第3回 胸騒ぎだった!!
薄暗い洞窟の中、入り口から入り込む陽の光と暖かなランプの明かりが僅かに広がる。
ランプの傍に腰掛ける一馬とフェリアの二人。
一方、雄一は二人から離れた場所に腰掛け、硬い岩肌に背を預け静かな寝息を立てていた。
余程疲れていたのだろう。雄一は腰掛けてすぐに眠りに就いた。
ランプの前で胡坐を掻く一馬は、両手を踝の上に置き、体を前後へと揺らす。その為、ランプに照らされた一馬の影が、洞窟の岩肌で大きくなったり小さくなったりしていた。
向かい合うように一馬の対面に足を揃え座るフェリアは、鼻から息を吐くとジト目を向ける。
「なんですの、先程から……。少し落ち着いたらどうですの?」
フェリアの呆れた様子の声に、一馬は苦笑いを浮かべる。
「ごめん。でも、別に落ち着かないわけじゃないよ。少し考え事をしてて……」
「……それで、体を揺すっていたと言うんですの?」
変わらずジト目を向けるフェリアに、一馬は「ハハハ……」と乾いた笑い声を発した。
特別、それが癖、と言うわけではない。ただ、考え事をしている時、常に体の一部を動かしている方が記憶を思い出せると、言うだけ。
故に指だけを動かすだけでも良かったのだが、まだ体のダルさがあった為、自然と体を揺らしてしまっていたのだ。
ボンヤリと靄のかかったような思考の中、一馬は洞窟の天井を見上げる。
「……うーん」
「ホントになんですの?」
綺麗な顔の眉間にシワを寄せるフェリアは、不満げに深いため息を吐く。
そんなフェリアに申し訳なさそうに微笑する一馬は、右手で頭を掻き目を細めた。
「ごめんごめん。なんて言うか、大事な事を忘れてる気がして……」
「大事な事……ですの?」
訝しげに聞き返すフェリアに、一馬は腕を組み小さく頷く。
「……うん。凄く大事な事……のはずなんだけど……」
首をひねる一馬に対し、フェリアは渋い表情を浮かべる。「そんなに大事な事なら、何で忘れるんですの?」と、でも言いたげなフェリアの眼差しに、一馬は困ったように微笑し、右手の人差し指で頬を掻いた。
「まぁ、その内、思い出すよ」
「その内って……大事な事なのでしょ?」
「うーん……まぁ、大事な事って言っても、この状況とか、今回の件に関してじゃなくて、俺の――と、言うか、雄一に関しての事だから」
困ったように笑う一馬だったが、フェリアの表情は一瞬曇った。ほんの一瞬の事で、一馬がそれに気付く事はなく、フェリアもそれを悟られないように呆れたように深く息を吐き出し、肩を落として見せた。
「そう言う事ですの。まぁ、今回の件に関係ないのでしたら、心配する必要はありませんの」
「だね。とりあえず、今は、この状況について考える事にするよ」
一馬はそう言い、深呼吸を二度して脱力した。
肩の力を抜いた一馬は、ランプの明かりを見据え思考を働かせる。
ハッキリ言って、戦闘では役に立てない。召喚士として未熟故に、召喚士としての戦い方もハッキリ言って雑だ。
そんな一馬が出来る事は、考える事。
この状況で何をするべきなのか。
今、使える聖霊。
今後どのように戦っていくのか。
考える事は山ほどあった。
そして、もう一つ。忘れている大事な事。これが、妙に胸をざわつかせ、何か嫌な――悪い事が起こる予兆のように感じていた。
暫しの時が流れ、洞窟内に波の音が静かに響く。
外の明かりが洞窟の入り口から差し込んでいる為、まだ時刻は昼を過ぎたあたりだ。
相変わらず雄一は静かな寝息をたて、一馬とフェリアはランプの前に腰を据えていた。
「そう言えばさぁ」
長く続いた沈黙を一馬が破る。
その声に、ウトウトとしていたフェリアは肩を跳ね上げ、視線を一馬の方へと向けた。
「ど、どうかしましたの?」
陽が落ち、暗くなってから活動している為、本来、この時間は睡眠をとる時間。故に、フェリアは頭を振り眠気を払う。
「ご、ごめん。大丈夫?」
悪い事をしたと、一馬はすぐに謝るが、「大丈夫ですの!」と、フェリアは鼻息を荒げ、眉間に深い皺を寄せた。
「それで……どうさないましたの?」
気を取り直し、尋ねるフェリアは、右手で口元を隠し小さく欠伸を一つ。気合を入れてはみたものの、やはりフェリアは眠そうだった。
その為、一馬も簡潔に尋ねる。
「さっきの件だけど……」
「……大事な事、ですの?」
「いや……それよりも、前の件」
「…………?」
訝しげに眉を顰めるフェリアに、一馬は不安そうな表情を浮かべる。
「雄一がここに戻ってきた時の――」
一馬の言葉に、フェリアは一瞬表情を曇らせ、その視線をそらした。だが、すぐに視線を一馬の方へと戻し、小さく首を傾げる。
「雄一が戻ってきた時……の事といいますと?」
「……うん。ほら、赤い、液体? みたいの。……あれって、本当に血じゃないの?」
不安そうに、心配そうに、そう尋ねる一馬に、フェリアは何処か安堵したような表情を浮かべ、クスリと笑った。
「大丈夫ですの。アレは、血じゃありませんの」
「で、でも、赤かったし……」
「この海域は特殊で、夜になるとあのように海が真っ赤に染まるんですの。わたくしも最初は驚きましたの」
ふふふっ、と笑うフェリア。その表情から嘘は言っていないと判断した一馬は、「そっか……」と呟き安堵したように息を吐いた。
だが、どうしても胸の奥のもやもやが晴れなかった。
「どうかしましたの?」
あまりに一馬が怖い顔をしていたのか、フェリアが心配そうにその顔を覗き込む。突然、目の前に現れたフェリアの顔に、「わわっ!」驚きの声を上げた一馬は、大きく背を逸らせる。
「……なんですの。結構傷つきますのよ? その反応」
「いやいや……いきなり、顔を近づけたらそうなるでしょ」
「そもそも、あの距離まで近づくまで気付かないあなたの方に問題があるんじゃないんですの?」
「いや……フェリアも、女の子なんだからさぁ、そう言う事平気でするのはどうなのか、って思うけど……」
視線を逸らし、フェリアとの距離をとりながらぶつくさと言う一馬。そんな一馬に不満そうに頬を膨らせるフェリアは、「こんな事するのは、一馬にだけですの」と、小声で言い、ソッポ向いた。
フェリアの声は聞こえていたが、一馬は聞こえなかった振りをした。気恥ずかしさがあったからだ。
二人の間に少々気まずい時間が流れる。
困ったように眉を曲げる一馬は、右手で頭を抱えた。流石にこの空気はよくない。そう判断し、一馬は意を決し口を開く。
「あのさぁ。一つ、聞いておきたいんだけど……」
「……なんですの?」
不機嫌そうに眉を顰めるフェリアに、一馬は苦笑いを浮かべる。
「えっと……この辺りは夜になるとどうなるの?」
「暗くなりますの」
「……う、うん。それは分かってる」
「気温が下がりますの」
「…………うん。知ってる」
「海が赤くなりますの」
「うん……。さっき聞いた」
困った様子の一馬に、フェリアは小さく息を吐いた。
「一体、何が知りたいんですの?」
「いや……。夜になると、戦っているんだよね?」
「たた――えっとー……まぁ、そう……なりますの……」
何処か歯切れの悪いフェリアに、一馬は首を傾げた。
「どうかした?」
そう尋ねると、フェリアは、困ったように眉を曲げる。
そして、難しい顔で俯いた。
と、その時だった。
「うるせぇよ」
眠そうな雄一の声。その声に、フェリアは眉を顰め、一馬は雄一の方へと顔を向けた。
「起きてたのか?」
「うるせぇから、目が覚めたんだよ」
一馬にそう返答した雄一は大きく伸びをしながら、欠伸を一つ。
呆れた様子で雄一を見据える一馬は、不満そうに息を吐き出した。
「そう思うなら、少しくらい説明があってもいいと思うんだけどな」
「説明するより、自分の目で見た方が分かるだろ。それに、だ。俺は、テメェと違って疲れてんだよ。ゆっくり寝させろ」
「疲れてるなら、朱雀を纏うのをやめればいいんじゃないか? それって、結構体力使うみたいだし」
雄一へ、一馬はそう切り返した。召喚士である一馬にはよくわからないが、リューナや周鈴が聖霊を纏った後の事を考えれば、相当体力が消耗されていた事は理解出来た。
周鈴の方は、結局一馬があの場所にいる間に目を覚まさなかった。それほど、聖霊を纏うと言う行為は使用者にも大きな負担がかかる代物なのだ。
故に、一馬はずっと気になっていた。この状況でも尚、雄一が朱雀を纏っている事が。
「別にいいだろ。俺はこっちの方が落ち着くんだ」
「いやいやいや。落ち着くとか落ち着かないじゃなくて、朱雀だって消耗するし、お前だって」
「だーっ! うっせぇーな! そもそも、テメェがいない間、ずっと纏ってなきゃいけねぇ状態だったんだ。今更、消耗がどうとか言って何になるってんだ!」
突如として怒鳴る雄一に気おされ、一馬は言葉を呑んだ。確かに、朱雀によって強制的に纏う事になったであろう状況は、一馬にも理解できた。
それ故に、文句は言えない。結局の所、雄一を巻き込んだ、と言う負い目を一馬自身何処かで感じていたのだ。
「とりあえず、だ。今は寝ろ。夜になればすべてわかるし、その時に気になる事があるなら質問しろ」
雄一は右手で頭を掻いた後、ゆっくりと腕を組むと大きな欠伸をして、再び眠りに就いた。
不満そうに雄一を見据える一馬に、フェリアは困ったように微笑し、
「彼の言う通り、夜になれば分かりますの。今は、少しでも睡眠をとるべきだと思いますの」
と、一馬をなだめ、右手で口を押え小さな欠伸をした。