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第10回 贖 罪 だった!!

 衝撃が再び大地を揺るがす。

 泥が弾け、やがて雨粒のように降り注ぐ。

 これで、何度目になるだろう。

 激しく地面へと叩きつけられた鬼姫は、大の字に倒れ呼吸を僅かに乱していた。

 額から流れる血が顔の左半分を赤く染め、真紅の髪も泥と血に染まっていた。

 それでも、鬼姫は不敵に笑みを浮かべ、ゆっくりと体を起こす。

 その姿に些か不愉快そうにワイバーンは鼻筋にシワを寄せる。

 本来、鬼姫は打たれ強いわけではない。鬼と言え、彼女は女の子。小柄で華奢なその肉体は容易く壊れてしまう程、繊細なものだった。

 なら、何故、今現在、鬼姫は立つ事が出来るのか?

 その答えは簡単だ。鬼姫の人並み外れた身体能力と、この最悪な状態の地面が要因だった。

 鬼姫はワイバーンの尾が直撃する際、全身を使いその衝撃を受け流し、地面にぶつかる瞬間には綺麗に受け身を取っていた。同時に、水分を吸収し柔くなった土がその衝撃を更に緩和し、鬼姫へのダメージを軽減していたのだ。

 しかし、幾らダメージを軽減したと言っても、何度も攻撃を受け、ダメージを蓄積されれば、足元もおぼつかず、ふらりとよろめく。

 何度も何度も挑む鬼姫の姿に、ワイバーンも異様なものを感じていた。不穏で気味の悪い嫌な空気。それを、鬼姫はまとっていた。

 そして、それ以上に不気味なのは、無謀に正面から突っ込む鬼姫を黙って見据えるジル。鬼姫を信じていると言えば、そう見えるが、とてもジルがそう言うタイプには見えなかった。

 明らかに何かを企んでいるような目をしていた。

 呼吸を乱すリューナは、そんなジルを警戒する。ただ、手元に武器がない。黒泉は消え、ボーガンは先程弾かれた時に吹き飛び、離れた場所に転がっていた。流石にそれを取りに行く体力は残ってないし、ジルがそれを黙って見ているわけもない。

 故に、リューナはそこで黙ってジルを見ているしかなかった。

 力強く地を蹴る衝撃音が広がり、鬼姫は跳躍する。燃え上がる長刀の刃は朱色に染まり、白煙が吹き上がる。

 だが、彼女がそれを一振りするよりも早く、ワイバーンの尾が鬼姫を叩く。火花が散り、次の瞬間には鬼姫は地上に叩きつけられる。

 激しく大地を揺るがす衝撃が広がり、再び泥が舞う。


「ガハッ!」


 受け身を取ったものの、流石にその衝撃に鬼姫の口から血が吐き出される。


『何度やっても無駄だ。貴様程度の小さな力で、我に傷を――』

「次で……あんたの、自慢の……尻尾を……切断するから」


 ユラリと立ち上がる鬼姫は鼻から流れる血を左手の甲で拭い、赤く輝く瞳をワイバーンへと向けた。

 その口元には自信に満ち溢れた笑みを浮かべ、血の付着した左手を力強く振り払い血を飛ばす。

 全身から闘気を漂わせ、鬼姫は身を屈める。


『無駄な事を……』


 深く息を吐き、ワイバーンは冷めた目を鬼姫へと向けた。

 地を蹴り、鬼姫は跳躍する。その姿はまさに鬼。血に染まった真紅の髪を振り乱し、青白く輝く長刀を大きく振りかぶる。

 だが、そんな鬼姫へとワイバーンは一回転し力強く尾を振り下ろした。

 重々しい打撃音が響き、火花が散る。そして、肉を裂く――骨を砕く――嫌な音が広がった。


『グガアアアアッ!』


 野太いワイバーンの声が響く。舞うのは鮮血を迸らせるワイバーンの尾。鬼姫の一刀により切断された尾は重量感のある音を轟かせ地面へと落ちた。

 泥が舞い、地面は揺れる。上下に大きく揺らぐワイバーンの高度が下がり、その表情は苦悶に歪む。

 だが、その表情はやがて怒りに変わる。


『き、貴様ァァァァッ!』


 激怒するワイバーンに対し、地上へと着地を決めた鬼姫は、一歩二歩とよろめき笑う。


「いい声で鳴いたわね。次は、どんな声で鳴いてくれるのかしら」


 静かにそう口にした鬼姫はもう一度跳躍する。

 鬼姫の行動にギリッと奥歯を噛む紅は、召喚札を右手に握り締め立ち上がろうとした。だが、そんな紅の左腕を一馬が掴み制止する。


「か、一馬さん?」

「……まだだ。まだ、早い」


 一馬のその言葉に紅は訝しげに眉をひそめる。そして、跳躍した鬼姫とワイバーンへと目を向け、焦ったように、


「ですが、このままでは……」


と、口にした。だが、一馬は苦悶の表情を浮かべながらも、強い眼で紅の目を真っ直ぐに見据え、


「いい、から……。少し……もう少しだけ……」


と、一馬はキャルの方へと視線を動かす。

 それに釣られるように紅もキャルの方へと顔を向け、小さく首を傾げた。

 何故、一馬がキャルの方へと目を向けたのか、キャルの何を見ていたのか紅には全く分からなかった。

 特別な行動を取っているわけではなく、キョロキョロと辺りを見回し、ヨタヨタと歩みを進める。眼鏡が無い為、少々その足取りはおぼつかず、危なっかしい足取りだった。

 そんなキャルも、時折足を止めては、片膝を付き呼吸を整えるリューナの方へと視線を向ける。何かをしようとしているようだったが、紅には彼女の意図が分からなかった。

 一層、難しい表情を見せる紅は、湿った黒髪を小さく揺らし、一馬へと目を向ける。


「……大丈夫。俺を信じてくれ」


 胸を押さえながら、一馬はそう告げ深く深く息を吐き出した。苦しむ一馬にそんな風に言われては、紅も信じるしかなく、「分かりました」と渋々と了承し、召喚札を握り締めたまま時を待つ。小さな少女、鬼姫と巨大な翼竜ワイバーンの姿を見据えたまま。

 跳躍した鬼姫と、激高するワイバーンは怒涛のように両翼を交互に払う。それにより、生み出される突風は刃となり鬼姫へと襲いかかる。


「ふふっ……あの龍との戦いで、随分と消耗したようじゃない!」


 紅蓮の炎をまとう長刀を右へ左へ、上へ下へと華麗に振るい、鬼姫は襲いかかる風の刃を両断する。

 風の刃は燃える長刀の刃に真っ二つに引き裂かれると、一瞬にして燃え上がりボッボッボッと炎を噴かせ消滅する。

 ダメージの蓄積された小さな体。にも関わらず、鬼姫は水を得た魚――いや、油を注がれた炎の如く生き生きと、長刀を振るっていた。


「ほらほらっ! さっきまでの威勢はどうしたのよ!」


 怒鳴り、風の刃を裂く。揺らぐ火の粉の向こうへ、ワイバーンへと鋭い眼を向け、鬼姫は不気味に笑う。

 やがて、動きを止めるワイバーンは、奥歯を噛み、


『舐めるな。小娘が!』


と、ワイバーンは口を大きく開き、その中に風を圧縮する。

 翡翠色の輝きがワイバーンの口の中へと凝縮されていく。

 空を飛ぶ事の出来ない鬼姫は、徐々に降下していく中で、その様子を窺う。そして、ワイバーンの行動をあざ笑うように口元を緩め、着地すると同時に身を屈め再び跳躍する。

 凝結し黒ずんだ血が付着していたはずの髪は、いつの間にかその跡すらなく、毛の一本一本が軽やかに靡き、美しい真紅の色を不気味に輝かせた。

 鬼姫とワイバーン。両者の眼が交錯し、一瞬の静寂。その後、大気を震わせ、大地を揺るがす咆哮が鬼姫へと放たれた。

 螺旋を描き逆巻く突風。それに対し、鬼姫は静かに左手を差し出す。


「あれぇ? 随分と――微弱な風じゃない!」


 左手に力を込めると、鬼姫の正面に炎の壁が作り出され、それが、ワイバーンの咆哮を防ぐ。

 逆巻く突風が呑み込まれる。轟々と燃え上がる紅蓮の炎に――。

 火の粉を舞わせ、揺らぐ炎。鬼姫の頬を撫でるのは、僅かな熱風。

 目の前の光景に目を見開くワイバーン。

 信じがたい――。

 そう言いたげな表情。そして――同時に生まれる恐怖。

 得体の知れない――ただの下等な生物だと認識していた者だったはずなのに――。


「これで……お終い?」


 咆哮が止み、炎が消える。火の粉が舞うその向こう。静かな笑みを浮かべる鬼姫は、真っ直ぐにワイバーンを見据える。

 瞳孔を広げ、ただ呆然とするワイバーン。その脳内に巡る。


――コイツはなんだ?


と、言う疑問。

 当然、答えなどは出ない。

 激しい動悸。今まさに自らを喰らおうとする鬼姫に、畏怖する。それでも、ワイバーンはその名に恥じぬよう、威風堂々と鬼姫を睨み返した。

 それは、明らかな虚勢だが、ワイバーンにも退けないわけがある。故に天を見上げ咆哮を轟かせ、自らを鼓舞し、両翼を大きく開いた。

 勇ましい姿にゆっくりと地上へと着地した鬼姫は、


「勇ましいじゃん。けど……」


 すぐに身を屈め、脚に力を込め、三度みたび跳躍する。熱せられ青白く輝く長刀の刃は、空気を裂き炎の線を描くがすぐに消えていき、残されるのは白煙のみ。

 それも、やがては消えていき、鬼姫の手に持つ長刀だけが白煙を噴かせていた。


「さぁ――」


 頭を右へ左へと傾け、首の骨を鳴らし、


「次は――」


 青白く高温の熱を帯びた長刀の刃を喉元へと運び、


「あんたの首を頂く!」


 首を掻っ切るように長刀を引き、両手で柄を握り締め大きく振りかぶる。

 その瞬間、動く。ワイバーンは大きく広げた両翼を同時に羽ばたかせ、巨大な風の刃を放ち、地上の一馬は握っていた紅の腕から手を離し、


「今だ!」


と、声を張る。

 その声は上空にいた鬼姫の耳にも届き、一瞬、一馬の方へと視線を落とす。だが、すぐにその視線はワイバーンへと向かう。彼女にとって、今、優先すべきはワイバーンの首を落とす事だった。

 上空の鬼姫にも聞こえたと言う事は、当然、ジルにもその声は聞こえた。一瞬、その視界からリューナの姿を切り、一馬の姿を映す。

 と、同時にその視界に入る紅。一馬に寄り添っていた為、当然だが、もう一人の者の姿にジルは疑念を抱く。

 ――キャルだ。一馬、紅の二人よりも手前にいるキャルが、前に転がるように派手に転んでいた。妙な違和感にジルは眉を寄せる。

 しかし、そんな疑問を吹き飛ばす、紅の声が耳に届く。


「――炎帝!」


 詠唱を省略し、紅の頭上へと高らかに放られる召喚札。それが、炎に包まれ弾けると、空間が裂け炎帝がそこから飛び出す。

 数珠繋ぎにした六つの火の玉のたてがみを揺らし、炎の如く燃え揺らぐ赤い毛を震わせ、大地を両前足で捉え、上空へと顔を向ける。

 赤い瞳は鬼姫へと向けられ、大口を開く。喉の奥にはいつでも放てるように螺旋を描く炎が蓄えられ、炎帝は爪を地面へと突き立てると同時に、それを放つ。

 螺旋を描く炎弾が放たれると同時に、


「――ッ! させま――!」


 ジルの視線は自然とそれを追う。しかし、その最中、目に止まる。跳躍するリューナの姿が。

 膨よかな胸が重力に逆らうように浮き上がり、水気を帯びたサイドアップにした茶色の髪が雫を舞わせ揺れ、その両眼は真っ直ぐにジルを見据えていた。

 リューナの手に握られるのはキャルが所有する武器――召喚銃。それを見た瞬間にジルは理解する。先程のキャルの不可解な転倒の意味を。

 狙いを定めるリューナは空中でバランスを取りながら、召喚銃のスロットを左手で回転させてからグリップを両手でしっかりと握り締め、狙いを定める。

 瞬間的に自己防衛本能が働き、ジルは炎帝が放った炎弾よりも目の前にいるリューナを危険視し、右手をかざす。

 それ同時にリューナの右手、人差し指が引き金を引く。二度、三度……と、何度も。

 そして、ジルもそれを防ぐために正面に水の壁を作り出した。だが、ジルのその行動とは裏腹に、リューナの正面にもまた土の壁が作り出されていた。

 二人の間に流れる僅かな静寂。しかし、それを裂くように上空では炎帝の放った炎弾が、ワイバーンの放った風の刃を呑み込み炎の刃と化し、鬼姫へと迫る。


「なるほど……この為にあなたは土の壁を作り、私の攻撃から炎弾を守ろうとしたと……」


 感心した様子のジルは水の壁を消し、小さく肩を竦める。


「しかし……如何なモノか。風では簡単に消されるからと言い、炎をまとわせると言うのは? それに……、あなた達は知らない。彼女の刀は――」


 鬼姫へと直撃する炎の刃。だが、次の瞬間、それは音もなく消滅する。その場にいる誰もが目を見開き、驚きを隠せない。何が起こったのかも理解出来ていない。

 確かに、炎の刃は鬼姫に直撃した。――いや。正確には鬼姫が切り上げた長刀の刃へと直撃した。

 幾ら力があるとは言え、あれだけの大きな炎の刃を、ただの一刀で掻き消すなど不可能に近い。なにより両断したなら、真っ二つにされた炎が残るはずだった。それすらなく、音もなく消えた。

 驚きを隠せない一馬達一同をあざ笑うジルは、静かに口を開く。


「残念でしたね。彼女の刀は炎を喰らう。実にいい考えでしたが、所詮は浅知恵。無駄に終わりましたね」


 口元を左手で隠すようにして、ジルは肩を揺らし笑った。

 そして、上空での戦いもようやく決着がつこうとしていた。炎の刃を喰らい、熱く燃えたぎる長刀の刃。その刃が炎を噴き、轟々と燃え上がる。


「悪いんだけど……これは、あんたに返すわ」


 無邪気な笑みを浮かべ、鬼姫は長刀を大きく振りかぶる。その構えは大振り過ぎて、隙だらけだが、ワイバーンは抵抗しない。逃げる事もしない。敗北を認め、ただただ悔いるように瞼を閉じ、大きな眼を覆った。

 当然、炎帝もそれを阻止する術はない。炎を放てば、また長刀に喰われる。結果、何も出来ずそれを見守る事しかできなかった。

 長く感じる程の短い静寂の後、放つ。

 鬼姫の一刀。

 横一閃に振り抜かれる長刀。

 放たれたのは紅蓮の斬撃。

 鋭く速く大気を裂き、一瞬の後にワイバーンへと到達する。

 音もなく何事もなかったかのように、紅蓮の斬撃は消滅。

 辺りを支配するのは静寂だった。

 誰もが言葉を発せず、その光景を見据える。鬼姫とワイバーンの動きが静止して数秒。ゴフッとワイバーンの大きく裂けた口から血が吐き出され、その首には赤い線が走る。

 両翼が力を失い風を掻くのを止め、その巨体は崩れるように地上へと落ちる。切断された首から上とは別々に。

 鮮血は雨のように地上へと降り注ぎ、地面を赤く染める。ゆっくりと地上へと着地する鬼姫は一歩、二歩とよろめき片膝を落とした。

 先程までの強気な様子とは裏腹に、長刀を地面に突き刺し体を支えているのがやっとの状態だった。それほど、疲弊していた。


「随分とお疲れのようですね。手を貸しましょうか?」


 穏やかに微笑しながら、ジルは鬼姫の背へそう問いかけた。

 だが、鬼姫は無言で頭を左右へと振り、やがて震える左手で指差す。地面に転がるワイバーンの頭を。

 鬼姫のその行動で瞬時に意図を汲み取るジルは、小さく息を吐くと、肩を竦める。


「分かっていますよ。まずは目的のモノを回収しましょうか」


 ジルはそう言うと、左手をふわりと持ち上げる。すると、地面に転がるワイバーンの頭を水泡が包み込み、ゆっくりと浮き上がった。

 誰もそれを阻止しようとはしない。すでに紅の呼び出した炎帝も消え、リューナも、キャルも戦うだけの体力は残っていない。

 それに、ワイバーンを救う事が出来なかった事が、一馬達に大きなショックを与えていた。


「ではでは、我々はこれで――」


 ジルがそう口にした時だった。唐突に右肩へと激痛が走り、ジルは膝から崩れ落ちる。


「ッ! な、何故……」


 驚くジルの右肩には一本の銀の矢が上から突き刺さっていた。奥歯を噛み、鼻筋にシワを寄せるジルの視線は当然、崩れ落ちる土の壁の向こうにいるリューナへと向く。

 呼吸を乱すリューナの右手から召喚銃が落ち、その足元に転がるボーガンにぶつかりカチンッと音を奏でた。


「どう言う……事だ……」


 銀の矢により体の自由が奪われるジルは、その体を小刻みに震わせながらリューナへと尋ねた。すると、リューナは困ったように微笑し、


「……すみません。最後の足掻きをさせて頂きましたぁ。これでぇ、銀の矢は打ち止めですぅ」


 そう言い、両手を顔の横まで上げ眉尻を下げた。

 リューナはキャルが投げた召喚銃をジャンプし受け取った際、思考を張り巡らせた。何故なら、着地位置の傍にはリューナのボーガンが転がっていたからだ。

 手元にある銀の矢は残り一本。普通に着地し、ボーガンを拾い矢を射っても、ジルは簡単に対処するだろう。そう考えたリューナは、召喚銃のスロットを回し、玄武の弾丸を選んだ。

 玄武の弾丸がどのような効果があるのかは、当然、リューナは知り得なかった。だが、ある程度の予感はしていた。玄武の力が守りの力だと。

 それは、玄武の化身である黒泉の適合者で、玄武を纏い戦っていた故の直感だった。

 それにより、複数の土の壁を作り、リューナは着地し倒れ込むと同時にボーガンを取り、銀の矢を装填し、空へと一発放ったのだ。ジルに気付かれぬように、炎帝を守るように作り出した土の壁を利用して。

 銀の矢によりジルの力の制御が不安定になり、ワイバーンの頭を包む水泡は綺麗な球体を保てず、今にも割れてしまいそうになっていた。


「くっ……ここで、あ、あなたをぶち殺したい所ですが……今回は……見逃して差し上げますよ」

「そうして貰えると、助かりますぅ」


 苦悶の表情を浮かべるジルに、困り顔で微笑するリューナ。

 深く息を吐き出し、ジルは左手をかざす。すると、ジルと鬼姫の足元に不気味な魔法陣が描かれ、光とともに二人の姿は消えていった。

 残ったのはワイバーンの頭部を失った巨体と悲壮感。

 ゆっくりと腰を落とすリューナは、ドッと疲れが来たのかそのまま泥の上へと仰向けに倒れ、空を見上げる。


「ダメ……でしたぁ……」


 明るい声とは裏腹に、悔しげに下唇を噛むリューナ。一矢報いる事は出来たが、結果は惨敗。

 何も出来なかった。守れなかった。それが、悔しくてリューナは零れ落ちそうな涙を抑える為に瞼を閉じた。

 その気持ちはその場にいる皆同じだった。

 一馬は思う。


“上手く力を使いこなせていれば――”


と。

 紅は痛感した。


“もっと自分に召喚士としての力があれば――”


と。

 キャルは悔いる。


“あの時、ちゃんと鬼姫と戦う事が出来たらなら――”


と。

 リューナは考える。


“もっと別の戦い方が出来たのではないか――”


と。

 ああしていれば――、こうしていれば――。もっと、もっと――と。考える度、胸の奥から湧き上がる悔しさ。

 最善は尽くした。尽くしたのに……及ばなかった。それだけ、鬼姫とジルは強かった。いや、彼らの後ろにいる者の策略が素晴らしかった。

 誰もが口を噤み、落胆し、俯く中、それは唐突に起きる。

 頭部を失ったワイバーンの巨体が発光し、静かな声が響く。


『そう……気を落とす必要は無い……』


 辺りに響くその声に、目を見開く一馬は顔を上げ、ワイバーンの方へと目を向ける。

 紅も、キャルも、リューナも、驚いた様子でワイバーンの頭部を失った巨体を見据える。だが、間違いなく、ワイバーンは死していた。


『これは、我の慢心が招いた結果。自業自得だ。お前達が気に病む事はない』


 失笑混じりのワイバーンの言葉に、一馬は眉を顰めた。


『ヤツも必死に説得していたが、我は聞かなかった。お前達を信じていれば、この結果にはならなかっただろう』


 確かに、ワイバーンが協力的だったなら、こうならなかったかも知れない。

 しかし、たらればの話をした所では無意味だった。

 ワイバーンもそれを理解しているのだろう。すぐに、


『いや……済んだ事を口にするのはよそう』


と、静かに告げ、さらに言葉を続けた。


『我は時期に消滅する。だが、もし……お前達が我を許してくれるならば……我の力を使ってはくれないだろうか? 今更なんだと、思うかもしれぬ。これは、ただのワガママなのかもしれない。それでも、我はお前達の力になりたい』


 懇願するワイバーン。その言葉に嘘偽りがあるとは思えなかった。

 だが、あまりにも唐突な事に誰もが戸惑い、返答に困る。

 その為、ワイバーンは少々沈んだ声で告げる。


『図々しい願いなのは分かっている。これは、我なりの贖罪しょくざいだ。しかし、お前達が嫌だと言うのなら、我はこのまま消滅するのみ……』

「いや! 待ってください! ち、力を貸してください!」


 唐突に声を上げたのはキャルだった。潤んだ瞳でワイバーンを見据え、やがて眼を伏せる。


「私に……もっと戦うだけの力があれば……鬼姫ともっとちゃんと戦えていれば……」


 後悔の念が一番強いキャルの言葉にワイバーンは静かに笑う。


『これは、我の自業自得と言ったはずだ。お前達は何も悪くない』

「でも――」

『自分を責めるな。お前達は自分の出来る事をやった。その結果、奴らには及ばなかった。ただそれだけだろ』


 青龍の冷静な声がキャルへとそう告げた。そして、その声はワイバーンへと向く。


『力を貸すと言う事だが、お前を信じろと言うのか? 俺達を信じようともしなかったお前を? それは虫が良すぎるんじゃないか?』

『そう……だな……。虫が良すぎるとは思っている。信じてくれとは言わない。我にはそれを口にする資格はない』

『まぁ、そうだろうね』


 静かにそう呟く白虎の冷ややかな声。しかし、すぐに玄武が口を開く。


『だが、自分達にも力が必要なのは今回の件で大いに理解したはずだ』

「そう……ですね……」


 声を沈ませる紅は俯く。そして、一馬とキャルも深刻そうに眉をひそめる。


『そうだとしても、力を借りる者は選ぶべきだ』


 厳しい口調の白虎の正論に、玄武は呆れたように息を吐く。


『今ここで、消え入りそうな命の灯火を放っておくのか? 彼の者は自ら強力な力を貸そうとしているのに』

『信頼するに値するかの話をしているんだ!』

『信頼は出来ないが、信じる事は出来るはずだ』

『結果、裏切られたらどうするつもりだ?』


 両者とも意見を曲げず真っ向からぶつかり合う。

 そんな言い合いをただ静観する青龍は小さく吐息を漏らす。本来、こう言う揉め事は朱雀が止めに入るのだが、現在、朱雀はいない。故に、青龍は渋々と二人の間へと入った。


『落ち着け。俺達が言い争ってどうする。それに、奴の力を借りるかどうかを決めるのは、我々ではない』

『しかし!』

『何度も言わせるな。本来なら、朱雀の野郎がやるべき事を、やってやっているんだ。大人しく従っていろ』


 理不尽な青龍の物言いに、白虎は不満はあったが言葉を呑んだ。理由は単純だ。青龍の言葉は朱雀が最も言いそうな事で、実質、今現在、一聖霊である白虎や玄武にはワイバーンの力を借りる借りないの選択権はない。

 それを行使出来るのは聖霊と契約する事の出来る人間のみ。故に託される。


『こちらの話は終わった。力を借りるか、借りないか。その答えを出すのはお前達だ』


 青龍の言葉に、一馬は小さく頷き、ゆっくりとその目をキャルの方へと向ける。

 すでに覚悟は決まり、強い意志を持った眼が真っ直ぐに一馬を見据える。

 その眼を見据え、一馬は小さく吐息を漏らす。


「俺は……契約しない」


 ハッキリとした口調で一馬はそう言う。今現在の自分の状況を考えれば、当然の言葉だった。朱雀、青龍、玄武、白虎の四体の聖霊と契約している。それに、すでに風属性の白虎がいる為、ワイバーンと契約する意味がなかった。

 一馬に続くように紅も、


「私も無理です」


と、小さく頭を振った。

 一馬が属性の異なる聖霊と契約している為、忘れがちではあるが、本来、召喚士は一つの属性しか持たない。すで炎帝と契約している事から、紅の持つ属性は火。風の属性であるワイバーンとは契約出来ないのだ。

 そして、リューナも――


「私も契約は無理ですぅ。あと……時間切れみたいですぅ」


 ペコリと頭を下げたリューナは眉を八の字に曲げ、左手を軽く振った。

 リューナの体は薄っすらと透け、体からは光の粒子が溢れる。一馬達と違い正式な形でこの世界に呼び出された為、時間が来れば元の世界へ戻らなければいけない。

 ゆっくりと消えていくリューナは、


「お力になれなくて……申し訳ありませんでした」


と、今度は深々と頭を下げ、それ同時にその姿は完全に消えた。

 それを見届け、一馬は呟く。


「そんな事ないよ。リューナがいなきゃ……きっともっと悲惨な事になってた……」

「……一馬さん」


 俯く一馬を紅は心配そうに見据える。

 だが、一馬はそれに気付く様子もなく、顔をあげるとキャルを見据える。


「俺も紅もリューナも無理。契約するなら……君がする事になるんだよ」


 時間が無い為、すぐに話を戻す一馬にキャルは頷く。


「願ってもないです。聖霊は異世界を繋ぐ鍵ですから。私の研究には欠かせない存在です」


 キャルは笑顔で答える。

 恐怖がないわけではない。

 本当に契約しても大丈夫なのか、と不安が尽きない。

 でも、覚悟は出来ている。

 だから、キャルは強い眼差しを向け、


「私と契約してください。力を貸してください」


と、ワイバーンへと答えた。

 すると、ワイバーンは静かに口を開く。


『では、貴様に我の力を託そう』

「お願いします」

『我の力は暴風。全てを切り裂く刃となろう』


 ワイバーンの声が途切れ、その肉体は光に包まれる。

 そして、キャルの召喚銃にその光が集まった。キャルとの契約が完了したと言う事だった。


「こ、これで……いいんですか?」


 あまりにもアッサリとした契約に、キャルは少々困惑していた。もっと色々なやり取りがあり、血やら何やら必要だと思っていたからだ。

 そんなキャルに、微笑する紅。


「こんなものだと思いますよ? 聖霊との契約は」

「そ、そう……なんですか……」


 少々ガッカリした様子のキャルに、一馬も苦笑した。

 そんな時だ。唐突に一馬の足元に魔法陣が浮き上がる。


「ッ!」

「一馬さん!」


 すぐに気づく一馬と紅。その声で顔を一馬の方へと向けるキャル。

 だが、誰も動く事が出来ぬまま魔法陣から溢れる闇が一馬を覆い尽くし、一瞬にしてその姿を消した。現れた魔法陣と共に、紅とキャルの二人だけを残して。



「クソがっ!」


 広々とした薄暗い室内に、そんな声が響き激しく椅子が床を転がる。

 乱暴に蹴飛ばされたのだ。

 ロウソクの灯りが揺らぎ、荒らされた室内をボンヤリと照らす。


「おい。いい加減にしろ。暴れたいなら外へ行け」


 そんな声を発したのは白髪に褐色の肌の男。その赤い瞳は真っ直ぐに暴れる一人の男を見据え、不快そうに眉をひそめる。

 険悪な空気の流れる一室の扉が静かに開かれ、


「一体、何の騒ぎですか? これは……」


 青白い顔をしたジルが困ったように尋ねる。

 すると、褐色白髪の男が呆れた様子で答える。


「狙っていた獲物が不良品だったみたいでな」

「不良品? 何の話ですか?」


 意味がわからないと眉間にシワを寄せるジルに、男は肩を竦める。


「些細な事だ。気にするな。それより、あの小煩い小娘はどうしたんだ?」


 周囲を見回す男にジルは静かに笑み、


「彼女でしたら、少々お疲れで部屋に戻りましたよ」


と、答えた後、水泡に包まれたワイバーンの頭部を見せる。


「流石に、彼の相手をするのは厳しかったようですよ」

「そうか。しかし、意外だな。あの小娘なら手柄を自分のものにしたがると思ったんだが」

「それだけ、死闘だったと言う事ですよ」


 苦笑するジルに「そうか」と淡白に答えた男は、静かに背筋を伸ばし、背骨を鳴らせる。


「なら、次は俺が行くとしようか。お前も疲れているだろう」

「それは、助かりますね」


 ジルがそう答えると同時に、ジャックの右拳が長机を真っ二つに折った。

 響く大きな物音と舞うホコリにジルと男は不快そうな表情を浮かべ、ジャックへと目を向ける。

 拳に僅かに血を滲ませるジャックは、薄っすらと開いた唇から熱を帯びた息を吐き出し、


「俺も行く」


 低く怒気のこもった声でそう告げると、


「はぁ?」


と、褐色白髪の男は驚きを全面に出す。

 そして、不満げに眉間にシワを寄せる。


「お前のお守りはゴメンだ!」

「黙れ。俺は憂さ晴らしがしたいだけだ」

「ふざけんな! テメェ、随分暴れまわっただろ!」


 褐色白髪の男がそう声を荒げるが、ジャックは聞く耳を持つ事はなかった。




 場所は移り――。

 静かな入江。その側の深い洞窟の奥。

 暗く静かなその中に響くひどい咳。そして、薄っすらと浮かぶ一人の男の影。暗がりでも映える金髪を揺らす男は咳とともに大量の血を吐き、苦しげに胸を押さえていた。

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