機械化病
『咲間ユキさんは機械化病の罹患者だったようです』
次の日の朝、院長先生は皆の前でそうおっしゃった。
交流室の奥、ひと際目立つ白いテーブルに大きなモニターが鎮座し、ふにゃりと眉尻を下げた初老の男性を映し出している。
機械化病……母と、同じ。
『皆さんも充分気をつけてくださいね~。…うん?気をつけるって何を気をつけるんでしょうね』
二人とも、死を予兆させるようなそぶりを見せたことはなかったと思う。
……母に関しては、よくわからないけど。
『予防薬とかあればいいんですけどねぇ。あはは』
気の抜けたような声をスピーカーが吐き出し続けている。先生の話は続いていたが、私はそれに構っている余裕なんてなかった。
ざわ ざわ と騒ぎ出す周りの患者たちが、薄い膜の向こう側にいるように感じる。何事かを話し続ける院長先生すら、もう私の世界にはいなかった。
ならば彼女たちの命が奪われたきっかけはなんだったのだろう。
機械化病とは全くの無作為にやってくる死神なのだろうか?
答えはきっと、否。
共通点。
二人の死に共通点はないだろうか。
―――思い出せ、二人が狩られてしまうその直前を。
静かに瞼を閉じる。…もう誰の声も聞こえない。
――真っ先に思い浮かんだのは母だった。思い出したくもない、母だった。
母。母が死んだ時、私はその場にはいなかった。
確か…そう、学校から帰ってきたら台所に母が倒れていたのだ。
救急車を呼んで……いや、母が死んだ後のことは関係ない か。
家族関係は決して良いとは言えないものだった。
私が覚えてる限りで、家族内に会話は数年単位でなかったように思う。
昔は…私がまだ幼かったころは、家族が皆仲良く暮らしていた。弟が産まれ、家族は幸せに満ちていた。そう思う。
家族が今の形になったのはいつからだったか。
弟が小学生に上がる頃には弟の面倒は私がみていた気がする。
その弟も…いつの間にか私の手の中から離れていた。
ふと「そういえば中学に進学した弟の制服姿をまだ見ていないな」と、まだ幼かった頃の彼の姿を脳裏に描きながら母校の学ラン姿の弟を夢想した。
もうこんなに小さい、ということはないのだろうけど。
「……っ」
しゃがみ込む。頭が痛い。
入院してからずっとだ。家の事を考えると段々と頭が痛くなってくる。 次第に閉じた目に映る暗闇がぐわんと揺れ……ああ、駄目だ。
これ以上、思い出せることなんてない。
そうだ、ユキ。ユキの事を考えよう。
瞼の裏に浮かんだユキのはにかむ姿に、ブレた暗闇は赤みを帯びて安定した。
「ユキ……」
ユキに会いたい。
じわりと熱いものがこみ上げてユキの姿は溶けて消えた。
ユキが死ぬ直前、話していたのは私だった。
誰かが原因を作ったのだとしたら、それはきっと私だろう。
私は彼女に何かしただろうか。何かを言っただろうか。
そう、ぼやりと考えた瞬間
『ユキは、ユキの思う白には一生かかってもなれないわ』
キンキンとした不快な声が飛んできた。私だ。私の声だ。
『一生かかってもなれないわ』
『一生かかっても』
『一生』
こだまするように、反響し、段々と音量を増したその音が 私の脳をチクチクと苛む。
『無菌の人間が生きていられる世界じゃないの』
………私は、彼女の生き方を否定した。
彼女の信頼を得た、この立ち位置から。
それは間違いなく彼女の精神に大きなダメージを与えただろう。
もしかしたら、―――生きる気力を無くすほどに?
二人の死の引き金となったものは……
―――人生への、絶望…?