悲しいのはだれ
交流室に着くやいなやだった。
「あまねちゃん、ユキね、クリーンルームってところに行きたいの」
ユキが頬を上気させて言った。
ここまでの道中、どうにもそわそわしていると思ったら、どうやらこれを言いたかったらしい。
「…クリーンルーム?」
うん、とユキが嬉しそうに頷く。
「昨日ね、新しい看護師さんと会ったの」
「将来の夢は何って聞かれてね、ユキ、綺麗な真っ白い部屋の中に消毒液をまいて、そこに閉じこもりたい。って言ったんだ。そしたらね、教えてくれたの」
「そこはね、真っ白で、とっても綺麗なところなんだって。空気も、床も、みんな!」
「そうしたらご飯くらいね、ユキ我慢できるよ!きっとユキの体に悪さしないもん!」
続けざまに投げられる言葉は、この場所に似つかわしくない希望に満ち溢れていた。
それがとても……痛ましい。
ユキは清潔を好んでいる。故に白という色を愛している。……違う。白という色を愛するが故に、清潔に執着している。
始まりは親の言葉。白い服を汚して帰ってきたユキを叱る、厳しくも彼女を心配する言葉。
きっかけはいつだって予想もつかないもの。
そしてそのほとんどが、傍から見るとどうしようもなく馬鹿馬鹿しいものだったりするのである。
彼女を心配する親の心は、逆に彼女に一生消えない深い傷をつけたのだ。
「ユキ、あなたはクリーンルームには入れないわ」
「え…どうして!?」
私の言葉にユキは心底理解できない、と目で訴えてくる。
しかしここで折れるわけにはいかない。叶わない夢なんて、持つ方が可哀想だから。
「ユキは感染症にかかりやすい体、というわけではないから……お金だってタダではないし」
「それに、この病院にはクリーンルームはないんだよ。私と離れ離れになってもいいの?」
「それは…それは…」
「ね、諦めよう?」
極力優しく、刺激を与えないようににっこりと笑いながら頭をなで、諌める。
素直なユキのことだから、このくらいで諦めてくれるはず――
「でも、でも、じゃあ!やっぱり部屋に消毒液まいて閉じこもる!ごはんもいらない!!白い世界にいたいの!ユキは白になりたいの!!」
「……ユキ」
予想が外れ、ユキは声を荒げて地団駄を踏んだ。
ユキはまだ子供だ。こういった癇癪は珍しくない。そう、いつもなら思えるはずだった。
でも
白のどこが清潔なの?
私は白が嫌い。昔はそんなことなかったと思うけど、ここに来てからは不快の象徴でしかないこの『白』
ユキのことは嫌いじゃないけど、これだけは理解できない。私には許容できなかった。
「白になりたい」?
ユキが白と同化してしまうなんて、想像の中でも認められない。
ユキが。こんな私に懐いてくれるユキが。
そして私は言ってしまったのだ、この言葉を。
「ユキは、ユキの思う白には一生かかってもなれないわ」
「だいたいあなたの体の中にどのくらいの菌が存在していると思ってるの? 無菌の人間が生きていられる世界じゃないのよ、ここは」
言われた言葉を理解したのか彼女は目を見開き、口から小さく声を漏らした。
その声を聞き取るとこはできなかったが、それを気にしている場合ではなかった。
ユキが倒れたのだ。
目を見開いた、私が最後に見た表情のまま、彼女の機能は完全に停止した。
ふらり、と視界がゆがむ。急な立ちくらみに膝が崩れるのを他人事のように感じた。
その時覚えた眩暈の原因は、何だったんだろう。
それは、その混乱は、目の前の死体に対してだったのか。急に見せられた死に対してだったのか。
それともただ純粋な、この状況への恐怖だったのか。
私には、わからない。
吹雪は気を違えたかのように、窓を叩く。音につられて見た窓の外は、怖いほどの白に呑まれていた。
激しさを増すそれは、誰かの悲しみがそうさせたのだろうか。
きっと 神さまが、泣いているんだ