1話
事務所に食後のコーヒーが香った。まだ、机や椅子は新品の匂いがしている。これからここを僕の好きなコーヒーの香りに染めていく。僕の父親の知り合いで、僕も、小さいころから連れて行ってもらっていた、喫茶ミキノのマスター特製オリジナルブレンドだ。
時刻はとっくにお昼を過ぎて、通りにちらほら人が見える。
静かだ。商店街の方は活気に溢れているのだろうが、その大きな道から2本、3本外れたこちらでは、地元の人でも限られた人しか通らない。そして、このアルダーという街の住人にとっては誇りであるシンボルタワー。その名もラーチタワー。特段高いわけでは無いが船のための灯台、時には住民のための時計台、足元は自然公園になっている。住民たちの憩いの場と誇りだ。もう少し高いところに事務所を開くと、ここから海も見えたのだろう。
僕は行き交う人を目で追いながら、今日も依頼者を待つ。
――コンコンコン
「あのぅ……探偵さんですよね?」
「いかにも!」
僕はその声の主の方向に180°くるりと椅子を回す。決まった。完璧だ。
「よかった! 相談があるんです」
「ん?」
そこには少年が立っていた。見かけで8歳から10歳ほどの少年。僕の推理は見事に外れたようだ。僕は、少しの落胆と少しの困惑を少年に見られないように仕切りなおす。もう一度くるりと椅子を回してから窓の外を見て、人の動きを眺めはじめる。
僕は、仕切り直しのために咳払いをしてから少年に声を掛けた。
「とりあえず掛けたまえ。」
来客用に用意した柔らかい二人掛けのソファーへ視線を流す。
「あっありがとうございます……」
それから、彼のためにオレンジジュースをグラスに注ぎ、ソファーに対して少し低めのテーブルに一つ置いて一呼吸。少年の話を聞くことにした。
「それで君の相談は何かな?」
髭でもたくわえていればもう少し様になっただろうが生憎まだ十分に生えてこない。
少年は目をぱちくりとさせている。何か不思議なことでもあるのだろうか。まだこの場に慣れていないのだろうか。気持ちはわかるが……。もう一度少年に問いかける。
「何かお悩みでもあるのかな?」
「えっと……。うちの猫が家出しちゃったんです。探してもらえませんか?」
「わかりました。その猫の特徴を教えて貰えますか?」
今まで隠していたことがある。僕はまだ駆け出しだということ。当然、寄せられる相談や悩みだって些細なことが多い。このような迷い猫探しや、失くしたもの探し。当然、本人にとっては大きな問題だということを、僕も知っているので粗末な扱いなどは絶対にしない。
ただ、希望という意味で、探偵の端くれという意味で、父親のようになりたい。そう思うのは必然の成り行きだろう。
「わかりました。少し情報が少ないですが、きっと私が見つけて見せます。」
そもそも、この事務所だって元々は父親の物だ。彼はおそらく、この街で一番の探偵だったと思う。その仕事柄、父親の仕事内容などを話してくれることは少なかったがよく自宅にまで街警察の人がやってきたりして、よく助けや知恵を借りに来ていたことを覚えている。
そんな彼を見ていると、希望という意味で、探偵の端くれという意味で、父親のようになりたい。そう思うのは必然の成り行きだろう。
「お兄ちゃんが探偵さんなの?」
「そうだよ」
お兄ちゃんか……。
「うん! ありがとう!」
「それじゃいついなくなったのか教えてくれるかな?」
「えっと――」
そうしているうちに陽は傾き始めた。ササミと言う猫は時折、こういったことがあるらしい(子猫を世話しにいっていた。)元々は家に住みついた猫でフラッといなくなってはいつの間にか軒先で寝ているという。猫はグレーの毛色で少年たちがエサを与えているうちに太ってしまったらしい。
……。
「猫の写真があると助かるのだけど」
「あっ!……忘れてきちゃった」
とりあえず写真を持ってきてもらうことにしよう。その旨を伝えて今日はお開きにする。
「それでは今日はこれくらいで。何か進展や報告点がありましたら連絡させていただきますね」
「お兄ちゃんって実は名探偵?」
「え?」
「でも、服にお弁当ついてるからきっとドジな名探偵だね!」
「君も写真を忘れたみたいだからお互い様だね」
少年は、あっそうかと照れくさそうに、はにかんでいた。それにしても、お昼に喫茶ミキノで食べたAランチのご飯粒が付いていたなんて。まさか気づかないとは……。
これでは理想の探偵像には程遠いな……。
僕は駆け出し探偵である。
この街一番の探偵事務所で有名人。
……になる予定だ。
多分……。
こちらまで読んでいただきありがとうございました!
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