つるんとつけて
牛乳配達人さんとその守り神を見送った後、うふわあああと大あくびしながらあきらちゃんは2階に下りていった。
扉を開けるとふわりとコーヒーのいい香りがする。
「おや、早いじゃないか。どうした」
白髪白ひげの老人、おじぃちゃんがリビングでコーヒーを飲んでいた。
あー、やっぱりおじぃちゃんかあ。
「おはようございます」
ぼさぼさ頭のまま、頭を下げて挨拶する。
「はい、おはよう」
口の端をあげて笑う。
「しょうがないなあ。年頃の娘が」
あ、これ苦笑っていうんだ、とあきらちゃんは思った。
「んー、なんか、目が醒めた。でもねむい」
「まだ6時前だしな。コーヒー飲むかい」
「うん、いただきます」
カエルがプリントされたマグカップにコーヒーが注がれる。
「ほら、寝ぼけて舌火傷しないように」
「はあい」
あきらちゃんはコーヒーより紅茶の方が好きだけど、おじぃちゃんが淹れてくれるコーヒーは別だった。
あちち。苦い、けど、美味しい。
「おじぃちゃん、さっきね、牛乳配達人さんに守り神がついてたよ。知ってる?」
「ん?ああ、光ってるやつかい?」
はてと顎をなでる。この仕草がとても好き。顎をなでると必ずいい言葉が出てくるから。
「あれは、なんの守り神かな、豆腐屋にも付いてるの見たことあるな」
「牛乳屋さんだけじゃないんだ」
「行商人の神様かもな」
ふうん、と光の塊を思い出す。
あきらちゃんは気がつくとああいうモノが見えていた。
余りにも自然に見えていたからそれが普通でないと気づくのには時間がかかった。
なにせ神輿坂の人々には大抵見えていて、見えて無くても信心深い人が多いので、そういうモノが居るのは当たり前でそもそも議論にならなかった。
皆のんきで生活に支障がなければ別にいいさと頓着がないのだ。
神様、神様のお使い、つくも神、幽霊、妖怪。当たり前のように居た。
他の町では見かけない。だれもかれもこの坂に居る時だけ見えるから、自分の能力ではなくて、坂が見させているじゃないかと思っている。
「昔から居た?初めて見たけど」
「んーどうだったかな。あきらが生まれる前にはいたな」
「そっかあ」
この坂で生まれ育ってもまだ知らない神様やモノは多い。
たまにおっかないモノもいるけれど、こちらから近付かなければ危険な事はそうないし、別段不便はない。いやむしろ良い事が多い。今みたいに。
「おじぃちゃんが人の形取れる前には?」
このコーヒーを淹れるのが上手なおじぃちゃんも、人成らざるモノだった。
「さて、どうだったかな」
自分のことはとんと語らぬおじぃちゃんはあきらちゃんのパパが店主をしている喫茶店「あさのや」の古時計だった。
小さい頃、風邪をひいて保育園にもいけなくて。パパがお店で忙しくて、ママが仕事でお家にいなくて。
さみしいなあとリビングをくまのぬいぐるみを抱きしめてうろうろしていたら急に現れたのだ。
【これ、寝てなくては】
【…おじぃちゃん?おんぶ】
【俺に疑問はないのか】
それ以来、当然の様に毎朝出てくる。それどころか台所を勝手に使ってコーヒー飲んでる。
パパもママもおじぃちゃんが最初から居たかのように気にせず毎朝おじぃちゃんのコーヒー飲んでる。
「ここの住人は、物事を在るがままに受け入れるんだな。つまり、物事に疑問を持たない。俺たちが住みやすいわけさ」
あー。反論できないなあ。とあきらちゃんは思いました。えへへ。
「ふうん、つまんないの」
クッキーの瓶を取る。コーヒーに合わせて甘いものも食べたい。
言葉を濁して教えてくれないから、ぶーたれると頭をぽんぽんされた。
「まあ、そういうな。お前だって産まれてすぐの記憶なんてないだろう?」
「確かに。ねぇ、く、開かない」
クッキーの瓶の蓋がとても硬くて開かない。ぐぬぬぬ。
しばらく格闘して敗北を悟る。ぺいとおじぃちゃんに渡す。
「降参。あけてー」
「はいはい」
左手の親指、人差し指、中指で瓶の底を支えて、視線よりやや高めに持ち上げる。
「さて、魔法をお見せしよう」
芝居がかった口調でにやりと微笑む。右手の人差し指で自分の鼻筋をすっと撫でる。
「鼻の脂をつるんとつけて」
おじぃちゃんの決まり文句。魔法の言葉。
「蓋に力を」
人差し指て蓋をカツンと叩く
「ほうら、ご覧のとおり」
ぐわしと右手で蓋を掴んで廻して開ける。
「ほら、魔法で開いた」
「思いっきり腕力じゃああああん!!!」
「開いたんだ。いいだろう」
「でも魔法じゃないよお」
「筋肉は魔法だぞ」
クッキーの瓶を差し出して真面目な顔で言う。
あ、これ大真面目だ。心の底から思ってる。
その真面目な顔が面白くて、あきらちゃんもつられて笑い出してしまった。
つくも神のくせに、ああ、本当に人みたい。
少し時間は早いけれど、いつもどおりの幸せな朝だった。
登場人物
あきらちゃん
古時計のおじぃちゃん