第3回 特別とは? だった!!
「ここ……何処なんでしょうか?」
濃い霧の中、優しく綺麗な少女の声が響く。
声の主は――火の国の巫女であり、召喚士の紅。
その長い黒髪を頭の後ろで束ね、毛先をぴょこぴょこと揺らしながら、辺りを見回す。
当然、霧は濃く、殆ど何も見えてはいない。
それでも、目を凝らし、必死に周囲を探っていた。
「うーん……どうにも、妙な霧ですねぇー」
ずれ落ちた黒縁の眼鏡を右手で直し、空を見上げていた。
何処までも続く真っ白な世界。流石に違和感を覚えていた。
ポニーテールにした長い瑠璃色の髪を揺らし、右へ左へと視線を動かす白衣の少女。
彼女は風の谷の王女であり、研究者でもあるキャル。
右手に持ったタッチパネル式の小型の機械で、この辺りの事を調べている最中だった。
「……おかしいですねぇ」
「どうかしましたか?」
困ったようなキャルの声に、紅はそう尋ねる。
それほど離れていないはずなのに、キャルの声の方に顔を向けた紅の視界に、その姿は確認出来なかった。
「うーん……強い電波妨害を受けているっぽいです」
「電波? ……えっと…………」
聞きなれない言葉に困惑し、紅は苦笑いを浮かべる。
そんな紅に、キャルも困ったように微笑し、
「えっと、通信――じゃなくて……交信? を、邪魔されている……みたいな感じです」
と、言葉を選びながら説明する。
その説明に納得する紅は、頷いた。
「それじゃあ、結界か何かがあるって事……ですか?」
「かも、しれないですねぇ」
大人びた顔の眉間にシワを寄せるキャルは、薄っすらと開いた唇から吐息を漏らし、右手を口元へと添えた。
考えていた。何が電波妨害をしているのか。
紅の言う通り、結界だとするなら、それは何の為で、何故そうする必要があるのか。
興味は湧くが、今はそれを押さえていた。流石に、紅もいるし、命を天秤にかければ、興味よりも命を優先するべきだ、と判断した。
急にキャルが黙った為、紅は急激な孤独感に襲われる。
そして、恐怖が胸を締め付けた。
「あ、あの……」
心細くなり、小さな声で呟き、霧の中――キャルの声が聞こえていた方へと右手を伸ばしながら、ゆっくりと歩みを進める。
一歩、また一歩と慎重に足を進める紅の右手が柔らかく弾力のあるものへと触れた。
「ひゃっ!」
キャルの悲鳴が響き、紅は思わず右手を引く。
「ご、ごめ――」
「な、なな、何してるんですかぁ」
紅の声を遮るように、キャルの叫びが広がる。
何に触れたのか、ハッキリとは分からないが、紅は右手を見た後、自分のこじんまりとした胸へと視線を落とし、ガックリと肩を落とした。
そして、慌てるキャルに、
「急に黙るから……」
と、沈んだ声で呟く。
その声に、キャルは両腕で豊満な胸を隠すようにしながら、小さく首を傾げた。
「ど、どうかしたんですか?」
「い、いえ……な、なんでもないです……」
変わらず沈んだ声の紅に、頭の上に?マークを付けながらキャルはもう一度首を傾げた。
落ち込む紅に、一通り考えたキャルは、小さく息を吐き、ずれ落ちる眼鏡を右手で直し、話し始める。
「この霧が結界だとするなら、それを作り出しているモノがいると思われます。ただ、目的が今は分かりません。防衛本能なのか、それとも、別の理由なのか……」
腕を組み濃い霧の向こうへと目を向ける。嫌な空気を感じ、キャルは右手で瑠璃色の髪をかき上げた。
ずっと何かに見られている。そんな気がしてならなかった。
一方、落ち込む紅は、深く吐息を漏らす。そして、考える。
「一馬さんは……どうなったんでしょうか?」
思わず口にした問いに、キャルは思い出したようにスマホ型の通信機を取り出す。
「一馬さんでしたら、恐らくこの世界に来ているみたいですよ?」
スマホ型の通信機の画面をタップした後、その画面を紅の方へと向けた。霧の中でも光が見え、紅はそこに顔を近づける。
ノイズが混じった画面に点滅する赤い点が三つ。その内二つは重なるように配置されている為、これが、紅とキャルを示しているのだと分かる。
そして、もう一つ離れた場所にある赤い点が、恐らく一馬だろうとキャルは考えていた。
「でも……それだけだと、一馬さんだと判断するのは……」
少々困り顔の紅は画面から顔を話し、霧で薄っすらとしか見えないキャルの顔を見据える。
スマホ型の通信機の画面を消し、白衣のポケットにしまったキャルは、右手を口元へと当て答えた。
「いえ。恐らく、一馬さんで間違いないかと」
自信満々のキャルに、紅は綺麗な顔の眉間にシワを寄せ小さく首と傾げた。
「まぁ、正確に言えば、白虎様のエネルギー反応が感知されたので、一馬さんで間違いないかと」
「それなら、すぐに合流した方が――」
「この霧の中ですよ? 迂闊に動き回るのは危険ですよ」
キャルの言葉に、紅は周囲を見回し、「そうだよね」と小さく言葉を吐いた。
濃霧で殆ど視界はない。この辺りの地理にも疎く、どう言う地形になっているのか分からず歩き回るのは危険すぎた。
その為、紅もキャルも慎重にならざる得なかった。
困り顔の紅とキャルは、小さく息を吐き肩を落とす。
「とりあえず、はぐれないように気を付けましょう!」
胸の横で両拳を握り締め、気合を入れるキャルに、紅は苦笑した。
壁と伝い歩みを進める一馬は、深く息を吐き出し足を止めた。
暫く歩き続けたが、霧は一層濃さを増していた。濃さが増していると言う事は、その現象を引き起こしているモノへと近付いている証なのだろう。と、同時にそのものがここまでしてでも守りたいモノがあるのだと理解出来た。
右手で額の汗を拭い、大きく肩を落とした。
体が重い分、疲労感を何倍にも感じ、そんなに歩いていないはずなのに、息は上がっていた。
『大丈夫か?』
胸ポケットでスマホ型通信機のモニターが光り、白虎の声が響く。
「大丈夫ではないけど……大丈夫だよ」
目を細め、もう一度深く息を吐きながら一馬はそう答えた。
正直に答えようが、虚勢で偽ろうが、結局考えている事は白虎達に筒抜けなのは分かっていた為、一馬はそう答えたのだ。
そんな一馬の考えに、白虎はふふっ、と静かに笑った後、
『マスターも大分、分かってきたようだな』
と、楽しげに口にした。
苦笑いを浮かべる一馬は目を細め、深く息を吐いた。
『おい。今、面倒くさい奴だと思ったな』
「いや、ホント、勘弁してください」
今にも泣きだしそうな声の一馬に、「仕方ないな」と吐息を漏らす白虎は、
『今後はなるべくお前の考えを聞かぬようにしよう』
と、渋々口にする。ホッとする一馬に、
『なるべくだからな』
と、釘を刺す。
苦笑いを浮かべ、胸ポケットに右手を当て、もう一度深々と息を吐いた。
召喚士も大変なんだなぁ、と思う一馬は、不意に紅の事を思い出す。そして、疑念を抱く。その瞬間、再びスマホ型通信機のモニターが光りを放つ。
『主よ。彼女と炎帝の契約には召喚札と言う道具が使用されている。故に、自分達と主のように、意思の共有は無いだろう』
一馬の思った疑問にすぐさま玄武が答えた。
一馬の疑問は、紅の考えも、同じように炎帝に伝わっているのか、と言う事だった。だが、玄武の言った通り、紅と炎帝の契約には、召喚札が用いられ、それを媒介として契約している為、意思は伝わらないと言う事だった。
納得する一馬に、玄武は言葉を続ける。
『主が、彼女達を呼び出す時も、媒介になるモノがある故、呼び出せる。基本、聖霊との契約はそのように行うものなのだ。常人が自らの肉体に聖霊を宿すなど……本来はありえんのだがな』
「へぇー…………じゃあ、俺は?」
一馬が目を細め、玄武へと問う。だが、玄武は呆れた様子で答えた。
『主は特別だ』
「特別……ですか……」
『そもそも、自分達をかたどった像を媒介に契約を行っている故、自分達は主の中に意思を残しておかないと、別の世界で呼び出す事は出来ない。現在、朱雀と青龍がこの場に存在していないのも、消耗が激しく主の中に意思を残して置ける状態ではないからだ』
玄武の説明に納得したように小さく頷く一馬は、小さく鼻から息を吐く。
「難しい事はよく分からないけど……とりあえず、特別だから……で、いいのかな?」
『契約の仕方が特別、と言うだけで、マスターが特別だ、と言う事ではないぞ』
白虎が冷やかな口調で口を挟んだ。
その言葉に目を細める一馬は、右の眉をピクリと動かした。
分かってはいた。自分が特別ではない事は。それでも、あの男の言った「君は特別だ」と。
何故、特別なのか。何が特別なのか。それは分からない。だが、彼は一馬が特別だと思っている。
――朱雀達と契約している事。それが、特別なのか、とも考えた。だが、本当にそれが特別な事なのか、と疑念も生まれた。
一馬の考えている事など白虎と玄武には筒抜けのはずだが、二人は何も言わない。何も答えない。
その為、一馬は眉間にシワを寄せ、小さく息を吐き、口を開く。
「聞こえてたと思うけど……守護聖霊の白虎達四体と契約するのは、特別な事なのかな?」
一馬の言葉に、数秒の間が空き、
『そう――……だな』
と、歯切れ悪そうに白虎が答えた。
その答えに一馬は眉間に一層深いシワを寄せ、右手の人差し指で右の眉尻を掻いた。
『まぁ、自分達との契約出来ている時点で特別と言えば特別だろうな』
玄武の言葉に、一馬は含みがあるのを感じる。
その為、右手で眉間を押さえ、唸り声をあげた。
「なぁ、何か、俺に隠してないか?」
一馬の言葉に、白虎は呆れたような吐息を漏らし答える。
『何を隠す必要があると言うんだ? そもそも、マスターが特別だとするなら、我々と契約している事ではなく、人並外れた精神力の方だろう』
「んっ? 何それ?」
『……そうだったな。マスターは私が大事な話をしている時に寝ていたんだったな』
白虎の言葉に苦笑する一馬は、「根に持ってるんですね」と呟き小さく息を吐く。
だが、白虎は気にした様子もなく、
『根に持っているわけじゃない。事実を言ったまでだ』
と、鼻息を荒くする。
そんな白虎に代わり、玄武が話を続ける。
『白虎の言う通り、主の精神力は一般的な召喚士の十倍。故に、複数の聖霊と契約する事が出来ていると言う所だな』
「……の割に、俺、よく倒れるんだけど……それは、精神力不足と言うより、体力面の問題なのかな?」
『これに関しても、マスターが寝ている間に話したが、マスターは訓練を受けて召喚士になったわけじゃない。当然、精神力の扱い方も、召喚に用いる際の燃費も非常に悪い。だから、必要以上に精神力を消耗し、毎度のように精神力が底を尽き、倒れているんだろう』
白虎が穏やかにそう語り、最後には吐息を漏らす。
それから、玄武が付け加える。
『ただ、精神力とは、一日二日休んだだけで容易に全快するものではなく、主の場合、精神力を全て使い切った際に、それが全快するまで一月以上かかると言う、大きなデメリットにもなっている』
「そ、そう……なんだ……。じゃあ、今って、もう召喚は出来ない……感じなのかな?」
『主に残された精神力は大分少なくなっているので、最悪あと一回。上手く精神力をコントロール出来れば、二回か三回と言った所だろうな』
その言葉を聞き、一馬はその場に座り込み頭を抱えた。
「えぇー……あと一回……この状況で……戦闘になるとして、俺じゃあ戦えないし……紅は……厳しいか? かといって、キャルは……無難に周鈴? いや……白虎か玄武で戦うって事も……」
早口でブツブツと呟く一馬に、玄武と白虎はやや呆れたようにため息を吐くが、すぐにプツンと通信を断った。
一方的な行動だった為、一馬はそれに気付かない。いや、現状それに気付けない程慌ただしく思考回路を働かせていた。
その為、気付くのが遅れる。
「……アレ? 霧が……」
顔を上げた一馬は気付く。霧が一層濃くなっている事に。
そして、白虎と玄武との通信が切れている事に。
明らかに空気が変わった。何かが起きようとしている事を理解し、一馬は気を引き締めた。




