第9回 必然だった!!
ひれ伏す鬼姫とジル。
見下ろす漆黒の毛を揺らすケルベロス。
そこに到着した一馬と周鈴。
見ていた光景と現状を説明され、周鈴は眉間にシワを寄せ、
「それで、コイツは敵なのか?」
と、トンファーを構えたまま尋ねる。
周鈴が警戒を解かないのは、この場で戦えるのが自分だけだと理解しているからだ。
一馬と紅は召喚士。キャルは科学者で戦闘は出来ない。
故に、周鈴は三人を守らなければならなかった。
しかし、白虎をまとっているものの、すでに風の剣は五本消費し、体力もここまで来るのに随分と消耗している。
ケルベロスが敵対すれば、とてもじゃないが三人を守る事など出来ない。
警戒しながら、周鈴は必死に思考を巡らせる。最悪を考えながら、頭の中で冷静に情報を処理していく。
「少なくとも、私達は敵対するつもりは……」
周鈴の問いに、幾分かの間が空いたが、紅が答えた。
ただ、それは、“コイツは敵なのか?”と言う周鈴の問いに対する答えとは言い難く、周鈴は目を細め、ケルベロスを睨む。
まだ、紅とキャルも、ケルベロスとの接触はない。
鬼姫と共に突然現れ、交戦が始まり、今の状況になっている。
ケルベロスが戦う理由も、鬼姫達がケルベロスを狙う理由も、全く見当がついていなかった。
「で、どうするんだ?」
チラリと、周鈴は一馬を見た。
判断を委ね、周鈴自身はもしもの時――戦闘へと意識を集中する。いつでも動き出せるように、重心は前へと移動し、思考は戦闘モードに移行。
極限まで集中力を高める周鈴に、判断を委ねられた一馬も極限まで思考を巡らす。
状況を――、最悪を――、考えながら一馬は答えを導く。
「とにかく、話が通じる相手か――」
「ちょっと待ってもらえませんか?」
一馬の声を遮ったのはキャルだった。
口元に当てられた右手の人差し指で眼鏡を押さえながら、眉を八の字に曲げ不思議そうに佇むケルベロスを見据える。
それから、数秒の間が空き、
「やっぱり、おかしいですよ!」
と、キャルは声を上げる。
訝しげに一馬はキャルへと目を向け、紅も不思議そうに小首を傾げた。
何がおかしいのか、一馬も紅も分かっていない。
そんな二人にキャルは答える。
「私の知っている限り、ケルベロスは三つの頭を持つ魔獣のはずです」
キャルの言葉で一馬もハッとする。
確かに一馬の知るケルベロスも、頭が三つある獣だった。だが、それは空想上の生き物で、実際にどんな姿かは定かではない。
眉間にシワを寄せる一馬は少し考え、
「俺の知ってるケルベロスも、頭が三つの魔獣だけど……」
渋い表情を浮かべ、言い淀む一馬はチラリとキャルへ目を向け、
「キャルは、あれがケルベロスじゃない……そう思うの?」
一馬が尋ねると、キャルは小さく頭を振った。
「いえ。扱う炎の質的に見ても、ケルベロス――だと思うのですが……」
「頭が三つじゃないのがおかしいと?」
紅が口を挟み、眉を顰める。
そして、ケルベロスへと目を向け、
「今、関係ありますか? それって……」
と、眉を八の字に曲げた。
紅の言う通り、今、あの魔獣がケルベロスかどうかは重要ではない。
それを、キャルも分かっているのか、は紅へと目を向けると、
「いえ。関係はないですが、少々気になったので……」
と、苦笑いを浮かべる。
研究者として些細な事が気になったのだ。
そんな一馬達に、大きな眼をギョロリと動かし、ゆっくりと顔を向ける。
圧倒的な威圧感に、周鈴は奥歯を噛み目を見開く。毛が僅かに逆立ち、体が震える。その震えは本人にしか分からない微々たるもので、一馬達三人が周鈴の異変に気付く事はなかった。
戦闘態勢をとる周鈴に、ケルベロスはゆっくりと息を吐き出し、
『ここは、生きた者が来ていい場所ではない』
低く渋い声に、一馬達三人は身震いさせる。声だけで分かる圧倒的強者の風格に、一馬は息を呑む。
それほど、ケルベロスの声には迫力があった。
声すら発する事の出来ない四人に、ケルベロスは言葉を続ける。
『我は門番ケルベロス。生者がこれより先に進むことは禁じる』
ケルベロスの発言に、周鈴は引きつった笑みを浮かべ、
「もし、それに従わなかったら?」
トンファーを握る手に力が入り、ジリッと右足を前へと出す。
緊迫した空気が流れる中、ケルベロスは左の上瞼をピクリと動かし、左の方へと顔を向けた。
――濃霧が晴れていく。
ひれ伏すジャックと鬼人。
その正面には黒い毛を纏う巨体の獣ケルベロスの姿があった。
大きな眼の奥で、赤い瞳がゆっくりと動き、二人を見下ろす。
「ぐっ……体が……」
歯を食い縛るジャックは両手を地面に着き、上半身を起こそうとする。
だが、腕に力が入らず、地面にひれ伏したまま肩を震わせていた。
鬼人も同じく地面にひれ伏し、苦悶の表情を浮かべ、ジャックへと目を向ける。
何が起こっているのか、二人には理解出来ず、僅かに呻く声だけが響く。
もがく二人の姿は地を這う虫のようだった。
冷めた眼差しを向けるケルベロスは、大きく裂けた口を静かに開く。
『死霊の類である貴様らでは、抗う事など出来ぬだろう』
そう言うとゆっくりと息を吸う。すると、更に二人の体から力が抜ける。
ギリッギリッと奥歯を噛むジャックは、鼻筋にシワを寄せ、一層肩を震わせる。
全身の力が抜けていく感覚にジャックは思い出す。
「浄化……か……」
ジャックの言葉に、ケルベロスは一瞬驚いた表情を見せる。
だが、すぐに表情は元に戻り、
『意外だな。……だが、それとは別物だ。似てはいるが、な』
と、もう一度ゆっくりと息を吸う。
また、全身から力が抜ける。
「グッ……」
呻くジャックは視線を鬼人へと向ける。
鬼人はひれ伏したまま動かない。長い白髪で表情は見えず、ジャックは眉を顰めた。
……――カツン ……――カツン
静かな足音が薄っすらと霧が漂う闇の中に響く。
冷たい空気に僅かな異臭が混じる。
そんな闇の中に静かに開かれた大きな眼。真っ赤な瞳が伏目がちな瞼の奥から覗き、ゆっくりと瞬きを二度。
大きく裂けた口が薄っすらと開き、深く長く重々しい吐息を漏らす。熱を帯びたその息は冷たい空気と触れ真っ白に染まり、それが霧のように広がった。
「こんな所に隠れていたのか、臆病者」
足音が途切れ、落ち着いた声が響く。
闇の中に浮かぶ黒いローブを纏い、フードを深々と被った男。その鋭い眼がフードの奥から覗く。
静寂の闇の中、対峙する眼。
何かを言うわけでもなく、静観する赤い瞳の大きな目は、やがてゆっくりと息を吐き出し、
『わざわざ、結界を抜けて何用だ。道化』
と、しゃがれた重低音の声が高圧的に言い放つ。
圧倒的な威圧感だが、ローブを纏った男は臆する事なく口元に薄っすらと笑みを浮かべる。
再び静寂が周囲を包み数秒、コツ……コツ……と、ローブの男は右足の爪先で地面を叩いた。
「……分かってるよ。――さぁ、早速……始めようか?」
闇の中でローブの男は両腕を広げ、両手に僅かに光が灯る。
強烈な力の波動にケルベロスはやや驚く。だが、深々と鼻から息を吐き出すと殺意のこもった冷たい眼差しを向け、
『……始める? 自分が我と対等だと思っているのか?』
不愉快そうに鼻筋にシワを寄せ、僅かに鋭い牙を見せる。
喉を鳴らし威嚇するようなしぐさを見せるケルベロスに、ローブの男は深くかぶったフードの奥に、白い歯を見せ笑う。
「確かに、頭数が足りていたなら、そっちに分があっただろうな」
挑発的な言葉。
その言葉通り、ローブの男には自信が満ちていた。ケルベロスに勝つ自信が。
怪訝そうな表情を一瞬見せたケルベロスは、目を細め小さく息を吐く。
『なるほど……その為に戦力を分断したわけか』
呆れたような眼差しを向けるケルベロスは、小さく頭を振る。
『それは、悪手だな』
ケルベロスの冷やかな言葉に、深くかぶったフードの奥で右の眉が僅かにピクリと動いた。
その表情の変化はフードを深くかぶっている為殆ど分からないが、ケルベロスの言葉が少々癇に障ったようだった。
また、僅かな静寂。それを、ローブの男の静かな笑い声が破る。
「悪手……ねぇ。それは、僕の仲間が死者で魂の存在だからって事かな?」
小さく肩を揺らし、そう述べるローブの男は、ゆっくりと顔を上げ、頭を右へと傾ける。
「でも、お前は負ける。これは、必然。確定事項だ。お前のその慢心が――命取りになる」
その言葉に伏せていたケルベロスは重そうに体を起き上がらせる。
『――面白い。やって――』
ケルベロスの声が途切れ、体が崩れ落ちる様に地面へと倒れる。
驚くケルベロスの口が大きく開かれ、その眼は瞳孔が大きく広がった。
「聞こえるかい? 君を死へと誘う歌声が――」
小さな小さな歌声が、ローブの男の手の中から聞こえる。
ローブの広い袖口から覗く左手に、液晶画面が光る一機のスマホ。そのスマホの側面の音量ボタンを親指で押し、徐々に徐々に歌声は大きくなる。
『ぐっ……こ、これは……』
「聖女の歌声さ。死者の浄化。そして、君の力を半減させ、眠りへと誘う歌声」
『何処で……それを……』
苦悶の表情を浮かべるケルベロスの瞼はゆっくりと落ちていく。
それを見据えるローブの男は、小さく肩を竦め、
「さぁ? 何処だろうね」
と、挑発的な眼差しを向けた。
鈍い音と共に、ケルベロスの顎を隆起した土の塊が撃ち抜く。
首が伸び、前足が僅かに浮かぶ。
その瞬間、地面にひれ伏していたジャックが、長い黒髪を揺らし地面を駆ける。
ケルベロスが息を吸う事で、ジャックの魂を少しずつすり減らし力を奪っていた。だが、隆起した土の塊で顎を打ち上げられた事により、それが止まった為、ジャックも動く事が出来た。
それでも、体を構築する魂を大幅に削られた為、ジャックの動きは何処か鈍い。
「ぐっ……しっかり……やれよ!」
ひれ伏す鬼人は、顔を僅かに上げ、右手をジャックの背に向け小さく振った。
その瞬間、ジャックの後方――斜め後ろから地面が斜めに隆起し、その体を前方――ケルベロスの頭上へと打ち上げる。
「よくやった。あとは――」
『舐めるな。小僧ども!』
凛とした声が響き、ケルベロスの口がジャックへ向けられ開かれる。
その喉の奥に青白い光が収縮され、口の中に蒼い炎が逆巻く。
「てめぇは……大人しくしろ!」
ひれ伏す鬼人がギリッと奥歯を噛むと、褐色の両腕を大きく振り上げ、地面へと指を突き立てた。
地響きと共に、ケルベロスの周囲の土が鋭い突起となり隆起し、その体を串刺しにする。
それにより、ケルベロスの口に逆巻いていた蒼い炎が消滅。
そして、頭上に舞うジャックは右手をかざし、
「終わりだ」
と、力強く右腕を振り下ろす。
上空から降り注ぐ大量のメス。それは、ケルベロスの漆黒の肢体を切り付け、黒い毛を舞い上がらせた。
それは――偶然か。
はたまた、必然か。
誰もが、驚き。
誰もが、息を呑む。
運命が――、いや、彼女の意思――執念がそうさせたのか。
それは、天空より飛来する。
音もなく、ケルベロスの頭部後ろ、首筋へと。
衝撃がケルベロスの頭を地面へと強引にねじ伏せ、土煙を舞い上げる。
首筋から伸びるのは通常よりも長めの柄。鬼姫の扱う長刀の柄だった。
喉から突き出した長刀の刃が地面にまで達し、起き上がる事が出来ないケルベロス。
ドクン――……ドクン――……
静かな脈動が、周囲に広がる。
いつ、そこに移動したのか、ケルベロスの首筋に佇む鬼姫の姿。脈動も彼女の体から発せられていた。
真紅の長い髪が揺れ、折れた両腕は痛々しく宙に揺れる。
その姿を目の当たりにし、周鈴は瞬時に判断し、地を蹴った。
遅れて、一馬も、
「紅! キャル!」
と、紅、キャルの順に視線を向けた。
その言葉で二人も理解し、
「お願いします――」
「力を貸して――」
紅は胸の前で召喚札を握り、キャルは手にした召喚銃を空へと向ける。
祈りと共に召喚札は赤く燃え上がり、空間が裂ける。
遅れて、キャルは召喚銃の引き金を引き、怒号が轟き、暴風が吹き荒れた。
「白虎!」
(加速する!)
背後で漂う風の剣が一本消滅し、周鈴は加速する。
だが、その瞬間に全身に衝撃を受けた。
「ぐっ!」
加速すると同時に目の前に現れた水の壁に衝突し、勢いをそがれた。
水の壁は弾け、周鈴は横転。
そして、ケルベロスの首筋に佇む鬼姫は、首筋から伸びる長刀の柄を口で咥えると、
“うおおおおおおっ!”
地響き似た雄たけびを上げ、長刀を引き抜き、そのままケルベロスの首を切断した。