった。

「そんなことは言いませんけど。・・しかし、ヴァルダですよ?そんな卑しい、汚らわしい連中なんか助ける必要は――」

「ないというのがお前の考えか?」

 レイフィルは冷静に問いかけたが、しかし同僚はそれで口を噤んでしまった。そのことが何よりも明確な返答になっていると、レイフィルはそう理解した。

「それがお前の考えなら、私はその考えに従う意思を持たない。他に用がないならそこをどいてくれ。私は急ぐ」

 レイフィルは言い捨てると、同僚を押しのけるようにして腕に子供を抱いたまま署内に駆け戻った。早く電話で救急車を呼ばなければと思ったが、思い直して医務室にほうに足を向ける。ここは警察だ。署内には取り調べ中や勾留中に体調の急変した者たちの応急処置を行うための部屋がある。そこには医者が常駐しているのだから、とりあえずはそこに運ぶのが早いはずだった。病院に運ぶのはそれからでも遅くはないだろう。捜査なんか後回しでいい。まずはこの子を助けなければならない。


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