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ヴァルダ~国なき人々~  作者: 神坂彩花
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未来へ

「まだ時間になってないから、そんなに焦らなくても大丈夫だよ」

 ふいに話しかけられミアは思わず足を止めた。気持ちが落ち着かず手持ち無沙汰に室内を歩きまわっていたのだが、足を止めて振り返ってみるとレイフィルが苦笑したような笑みを浮かべてこちらを見ている。

「姉貴は、まだもう少し後にならないと来ないから」

 そう言われてミアは頷いた。しかし心はいっこうに落ち着いてくれなかった。むしろ改めて言われたことで逆に緊張が高ぶってくる。これからここに来るというレイフィルの姉という人物は、いったいどんな人なのだろうか。

 ミアがいるのはレイフィルの自宅だった。なぜか、今もずっとここに留まらされていた。ユリスティアの妹のアリスティアという女性が、私設の孤児院の長をしているが、その施設に入れるまではここにいるようにと言われているのだ。しかし今年は、もうその施設に入ることができない。居室がいっぱいで、どうしてもすぐには受け入れ態勢が整えられないのだという。それでそこの準備が整うまで、ミアはレイフィルの許で暮らし、昼間はレイフィルの姉が営んでいる私塾に通学することになったのだ。昼間は彼も仕事があるためミアの面倒をみていることができない。するとその間、ミアは一人でここに放置されることになる。一人きりで何もできない時間を過ごさせるくらいなら勉強ができる場に行かせたほうがいいというのが彼の判断だったのだ。今日はその、塾というものの説明のためにそのレイフィルの姉がここに来ることになっている。それでミアは朝からずっと心が落ち着かなかった。勉強って、いったいなんなんだろう。

「――勉強って、どういうことをするんですか?」

 意を決して訊いてみた。するとレイフィルは、いろいろ新しいことを覚えていくことだと教えてくれる。

「文字や数字や、身の回りの出来事なんかを、大人の人から教わって覚えて、自分の知識や技術として身につけていくことだよ。いろいろと難しいこともあるかもしれないけど、すぐに面白くなってくると思うから」

「楽しいこと、なんですか?」

 楽しいよ、とレイフィルは励ますようにミアの頭を撫でてきた。

「慣れてくれば楽しくなる。いろいろ知りたいこと、やってみたいこともたくさんできてくる。昨日までできなかったことができるようになったりもする。それで褒められたりもするから、すぐに楽しくてならなくなるよ」

 それを聞いてとりあえず不安は消えた。しかしミアの心はやっぱり落ち着かなかった。

 そのとき、軽やかな音が響いてきた。チャイムの音だと、ミアはすぐに気づいた。この音は、レイフィルに来客が来ていることを伝える音だ。この音がすると、レイフィルはすぐさま応対に出て行った。そうして宅配の荷物なんかを受け取って戻ってくるのだ。時にはこの音に、ユリスティアの来訪を教えられることもあった。

「姉貴が来たかな。ちょっと見てくるね」

 だから今日も、音が響くやいなやすぐにレイフィルは椅子から立ち上がった。そういって表に通じるドアのほうに向かっていく。ミアもなんとなく彼についていった。レイフィルの姉はエリナディアという名前らしい。エリィと気安く呼べばいいと、レイフィルは言ってくれた。ミアは早くそのエリナディアという女性に会ってみたかったのだ。これから自分に勉強というものを教えてくれる人が、どういう人なのか、大きな興味があった。彼女も、レイフィルみたいにいい人だろうか。

「――レイ、久しぶりね」

 レイフィルがドアを開けると、すぐに柔らかな感じの女性の声が聞こえてくる。一人の女性が室内に足を踏み入れてきた。彼女はにこやかに微笑んで、レイフィルを軽く抱き寄せるようにしている。一見しただけで、ミアにも彼女のほうがレイフィルよりも年上だと分かった。目元に小さな皺がある。お母さんにはなかったものだ、とぼんやりと思った。

「その子がミアちゃんなの?」

 再び声が聞こえてきた。ミアは我に返った。レイフィルがその声に頷き、女性は彼から身体を離す。ミアに向かってしゃがみこんできた。床に近い位置からミアの顔を見上げるようにしてくる。優しそうな微笑みに、ミアも頷いた。そうです、と答える。

 すると女性はにこやかな笑みとともに手を差し出してきた。

「そうなのね。よろしく、ミアちゃん。私がエリナディアっていうのよ。弟から聞いてるかしら?これから私があなたの先生になるの。一緒に、楽しく勉強していきましょうね」

 ミアは再び頷いた。恐る恐る手を差し出す。初めて会う人が手を差し出してきたら、それは握手を求められているのだ。レイフィルはそう教えてくれた。それでエリナディアの手にそっと触れる。エリナディアはしっかりと握り返してくれた。温かい手だった。ミアは心が明るくなったような気がした。初めて会った人に、拒絶されなかった。それだけで心が躍るのを感じる。

「はい。あの・・これから、宜しくお願いします」

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