ひんやり、ひんやり
楓さんは、光之少年を大方の予想通り、ぼっこぼこにした。
それはもう、漫画みたいにぼっこぼこに。
楓さんの拳を止めたのはあきらちゃんだった。
後から追いかけたあきらちゃんがぼっこぼこの横でマイペースにバケツに水を汲んで、よいしょと二人に水をかけて一言。
「はい、そこまで」
水を突然かけられた2人は一瞬止まった。
「ああああ?」
「がががああああ…た、たすげでええええ」
「『んあああ?何だって?待てよぉ、これからだろう?お楽しみはなあ!なあ!立ち向かってこい!』」
興奮してしまっている楓さんは一瞬しか止まらなかった、が。
「楓ちゃん。マルくん」
優しい、でも譲らない一本筋の通った声が響く。
ぴた、と楓さんの拳が止まる。ふわりと浮かび上がったマルくんも止まる。
マルくん降りていても、別に腕力上がるわけではないのだけれど、降りたままだと二人で闘争本能を高めあってしまうのだ。やれやれ。
「そこまで」
もう一度、同じ口調で優しい笑顔で。
でもなんでか背中に汗が。
そう思ったのは楓さんか、マルくんか、はてさて光之少年か。
「………わ、かった」
「運んで」
「…ん。ごめん」
急にしょんぼりとする楓さん。
「マルくんも。こっち来て」
『ええ、俺まだ物足りない』
「来て」
『マル、大人しく離れな』
あきらちゃんの後ろにはいつの間にかキリくんが。分厚い本を片手に持ちながら、しかたないなぁとマルくんを眺めている。
『わかったよ』
からころ からころ
からころ。からころ。
下駄の音がして、ふわりとマルくんとキリくんがかき消えた。
でもまあ、なんていうか、病院の裏庭の出来事だったので直ぐに治療を受けられた。
現在、光之少年は絆創膏をペタペタ貼られて、隣に座って様子を見てくれている和服の女医さん、メイ先生に保冷剤で左頬を冷やして貰っている。
「ほら、あんまり動かないで」
「ご、ごめんなさい」
「はい、ひんやり、ひんやり」
淑やかで美しいメイ先生にそっと保冷剤を添えられて嬉しそう。
堪えてない。
この子、見た目細いけど、タフだなぁ。
「あきら、こいつ……」
「楓ちゃんがぼっこぼこにするハズだねぇ」
とあきらちゃんと法一くんは納得した。
楓さんは弱い者いじめはしないのだ。
殴っても立ち上がり向かってきそうな人だけ拳を振るう。
加害者の楓さんは馴染みの看護師さん達に叱られていたが、光之少年の叔父である太郎さんが
「あの子にはいい薬なんで、楓ちゃんを赦してください」
と一言添えたら解放された。
太郎さんの人徳なんだろうか。はて。
楓さんは本能が優れているのだろう。本当の致命傷は与えない。
ここを打撃したら生命と今後の生活を脅かす、という最低限のラインは決して踏み越えずに最大限の暴力を振るう乱暴者だった。
優れた本能が相手の生命の限界を嗅ぎ分けて無意識に制御するのだ。
それが、この時代でできてしまう事の怖さを法一くんは知っている。
自分もやりあったことがあるからだ。
彼女は特別腕力があるわけではない。せいぜい女性にしては少しある、といった程度だ。
でも躊躇いなく振り下ろす拳は脅威だった。もう二度としたくない。
「あーすっきりした。熱下がったような」
「んなわけあるか。診察行け」
「はーい」
法一くんのツッコミに肩をすくませながら、かすれた声の楓さんは診察室に消えていった。
光之少年が楓さんが診察室に消えていくのを確認してから
「なんであいつのあんたの言うこと聞くの」
と話しかけてきた。
楓さんが怖いらしい。当然か。
「年上だからじゃない?」
「…あんたいくつだよ」
「はたち。学生だよ」
中学生にしか見えなかった。そう目が語っている。
わかっているわよ、わかっているわよ。
「ねえ、光之くん。君にね、黒いもの憑いてたんだけど、理由わかる?」
脈絡なく聞いてみた。
あんなの何処で憑けてきたんだろう。
そう簡単につけられるものではない。
もしくは自分で育てたのかな。
「は?黒いもの?夏だからって怪談?幽霊なんていませんよ。見えませんし」
急に敬語になったのは、あきらちゃんを年上と認定してくれたからだろうか。
「怪談じゃないよ。それに幽霊なら光之くん見えてるじゃない」
メイ先生を指差す。
「メイ先生は幽霊だよ」
「へ?」
おそるおそる左側を見る。
優しそうな笑顔、艶やかな黒髪。少し古風な髪の結い上げ方。和風。でも。足はちゃんとある。
「嘘だ、こんなにはっきり見えてるし、足もあるじゃないか」
「はっきり見えてるのは楓ちゃんが殴ったからだと思うけど。
……影ないでしょ?あと君から触れる?」
は、と足元を見ると確かに影がない。
医師とはいえ女性に触れるのは失礼。決して触れなかったが、意を決して手に触れようとすると……触れない。通り過ぎる……。
「え、え、本当に、あれ、あれ」
「はい。幽霊…でしょうか。恐らくは」
メイ先生は淑やかに微笑む。
「生前は武家の娘として、医学に携わっておりました。不動メイと申します」
「不動病院のご先祖様だよー」
「いつも診察手伝ってるんだよな」
「なんであなた達は当たり前にしてるんですかああああ」
幽霊だよ、幽霊。それが当たり前に受け入れられてるって何だろう。
対してあきらちゃんと法一くんはきょとん、とする。
「え、だって。実害ないし。カルテ書いたりとかはちゃんと生きてる医師がやってるから問題ないもん」
「アンタみたいな厄介な奴の手当てをしてくれる有難い人だぞ。この病院の守り神みたいなもんだ。むしろ光栄と思え」
何だろうこの人たち。
「まぁまぁ、いいのよ、ふたりとも」
少し悲しそうにメイ先生が微笑む。
「確かに怖いわよね。ごめんなさい。でも心配でつい出てきてしまったの。怖がらないでね。」
そっと光之少年を撫でて消えようとする。
なんか色々間違ってるけど、ツッコミ所をスルーしまくってるけど、罪悪感が。
女性にそんな顔をさせてはいけないということだけはわかった。
「消えないで!」
幽霊だろうが、優しくしてくれた。
「違います、びっくりしただけ!」
まだびっくりしてるけど。
メイ先生が消えるのをやめてまた色が濃くなっていく。
「あの、だから、その。手当てしてくれて、ありがとうございます」
「光之くんは、いい子ね。そして優しい子」
光之少年の頭をそっと撫でて、手を取り、手のひらに飴をふたつ。
「私こそありがとう。身体を大事にしてね」
今度は嬉しそうに消えていった。
「あ、はい」
手のひらの飴は本物で、何で飴は本物何だ。
どこで入手したんだろうとまたツッコミ所が満載だったけど。
「ありがとうございます」
あの人の笑顔が見れたからまぁいいか、と疑問を全部棚に上げて、充実感を得る光之少年だった。
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