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舌破り  作者: 東 吉乃


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助っ人あらわる


 もしもし。俺だ。

 ああ。

 今からできるだけ早く青森に来れるか。飛行機でも新幹線でも構わない。できれば日が暮れる前に合流したい。早い方がいい。市内にいるから、駅でも空港でも迎えに行く。便が分かったらすぐに連絡くれ。

 うん?

 どうかな。早ければ二日かそこらで片付くだろう。

 一番獰猛なのを連れて来てくれ。アオは必ずだ。他はそうだな、怯まない性質たちがいい。欲を言えば三頭。ああ、強い。慶次が腕にひびを入れられた。

 今か?

 一緒だ。ああ。檀はそっちに残ってる。

 詳しいことは来てから説明する。そういうわけで、頼んだぞ。


*     *     *     *


 俺だ。仕事中か? そうか、じゃあそのまま。

 頼みがある。

 今日中に石を見繕って、届けてほしい人がいる。二人、二か所だ。名前と場所は後でメールを入れるから、それを見てくれ。

 強い石がいい。干渉を跳ね除ける、邪な想いを砕く石。積極的に働きかけなくていい。守りに特化しているのが理想だ。

 今?

 青森だ。

 ああ、慶次もいる。颯真は今から合流。親父は知らん、依頼を受けている最中だ。

 ……そう、そういうことだ。

 つまりお前しかいない。

 何だと?

 ……それはまた考えておく。分かった、分かったから。とにかく、今日中に頼むぞ。


*     *     *     *


 立て続けに電話を二件。それも、ほぼ言いたいことだけを言って終わり。明らかに長男としての強権発動している氷室を見て、幸は呆気にとられた。

「完了」

 いたって涼しい顔で氷室が携帯を仕舞いこむ。

「お兄さんってこんなものなんですか?」

 同時に、弟妹もこんなものなのかというほぼ同じ疑問が湧く。

 聞こえていたのは氷室の言葉だけだが、それだけでもある程度の会話は予想できる。印象としては、檀も颯真も突然の連絡であるにも関わらず、すんなり依頼を了承したような簡潔さだった。幾らなんでも相手が渋れば、氷室だってもう少し頼み方が変わっていたと思われる。

 弟妹にはそれぞれの生活がある。

 檀は仕事をしているし、颯真は大学院生だ。決して暇ではないということは容易に想像できる。今日の今日と言われても、都合がつかないこともあるだろう。

 たまたま今日は、二人とも都合が良かっただけか。

 その可能性も否定はできないが、しかし氷室は最初から断られる心配などしていなかったように思う。

「兄貴の何がこんなもんって?」

 きょとん、と慶次が首を傾げる。

「今日まさに今すぐって稜さんが言ったことにもびっくりしたんですけど、檀さんと颯真さんが受けてくれたってことにも同じくらい衝撃を受けたと言いますか」

「あーそっか、さっちゃんて一人っ子だったっけ」

「すいません」

「いや謝るとこじゃないでしょそこは」

「我ながら下らないことを聞いてるなあという自覚はあります」

「んーどうかな。俺的には目の付け所が良い質問だと思うけどね」

 目元を緩ませた慶次に、今度は幸がきょとんとする番だった。

 その手の台詞を慶次から言われるのはこれが初めてではない。初めてではないが、いつも思うのは一体どの部分を掴まえて良い質問だと判断されるかが見当もつかず不思議だということだ。幸にしてみれば、分からないことを訊いているだけなのだが。

「さっちゃんが当たり前に訊いてくれるから、俺達も当たり前に解説するんだけどさ。普通こうはならんわな」

「普通、って?」

「そもそも氷室の力って眉唾で、世間様は白い目で見るからね。学生のノリで怪談話をするくらいならまだしも、これを家業にしてますなんて言ったらその時点で『気が触れた一族』認定まっしぐら。だから表向きは普通の神社の態を崩さないし、本来の家業そのものは宣伝なんて一切せずに古い付き合いというか縁で成り立ってるようなもん。この手の話は信じる信じないの派閥で大ゲンカもあるし、噂されるだけなら放っておくけど、何を訊かれたとしても俺達から公言することはない」

 それじゃあなんで、と幸は悩んだ。

 訊いても答えてくれないのが普通なら、幸だけにそれが許されているのは何故だ。仮とはいえ婚約者だから、というのは違う筈だ。婚約者どころか氷室の前妻二人は、その立場にも関わらず氷室家の異能については全く知らなかったことを幸は知っている。

「さっちゃんはさ、そのあたり偏見ないよね」

「偏見……ですか」

 これまで意識してこなかったが、改まって言われると即答できない。

「その、どうでしょうか。あんまり考えたことなかったというのが正直なところなんですけど、『私は偏見なんてありません!』と胸を張れるかと訊かれると自信はないです。知らないことが多すぎるので、無意識の内に誰かを傷付けてるかもしれません」

 だから買い被らないでほしい。そんな気持ちを込めて幸は言った。

 さながら弁明のようであるが凡庸な自分は褒められ慣れていない。そんな自分が、自身を高い棚の上に置いて誰かの何かをあげつらったりこうであると断定したりなどできる筈がない。「一昨日来やがれ」と追い返されて終わりだろう。

「俺が言いたいのはそういう優しいところね」

「優しい? 私がですか? そんなこと初めて言われました」

 むしろ「事なかれ主義」と陰口を叩かれた経験はある。高校生だった。クラス内で、ちょっとしたことで揉めた女子二人がいた。きっかけは些細だったと記憶している。けれど最終的には大きく派閥に分かれて険悪になってしまい、一時期クラスの雰囲気が悪くなった。

 その時にどちらの陣営からも、「どちらにつくのか」と詰め寄られた。

 幸は決められずに曖昧に濁した。どちらの言い分も一部は筋が通っているし、一部は言い過ぎだと感じた。ただ主張を言い募りたくなる両者の気持ちは強く伝わってきて、だから片方に寄ることができなかった。どちらも自分が正しいと信じていた。その気持ちを尊重したかった。

 それを事なかれ主義と罵られたのだ。

 今なら学生特有の良くある青春の一コマだと笑えるが、一方でその罵倒は的を射ている。そういう部分が自分にはあるのだと幸が正直に慶次に伝えると、彼は豪快に笑った。

「事なかれ主義か。手厳しいねえその友達。白黒はっきりつけられることって、世の中そんなにないんだけどねえ」

 でも、と続く。

「さっちゃんみたいな人に俺達は救われるんだよ」

「いえあの、話聞いてました? 事なかれ主義って明らかに欠点なんですけど」

「だってさっちゃんの事なかれ主義は誰かと揉めるのが面倒だから関わらないんじゃなくて、相手の気持ちを量って距離を考えるんだろ?」

「えっと……それはその」

「第六感を信じる人間は、基本的に前のめり。近視眼的と言ってもいいかな。本人が見える見えないは別にして、絶対に否定しない、そういう世界はあると信じてる人間は俺達の全てを知りたがる。でもそれは俺達と『友達』になりたいわけじゃなくて、自分達の信じる世界を証明する為の都合の良い『道具』に過ぎない。その好意に俺達の意思を挟むのは想定されてない。そういう熱狂的な信者がいる一方で、その手の類を信じない人間は端から俺達を嘘つき呼ばわりで、そもそも付き合いが始まらない。頭おかしいと思えば、まあそういう態度にはなるだろうね」

 淡々と語られる内容が、幸の胸を衝いた。


 普通ってないのか、と。


 どちらも結論ありきで付き合いを最初から決めてかかられるなんて、それは辛い。妄信的に詰め寄られるのは有難迷惑な話だ。氷室の人間にも分かっていないことがある中で崇拝されても、宗教の開祖でもあるまいしさぞ居心地が悪かろう。そんなもんある筈がないとぶった切られるのも微妙だ。それはともすれば、誰かが痛いと感じていることを、でも自分は痛くないからその痛みは幻なのだと切って捨てると同義ではないのだろうか。

 そこまで考えて、慶次の言わんとする部分が見えてきた。

 確かに幸は、相手の言い分を飲みこむよう努めている。咀嚼して飲み込んで、そしてどこまで踏み込んで良いかを考える癖が付いている。無神経な言葉で相手を傷付けたくない、そんな気持ちが根底にある。

 凡庸な自分にできることといえば、そのくらいだったからだ。

 声高に意見を主張するリーダーシップもなく、誰かの意見を冷静に論破するような頭の良さもなく、かといって万人と上手くやれる図抜けたコミュニケーション能力もなく。

 何もかもが普通だった自分は、やろうと思えば誰にでもできることを大切にするしかなかった。

「だからね。こうやって何の他意もなく普通の会話をしてくれるのは、すごく貴重」

「誰にでもできることですよ。貴重とか救われるなんてそんな、大げさな」

「そのセリフもさっちゃんらしいよ」

 さらりと言った慶次は、優しい目をしていた。 

「こういう特技って正直微妙極まりないんだよ。どうしてできるのか俺達自身が分からないし、科学的に何かの手法を使って証明できるようなものでもない。俺達に見えている世界のことを脳の欠陥がそう見せてるだけだって言われたとして、俺だったらそうかもなあなんて思うし」

「そんなこと言っちゃっていいんですか? 慶次さんは見えてるのに」

「見えない相手には俺が見えてることを証明のしようがないからね」

 少なくとも現代の科学では、と注釈が付く。

「前置きが長くなっちゃったな、ごめん。そういう意味で、さっきのさっちゃんの質問は鋭いとこを衝いてるわけ」

 何言ってんだろうこの人。

 まさか兄だけではなく弟にまでこの感想を抱く日が来ようとは、夢にも思っていなかった。ここまで来ればむしろ逆に感慨深い。

「慶次さん」

「ん?」

「すいません、何がどうなって『そういう意味』に繋がるのか、自分にはさっぱり」

 早々に幸が白旗を揚げると、慶次は彼の兄を指さした。

「兄貴ってこんなもんなのかって話」

 ふりだしに戻った。

 双六か、と思わず突っ込みそうになったがそこは気合で踏み留まる。

「稜さんと能力の証明云々が一体どう繋がるのか、やっぱり自分にはさっぱり……」

 だから解説プリーズ。

 皆まで言わず言外に含むと、慶次は快く頷いてくれた。さすが氷室家解説員だ。



「うちはちょっと特殊かも、っていうね。兄貴として尊敬はしてるけど、それと同時に『緑の手』に敬意を払っている、大事にしている、という根本的な気持ちがあるから」

「でも稜さんは、『緑の手』は一族の中であまり大した能力じゃないみたいに言ってました。慶次さんたちみたく見えないし、話もできないって」

「んー……なんていうかさ、能力の質が違うんだよな」

「質?」

「見えるってのは、極論ただそれだけ。相手に何の影響も及ぼすことができないわけで、『だから何?』のレベルなんだよ。氷室じゃなくても、見える人間は珍しくないし」

「はあ」

「そういう意味で話ができるってのもほぼ同じ扱いなんだよね。結局のところ力の真価を測るのは、相手に干渉できるかどうかなワケ。で、その力を氷室本家で持ってるのは親父と兄貴と俺と、弟の颯真ね」

「お母さんや檀さんは?」

「母さんは千里眼に近いし、姉貴は石と仲が良いけど、それだけ」

「それだけ……」

「力の強い弱いで比べれば二人共強いよ。俺達本家の男でも見えないものが見えるし、氷室一族の中でもずば抜けた精度の目を持ってる。でも例えば何かの悪さをするやつがいたとして、母さんも姉貴もその始末を付けられない。相手に干渉できないからね。氷室の果たしてきた役割から考えるとどうしても主役にはなり得なくて、補佐的な立ち位置にしかなれないんだよ」

 氷室の一族は、相手に干渉できる力は男に、干渉はできないが精度の良い力は女に与えられるらしい。

 これはあくまでも能力差による役割の違いであって、一族の中で立場が弱くなるとか序列に影響するとか、一概にそういう話でもないのだという。

 むしろ精度の良い力を受ける一族の女性は、いつの時代にも大切にされてきた。

 彼女たちの助けがあってこそ物事を一層滞りなく進められるし、危険を排すこともできたからだと慶次は言う。

「役割の違いが分かったところで、次ね。干渉できる力にも二つ種類があって、親父と俺と颯真が一緒、兄貴だけが別枠。さて、どういう区分けでしょう?」

「えっ、……ええ?」

 急に訊かれて幸は焦る。

 しかも真と慶次は良いとして、一番下の弟である颯真には会ったことさえない。しかし慶次の言い方から察するに、知っている情報だけで解が導き出せる質問のようだ。

 そして考えること十秒。

「誰かを治したり癒せるのは、稜さんだけ……?」

「正解。八十点」

「正解なのに二十点も減点ですか!?」

「対の部分の説明がなかったからね」

「それ、慶次さんとかお父さんのことですか? ハードル高すぎますよ……戦う神主さんってことくらいしか知りませんもん」

「お、追加点をあげよう。九十五点だ」

「……残りの五点は?」

「戦えるは戦えるけど、颯真は神主じゃないからね」

 ぱちり、と慶次が片目を瞑った。

 なるほど納得だ。

 以上のことから導き出せるのは。さながら塾講師のように芝居がかって慶次が続ける。

「今言った通り相手に干渉する方法は大きく二通りある。相手を傷付けるのか、守るのか。で、三対一の割合でも分かると思うけど、やり方はどうあれ『ぶん殴る』方がずっと簡単なの。俺や親父は特に力が強い方だけど、そういう意味での珍しさはあってもまだ替えは利く。現に颯真がいるしね。でも兄貴は違う」

 思わず幸は話題の張本人を見た。

 いつもと変わらない落ち着いた表情だが、氷室は軽く肩を竦めた。特にコメントは無い。らしいと言えばらしい反応だ。

「壊すのって驚くほど簡単だよ。反対に、守るのはすごく難しい。兄貴と同じ『緑の手』は遡って明治の頃で、それくらい貴重。兄貴自身がどう思ってるかは知らんけどね」

 しかしここで一つの疑問が湧いた。

「あの。そういえばお母さんも人を癒すことができて、稜さんの上位互換だって聞いたんですけど」

 他でもない氷室自身からかつてそれを聞いた。嘘を吐く理由がないので疑ってはいないのだが、慶次の説明と食い違っているのが気になる。

「それは氷室一族限定でね」

 受けた指摘に狼狽えることなく、慶次があっさりと言った。

「限定?」

「母さんが癒せるのは氷室の人間だけってこと。この辺の理屈は詳しくは分からんけど、女性に与えられるのが補佐的な力ってとこに由来してるのかもね」

「へえー」

「兄貴は誰彼構わずだよ。おまけにガス欠も起こさない。母さんが上位互換って言ったって、結局『緑の手』を使えば最終的には兄貴の方が強いさ」

「へええ……」

「で。一番大事な部分が、兄貴の力は誰の目にも見えるってところね」

 慶次は言った。

 彼自身が持つ退魔の「白い手」は、空を切っているようにしか見えない。

 一方で、氷室が持つ癒しの「緑の手」は、誰を選んでも必ず目に見える傷を治す。

 長い氷室の歴史の中で受ける信仰を揺るぎないものにしたのは、万人が恩恵を受けることのできる優しいその手があったからなのだと。疑いをかけてくるその相手の傷でさえ目の前で消すことができる、いわば奇跡の体現者だ。

 その手は力なき民人と共に、一族をも守る。

 だからその手に最大限の敬意を払う、否、払いたいのだ。そう慶次は言った。


*     *     *     *


 血の為せる業なのだろうか。三男坊の颯真は学生ながらとても捌ける人のようで、夕方の四時半に到着する飛行機で移動すると昼前に連絡が入った。

 迎えに行く為に、三時にはホテルを出る予定と相成る。

 出発まで銘々が好きに過ごすことになったのだが、昼ご飯の後は慶次が最初に寝落ちし、次いで幸も昼寝をしてしまった。一人起きて本を読んでいたらしい氷室に起こされたのが、丁度出発時刻だった。

 昨夜もぐっすり寝て、今朝も移動中の車で寝たのに。

 起き抜けのダルさが何となく、涼月で昼寝をしてしまった時と同じようだ。あの出張からまだ一ヶ月ほどしか経っていないのに、既に懐かしく思うのが不思議だ。首を傾げながらも幸は寝癖を手で直し、車に乗り込んだ。



 空港に到着したのは四時を少しばかり回った頃合いだった。

 フライトには特に遅れは出ていないようで、到着ロビーで他愛ない話をしている内にあっという間に目当ての飛行機が到着した。やはりさして多くはない乗客を次々に見送っていると、不意に慶次が「颯真」とその名を呼んで、手を挙げた。

 自然、幸の目はそちらに向かう。

 声を出せなかったのは、単純にものすごく幸が驚いたからだった。


 ドラマか映画か何かの撮影現場か。


 本気でそんなことを考えて周囲を見渡すも、カメラや照明といったそれらしい一行は見当たらない。彷徨わせた視線を改めて元の方向に戻すと、とても爽やかに手を振る青年がいた。

 眩しい。

 平たく言ってとても綺麗な顔立ちだ。兄たちも同じく整っているが、方向性が違う。

 長男は端正だが鋭さが目立つ。切れ味抜群の目力とでも言えばいいか。片や次男は親しみやすい笑顔が常で、ご近所のガキ大将がそのまま身も心も雄大に育ったような感じである。そして件の三男はというと中性的な柔らかい雰囲気を纏っていて、どこぞのアイドルかと見紛う恵まれた容姿だ。

 但し一八○センチ越えを誇る兄二人に比べると、その身長は随分低い。

 目算、一六八センチ。

 マスクの甘さはこの兄弟の中でぶっちぎり一位ながら、威圧感を感じなくて済むのはその日本人に見慣れたサイズ感が一役も二役も買ってくれている。

「は、初めまし、てぇっ!?」

 下げかけた幸の頭は、素っ頓狂な声と共にひっくり返った。


 何が起こったのかは良く分からない。

 感覚的には分厚い突風が急に前から吹いてきた、そんな衝撃とも風圧とも言い難い何かに押されて、幸は後ろにたたらを踏んだ。尻もちをつかずに済んだのは、咄嗟に背中を氷室が支えてくれたからだった。

 相変わらずのソツのなさに驚けばいいのか、その反射神経に感心すればいいのか。

 いずれにせよ初対面の相手に取る態度というか姿勢ではないので、助けてくれた氷室へのお礼もそこそこに幸は慌てて居住まいを正す。もう一度、今度こそ綺麗な発音で「初めまして」と言った時、相手は目を丸くして幸を見ていた。

 どう見ても驚いている。

 そりゃそうだろう、挨拶もそこそこに急に後ろに向かってコケる人間を見て、驚くなという方が無理だ。

「……佐藤 幸です。この度は私の都合でご迷惑をおかけしてすみません」

 人の印象を決める立ち居振る舞いでいきなりマイナスからのスタートを勢いよく切ってしまったが故、せめても頭の中くらいは常識人でありたい。

 そんな切実な思いを胸に、幸は最大限の丁寧さを出してみた。

 しかし、アイドルは固まっている。

 やっぱ駄目か。今更取り繕っても後の祭りというやつか。そもそも取り繕うほど立派な初期設定があるかと訊かれればそれはないので、この期に及んで見栄を張る必要もないのか。

 諦めの境地で「……ですよねー……」と誰にともなく幸が呟くと、一連の流れを見ていた慶次が噴き出したのだった。


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