第5回 嘘でも否定しろ だった!!
地面に浮かぶ魔法陣。
遅れて、濃霧の中に光りが満ちた。
やがて、光は収まり、魔法陣は消える。
大きく口を開き、呼吸を乱す一馬。その顎先から汗が滴れる。
数秒の静寂。
魔法陣のあったその場所に小さな人影。
一馬が呼び出したのは――周鈴だった。
紅とキャルと言う選択肢もある中、周鈴を選んだのは、“直接戦える”からだった。炎帝とワイバーンは強力な戦力だと思うが、この濃霧では敵味方どちらにも被害が及ぶ。そう考えた結果でもあった。
小柄な彼女はゆっくりと立ち上がり、お尻を両手で叩く。白の拳法着のお尻に着いた土を払ったのだ。
俯き加減の彼女の目は灰色の髪で隠れ、薄っすらと開いた唇からは小さく吐息が漏れる。
「やっと……戻ったと……思ったのに……」
両肩を落とし、やけにトーンの低い声で呟く周鈴。
濃霧の為、その姿は一馬にははっきりと見えない。だが、周鈴の様子がおかしいのは分かった。
呼吸を乱す一馬は小さく首を傾げ、訝しげに眉を顰める。
「周……鈴?」
呼吸を乱しながら一馬が名前を呼ぶ。すると、周鈴は深く息を吐いた。
そして、一拍間を開け、
「かーずまーっ! どう言うつもりだーっ!」
周鈴の怒号が響き、一馬は思わず両手で耳を押さえ、目を細めた。
と、同時に周鈴は濃霧に気付き、
「つーか、何だよこの霧! 何にも見えねぇじゃねぇーか!」
と、更に怒鳴った。
小さな影が大きい身振りで体を左右に揺さぶっているのが見え、一馬は苦笑いを浮かべる。
一生懸命に霧を払おうとする周鈴の姿に、一馬はやや呆れていた。
どんなに頑張って腕を振っても、この濃霧が晴れる事は無いだろう。
小さく息を吐くと、濃霧の向こうでも呆れたような吐息が漏れ、ふっと小さく鼻で笑う声が聞こえる。
その声にピクリと眉を動かす周鈴は、瞬時に状況を理解し腰にぶら下げていたトンファーを手に取った。
「誰だ! お前!」
声を荒げる周鈴は身構える。本能的に、声の主が敵であると判断したのだ。
「戦闘中なら、そういえよ!」
理不尽な物言いの周鈴に、一馬は目を細める。言いたい事はあった。だが、一馬はそれをグッと堪え、静かに息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
「悪い……緊急事態だったから……」
その返答で、周鈴は一馬の状態もすぐに理解する。故に複雑そうに眉間にシワを寄せ、目を細めた。
対峙する相手が誰かは分からない。だが、空気で分かる。対峙している相手が強者であると。
だからこそ、周鈴は疑問に思う。
「何で、あんたの相棒じゃなくて、僕なんだ?」
濃霧でその姿は確認出来ないが、後ろにいるであろう一馬へと視線を向ける。
正直、現状の一馬の状態なら、純粋な戦闘能力的に見ても自分よりも、雄一を呼ぶはずだと、考えたのだ。
だから、疑問に思い一馬にそう尋ねたのだ。
そんな周鈴の言葉に、一馬はギリッと奥歯を噛む。周鈴の言う相棒が雄一を指しているのはすぐに分かった。と、同時にあの時の雄一の姿がフラッシュバックする。
目を伏せ、押し黙る一馬に代わり、霧の向こう明かりに照らされた影が答えた。
「彼なら死んだよ」
静かな声に、ビクリと周鈴の右の眉尻が動く。そして、眉間に深い皺を寄せ、激昂する。
「誰だテメェ! 適当な事言ってんじゃねぇぞ!」
荒々しい口調で怒声を轟かせる周鈴は、瞬時に右手に握ったトンファーに自らの契約する聖霊“石象”を纏わせ、振り抜く。
石象を纏ったトンファーの先は伸び、鞭のようにしなり、明かりに照らされた影を打ち抜く。手応えはなく、生じた風が霧を歪め、影だけが揺らめいた。
振り抜かれたトンファーの先はやがて、岩壁を叩き、遅れて岩壁が崩れた音が広がる。
それから、数秒の間が空き、揺らめく影がもとに戻ると、
「これは、本当の事だよ」
と、濃霧の向こうから黒いのローブの男の声が静かに告げる。
その声に、ギリッと奥歯を噛む周鈴は、
「ふざけんな!」
と、怒鳴った。
周囲の岩壁に反響した声が、耳をつんざく。
思わず両手で耳を塞ぎそうになる一馬に、周鈴の言葉が飛ぶ。
「何で否定しねぇんだ!」
トンファーを握る手に力がこもり、僅かに震える。雄一との関係は日が浅く、それほど面識もなく、親しかったわけでもない。第一印象も悪かった為、どちらかと言えば嫌いだった。
それでも、その強さを知っている。誰よりも戦況を把握する能力の高さも分かっている。だからこそ、信じられない。何よりも信じたくなかった。
夕菜の事を思うと、胸が苦しくなり、同時にそれが自分の事と重なった。だから、一層その言葉を信じたくなかった。
「嘘でも否定しろよ!」
僅かに震えた周鈴の声に、一馬は奥歯を噛み目を伏せた。
場所は変わり――……
「今の声って……」
不安そうに紅がそう口にすると、
「周鈴さんの声です」
と、冷静にキャルが返答する。
下手に動かず待機していた紅とキャル。そんな中、濃霧に響き渡ったのは周鈴の声だった。
何を言っているのかは分からないが、それでも状況は理解出来た。
一馬が周鈴を呼び出した。それが意味するのは――敵と交戦中だと言う事だった。
「敵ですか?」
キャルが静かに尋ねる。紅は複雑そうに眉を顰め、
「多分……」
と、答えた。紅の声のトーンが少しだけ下がった。
そんな紅の些細な変化にキャルは小さく首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「う、ううん。何でも。それより――」
「待ってください! 何か来ます!」
手に持ったスマホ型通信機のモニターを見ながらそう声を上げるキャルは、空へと視線を向ける。
直後、青白い光が飛来し、爆風が濃霧を吹き飛ばす。
「な、何ですか!」
爆風から顔を守るように右腕を顔の前に出す紅が、声を上げる。
「高エネルギー反応です!」
ずれ落ちる眼鏡を右手で直し、キャルは衝撃の方へと視線を向ける。
地面は黒焦げ陥没し、青白い残り火が揺らめく。
何が起こったのか分からず、紅とキャルは怪訝そうに眉を顰める。
「……ゲホッ! ……ゲホッ!」
陥没する地面の中央でゆっくりと起き上がる小さな影。その姿に紅はビクリと肩を跳ね上げる。
「鬼……姫……」
目を見開き呟く紅は、胸の前で組んだ手をギュッと強く握った。
まさか、ここで鬼姫を目にすると思わなかった。だが、すぐに思い出す。一馬が戦闘中だと言う可能性を。
故に、鬼姫は一馬と――周鈴と戦っていた、とすぐに判断し、袖口から召喚札を取り出す。
刹那、轟音と共に青白い光が周囲を照らす。
「紅さん! アレ!」
キャルの声に紅は顔を上げる。視線の先には巨大な蒼い炎の玉。この一帯を焼き尽くすには十分すぎる大きさの炎の玉に、紅は思考を張り巡らせる。
だが、この状況で紅が出来る事はない。準備はしていた為、今すぐに炎帝は召喚出来るが、召喚した所であの炎の玉に対処する時間はない。
だから、紅は躊躇う。
「ったく……」
立ち上がった鬼姫がボソリと呟き、自分の背丈を超える長さの長刀を腰の位置に構え、重心を落とす。
朱色に染まる長刀の刃が青い炎に包まれ、火力を上げる。
「あの人間の技を使うのは、気が進まないけど……」
俯き呟く鬼姫。その眼球は黒く染まり、赤い瞳が不気味に輝く。
そして、顔を上げると同時に、
「烈火一閃!」
と、右足を踏み込み跳躍し、長刀を振り抜く。
蒼い閃光が空を裂き、その刃は青い炎の玉へと衝突し、衝撃が広がる。
だが、螺旋を描く青い炎の玉に、鬼姫の振り抜いた長刀は容易く跳ね返され、鬼姫の体は地面へと叩きつけれた。
「ガハッ!」
小柄な鬼姫の体が地面に弾み、血が吐き出される。
無傷の炎の玉はゆっくりと迫る。その場にいるすべての者を呑み込むかのように。
そんな時だった。突如、空間が割れ、
「おぢひべっ!」
と、野太い声と共に、重低音の足音を響かせ巨大な鬼が開かれた空間の裂け目から飛び出し、その巨体で青い炎の玉を受け止める。
「で、でくの……ぼう……」
地面に倒れる鬼姫は、目の前で炎の玉を受ける巨大な鬼を見据え、呟く。自分では考える事が出来ない鬼、だから、鬼姫は彼を木偶の棒と呼んだ。
そんな巨大な鬼が、野太い呻き声を発しながら、炎の玉を受け止める。自分で考え、自分の意思で。それでも、炎の玉の勢いは止まらない。巨大な鬼の両腕を燃やし、体を押していく。皮膚が焼け、体から細かな光の粒子が漏れる。
一方で、紅は困惑していた。鬼が、体を張って鬼姫を守っているその姿が異様だった。
命令されたわけでもないのに、身を挺す巨大な鬼。それは、多くの鬼と戦ってきた紅にとって初めて見る鬼の姿だった。
「お、おぢ……ひ――」
『囚われし哀れな魂の救済を』
静かで猛々しい声が広がり、風が吹き抜ける。その瞬間――
「がああっ!」
野太い悲鳴が広がり、巨大な鬼の体が発火する。青い炎が巨体を包み、巨大な鬼は膝から崩れ落ちる。
「おぢ……ひ……べ……」
巨大な鬼の巨体は崩れる。青い炎に包まれ、巨体は光の粒子へと化す。
目の前の光景に目を見開く鬼姫。消滅していく巨大な鬼の姿に、瞳孔が開く。
巨大な鬼が消滅。それにより、押さえていた青い炎の玉は動き出す。
「紅さん!」
茫然とする紅の手をキャルが引く。
我に返る紅は視線をキャルへと向ける。眼鏡越しに淡い橙色の瞳が真っ直ぐに紅を見据えていた。
そして、ポニーテールにした瑠璃色の髪を揺らし頭を左右に振る。
「残念ですが、ここで私達に出来る事はありません。彼女達が何と戦っているのかも分かりませんし、私達が下手に手を出して巻き込まれるのは、一馬さんと合流する上で最悪なケースです」
力強いキャルの言葉。だが、その声色は僅かに震えていた。
分かっているのだ。自分達では到底及ばない戦いの渦中にいる事を。だから、この場をすぐ離れたいのだ。
紅も気持ちは一緒だった。ここから、すぐに離れたかった。でも、脚が動かない。恐怖しているわけじゃない。ただ、気になったのだ。鬼姫の事が。
何故、こんな気持ちになるのか分からない。鬼姫とは敵同士なのに。
そんな紅の気持ちを知ってか、キャルは言葉を続ける。
「紅さん! 私達にはどうする事も出来ません! ここを離れましょう!」
強く腕を引き、キャルは一歩踏み出す。そして、紅もバランスを崩しながら一歩。
その眼差しを鬼姫に向けたまま――。
迫る青い炎の玉。
仰向けに倒れたまま虚ろな眼差しの鬼姫。
そこに響く。
「六重奏!」
高らかに響く凛々しい声の後、鬼姫と青い炎の玉の間に水で描かれた六芒星が作り出される。六つ、重なるように。
その水の六芒星が、青い炎の玉を受け、蒸気を上げる。一枚目が消滅し、二枚目、三枚目と、青い炎の玉の勢いを確実に削り消滅する。
そして、六枚目が消滅する時、青い炎の玉も消滅し、辺りはまた深い霧に包まれていた。




