プロローグ
汗が額から首へと伝って落ちていくのを感じて、あきらちゃんは目が覚めた。
季節は完全に夏で、暦は完全に夏で、まあこの暑さは納得済みではあるんだけど、それでもこたえるなあと首から更に背中を伝っていく汗の感触に眉をひそめる。
あきらちゃんの部屋は3階で、しかも天窓まであるから、直射日光直撃で寝てるだけで暑いなんてことは多々あるのだ。文明の利器のお慈悲にすがっても自然の力には屈服するのだ。
つまり、暑い。
寝癖のついた長い髪をぼりぼりかいて、ふわああとあくびをする。
おきてしまったのならしょうがいない、起きよう。
ぬいぐるみが沢山ある部屋。ベットにも古いぼろぼろの熊のぬいぐるみがひとつ。
「くまさん、おはよう」
そのぬいぐるみに話しかけてベットから下りる。姿見にはいつもの自分が映っている。
黒のロングヘア。まんまるな目。小さい手足。まるで子供のような小柄。
「おはようさん、わたし」
にへらと笑って鏡に挨拶。
姿見の横にある窓を開けるとそこには急な坂道が見える。
余りに急すぎて、地面にはわっかの穴が滑り止めとして沢山つくられている。それくらい急な坂。
空はもう明るい、夏の空。
牛乳配達のお兄さんの自転車が軽快に現れる。まだかなり早い時間だったのね、と早起きした自分に驚いた。
「あれえ」
お兄さんに併走して浮かんでいるモノが見えた。
光のような人のような、よくわからない。しかし、神々しい。とにかく神々しくて有難そうな趣である。
その有難そうな何かがあきらちゃんに手を振っている。
「おはよう。久しぶり」
牛乳配達のお兄さんは上を見上げて手を振ってくれている。その横にいる人の形をしている光も一緒にふっている。
あれは、牛乳配達の守り神。
配達人さんをまもってる。それだけ知ってる。それだけで充分。
【二人に】手を振ってあきらちゃんは微笑む。
ここは東京新宿神輿坂。
人と人ではない何かが住まう処。