第2回 火の国の洋館だった!!
あれから、数時間後――
「ん……んんっ……」
一馬は静かに瞼を開いた。
相変わらず、部屋を支配するのは静寂。
だが、先程と違い、その視界を射す眩い光に、一馬は目を細めた。
「あっ! 一馬君!」
視界を遮られる一馬の耳に届く聞き覚えのある女の子の声。
そして、眩い視界に人影が浮かぶ。この人影が先程の声の主。だが、まだ一馬の視界はハッキリとせず、「だ、誰?」と思わず聞き返した。
「えっ! う、嘘だよね? 記憶喪失……とか?」
驚き、不安げな声に対し、落ち着いた大人びた声が答える。
「安心しろ。記憶は鮮明だ。ただ、まだ視界がハッキリとしていないだけだ」
「そ、そう……なんだ……」
大人びた声に安堵する。その声に、一馬は小さく息を吐き、瞼を閉じる。
「ああ……夕菜か……」
「か、一馬君!」
掠れた声を発する一馬に、夕菜はやけに嬉しそうな声を上げた。その声色で、一馬も何となく、夕菜が心配していたのだと理解し、微笑する。
「ごめん……心配かけて……」
「全くだな」
一馬の声にそう答えたのは、部屋の窓枠に腰を掛け、腕を組む周鈴だった。真っ赤な憲法着に身を包み、大きく開いた袖口に手をいれる周鈴は、呆れたように鼻から息を吐き、静かに窓枠から腰を下ろす。
「それで、何であんな所に倒れてたんだ?」
ジト目を向ける周鈴に一馬は苦笑する。
「ああ……色々とあって……」
相変わらずの掠れた一馬の声に、
「その辺にしておけ」
と、大人びた声が部屋の奥から響き、一馬の視界に一人の女性が映る。
楕円形の薄い青色のレンズのメガネを掛け、大人びた整った顔立ちの黒衣に身を包んだ女性。出る所は出て、引っ込む所は引っ込んだプロポーションの女性は、腕を組み深緑色の長い髪を揺らす。
「まずは、水分を摂取させろ。話はそれからだ」
彼女の言葉に、ハッとするメイド服姿の夕菜は、
「わ、私、水持ってきます!」
と、膝下まで届くスカートを揺らし慌てて部屋を出ていった。
暫くの後、水分補給を行った一馬は、まだ自由の利かない体を起こしてもらい、壁に背を預けた体勢で座っていた。
ちなみに、水分補給は水ではなく、果物の摂取で行っていた。栄養面的にもこっちの方がいいだろうと、言う夕菜の判断だ。
ミカンを口に咥え、一馬は話を聞く。
一馬がここに来たのはつい三日前の事。この洋館の中庭に倒れているのを発見された。あまりに弱々しい呼吸だった為、初めは死んでいると思われ、夕菜が大慌てした事を聞かされ、少しだけ嬉しくもあり、心配させてしまった事を少しだけ申し訳なくなった。
話は戻り――ここは、火の国。紅の暮らしていた炎帝の祀られる神社からは、随分離れた位置に存在する森だった。鬼達に全く荒らされず、紅の住んでいた地域とは違い、木々が生い茂り、それなりに植物も存在している。
そして、この洋館の主なのが、あの大人びた女性。名前は――リザ。
この名に、一馬はミカンを咥えたまま小首を傾げた。理由は簡単だ。どちらかと言えば和の印象の火の国において、彼女の名はどちらかと言えば、洋の印象があったからだ。それに、この洋館の事もそうだった。
「あの……ここ、本当に火の国?」
掠れた声も大分マシになった一馬の言葉に、夕菜と周鈴は顔を見合わせる。
小さく首を傾げる夕菜に対し、瞼を伏せ首を左右に振った周鈴。二人の行動に疑問符を浮かべる一馬は、このタイミングでミカンを口に運んだ。
「んぐんぐ……」
「このタイミングで何故、ミカンを頬張る」
ジト目を向ける周鈴に、一馬は微笑する。
「いや、何となく」
「それより、さっきの事だけど……」
逸れそうになった話題を、夕菜がすぐさま軌道修正する。
「どうして、そんな事聞くの? もしかして、ここって、火の国じゃないの?」
不安そうに胸の前で右手を握り締める夕菜に、一馬は小さく鼻から息を吐き、首を振る。
「いや、ちょっとだけ気になる事があっただけだよ」
「そ、そう……なんだ……」
少しだけ安堵する夕菜に代わり、周鈴が頭の後ろで手を組み静かに口を開く。
「まぁ、僕らは火の国がどんな所なのか詳しく知らないから、あんたの質問には答えられないって言うのが実際の所だけどな」
「けど……聞いていた印象とはちょっと違って、私はびっくりしたよ?」
夕菜はそう言い、視線をリザへと向けた。どうやら、夕菜も一馬と同じ疑問を抱いているようだった。
しかし、椅子に腰かけるリザは、ただ沈黙を守り続ける。
故に、一馬と夕菜は顔を合わせ、困ったように眉を曲げた。
「それより、現状どうするか考えた方がいいんじゃないか?」
腕を組む周鈴が渋い表情で尋ねる。その言葉に一馬も表情を曇らせた。
ここに来て三日あまりが過ぎた事になるが、元の世界に戻っていない。それは、この世界で何かをやらなければいけない、と言う事なのだと一馬は理解していた。ただ、何をすればいいのかが全く分からない。
前回は翼竜ワイバーンと言う明確な目標があった。だが、今回はあまりにも情報が少なすぎた。
ミカンを口に運び唸る一馬は、重い左腕を持ち上げ頬を掻いた。
「とりあえず……情報がほしい所だね」
苦笑いを浮かべる一馬に、小さく息を吐く周鈴は「そうだな」とボソリと呟いた。
そして、その眼はリザへと向いた。この世界について一番詳しいのはこの中ではリザだろう。
周鈴の視線に気づいたのか、右手の人差し指と中指でメガネの中心を持ち上げたリザは、鼻から息を吐く。
「なんだ? その目は」
「いや。ここに住んでいるなら、何か知ってるんじゃないか、って思っただけさ」
肩を竦め、わざとらしく挑発的な周鈴だが、リザは表情を変えない。
「それで? 私に何が聞きたい?」
リザのつり目がちな眼がやや好戦的に一馬を見据える。何故、挑発した周鈴ではなく自分を見たのか、と言う些細な疑問を抱きつつ、一馬は静かに口を開く。
「そうだなぁ……じゃあ、ここ最近で妙な事が起きたり、妙なモノを見たって事はないかな?」
優しい口調で一馬が尋ねると、リザは訝しげな表情を浮かべ、細めた目で一馬達三人を見据える。
その眼差しに夕菜は小首を傾げ、周鈴は不愉快そうに眉をひそめた。そして、一馬は右手で頭を抱え、目を細めた。
「え、えっと……出来れば、俺達がここに現れた、事以外でお願いします」
「……それ以外となると、特に変わった事は――」
そこまで口にして、リザの動きが止まる。そして、やや不快そうに眉間にシワを寄せると、
「強いて上げるなら、ここ最近、やたらと私の縄張りを侵害する者がいる――と、言う所か?」
と、右手を顎に当て首を小さくひねった。
彼女の言葉に一馬はピクリと眉を動かす。同じようなセリフを以前にも聞いた記憶があった。
だが、何処で聞いたのか思い出せず、一馬はすぐに思い出すのをやめた。それよりも、気になる事があったからだ。
「侵害するって言う事は、何か被害が?」
「目に見えた被害はないはずだ」
「はず? 随分と曖昧じゃないか?」
相変わらずの周鈴の言葉遣いに、多少なりに不愉快そうな表情を見せるリザだが、すぐに肩を竦めると頭を左右に振った。
「そうだな。私自身、この森の全体を把握しているわけじゃないからな」
「でも、侵害しているって言うのは分かるんだよね?」
夕菜が不思議そうに尋ねると、リザは「そうだな」と静かな声で答え、右手の親指と中指でメガネの両端を掴みメガネを掛け直す。
それから、頭を右へと傾け、
「何か、不思議か?」
と、疑問に疑問で答えた。
目を細める一馬は、右手で頭を抱え、夕菜は困ったように微笑し、周鈴は呆れたように深くため息を吐いた。
三人の反応に些か腑に落ちないと言いたげな眼差しを向けるリザは、静かな面持ちで三人を見据える。
「なんだ? 私は変なことを言ったか?」
「んー……いや。そうじゃないけど……」
「あんた、一体何者なんだ?」
周鈴が眉をひそめ尋ねるが、リザは小首を傾げ、
「私は辺鄙な所に暮らす変わり者。それだけだ」
と、肩を竦めてみせた。
当然、周鈴は納得していないが、聞いた所ではぐらかされるのは目に見えていた為、それ以上は何も聞かなかった。
――洋館を囲うように広がる森の中。
生い茂る草を踏みしめる静かな足音が二つ。
一つは何処か乱暴な足音。もう一つは何処か物静かな足音。
対照的な二人の足音だが、歩む速度はほぼ同じで、二人の足音は常に重なっていた。
「本当にここで合ってるのか?」
足を止め、不満げにそう尋ねるのは、長い黒髪と腕を揺らすジャック。その額には大粒の汗を滲ませ、半開きの唇からは熱のこもった息が吐きだされる。
そんなジャックに対し、後方を歩んでいた褐色白髪の男は足を止めると、目を細め空を見上げた。
背の高い木々の葉の向こうに見える灰色の空。日も見えなければ、方角も分からない。そんな状況で自分が進んでいる道が正しいのかなど分かるわけもなく、褐色白髪の男は深く息を吐く。
「知らねぇよ。大体、お前が先頭だろ」
「はぁ? テメェがのろまだから、前を歩いてやってるんだろが!」
「誰も歩いてくれと言った覚えはない。それに、あんたの子守をするこっちの身にもなってみろよ」
「ッ! ざけんなよ! テメェ!」
額に青筋を浮かべるジャックは、褐色白髪の男へと一歩踏み出す。
だが、すぐに二人は動きを止めた。周囲に流れる不穏な空気を感じ取ったのだ。
周囲を警戒する二人は、鋭い眼光で辺りを見回す。何処もかしこも似たような風景で、おまけに周囲には微量の魔力が広がっていた。故に、二人の感知能力が上手く機能していなかった。
「……チッ」
小さな舌打ちをするジャックは、鼻から深々と息を吐き出すと肩の力を抜き、脱力する。
「あーあ……めんどくせぇー……めんどくせぇ、めんどくせぇ!」
突如、大声を発するジャックは、全身へと力を巡らせる。
予期せぬジャックの行動に少なからず焦りを見せる褐色白髪の男は、声を張り上げた。
「ジャック! 何をする気だ!」
彼の言葉に、ジャックは簡潔に答える。
「全てを破壊すりゃいい!」
「ッ! テメェ! 俺らの目的を忘れたわけじゃないだろうな!」
「知るか! んなもん! 俺はただ暴れたいだけだ!」
「クソッ! これだから、コイツと組むのは嫌だったんだ!」
跳躍した褐色白髪の男は太い木の枝へと着地すると、そのまま太い木の枝から太い木の枝へと飛び移りながらその場を離れる。
地上を蛇行しながら進むよりも、こっちの方がショートカット出来ると彼は判断したのだ。
そんな褐色白髪の男の行動に、白い歯を見せ笑うジャックは大手を広げる。
「クハハハッ! 逃げろ逃げろ! しっかりと、俺様の射程圏外まで走り抜けろよ!」
森の中に響くジャックの声。
それを聞きながら、褐色白髪の男は奥歯を噛む。
「ざけんな! クソ野郎が! もしもの時はテメェも道連れだ!」
「クハッ! やれるもんならやってみろよ!」
ジャックが叫び、右手を振り上げる。その瞬間、彼の周囲に大量のメスが出現した。何処からともなく、初めからそこに存在していたかのように。
そして、それはゆっくりとジャックを中心に回り出す。
「行くぜぇ……魔女。テメェを狩るのはこの俺様だぁぁぁ……」
ジャックが不敵に笑い右腕を振り下ろす。
――刹那。高速で回転する無数のメスは静かにその円を広げる。
高速で回転するメスは木々を、その鋭利な刃で切り刻む。木の粉が舞い、葉が散る。崩れ落ちる幹をも切り裂き、大量の木片を撒き散らし、それを逆巻く風が空へと打ち上げていく。
その様子に小さく舌打ちをした褐色白髪の男は、射程圏内を抜けたのか、大きく跳躍すると前転し地上へと着地した。
「クソがっ! ふざけやがって……」
褐色白髪の男はそう言うと、右手で髪を掻き上げその眼をジャックの方へと向けた。すでに彼の周囲は更地と化し、木々の残骸だけが残されていた。