対峙
お待ちしておりました、とレイフィルは車から降り立った二人の男のうち、一人に対して口を開いた。
声をかけられたほうの男は、レイフィルの姿を見るなり怪訝な表情を浮かべてくる。
「――誰かいるなと思えば、君か。こんなところでどうした?散歩でもしているのか?君は今日は休みかね?」
言外にそんなはずはないだろうと確認しているような口調だった。レイフィルは静かに首を振る。
「散歩しているわけではありませんよ、勿論。今日は休みではありませんから。ここへ来たのは仕事のためです。そのためにこうしてあなたをお待ちしておりました」
レイフィルは落ち着いて淡々と言葉を返した。彼がここに来ることは事前に分かっていたことなのだから、レイフィルには驚くようなことは何もない。しかし彼にとっては違うようだった。彼はますます怪訝そうな素振りをみせてきた。
「仕事?何かあったのかね?ここで何か厄介な事件でも起きたか?私の目にはそうは見えないが、それにしてもよく私がここに来ると予測できたものだね。私はここに来ることを誰にも言わなかったのだが」
レイフィルは思わず笑ってしまった。
「そうでしょうね。あなたがここに来ることを誰かに仰ったりするようなことはないと思います。あなたはこの地に、彼に殺させたヴァルダの子供の遺体を遺棄しに来たのでしょうから。いくらヴァルダとはいえ、あの子を殺して遺体を私が見つけやすいところに放置すれば、私が無視してやり過ごすようなことはしないと予測したのでしょう?フォレストヒルに遺棄すれば私にも簡単に見つけることはできず、事件は闇から闇へ葬り去られると判断しましたか?確かに、フォレストヒルに近寄る者はあまりおりませんからね。ここは大きな街からも離れて、山にも近くて交通も不便です。フォレストヒルには昔の王朝時代の城跡や遺跡ぐらいしかないですし、たまに観光客が来る以外はほとんど人気もありません。ここに遺体を棄てればすぐには見つからないでしょう。あのホテルからも子供の足で歩いて来れるところではありませんから、私やユリスティアがこの辺りまで捜しに来るとも考えられなかったと思います。たとえ遺体が見つかったとしても、見つけたのが私やユリスティアやフィリエル以外の者であったなら、ヴァルダの遺体にそんなに高い関心が持たれることもないでしょうし、もっと運が良ければ遺体は見つからないまま白骨になって、昔の戦乱時代の騎士や兵士の人骨と混ざったかもしれません。この辺りは今でも時々、そういった人々の骨が出てきますからね。あなたはそこまで計算していたのではないですか?」
言いながらレイフィルが彼に視線を据えると、少し戸惑ったような表情が返ってきた。
「――言っている意味がよく分からないが。レイフィル、君はいったい何を言っているのかね?何が言いたいんだ?君は、まるで私が人殺しを主導したかのような主張をしているが、何を根拠にそんなことを言うのかね?」
レイフィルは首を傾げた。
「言葉の意味が不明ですか?それは失礼いたしました。私としてはそれほど分かりにくい話し方をしたつもりはなかったのですが。私は、要するにあの金融業の一家を、ラースというヴァルダの男に命じて殺害させたのはあなたではないですか、ということを伝えたいんです。そしてそのラースも、口封じのためにあなたが殺したか、あるいはあなたが誰かに殺させたのではないですかとね。そしてあの、金融業一家の殺人事件の唯一の目撃者でもあるミアちゃんを、我々の元から密かに連れ去ったのもあなたではないんですか?あなたはあの子を殺して、その亡骸を、このフォレストヒルの地に遺棄しようとしていたのでしょうから」
彼の表情が引き攣った。
「・・君はずいぶんと不快なことを口にするのだな。根拠もなく他人を殺人者呼ばわりすればどうなるか、知らないわけではあるまい?」
「根拠ならありますよ。憶測で他人を糾弾するほど私は愚かではないつもりです。まずメリキスの証言があります。彼がキキを見つけて、逮捕したことになっているわけですが、私は彼に断言されました。自分はそもそもキキと接触したことなどないと。報道では、キキは路上で奇声をあげて暴れていたところをメリキスに見つかって保護され、麻薬摂取の有無を確認していた時に調べた彼の指紋が、事件の犯人の指紋と一致したために逮捕されたことになっていましたが、肝心のメリキスは、そんな出来事にまったく覚えがないそうです。キキの身体検査を行ったときに出たはずの資料も、ついに見つけることができませんでした。これはいったいどういうことですかね?捜査情報を報道に向けて発表する責任者はあなただったはずですが、なぜ事実と異なる内容の情報が、記者に伝わっているのでしょうか。キキはいったい、どこから現れたのですか?私は事件の捜査を担当した刑事全員に話を聞きましたが、誰も逮捕した覚えはないとの回答が返ってきました。メリキスに頼んで彼の同僚でもある他の警邏隊員にも訊ねてもらいましたが、やはり誰も覚えはないとの答えだったそうです。それどころか私はキキを尋問したことがある刑事を、あなたの他に見つけることができませんでした。聞いた話では、キキの尋問はあなたが一人で担当しているそうですね?誰も逮捕した覚えがない被疑者が突然現れて、一人の刑事を除いて誰も接触したことがない。しかも逮捕の経緯がその刑事によって実際と異なる内容に変えられて報道に伝えられている。そうなると、キキが被疑者とされていること自体に疑惑が浮かんできます。キキがどうやらヴァルダであるらしいと調べたフリーライターもおりました。それならばあなたが適当なヴァルダをどこかで捕まえてきて、犯人に仕立て上げようとしているのではないかという疑惑です」
「それが憶測というのだよ」
断言された。口調からは自信が感じられた。ひょっとしたら彼は、いつかこのことを問われるかもしれないと、ある程度は予想していたのかもしれない。レイフィルはそう感じた。
「君が感じているその疑惑こそが憶測だ。君の調べが不十分だったのではないかね?さもなければ誰かが記憶違いをしているのかもしれない。報道で事実と異なる情報が流れたというのなら、流した記者が何か勘違いをしているのだろう。誤報は少ないが、珍しいことでもあるまい。私はきちんと情報は正確に伝えた。誤報を流した記者がいるのなら訂正を求めればよい。根拠というのはそれだけかね?それなら君には失望したよ。その程度のことで他人を殺人犯扱いするとは。いつか冤罪を生み出してしまう前に第一線を退いてはどうかね?」
「それはどういう意味の言葉でしょうか?辞職の勧告でしたら受け入れるつもりはありませんよ。犯罪の疑惑をそのまま放置しておくことなどできませんから。私は彼に伺いましたのでね。彼はギルというのでしょう。名前からいっても容貌からいっても、明らかにヴァルダですね。それで彼は生きていくために麻薬の精製や売買に手を染めていました。あなたに見つかってそれはやめたそうですが、代わりにずっと別の犯罪を強いられてきたそうですね。あなたは自分に協力すればそれらの行為は全てなかったことにすると彼に持ちかけたのでしょう?麻薬はこの国では、単に所持しているだけでも違法になりますからね。栽培や精製、売買ともなれば、市民でも最悪の場合、極刑になることがあります。ヴァルダなら、まず間違いなく生命はありません。それを恐れれば彼としてはあなたに従わざるをえませんし、そのおかげであなたは彼を自らの意のままに使役してこられました。いろいろ調べさせていただきましたよ。あなたには事件の捜査が長引きそうだなという雰囲気になると、いつも適当なヴァルダを捕まえてきては犯人に仕立て上げて強引に解決させているのではないかという疑いが出ていますね。ヴァルダなら、後腐れがなくてやりやすかったのですか?そうやって彼の手を借りて見つけ、捕まえ、偽証させて凶悪犯罪者に仕立てたヴァルダのなかの一人にミアちゃんの母親がいたのが不運でしたね。あの子の母親は去年、強盗殺人事件の犯人として捕縛され、半年前に死刑が執行されているそうですが、その事件の目撃者は彼です。彼が事件の目撃者として偶然、現場の近くにいたミアちゃんの母親のことをあなたに伝えました。それであなたは手っ取り早く彼女を事件の犯人にしたのでしょう。しかし彼はそんなふうに自分の同胞を犠牲にしたことを後悔していました。それで私に協力してくれることになったんです。彼は自分のせいで死ぬことになってしまった女性の娘を、今度は他ならぬ自分の手で殺害しなければならないことに苦痛を感じていました。彼はもうあなたに従いたくはなかったんです。私に打ち明けてくれたのはそのためです。私ならヴァルダの言葉にも耳を傾け、決して自分一人が破滅するだけに終わらないと信じてくれたのでしょう。私は学生の頃、異国語の研究の関係でヴァルダとはよく接触していましたから、ヴァルダには知人も多いんです。それで彼は私のことを知っていてくれたようでした。私のほうはあいにく彼のことはこれまで知らなかったのですが、そのことに対する抵抗は弱いものでしたね。私は彼らの祖国の言葉が分かりますから、そのためだったのかもしれませんが」
言葉を切った。すると、ほう、と感心するような溜息が耳に入ってくる。
「君はたいした想像力の持ち主だな。なかなか面白い話だったよ。いつ思いついたのかね?君はやはり刑事など辞めて小説家か脚本家にでも転身したほうがいい。それだけ面白い話をすらすらと語れるのならきっと売れっ子になれるだろう。刑事を続けるよりずっと収入も上がるはずだ」
苦笑の気配を秘めた嘲るような口調だった。レイフィルは再び首を振る。
「私は作り話など語っていませんよ。生憎、そういう才覚には恵まれておりませんので。私に事実しか語る力がないのは、なによりあなたがいちばんご承知していることと思いますが。根拠が不足していると仰るのでしたら話は最後までお聞きいただけませんか?根拠は何もメリキスの証言だけではありませんよ。ラースのこともございます。アルヴァイスさんの一家を殺害したのは、ミアちゃんの言葉を詳細に検証するまでもなく、彼で間違いないでしょう。遺体となった彼の部屋に残された木箱の中に、彼自身の衣服が乱雑に詰め込まれていましたが、そのなかの一着が裂けておりました。その衣服の裂け目と、遺体となったアルヴァイスさんが握ったままだった衣服の布地の切れ端が一致していますからね。おそらくアルヴァイスさんが襲われて抵抗した際に、咄嗟にラースの衣服を摑んで裂き取ってしまったのでしょう。この裂けた衣服こそが、ラースがあの日、あの家にいた証拠になります。時間もなかったのでまだ衣服しか調べてませんが、もっとじっくりと時間をかけて詳しく調べれば、まだいろいろと多くの証拠が見つかるかもしれません。そういえばあの家の現金や貴金属はほぼ手つかずで残されていましたが、それはやはりあなたがラースに絶対にそれらを持ち出さないよう指示したからなのでしょうか?匹敵する金額の報酬を渡すから手をつけるなと。それは犯行を我々に怨恨と思わせるためですか?まあ、実際にあなたとアルヴァイスさん一家との間になんらかの恨みを残すような揉め事があったからあのような惨事が起きたのでしょうが、金銭が盗られていればヴァルダにも我々の目が向くかもしれませんからね。そうなれば常から悪名が高い上、容姿の非常に目立つラースはすぐに捕まってしまうかもしれない。そうなればラースは簡単にあなたの主導で人を殺したことを白状してしまうでしょう。いくらヴァルダの言葉といえど、いちど名前が出てしまえば全員の頭から自分への疑惑を払拭するのは困難です。それを防ぐためには事件を怨恨が原因で起きたものであると最初から捜査に参加する刑事たち全員にすり込んでおくのが、確かに最良かもしれません。あなたはそう考えたのではないですか?事件を怨恨と解釈したのなら、まず刑事は誰もヴァルダは疑いません。ヴァルダにアルヴァイスさんのような金融ビジネスの商人と、殺人に発展するような深刻なトラブルを抱える機会があるとは考えにくいですからね。それなら必然的に、ヴァルダのラースは容疑の圏外に出ることになります。あなたに疑いの目がいくこともありません。あなたはそれを意図していたのですか?」
視線を据えた。するとそれに合わせるようにして彼の目が剣呑に光る。
「・・だとしたら、どうだと?」
「ああ、否定はなさらないのですね。では私は、何も誤ったことは申し上げていないのでしょうか?ならばこの場で、私はミアちゃんに確認を求めたいと思いますが、構いませんか?あの子は私が車に乗せてここまで連れてきましたが、それは彼女に確認をしてもらってさらに私が自らの推論への確証を得るためでもありますのでね。ミアちゃんに訊いて、彼女が自分を誘拐したのがあなただと答えたのなら、私にとっては自分の推測を支える根拠が一つ増えることになりますし。それで是非ともそうさせていただきたいのですが、宜しいですか?フェリキスさん」
レイフィルはここに来て初めて彼の名を呼んだ。彼の表情に変化はなかった。ミアが生きていること、今もレイフィルの保護下にあること、この二つを彼が知れば、いま自らが従えているはずのギルが、自分を裏切っていることに容易に気づけるだろう。そうであればそのぶんだけ自分が不利になっていることは簡単に悟れるはずだ。なのに、とくに彼に動揺している様子は見えない。面に浮かんでいた剣呑のいろも、なぜか次第に薄れていく。平静さすら戻ってきた。しばらく向けられていたこちらへの警戒のいろが完全に消えてしまうと、彼は何かを諦めたかのような溜息をそっと吐き出してくる。
「そんなことはしなくてよい。彼女は、私の顔など見たくないだろう。あえて子供を怯えさせるような真似はするな。あの子を部屋から連れ出したのは、私なのだからね」
時が止まったように感じられた。
ふいにもたらされた衝撃的な一言に、レイフィルは咄嗟に何と返したらよいかも分からなかった。そもそも彼の疑惑を追及していたはずだが、いざ彼の口から自白にも近い言葉が飛び出してくると、頭が混乱して耳から入ってきたはずの言葉も、素直に心に滲みこんできてはくれない。
「――あなたが・・。では、やはり、そうだったのですか・・?なぜです?なぜ、あなたが、ミアちゃんを・・」
かろうじてそう言葉を絞り出した。するとフェリキスは苦笑を浮かべてくる。
「最初に訊くべきはそのことかな?どうしてアルヴァイスさんの一家を、ヴァルダを使って殺させるような真似をしたのか、ではないのかね?その次はそのヴァルダを殺したのは誰なのかということだと思うが?君はもう、なぜあの子が誘拐されなければならなかったのか、その理由については察しがついているのだろう?ならば、あえてそれを最初に訊かねばならないことはあるまい。相手と状況に応じて、訊くべき内容や順番は変えていかないと、供述を翻されることもある。そうなれば混乱の素だ。君は尋問には不慣れだったかね?そんなはずはないと思うのだが。君ももう警察に入ってきて十年かそこらにはなるはずだからね。それとも元から不得手だったかな?なら、これからは気をつけておきなさい」
軽く窘めるような響きだった。レイフィルが、かつてまだ新人だった十代の頃に、いろいろと教えてくれた当時のフェリキスそのものの言葉に聞こえる。その言葉でレイフィルの頭はいくぶん冷静さを取り戻すことができたが、同時に改めて認識した。いま目の前にいるのは、冷徹な殺人者だが赤の他人の人物ではなく、自分の上司その人であることを。それもまた、先ほどとは別の意味で衝撃的であった。
「では、改めて問い直します。あなたはどうして、あの一家を殺害しようと考えられたのですか?」
感情を隠すためにできるだけ淡々と口を開いた。すると再びフェリキスの苦笑が響いてくる。
「殺人犯に敬語は必要ないよ。あまり丁寧に接していると、今はいいが、後で場所を移った時に余計な憶測を招くことがあるからね。動機は単純だ。金銭だよ。私はアルヴァイスさんにかなりまとまった金額を借りていた。娘が大病を患っていたからね。医者の治療が自分の貯金だけでは賄えなかったんだよ」
「娘、といいますと、リフィティナちゃんのことですか?去年亡く・・」
亡くなった、と口にしかけて、レイフィルは口を噤んだ。フェリキスの娘はリフィティナという名で、去年、僅か五歳でこの世を去っている。彼が遅くにようやく授かった一人娘で、レイフィルですら彼が娘をリティと呼んで溺愛していたことを知っているほどだ。それでなんとなく、軽はずみに死んだのなんだのという言葉は口にしにくかった。
「気を遣わなくてよい。リティは神に召された。それは事実だ。君も知っているほどに周囲に知られた事実なのだからね。私ももうあの子のいない時間に慣れたつもりだ。しかしあの子が神に召されても、治療のために金を借りた事実はずっと残り続ける。私一人なら、時間はかかっても返し続けていっただろう。しかし私にはまだ妻がいる。リティだけではない、私は妻も守っていかなければならない。調べてもらえばすぐに分かることだが、私の妻は自力で動ける人間ではないんだ。常に誰かが身の回りの世話をしていなければ生きていける存在ではない。三年前に強盗に襲われた時、身体に障害が残ってしまってね。それでそういう身体になってしまったんだ。妻を襲ったのはヴァルダだった。私は働いている人間だから、勤務中は誰か人を雇って妻の世話を任せなければならない。人を雇うには決して安くはない金がいる。その金額を除くと、私の収入は妻との生活費でかつかつだったんだ。とても過去の借金を返していけるような金はなかった。それでも返済の催促だけは続く。それで決意したんだよ。貸し手を殺せば返済の義務から逃れられるのじゃないかとね。愚かしい行為だったのは承知しているが、私も必死だったんだ」「それで、ですか?それで殺したんですか?しかしそれなら、なぜご自分で手を下そうとはお思いにならなかったんです?それでアルヴァイスさんの家族までも殺したのはなぜですか?アルヴァイスさんの息子さんは、たしかバイオリンの演奏家で、金融とは何の関係もない職業に就いていたはずですよね?奥さんのほうも演奏家で、バイオリンかピアノか、楽器までは忘れましたが御夫君と似たような立場にいたと記憶しています。どうあっても彼らがあなたの借金の貸し主になることはありえない。ましてやその二人の娘さんたちに至っては、いずれもとても幼かった。アルヴァイスさんの孫娘でもある彼女たちは、いちばん年上の子がまだ十二歳だったはずです。そんな子供まで犠牲にしたのはなぜですか?あなたとは何の繋がりもなかったはずですよ」
レイフィルは追及した。できるだけ感情を理性から切り離して、淡々と問い質す。今は理性のみを頼らなければならない。どんな理由があれ、金銭のために他人を殺めていいはずがないのだ。その真理を支えにして縋らなければ、衝撃に揺れ同情に染まった感情は自分の判断を曇らせてしまうだろう。
「それはそうだが、アルヴァイス氏の家族を生かしておいたら、ラースのことを目撃され、彼が捕らえられる恐れが高くなるではないか。誰も、自分の家に侵入者があれば、心穏やかに寝てはいないはずだからね。実際、アルヴァイス氏を殺している時に子供の一人が、彼のいる書斎に入ってきたそうだ。だから私は、最初からラースにあの家にいる者は皆殺しにするようにと言い含めていたよ。襲っているところを見られたら、その者から順に殺していって、絶対に一人も家の外には出すなとね。そうでないと、ラース一人くらい簡単に捕らえられてしまう。いくらヴァルダが凶悪犯罪には慣れているとはいっても、複数で押さえ込まれればひとたまりもないからな。そして、もしもそんなことが起きてしまえば、目的を達成できないだけではない。金で従わせているだけの者に忠義はないからな。ラースは容易く私のことまで喋るだろう。そうなれば私にも疑惑が向く。虚言だと通したところでいちどでも疑惑を抱かれたら払拭するのは難しい。後々までさまざまなことに不利益が生じる恐れもある。その危険が事前に分かっているのなら、防ぐために最善の策をとるのは当然のことではないか?ヴァルダは金さえ与えればどんなことでもするのだ。私は連中のその性質を利用しただけだ。君もヴァルダの子供としばらく行動を共にして、連中の卑しさはよく分かっているだろう?金さえ払えば簡単に人殺しまで引き受けてくれる者があるのなら、自分から手を下す必要はない。商人の一家を皆殺しにすれば死罪も覚悟しなければならんが、ヴァルダを一人殺しただけなら厳重注意で済むのだ。尋問しようとしたら拒まれたのでやむを得ず射殺したとでもいえばそれで通る。それならアルヴァイス氏を自分で襲うなど馬鹿げている。自分の生活のために事件を起こして自分の生活を破滅させたら、それこそ愚かではないか。何のために動いたのか分からなくなる」
フェリキスは薄く笑った。その微笑みで、レイフィルは自分のなかにあった彼への同情が完全に消えたのを悟った。もはや感情に身を任せても、自分が判断を迷わせることはあるまい。この男は自分以外の他者を人とは思っていないのではないか、急速にその疑惑が生じたからだ。そうでなければ人の生命を奪うという行為を、まるで商人の損得勘定のように考えられるはずがない。
「それならどうして、あなたは全く無関係の人間に罪を着せるようなことをしたんですか?あなたの話が真実なら、報道でも伝えられた、あの被疑者と定められている者は全く事件とは無関係ということになりますよね?あなたが最初からアルヴァイスさんとその家族をラースに殺させた後、彼を殺して口を封じるつもりでいたのなら、キキとかいう男を被疑者に仕立て上げなければならない必要はどこにもなかったのではないですか?あなたはラースを殺害すれば、後はこれみよがしに目立つ場所に死体を放置して、この男があの一家を殺した犯人だったかもしれないとそれとなく示すだけでいい。そうすれば後は私たちが調べました。彼が実行犯であるのなら、調べればそれを示す証拠はいくらでも出てきたでしょう。何もしなくても事件はあなたの意図した通りに解決したはずです。なぜそうなさらなかったのですか?」
「しなかったのではない、できなかったのだよ。私も最初はそうするつもりだった。しかし少し事情が変わってね。君が報告してくれたのじゃないか?あの事件には目撃した者がいるかもしれないと。それだけなら別に何も問題はないが、その人物がいったい何を、どこまで目撃したのかが問題だったんだ。ラース一人だけの目撃ならいい。それならむしろ都合がいい。誰の証言であれ、彼一人の犯行だったとそれで証明してしまえるからね。しかしそうではない可能性もある。私も家の前までは行ったんだ。だからその目撃者が万一にも私の姿を見ていたとしたら少々問題だった。私は巡回中の警邏隊員を装って、家の表の道路からラースが間違いなく犯行を遂げるか監視していたのだからね。もしもそれを見られていたとしたら少し厄介だったんだ。あの夜、あの付近を巡回していた警邏隊員はいないから、それを見られていたとしたら君たちは間違いなく不審人物と判断する。殺人事件のあった家の前にいた不審者、誰が聞いたとしても怪しまない者はいないだろう。普通ならまずそいつこそが犯人ではないかと疑うし、その後で判明した犯人の顔がその人物と違うということが分かったら、誰もが共犯者がいたのではと考えるはずだ。そうなればいずれ誰かがその人物は私であるということに気づいてしまうかもしれない。だからその前に、君がその目撃者を見つけてきてしまう前に、街で適当なヴァルダを捕まえてきて犯人としてしまうことにしたんだよ。そうしておけば、目撃者が何を話しても、その者の記憶違いということにできるからね。誰を犯人としても、その者はラースとは似ても似つかぬ容姿をしているのだから。物証と自白が揃っていれば、目撃証言との不一致はそれほど重要な要素にはならない。誰にでも記憶違いや勘違いはあるのだから。ましてや事件が起きたのは深夜のことなのだからね。犯人としてあの男を選んだのに特に深い意味はないよ。たまたま路上で見かけただけだ。すれ違う時にヴァルダだと気づいたからね。ヴァルダのほうが裁判所もそんなに真剣には調べないから都合が良いんだよ。それで連行して勾留した。彼は精神病の恐れがある被疑者を留置するための部屋に拘禁してある。あそこなら、不用意に無関係の者が入ってくることもなくて安心だからね。その上で既成事実を作ってしまえば、後は事件が判事の手に移るのを待つだけだ。続きは裁判所が如何様にでもしてくれる。今の判事にはヴァルダに冷淡な者が多いからね。メリキスの名を使ったのは逮捕の経緯をより具体的にして信憑性を持たせるためだ。どうせ書類上のことにすぎないのだから誰の名でもよかったが、あのヴァルダを連れて帰った後、執務室の近くで偶然顔を合わせたからね。彼でいいかと思ったんだよ」
彼でいいか、ですか。ではあなたはやはりどこまでも、自分の目線でしかものを考えられないのですね。レイフィルは内心で呆れた。そうでなければ、たかだか信憑性を高めるためだけに他人の名前など使えるはずがない。そんなことをすれば名前を勝手に使われた者が、不審に思わないはずがないという簡単な事実に思い至らないはずがないからだ。事実、メリキスはすぐにこれを不審に思ってなぜこんなことが起きたのかを調べ始めていた。レイフィルはミアを保護した翌日、職場に戻って最初に当のメリキスからそのことを聞かされた。それでキキへの冤罪の疑いを確信に変えることができたのだ。
「なのに君には何の意味もなかったようだな。君だけは被疑者を出した後も捜査から離れようとしなかった。君がラースの死体を見つけたこと、その死を殺人事件として調べていることも聞いたよ。話してくれた警邏隊員はずいぶん奇妙なものを見たような口ぶりだったがね。それで私は君が真相に気づいたと思った。君がラースの自宅を訪ねるなど、君が例の目撃者を見つけて、その目撃者の証言を基にあれの身元を特定したためとしか思えなかったからね。ではその目撃者とは誰だろうかと考えて、私にはあのヴァルダの子供以外に思いつけなかった。目撃者はどうやら泥棒らしいというのに、君にそれらしい人物と接触した形跡がなかったからね。だからあの子供を早急に処分してしまわねばならないと思ったんだ。あの子供さえいなくなってしまえば、君が抱えている証拠はなくなるはずだ。それなら君が何を言ってきても、妄想や空想の一言で済ませられるとね」
フェリキスは溜息をついた。
「まあ、そういうことだ。まだ何か、聞いておきたいことがあるかね?あまりここで長話をしていると、待っている彼らが気の毒と思うが?」
車のほうへ向けて顎をしゃくる。それでレイフィルもつられて車を振り返り、ふいに車内に残してきたユリスティアやフィリエルや、ミアのことを思い出した。その瞬間、自分が今まで自失していたことをようやく理解する。安全を守るために車内に残しておいて存在をずっと失念していたとは。あってはならない失態だ。
レイフィルは頷いた。フェリキスを促して彼を、彼らが乗ってきた車に乗せる。助手席に座らせた。この車の運転は自分がするつもりだったからだ。フェリキスを乗せた車は自分が運転し、ミアが乗った、ここに来るために自分が乗ってきた車のほうはフィリエルに運転させてフォレストヒルを離れようと、車内の彼に向けて指示を送る。いちおう、市街地に入る辺りではジョアルも車で待機しているはずだった。万一の際の応援として、ホテルの公衆電話で彼に連絡を取っておいたのだが、このぶんだと彼の援護はなくとも、無事に戻れるだろう。
だがしかし、車を出す前にやることがまだ残っていた。レイフィルはギルのほうに顔を向ける。ここに来て初めて、彼に向けて彼に対してだけの言葉をかけた。
「ミアちゃんならあの車のなかだ」
使用したのはソフェランザの言葉だった。ホテルの従業員になりすませたのなら、この男がこの国の言葉に、少なくとも会話に不自由しているはずはない。しかしあえてそうした。そのほうがいいと判断したからだ。レイフィルとて、異国の地に行って自国の言葉で話しかけられれば嬉しい。
するとギルははっとしたような表情になった。じっとレイフィルを見つめてくる。
「望みどおり連れてきた。だからきちんと自分の口で話しなさい。これは私が口を挟むようなことではない。あの子は聡いから、君が自分の口で説明したことでなければ受け入れないだろう」
諭すと少し躊躇ったような表情が向けられてきた。彼の視線が車のほうを向く。いったい何を思っているのか表情が複雑に揺れ動いていた。しかしそれはほとんど一瞬のこと、すぐに何かを決意したかのような表情に定まり、彼は車に向かって歩いていった。
レイフィルは願っていた。彼の言葉がミアに届くことを。ミアが彼の言葉を聞いてくれることを。そうして彼女が正しく物事を理解してくれることを祈っていた。自分の母親は同朋の悪意によって死んだのではないことを、レイフィルは彼女に知ってほしかった。ミアの母親は彼の言葉によって死んだ、その事実は覆らなくても、その事実を同朋の裏切りによるものと認識し続けるか、それとも重なった偶然の出来事の末と受け止め、なおかつその者からの謝罪を受け入れるか、どちらを選ぶかで彼女の今後の人生の歩み方が大きく変わってしまうからだ。
――同朋を、自分の仲間を信じられなければ、他の誰も信じられなくなるからな。
彼女にはそうなってほしくなかった。それがレイフィルの、今いちばんの願いだ。そうなればこの先、彼女は人生にどんな希望も抱けなくなる。




