第2回 双子岬だった!!
どれ程の時が流れたのか、一馬は水滴の弾ける静かな音で目を覚ました。
体を起こすと、額に乗せられた湿ったタオルが滑り落ち、一馬は反射的にそれを右手で受け止めた。
まだ、微睡みの中、故に、一馬の思考は働いていない。
ぼんやりとした眼で周囲を見回す一馬は、眉間にシワを寄せると、右手で頭を抱えた。そして、二度、三度と頭を振り、強く瞼を閉じる。
数秒、数十秒と時が流れ、一馬はゆっくりと瞼を開く。その頃には、ボヤケていた視界も良好になり、同時に薄暗いこの環境にも目が慣れていた。
薄っすらと見える周囲の輪郭から、ここが洞窟であると一馬は理解する。
ただ、何故、こんな所にいるのか、分からずにいた。
右手で頭を抱え、目を細める一馬は記憶を辿る。
(確か……砂浜で……)
曖昧な記憶の中、意識を失うその時、誰かがいた。
ハッキリと姿を見たわけじゃない。
ハッキリと声を聴いたわけじゃない。
だから、一体、それが誰だったのか、一馬には分からなかった。
ただ、その人物が敵ではない事だけは分かる。もし、敵だったとするなら、わざわざ、濡れたタオルを額に乗せて置くなどしないだろう。
右手に持った濡れタオルを見据え、一馬は複雑そうな表情を浮かべる。
そんな折だった。薄暗い洞窟内に、静かな足音が響く。
反響する足音に耳を澄ませる一馬は、息を呑む。
緊迫した空気が漂い、戦うすべなど持っていないが、本能的に一馬は身構える。
自分の胸の鼓動がとても大きく聞こえ、足音が止まった事に気付くのが遅れた。と、同時に、
「一馬?」
と、綺麗な声が名を呼んだ。
ビクッと両肩が跳ねる。心臓を鷲掴みにされたかのような感覚に襲われる程、一馬は驚いた。
だが、すぐに安堵する。
「ふぇ、フェリア……」
ランプの暖かな明かりに照らされたフェリア。美しい顔立ちに、煌めく金色の髪がゆらり揺れる。
脱力する一馬は乾いた笑い声を発し、項垂れるように頭を下げた。
情けない一馬の様子に、フェリアは呆れたように鼻から息を吐くと、ジト目を向ける。
「なんですの。その反応は……」
何処か不満げなフェリアは、頬を膨らせる。
そんなフェリアに、右手を軽く挙げ、「ごめんごめん」と一馬は謝った。
しかし、フェリアは頬を膨らしたまま、ソッポを向いた。
(むーっ……。わたくしの計画が……)
フェリアの計画は単純なものだった。
意識を失っている一馬を看病し、自らの健気さをアピールする、と言うものだ。
実際、一馬が目を覚ます数分前まで、フェリアは付きっ切りで看病をしていた。その証拠に一馬の額に置かれていたタオルは、冷たく湿っていた。
ほんの少し外の様子を見に行ったその僅かな時間の間に一馬が目を覚ましたのだ。
故に、フェリアは不満げで、何処か怒っている雰囲気が漂い、何も知らない一馬はただ戸惑っていた。
「お、怒ってます?」
恐る恐る一馬は敬語で尋ねると、
「怒ってませんの!」
と、フェリアは即答した。
しかし、明らかにその声には怒気が篭っており、目も合わせようとしない。その為、一馬は困ったように目を細め、右手で軽く頭を掻いた。
場の空気は非常に悪く、沈黙が一分程続く。
当然、この沈黙を破ったのは一馬だ。流石に黙っていると、一層場の空気が悪くなると、考えた結果、とりあえず、気になっている事を聞く事にした。
「そう言えば……ここは――」
そこまで言って、一馬は言葉を呑んだ。
ムスッとした表情のフェリアと目が合ったからだ。ぎこちなく首を回し、視線を逸らす一馬は、瞼を閉じ右手で頭を抱えた。
そんな一馬に、不満げながらもフェリアは答える。
「ここは、双子岬にある洞窟ですの」
「えっ……あっ……そ、そう……」
あまりにもあっさりとフェリアが答えた為、一馬は少々驚いていた。
こう言う時、フェリアは無言になり、人の話を聞かない。怒っていると言うアピールなのだろうが、その辺の乙女心は、一馬にはよく分からないものだった。
困惑気味の一馬をしり目に、フェリアの説明は続く。
「朱雀様の話では、恐らく風の谷と同じ世界らしいですの」
「そ、そう……なんだ……」
小さく頷き答える一馬に、フェリアは不機嫌そうに眉間にシワを寄せる。
「なんですの? 先程から。非常に不愉快ですの!」
腕を組みムスーッと頬を膨らせ、フェリアが怒鳴った。
その声が洞窟内に反響し、消えていく。
今回は自分に非があると分かっている為、一馬は軽く頭を下げる。
「ごめん。ちょっと意外だったから、驚いて……」
だが、一馬のこの言葉は悪く、一層、フェリアの怒りに油を注ぐ事になった。
暗がりの中、ランプの明かりに照らされるフェリアの顔は、みるみる赤く染まる。
そして、一馬も自らの失言に気付き、頭を抱えた。
――直後、
「こんな状況で何を言ってますの! バカなんですの!」
洞窟内にフェリアの怒声が響き渡った。
思わず両手で耳を塞いだ一馬は、目を細め、天を仰いだ。
その間も、フェリアは不満を口にしていたが、耳を両手で塞いでいた為、何を言っているのか、殆ど分からなかった。
それでも、フェリアが激怒している事だけは分かった。
どれ位の時間が過ぎたのか、フェリアは両肩を上下に揺らし、息を切らせていた。
怒りを全てぶちまけた為、何処か清々しい様子のフェリアは呼吸を整えると、大きく息を吐きだし、肩の力を抜いた。
耳を塞いでいた一馬も、フェリアが一呼吸置いた事を理解し、静かに耳から手を離し、小さく息を吐く。それから、フェリアの怒りに油を注がないよう、細心の注意を払いながら言葉を選ぶ。
「フェリアの他には……誰もいないの?」
ランプの明かりで薄っすらと照らされる周囲を見回す。だが、フェリア以外には誰も見当たらない。
青龍の話では、フェリアは雄一と一緒だと朱雀から連絡を受けたとの事だったが、その雄一の姿はここにはなかった。
辺りを見回す一馬に対し、やや表情を曇らせるフェリア。その眼は真っ直ぐに一馬を見据え、僅かに震える唇が薄っすらと開く。一馬に伝えなければいけない事が――そう思いながらも、フェリアはギュッと下唇を噛み、言葉を呑み込んだ。
「……どうかした?」
フェリアへと視線を向ける一馬は心配そうに眉を曲げ、尋ねる。
答えづらい質問をしたわけではなかった為、すぐに返事は来ると思っていたが、一馬の考えとは裏腹に、フェリアからの返答には時間がかかった。その為、一馬は「どうかした?」と尋ねた。
しかし、フェリアは、
「いえ。何でもないですの」
と、微笑する。無理に作ったような辛そうな笑顔。
その笑顔に一馬は一瞬怪訝そうな表情を浮かべた。何かを隠している。そう感じたが、それを問うよりも先にフェリアは強引に話を切り替える。
「それより、一馬はどうして、あんな所に?」
「えっ……ああ。丁度、あの場所に召喚されて――」
「そ、そうだったんですの。この辺りは日中の気温が異常に高いので、日の出ている間はあまり外に出ない事ですのよ」
左手を腰に当て、人差し指を立てた右手を顔の前で前後に振りながら、説明するフェリアに、一馬は「以後、気を付けます」と困ったように返答し、頭を掻く。
「今回は、たまたまわたくしが通りがかったからよかったものの――」
「んっ? て、事は、今は夜なのか?」
ため息交じりなフェリアの言葉に、一馬はそう尋ねる。
「えぇ。そうですのよ。正確には、朝方、ですの。もう時期、日が昇りますの」
フェリアはそう言い、洞窟の出入り口の方へと目を向ける。
ランプの明かりでは照らされていなかった奥の岩肌が、洞窟の外から入り込んだ光に照らされ薄っすらと見えていた。
と、そこに影が伸び、静かな足音が洞窟内に響く。
息を呑む一馬に反し、落ち着いた面持ちのフェリアは、小さく息を吐き、立ち上がる。
「大丈夫ですの。この足音は――」
「あーぁ……しんどっ……」
呟くような声と共に、洞窟内に姿を見せたのは、金色の髪を赤く染めた雄一だった。
「ゆ、ゆゆゆ、雄一!」
髪の毛先から赤い雫をこぼし、衣服も赤く染めた雄一の姿に、一馬は驚きの声を上げる。
「……おう。起きたのか……」
「いやいや、だ、大丈夫かよ!」
一馬の言葉に、一瞬雄一は表情を顰める。
そして、不愉快そうにフェリアを睨む。だが、フェリアが小さく首を左右に振ると、小さく息を吐き、右手で頭を掻く。
「テメェに心配される筋合いはねぇよ。てか、おめぇの方が大丈夫なのかよ!」
悪態を吐く雄一は、小さく肩を竦め、一馬へとジト目を向けた。




