第4回 視線だった!!
「うわーっ! 真っ白だぁ」
幼さの残る少女の弾んだ声が、真っ白な霧の中にこだまする。
全くと言っていい程何も見えないその中で、頭の後ろで留めた真紅の髪の毛先と、真っ黒なゴスロリ衣装のミニスカートの裾だけがヒラヒラと揺れる。
「凄いねぇー。ほんとー、何にも見えないよぉー」
肩幅に両足を開き、前のめりになる少女は左手を腰に当て、右手を敬礼するように眉の上に添え、辺りを全身を使った大きな動きで見回す。
もちろん、見回した所で周囲一帯は濃霧で真っ白な為、周囲の様子など分かるはずがなかった。
「鬼姫さん。あんまりはしゃいではぐれないでくださいよ」
冷やかな男の声がため息交じりにそう言うと、ピョコンピョコンと鬼姫と呼ばれた少女は飛び跳ね、両腕をぶんぶんと上下に振る。
「子供扱いしないでよね!」
「そう言う所が子供だって言うんですよ」
青白い肌をした黒衣に身を包む長身の男はそう言い、銀髪を揺らし頭を振った。
呆れた様子の長身の男の姿は濃霧で見えないが、鬼姫は声の方へと目を向けムスーッと右の頬を膨らせる。
その言葉、声で男がどんな顔をしているのか、鬼姫には分かったのだ。
当然、長身の男も見えずとも鬼姫がどんな顔をしているのか想像でき、
「そんな風にすぐに不貞腐れる所も、子供っぽいって言うんですよ」
と、鬼姫のする方へとジト目を向けた。
変わらずブスーッと頬を膨らせる鬼姫は唇を尖らせ、「子供じゃないもん」と呟き、周囲を見回す。
濃霧で視界は遮られているが、分かる事はあった。
「どうやら、ここには我々二人だけのようですね」
長身の男の言葉に、頭の後ろで留めた真紅の髪の毛先をピコピコと揺らす鬼姫は、一層不満そうに頬を膨らせる。
「もーっ! あたし、カズキと一緒がよかったぁー。何でいつもジルと一緒なのぉー」
鬼姫の言葉に、ジルと呼ばれた長身の男は腕を組み目を細め、「同感ですねー」と面倒くさそうに返答した。
鬼姫と組む事が多く、すでに扱いに慣れているジルは、ブーブーと文句を言う鬼姫を尻目に周囲を分析する。
「どうやら、この霧の所為で、バラバラに転送されてしまったようですね」
濃い魔力濃度を含んだ濃霧に、聊か怪訝そうに眉を顰めるジルは右手を口元へと当てる。
「どうやら、冥府の門とやらは、一筋縄ではいかないようですね」
「てか、あたしの話聞いてた!」
ブーブーと文句を垂れていた鬼姫が、ジルの声の方へと振り返りそう投げかけると、
「いえ。全然聞いてませんけど?」
と、ジルは即答した。
ピクリと右の眉尻を跳ね上げる鬼姫のコメカミに青筋が浮かぶ。
そして、右腕を右へと翳すと、その手の中に自分の背丈の二倍はあろう刀が現れる。その柄を握り締めた鬼姫は、長い刃で濃霧を裂き、ジルへと切っ先を向けた。
「今すぐ叩き斬って――」
「危ないんで、それ、仕舞ってくださいね。あと、そんな事しようものなら、カズキ様に嫌われますよ」
ジルのその言葉に「ぐっ」と声を漏らす鬼姫は、持っていた長刀を地面へと突き立て、むくれる。
美しい顔立ちのジルは眉間へとシワを寄せ、鼻から静かに息を吐く。
「とりあえず……カズキ様と合流するのが先決ですね」
「じゃあ――」
ジルの言葉を聞き、無邪気な笑みを浮かべる鬼姫は、右手を振り上げ、人差し指で天を指差す。
「みんなで探せば早いじゃない! 出ておいで!」
鬼姫がそう口にすると、濃霧の中に黒い靄が無数に浮かび、そこからぞろぞろと鬼が姿を現す。
その気配を感じ取り、小さくため息を吐くジルだったが、
「まぁ、人手が多いに越した事はないでしょう」
と、呟き、中指の腹を親指の腹にこすり、パチンと指を鳴らした。
すると、青白い炎が濃霧の中に複数浮かび上がり、
「どうも、この辺りは屍も多いようなので、死霊も呼び出しやすい」
と、ジルがもう一度指を鳴らすと、青白い炎は消滅し、代わりにカタカタと歯を鳴らす骸骨の兵が姿を現した。
骨を軋ませる骸骨の兵に、あからさまに嫌そうな顔を見せる鬼姫は、
「うわぁー……気持ち悪っ……てゆーか、凄い悪趣味……」
と、目視は出来ないものの、音だけでその姿を容易に想像が出来たのだ。
そんな鬼姫の態度に、右手で頭を抱えるジルは、静かに息を吐き、銀髪をかき上げた。
「死霊とは不気味な程、美しいのですよ。あなたには、分からないでしょうが」
「うん。全然わかんない。興味もない」
ジルへと即答した鬼姫は、身を震わせ小さく頭を左右に振った。
そんな二人を、濃霧の向こうで見開かれた二つの赤い眼がジッと見据える。観察するように、静かに。
場所は移り――
「くっそ……また、お前とか……」
悪態を吐いたのは、褐色白髪の男――鬼人だった。
こちらも周囲を包む濃霧で辺りは確認出来ないが、彼が放つ殺気で、鬼人は誰がそばにいるのかすぐに理解した。
と、同時に思わず漏れたのが、先の言葉だった。
右手で頭を抱え、「かぁーっ」と声を漏らす。一番面倒な奴と一緒だと、眉間に深い皺が寄る。
だが、すぐに切り替え、辺りを見回し、一番殺気の濃い方へと視線を向けた。
「おい。その駄々洩れの殺気をどうにかしろよ」
右手で指を差すと、鼻から息を吐き、肩を落とす。
「なんだ。殺気を出していた方が、お前にも俺の居場所がわかるだろ」
平然とそう言うのは、長い黒髪をたなびかせる猫背の男――ジャックだった。
彼はゆっくりとした足取りで周囲を確認するように右へ左へと進み、壁を視認出来る位置まで移動すると、右手を着き空を見上げる。
濃霧でその壁面の高さは分からない。その為、ジャックは足元に転がる小石を拾い上げると、それを空へと投げた。
小石は濃霧の中へと消え、やがてカツンと音をたてた。高い放物線を描いた小石が壁面に当たり、ジャックの遥か後方に落ちた。
「何してんだ?」
訝し気に腕を組む鬼人が尋ねると、ジャックは小石の落ちた音のした方へと体を向け、視認した壁と交互に目を向ける。
返答がなくジャックの足音だけが響く。
目を細め、眉間に深い皺を寄せる鬼人は、右手で豪快に頭を掻きむしり、
「おい! 俺の話を聞いてるのか!」
と、声を荒らげる。
すると、ジャックは小さく鼻から息を吐き、
「何をしてるのか分からないなら黙っていろ」
と、静かな声で告げ、再び動き出す。
ジャックの足音だけが響き、再び小石が壁に当たり落ちてくる音。
真っ白なその中で、そんな音だけを聞きながら鬼人はただただ茫然と立ち尽くしていた。
暫しの時が流れ――、ジャックの動きが止まる。
その気配に気付き、鬼人はフッと小さく息を漏らした。
「で、何か分かったのか?」
静かに問うと、ジャックは静かに答える。
「どうやら、谷底の様だな」
「――の割に明るいが?」
「この霧の影響だろうな。魔力を含んでいるようだし、何より、この場所を特定されたくないようだしな」
ジャックがそう答えると、「そうかい」と鬼人は静かに答え深く息を吐いた。
そんな鬼人の方へと眼を向けたジャックだったが、すぐに視線を右へと向ける。
「方角は分からんが、今、鬼姫とジルの居場所を特定した」
「あぁ? 鬼姫とジルの居場所?」
「ああ。大量の魂の灯が見えた。一瞬で消えたがな」
ジャックはそう言い、眉を顰める。
呆れた様子の鬼人は、ジャックの視覚の特異性を思い出し、小さく首を振り、肩を竦めた。
「そう言や、お前の目は魂が見えるって話だったな」
「正確には、魂の灯だがな」
「で、何でそれが、鬼姫とジルの居場所に繋がるんだ?」
鬼人は大きな身振りでジャックに問う。その動きはジャックには見えていないだろうが、その動きで生じる風でなんとなくそれを理解し、呆れたように目を細める。
「灯の一つは突然現れ、灯の一つは空中に漂うかけらが一つになり生まれた」
「で?」
「察しが悪いな。お前」
「あぁ? 喧嘩売ってんのか!」
青筋を浮かべる鬼人が怒鳴ると、ジャックはそれを鼻で笑った。
「お前じゃ、俺を満足させられないだろ」
「んだと!」
「とにかく、突然現れたのは鬼姫が空間を開き鬼を出した。空中に生まれた灯は恐らく、ジルの死霊のたぐいだろう」
「…………そう言や、アイツ、んなもんも出せたな」
ジャックの説明を聞き、鬼人は思い出したようにそう呟き目を細めた。
と、同時に先程の言葉を思い出す。
「んっ? でも、一瞬で消えたって」
「ああ。まるで何かに食われたように一瞬で消滅した」
「この魔力を帯びた霧の影響で感知できなくなった、ってわけじゃねぇよな?」
鬼人がそう問うと、「そうなのを願うがな」と、ジャックは肩を竦め、その方角へと真っ直ぐに目を向けていた。
だが、すぐに深く息を吐くと辺りを見回す。ここに来てからずっと、視線を感じていた。
この濃霧で視線を感じるなどおかしな話だが、それでもずっと誰かに監視されているような感覚に、ジャックは不愉快そうに眉間にシワを寄せる。
その所為か、自然とジャックの体から殺気が漏れ出す。
「おいおい。いい加減にしろって」
「さっきから、誰かの視線を感じる」
「…………この濃霧の中でか? 自意識過剰か?」
ジャックの言葉に乾いた笑い声を発し、鬼人は小さく頭を振った。バカにしたような鬼人の態度に気付いてはいたが、ジャックは相手にせずあたりを警戒していた。
そんな二人を濃霧の中見据える二つの眼。獣のような鋭く赤い瞳が獲物を狙うように、真っ直ぐと向けられていた。
場所は変わり――
「何でお前がここに……」
静かな一馬の声。
「何でって……用があるからだよ」
静かで穏やかな声がそう答える。
殺気もなく、特に一馬に敵意を向けるわけでもないその声の主に、一馬は警戒心を強める。
名前は知らないが、間違いなく双子岬であったあの黒いローブを着ていた男。そのシルエットだけが、濃霧の中に薄っすらと浮かんでいた。
彼の姿が薄っすらとでも視認出来るのは、彼が手にしているランプの所為だ。そのランプの明かりが、薄っすらとだが霧の中で彼の影を作り出していた。
「今度は一体、何をするつもりなんだ!」
語気を強める一馬に、黒いローブの男は小さく肩を竦めた。
「それを言う義理はないよ」
当然の答えだ。これからする事を敵に教えるバカはそうそういない。
力づくで聞き出そうにも、一馬の力では歯が立たないのは分かり切っていた。
距離をとるようにすり足で一歩、二歩と下がる。この男が何を考えて、何をしようとしているのかは定かではないが、一緒にいるのは危険だと一馬は直感していた。
そんな一馬の考えを知ってか、クスリと笑う黒いローブの男は、
「そんなにおびえる事はないさ。何の邪魔もしなければ、今回は君の相手はしないよ」
と、静かな声で一馬をけん制した。
その言葉に一馬は両肩をビクリと跳ね上げ、その足はピタリと止まる。頭の中に一つの問いが一馬に投げかけられる。
“お前は、ここで何をするべきなのか?”
もちろん、問いかけたのは一馬自身だ。ここですべき事――。それは、今も分からない。
だが、今やるべき事、やらなきゃいけない事は、結果としてここでやるべき事に繋がる。一馬はそう考え、意を決する。
そして、一馬のその決意を感じ取り――いや、正確にはそうなるように挑発した――黒いローブの男は、不敵に笑みを浮かべ、
「やっぱり、君は僕の邪魔をするんだね」
と、残念そうに濃霧の中で光を放つ一馬の方へと目を向けた。
一馬の覚悟は決まっていた。
「俺は、俺のすべき事を、全力で実行する!」
その手に握るスマホ型通信機のモニターが光り輝く。
「君とは相容れそうにないようだね」
目を伏せ、ふふっと静かに笑う黒いローブの男は、小さく頭を振った。
光り輝くスマホ型通信機を胸へと押し付ける一馬は、小さく深呼吸を二度繰り返した後、叫ぶ。
「我、異界の扉を開く者なり!」
あと、どれだけの精神力が残っているのか定かではない。
「今、汝の力を求めん」
だが、今の一馬に出来る召喚は最悪あと一回。そして、一馬が召喚するのはすでに決まっている。
「我、呼び声に答え、異界より姿を見せろ!」
一馬が召喚するのは――