第6回 遠い日の記憶だった!!
これは、遠い日の記憶――……
広がるのは、果てしない荒地。
木々もなく、枯れ果てた大地は異臭を放つ。
異臭の正体――それは、一帯に無数に転がる亡骸によるものだった。
ここは、かつて戦場になった場所。多くの人の命が奪われ、多くの血が流れた。
腐敗した亡骸と、大地に染み込んだ血。それが、異臭を放っていたのだ。
怨念――憎しみ、怒り、悲しみ……様々な負の感情を持った魂が――漂う。
その中で、彼女は生まれた。人の悲しみ、寂しさ、孤独、と言った感情を多く含み生まれた彼女は、ポツンと一人、散乱する屍の中に佇んでいた。
幾日も、幾月も――彼女はただ虚ろな眼で佇む。
雨が降ろうと、強風が吹き荒れようと。
どれだけの時が流れた頃か、彼女は自らの孤独を、寂しさを埋める為、漂う魂を利用し一本の刀を生み出した。
鋭く自らの背丈よりも長い一本の刀を。
自分を守ってくれる存在が欲しかったのだ。
だが、刀は自分で動く事はなく、彼女を守る事も、彼女の寂しさを埋める事も出来なかった。
そんなある日の事だった。
「ば、化物!」
突如、一帯に響いた声。
それは、若い男の声だった。
彼女は刀身の長い刀の切っ先を引き摺りながら、声の方へと歩みを進める。
そこに行けば、誰かがいる。この寂しさ、孤独を埋めてくれる存在がいる。
そう考え、重い足取りで歩みを進める。
やがて、怒号が聞こえる。
「この化物がっ!」
「この地から消えろ!」
複数の男の声だった。
ただ、聞き取れたのはそこまでで、あとは何を言っているのかハッキリとは分からなかった。
いや、正確に言えば、もうそれ以上彼女には聞こえていなかったのだ。
山のような巨大な体を、岩石のように丸め、男達に石を投げつけられるその者を目にしたから。
彼女の中に生まれる憎悪。そして、憤怒し、彼女は刀身の長い刀を一閃――……
「あなた……名前は?」
首が切断された体が複数散乱する血だまりの中、彼女は巨大な体を丸める鬼へと尋ねる。
「おでぇ……おでぇ……」
ゆっくりと顔を上げた巨大な鬼の野太い声が響く。
その声に、彼女は目の色を変える。死んだような覇気のなかったその瞳に光りが宿り、口元に笑みが浮かぶ。
初めて、言葉を交わした。それが、嬉しく、心が弾む。
「あたちは、鬼姫!」
目を輝かせ、握った拳を胸の横で上下に小さく動かしながら、彼女は誇らしげに名を名乗った。
そして、巨大な鬼の反応を嬉しそうに待つ。
「お、おでぇ……おでぇ……」
「そうだぁ!」
楽し気に胸の前で手を叩くと、巨大な鬼は音に驚いたのか、ビクリと肩を跳ね上げた。
その様子に小さく首を傾げた彼女は、小さく唸り考え込み、一度、二度、と一人で納得したように頷き、
「もう、こあがらなくていいんだよ。あたちがあなたを守ってあげりゅ! あたち、ちゅよいから!」
えへへ、と笑い、彼女は胸を張った。
――そんな遠い日の記憶に、ノイズが走る。
目の前で消えていく巨大な鬼。青い炎に呑まれ、体が粒子となっていく中で、巨大な鬼は最後に笑った。その大きな口を綻ばせ、少しだけ悲し気な眼で。
目を見開き、息を呑む鬼姫の目から、涙がこぼれる。
伸ばしかけた左手。その手から力が失われ、静かに地面に落ちた。
「鬼姫さん! 無事ですか!」
再び霧に包まれた一帯に響くヴァンパイア、ジルの声。濃霧の所為で、鬼姫の状態は詳しく把握出来ない。
だが、返事がない事と、その気配の異様さに、ジルは眉を顰め、地上へと降り立つ。
幸い、この霧は蒸気によるものの為、魔力は殆ど含んでいない。故に、ジルはすぐに鬼姫の場所と、紅・キャルの場所を把握する。
しかし、二人には目もくれず、鬼姫の傍に歩を進め、視線を空へと向けた。そこに浮かぶ、強烈な気配。それを目視し、裾の燃えたマントを修復する。
「全く……無茶をしますね。あなたは」
鬼姫に対する小言だが、やはり反応はない。銀髪を揺らすジルは、綺麗な顔の眉間にシワを寄せ、小さく息を吐く。
とりあえず、鬼姫が無事だと言うのを確認し、安堵したのだ。
しかし、すぐに、その安堵も、緊迫感へと変わる。
それは、突如として鬼姫から発せられる鋭く冷たい殺気――いや、殺意が広がったからだ。
一瞬、その殺意に呑まれ、呼吸をする事を忘れてしまうが、すぐに我に返り鬼姫へと視線を向ける。
「鬼姫さん?」
思わず声を掛ける。返答はなく、濃霧の向こうで青白い炎が弾ける。
そして、熱気が周囲の濃霧を払い、視界はゆっくりと開けていった。
濃霧の中、風切り音が繰り返され、続けて切り立った岩壁が僅かに砕ける音が広がる。
遅れて、軽快な足音が僅かに耳に届き、周鈴は視線を向けると同時に、石象をまとったトンファーを振り抜く。
鋭く振り抜かれたトンファーの先は勢いよく伸び、鞭のようにしなりながら濃霧を裂き、パチンッと岩壁を叩く乾いた音を広げ、砕石が散る。
散った砕石が地面に落ちる音が疎らに聞こえ、遅れて「クスッ」と笑い声が静かに聞こえた。
「ッ!」
険しい表情を浮かべる周鈴は、右手を引き、伸びたトンファーを元へと戻す。その衝撃で、右腕は大きく後ろへと弾かれ、右肩が軋み、僅かに痛みが走った。
奥歯を噛み、眉間にシワを寄せる周鈴。その口から静かに長い熱気を帯びた息が吐き出される。
どれだけ、攻撃を仕掛けただろう。何度、トンファーを振り続けただろう。その手に伝わるのは、岩壁と地面を叩く感触と、トンファーが空を切る手応えのなさだけ。
故に、周鈴のフラストレーションは溜まりに溜まっていた。
それでも、努めて冷静になろうと、もう一度深く息を吸い、静かに吐く。
しかし、そんな周鈴を挑発するように、濃霧の中からローブの男の声が響く。
「もうおしまいかい? さっきまでの威勢はどうしたんだい?」
挑発的な口振りの言葉遣いに、ピクリと周鈴は右の眉尻をピクリと動かす。一瞬――ほんの一瞬だが、イラッとしたが、それを押し殺し周鈴は「ふっ」と小さく笑いを噴き出す。
「やっすい挑発だなぁ。乗ると思ってんのか?」
「おや? 君には、あれが挑発に聞こえたのか? 僕はただ心配してあげただけなのに」
「心配しなくても、僕は元気だよ!」
霧の向こうから聞こえた声に、そう力強く返答した周鈴は、右手のトンファーを再び振り抜く。
鞭のようにしなり、空を切り岩壁を叩く。その音に、片膝を着き呼吸を整える一馬は、苦笑いを浮かべる。
挑発に乗ってるじゃん。
そう思ったが、口にはしない。そこまで、一馬に余裕はなかった。
相変わらず、手応えはなく、眉を顰める周鈴は、振り抜いたトンファーを戻す。
発せられるフードの男の声で、大体の距離と方向は分かっているが、攻撃は当たらない。濃霧で視認出来ない事が、これほどまで距離感を狂わせるとは、思ってもいなかった。
(これでも、距離感を掴むのは得意な方なんだけど……)
そんな事を考えながら、周鈴は小さく舌打ちをした。
刹那、何処かで衝撃が起き、大地が揺れる。
「な、何だ!」
バランスを崩し、片膝を着いた周鈴が声を上げる。
それに少し遅れ、突風が吹き抜け、「うわっ」と声を上げ、周鈴は身を低くした。
一方、最初の揺れで完全に地面に倒れた一馬は、ふんばる事が出来ず突風にあおられ地面を転げる。
そして、最後には岩壁に横っ腹をぶつけ、「うぐっ」うめき声を上げた。
その声に周鈴は、「大丈夫か!」と声を上げるが、一馬の方には目も向けず、身を低くし突風に耐える。目を細め下唇を噛む周鈴は、激しく揺れる灰色の髪の合間からついに視認した。突風で晴れた濃霧から姿を見せた黒衣の男を。
右手でめくれ上がりそうになるフードを押さえる黒衣の男。完全に周鈴への注意、警戒心が薄れた。それを、周鈴は見逃さない。
左手に握ったトンファーへと犀石を纏わせると、その先端を鋭利に尖らせ、それを地面へと突き立てる。突風に耐える為、そして、あの黒衣の男に一撃を見舞う為に。
左手に力を込め、体を引き寄せ、低い体勢から放つ。右手に握った石象を纏ったトンファーを。
トンファーは伸び、鞭のようにしなり、突風を切り裂く。
吹き荒れる突風の音を乱す鋭い音に、黒衣の男が気付いた時には、その額をトンファーの先が強打する。
強烈な破裂音が広がり、黒衣の男の頭が後方へと弾かれ、フードが風でめくれ上がり、鮮血が散った。
確かな手ごたえに、周鈴はニッと歯を見せ笑う。
だが、その表情はすぐに凍り付く。
フードが捲れた事によりあらわになった黒髪を激しく揺らす黒衣の男。その顔は、額から流れ出た血で赤く染まり、突風に血が頬を伝い後方へと飛ぶ。
まるで、周鈴の一撃など効いていない。そう言うように、黒衣の男は突風の吹き荒れる方へと眼を向けていた。
確かにトンファーは頭を直撃した。それなのに、黒衣の男はその場に――そこで、周鈴はギリッと奥歯を噛み、眉間にシワを寄せた。
気付いたのだ。体勢を低くしなければ、吹き飛ばされてしまいそうな程の突風吹き荒れる中、黒衣の裾を激しく揺らしながらもその場に仁王立ちする男の異様な様に。
心臓がドクッと強く脈を打ち、体が締め付けられるように硬直する。
(な、何だ……あいつ……)
何かを纏っていると言う風には見えない。それに、一撃を頭に受けたのに、その場から微動だにしない。それは、異様にしか見えなかった。
「ふざけ――ッ!」
右手で頭を押さえ、周鈴を睨んでいた黒衣の男は、険しい表情を浮かべ視線を逸らす。
そして、誰かと話すように、
「ああ。分かってる!」
と、答え深く息を吐き出す。
「……ああ。急ごう」
静かにそう口にすると、黒衣の男は突風吹き荒れる中、ゆっくりと歩みを進める。風にあおられる事なく、軽い足取りで。
その背を見据える周鈴は、立ち上がろうとゆっくりと体を起こし、
「ま、待て! 何処に――うわっ!}
と、声を上げるが、突風に煽られ尻もちを着き、二度、三度と転げる。
「クソっ!」
周鈴はすぐに体勢を整え、顔を上げる。だが、すでに黒衣の男の姿はなかった。
風は次第に弱まり、ようやく周鈴が立ち上がれるようになる頃には、また周囲には霧がかかり始めていた。
肩で息をする周鈴は、唇を噛むともう一度「クソっ!」と口にし、走り出す。
だが、そんな周鈴を、「待て!」と、一馬が制する。力強く珍しく厳しい一馬の言葉に、周鈴は体をビクッとさせ、足を止める。
そして、まだ霧の薄い一馬の方へと体を向けた。
「今追わないと、見失っちまうだろ!」
大声を上げる周鈴に、一馬は右手で腰を押さえ立ち上がり、
「落ち着け。今、彼を追った所で、また濃霧に呑まれるだけだ」
と、真剣な表情で周鈴を見据える。
すでに霧は濃くなり始め、周囲の岩肌は見えなくなりつつあった。
一馬の言葉に唇を噛む周鈴は、激しく右腕を払うように振り、
「じゃあ、どうすんだ! このまま放置か! 僕らは、ここでただ待ってるのか!」
と、怒鳴り、息を乱す。
だが、一馬は落ち着いた様子で息を吐くと、背筋を伸ばし大きく息を吸い込んだ。
肺に入る冷たい空気。それを、ゆっくりと熱い息として吐きだし、一馬は静かに告げる。
「まず、俺達は合流しないといけない」
「合流? 誰と?」
「紅とキャルと、だ」
一馬の言葉に、首を傾げる周鈴は、腕を組みそれから、右手の中指で眉間を押さえる。
「んんー? 待て待て、何で、紅とキャル? ここにいるのか?」
「ああ。さっき、突風で霧が晴れた時に、二人の気配を感じた」
「…………ホントか?」
周鈴は眉を顰め、疑いの眼差しを一馬の方へと向けた。
これでも、気配を感知、察知する事には優れている方だと周鈴は自負している。故に、一馬が感知出来たなら、自分も感知出来たはずだと考えていた。
そんな周鈴に、一馬は小さく二度、三度頷く。
「確かだよ。距離は分からない。けど、ここに二人はいる」
そう言う一馬の表情が曇る。そして、瞼を閉じ、深く息を吐き出し、下唇を悔しそうに噛んだ。
今に思えば、一馬に選択肢など無かった。最初から、この場に呼び出せるのは周鈴だけだったのだ。
全て、あの黒衣の男が仕組んだことなのだろうが、分断の仕方からその配置、そして、一馬の呼び出せる聖霊と人も、完璧思惑通りに進んだのだろう。
それを考え、一馬は一層悔しくなる。
もちろん、各世界で一馬がとった行動は最善のもの。限られた戦力、限られた選択肢の中から、最善の選択をした。
だが、それすらも、彼らには見通されていた事になる。
悔しくて、悔しくて――たまらない。でも、一馬は自分を落ち着けるように息を吐き出し、周鈴を見据える。
「まず、俺達がするべき事は、紅とキャルの二人と合流して、情報を共有し、状況を把握することだ」
一馬は力強くそう告げた。
そんな一馬にジト目を向ける周鈴は、ふっと、静かに息を吐き肩を落とす。
「で、どうやって合流するつもりだ? この霧の中」
周鈴の言葉に、目を細める一馬は、眉間へとシワを寄せ、「それは……」と、困ったように口を噤んだ。
『それに関しては、私に考えがある』
唐突に一馬の胸ポケットでスマホの画面が光りを放ち、白虎の声が響く。
「びゃ、白虎?」
突然の声に驚きの声を上げる一馬は、慌ててスマホを取り出す。
『先程は、すまないな。濃霧による魔力妨害で少々通信が途切れてしまった』
「通信って……そもそも、聖霊と召喚士は繋がっているもんだろ?」
『マスターと私達の契約は特殊なものだ』
「特殊なもの?」
眉間にシワを寄せ聞き返す周鈴に、白虎が深いため息を吐き、
『そうだ。まぁ、些細な事だ。それよりも、合流するつもりなのだろ?」
そう言う白虎に、周鈴は納得はしなかった。詳しく説明を求めたい、と言う気持ちもあったが、現状、そんな悠長な事をしている程余裕はない事を理解している為、周鈴はその気持ちを押し殺し話を前へと進める。
「で、どうやって合流する気だ?」
『それは、あなたも知っているやり方ですよ』
含みのある声でそう言う白虎に、周鈴は訝し気に眉をひそめた。