縁(えにし)を結う
神輿坂自体狭い道路なので、建物自体の入り口が狭くて奥に広い。
ここらで一番大きな敷地面積の不動病院も大きな長方形をしている。
その長方形の一番先頭、受付に身を乗り出すと、受付のお姉さんが心得たように看護師さん達を呼びに言ってくれた。
アロハシャツのユニフォームを着た大柄な男性が和菓子屋先代から少年を受け取り、簡単に二人から事情を聞くと奥へと運んでいった。
「おじさま、お疲れ様」
「うん、ちょっと疲れたかな。私はこれで失礼するよ」
「私も帰ります」
そう言いかけた時に後ろから声がかかった。
「あきら」
「ほーちゃん。楓ちゃん」
振り返るとベンチに気難しそうな顔立ちの整った少年、法一くんと、いかにも体調が悪そうな女の子、楓さんが座っていた。
「俺は法一だ。ほーちゃんっていうな。何で言うんだ。馬鹿」
冷たい抑揚のない声が響き、法一君のやや張り詰めた潔癖な思いが伝わってくる。
「あ、ごめん」
あきらちゃんが思わず謝ると楓さんから拳が飛んだ。
ごっ、と鈍い音がする。
無造作ではあるが、的確かつ無駄のない動きは美しい軌道を描いて後頭部にヒットする。
馬鹿と言った唇の形のままガクンと前につんのめり沈んでいく。
「目上に対してなんだその口の利き方は」
楓さんは声がものすごくかすれている。夏風邪だろうか。
ちなみに目上とはあきらちゃんの事で、法一くんは高校2年生、楓さんは大学1年生、あきらちゃんは大学2年生。
あきらちゃんは法一くんより3つ年上。見た目中学生だが、正真正銘女子大生なのだった。
「いちいち殴るな馬鹿」
「何度言っても分からない馬鹿にはこれでいい」
怒りをまるで隠さないで睨む楓さんと法一くん。
二人とも、神輿坂の住人。
法一くんは高校入学と同時に越して来て、近所で一人暮らししてる。
楓さんはあきらちゃんの従姉妹。
「ん。いいよ楓ちゃん。ほーくんは大人ぶりたい年頃なんだから」
「なんだよそれ」
法一くんがにらんでも全く怖くない。いーだ。
楓さんが隙間を作ってくれたので、二人の間に座って話を進める。
左に楓さん、右に法一くん。いつもの定位置。
特に決めていないけれど、気がつくとこの位置だ。
「どうしたの楓ちゃん、風邪?」
「うん、移されたみたい」
「誰から?」
右側から気まずそうに
「…俺からだよ、悪かった。だから付き添ってるだろ」
「あれ、ほーくん風邪ひいてたの」
「一週間前からだよ。気がつけよ」
「会わないなあとは思ってたけど」
「もういい」
また機嫌が悪くなってそっぽをむいてしまった。
なんとも気難しい。
怒らそうと思っていないのにあきらちゃんは法一くんをすぐに怒らせてしまうのだ。
何が怒るきっかけなのかが全くわからない。
今の発言がどう怒りに通じているんだろう。誰か教えて。
怒る割には話しかけてくれるから、嫌われてはいないんだろうなーとは思うんだけど。
「私がさあ、母さんに言われてご飯持ってたり、してたらうずだ」
「ああ、移ったのね。熱は?」
「38度。のどが痛い。寒気はない。寝てりゃなおるって言ったんだけど」
「薬もらって寝たほうが治りがはやいだろ。馬鹿」
そっぽを向いたまま法一くんが吐き捨てる。
長くて多い睫毛が夏の日差しできらきらしている。
美少年というには険があり、その瞳は苛烈に過ぎる。
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は暴風雨。
なんて言葉が浮かぶあきらちゃんであった。
どんなに怒っても、楓さんの診察に責任を感じて付き添ってしまうくらいには、法一くんは基本的に優しくて親切だ。
「馬鹿っていうなと言っている」
目の前を楓さんの右の拳が通り過ぎ、今度は左あごにクリーンヒットして崩れ落ちる法一くん。
どんなに優しさを感じ取っても、拳の勢いが落ちないのが楓さんの正義だ。
黒い少し癖っ毛の長い髪が乱れるのを気にせずに頭をかき回す。
「ああ、頭痛い」
「殴りすぎだよ。安静にして。順番あとどれくらい?」
「三番目だからもうすぐですよ」
アロハ柄のユニフォームを着た看護師の後ろから、背の高い、ぼさついた頭のアロハを着た医師、太郎さんがやってくる。
そして腰にしがみついているのは、先程送り届けたはずの少年。
髪を振り乱したままに引きずられている。それを気にせずすたすた歩く太郎さんのコバンザメのようだった。
法一くんが顔をゆがめる
「なんだその汚いの」
「汚いってなんだあああああ」
思ったより低めの声で少年が奇声を上げる。
あきらちゃんは助けたことをちょっと後悔。
「ああ、これは甥ですよ。お騒がせして申し訳ない」
「甥?先生に似てないな」
「なんですか。甥で悪いんですかなにか迷惑かけましたかいいじゃないですか可愛い甥がおじに会いに行って何が悪いんですかあああああああねえおじさん」
「帰れ」
「帰らないですうううからねぇええええ」
殆ど怨霊のようである。
「あんなわからずや。あああもう腹立つ。夏休みはおじさんとこいて、その後もここにいるううううう」
待合室に奇声が響き渡る。
ごっ。
少年以外誰もが予想した通り、楓さんの振り落とした拳が少年の頭を強打し、拳と共に少年は地面にへばり付く。
楓さんはあああと深い息を吐いて睨みつけている
「やかましいぞこの小人」
「小人じゃない、光之だ」
「患者じゃないなら、ここにいるな。待つなら外で待て。そして病院で騒ぐな。さあ、こい」
「嫌だよ。なんで関係ない貴女に」
「関係ないだああ。私から関係ないなんて言葉で逃げられると思うなよ」
関係ない。その一言は楓さんには禁句だ。
あきらちゃんと法一くんはあちゃーと目配せする。
からころ からころ
「あ、はじまっちゃった」
「あきら、なんとかしろよ」
「えーやだよ」
どこかで聞いたような、でも少しだけ違う下駄の音が聞えてくる。
「【結って 縁をはじめましょ】」
楓ちゃんか小さな声で囁き始める。
「【結って 縁を終わらせて】」
愛おしそうに。
「【一夜 一夏 とこしえに】」
想い人を思うように。
「【一興 一緒 酌み交し】」
艶っぽく。
「【結んだ縁泡沫の】」
からころ。からころ。
下駄の音が止まるとそこにはバンカラ姿の学生さんが。
そう、キリくんと同じ。でも印象が全く違う。
にやああと笑う、屈託のないやんちゃな顔。
マルくんだ。
マルくんはぽんと楓さんの両手の拳を触ると、すうっと消えて、両の拳に宿った。
『拳で語るぜえ』
楓ちゃんから、小さな、でもはっきりと男性の声が。
無造作にごっ、ともう一度殴る。
拳の軌跡が柔らかな光の線を描いて光之少年に絡みつき、身体に溶けていった。
「いた、ななななにをおおお」
「さあああ。これで貴様とは斬っても斬れぬ間柄。燃え上がるぜぇえええええさあ、こいよ」
ずりずりと裏庭に連行されていく。
きっとぼっこぼこにされるんだろう。病院でよかった。
マルくんは縁を結う神様だ。
あきらちゃんの神様、キリくんの対。
キリくんが水なら、マルくんは火。静と動。
「さっきのは、何を結ったのか分かるか」
「ん。喧嘩の縁とかじゃない?」
「またか。神様も女に宿ってなにやってんだ。だからあいついつも殴るんじゃないのか」
マルくんを降ろしているからではない。もともと楓さんは乱暴者なのだ。
「順番、もう来るのに。後回しにしときますね。かえってきたら受付に言って下さい」
すっきりした太郎さんがにこやかにあきらちゃんに告げた。
「はーい」
「自分の甥が暴行うけてもいいのか」
「自業自得です」
爽やかな笑顔だった。
・あきらちゃん
・楓さん
・法一くん
・太郎さん
・光之くん
・マルくん