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第9回 狡猾なる敵 豪雨の戦いだった!!

『やられたな』


 豪雨の中、一馬の胸ポケットのスマホ型通信機のモニターが薄っすらと光を放ち、白虎の澄んだ美しい声が静かにそう告げた。

 その言葉に大口を開き呼吸を乱す一馬は苦しげに右目を閉じ、ギリッと奥歯を噛んだ。白虎の言葉の真意を尋ねたかったが、それが出来ない程消耗していた。

 そんな一馬に意図を汲んでか、寄り添う紅が額に張り付く濡れた髪を左手で右へ左へと払い尋ねる。


「どう言う事ですか? 白虎様」

『全ては奴らの思惑通りだと言う事だ』


 静かな白虎の声に紅の表情が曇る。


『私達の分断の仕方も絶妙だ』


 更に絶賛する白虎は脱帽したと静かに笑う。


『朱雀の件も恐らく、この為だろう』

「えっ? そ、それじゃあ、別の世界にいる雄一さん達が襲われているのは……」

『朱雀を抑え込む為。ここで朱雀と言う選択肢を選ばせない為だろう』


 白虎の言葉に苦悶の表情を浮かべる一馬は強く右手を握り締める。


「そ、それ……じゃあ……」


 途切れ途切れの声を発する一馬。全てを言う前に白虎は一馬が言わんとしている事を予測し答える。


『ああ。この地に来た際に私達と君の接続が遮断されたのも、朱雀を雄一の所へと誘導する為だろう。本来なら、いかなる時でも、聖霊は契約した召喚士と共に居なければいけないが、雄一は朱雀の化身である紅蓮の剣の適合者だ。接続が遮断された結果、雄一の方にリンクが繋がったのだろう』


 あくまで推測だが、と最後に付け加え、そう述べる白虎は小さな吐息を漏らす。

 本来なら武装召喚も、召喚士がいなければ出来ない事。なのに、朱雀が雄一の所で力を貸し戦っている。今に思えばおかしな話だった。


『それに……朱雀がいれば、今、私達はこんな状況に追い込まれていないだろう』

「それって、あの翼竜の事ですか?」


 暗雲に覆われた空で激しくぶつかり合う青龍とワイバーンへと目を向け、紅は尋ねる。その言葉に『ふむっ』と小さく返答した白虎は言葉を続ける。


『そうだな。この地で力を存分に扱える玄武は、あの翼竜とは相性が最悪。私は空を飛ぶ事が出来ず、選択肢はこの地と最も相性の悪い青龍しか残らない、と言うわけだ』

「じゃあ、青龍様は……」

『恐らく――いや。間違いなく負ける。この地は土の属性の影響を大きく受けた地。水属性の青龍では、幾ら守護聖霊であっても、勝ち目はないだろう』


 冷静に分析する白虎の言葉は、現実を見ておりとても重く一馬と紅にのしかかる。

 絶望的な状況は更に悪化した。そう思わざる得ない程、状況は厳しいものだった。

 立ちはだかるヴァンパイア・ジル。彼のレイピアが華麗にしなり、水を弾き、風を切る。

 遅れて鈍い金属音が僅かに響き、リューナの体が大きく仰け反った。

 このぬかるみの中、軽い身のこなしのジルにリューナは押され気味だった。ぬかるんでいる為、踏ん張りが利かないはずだが、ジルの一撃一撃は重く鋭い。

 この鋭い一撃一撃に大剣で対応するリューナは右へ左へと揺さぶられ、最後は後方に弾かれる。踏ん張りが利かず、左足が滑り膝が泥へと落ちた。

 泥が跳ね、スカートが泥で汚れる。だが、そんな事など気にしている余裕もなく、リューナは汚れた膝を震わせ立ち上がる。


「ハァ……ハァ……」


 薄っすらと開いた口から荒く呼吸を繰り返すリューナは、片目を閉じると下唇を甘く噛んだ。玄武を纏い大分、時間が経過した。武装召喚は術者は消耗を抑えられる反面、纏う側は相当な負担が体に掛かる。

 当然、その影響は如実に現れていた。

 膝は小刻みに震え、両肩も僅かに上下する。豪雨でシャツは体を締め付け、リューナの呼吸は悪くなる一方だった。


「随分とお疲れのようですね」


 薄ら笑いを浮かべ、ジルはリューナを見据える。だが、リューナに答えるだけの体力はなく、雨音にかき消される弱々しい吐息だけを返す。

 目に見えて限界が近いとわかるリューナを援護しようとキャルもゆっくりと立ち上がる。先程の一発で両肩がズキリと痛み、キャルの表情は歪む。

 立ち上がったキャルは、奥歯を噛み震える手で召喚銃を構える。しかし、眼鏡を失った状態では視界がボヤケ、誰が誰なのか判別がつかない。その為、キャルは目を凝らし、震えた銃口を向けた。

 その時だ。紅蓮の炎が白煙を噴かせ、地を駆けキャルを襲う。


「キャッ!」


 キャルは声を上げ、尻もちを着く。視界がボヤケていた為、キャル自身、何があったかはよくわからない。ただ、目の前に迫る赤いモノと蒸気と熱気に思わず尻もちを着いてしまったのだ。

 だが、それが幸いした。尻もちを着いた事により、その炎はキャルに直撃はしなかった。

 キャルの悲鳴に、「キャルさん!」と慌てて視線を向けるリューナ。だが、すぐにキャルが無事なのを確認し、安堵したように息を吐く。


「よそ見とは余裕ですね」


 耳元でささやくようなジルの声がリューナに届く。背筋がゾッとする程の殺意に、リューナは瞬時に視線をジルへと戻す。

 しかし、そこにジルの姿はない。


「ッ!」


 思わず声を漏らし表情を歪める。刹那、リューナの頭の中に玄武の声が響く。


(上だ!)


 その声に顔を上げ、空を見上げる。だが、豪雨がリューナの視界を遮る。


「うっ……」

「どうやら、この雨は私の味方のようですね!」


 目を細めるリューナの耳にジルの声が届く。豪雨で滲む視界に映るジル。彼が何をしようとしているのか、リューナにははっきりと分からない。

 だが、ここで立ち止まっているわけにはいかないと、リューナは黒泉の柄を握り締め駆ける。しかし、ぬかるみで足が滑り、リューナは体ごと派手に倒れた。

 泥が舞い、汚い飛沫が跳ねる。濡れた衣服は泥にまみれ、顔にまで泥は付着していた。


「くっ……」

「無様ですね! 本当に!」


 ジルの声が響き、豪雨の中で淡い青色の光の後、鋭く先の尖った水柱が地上へと無数に降り注ぐ。

 激しい水飛沫を噴かせ、水柱は弾けて消える。リューナを守るように広がる甲羅模様の刻まれた土の盾に衝突して。

 凄まじい程の衝撃で土の盾は軋み、盾越しだと言うのに、衝撃はリューナの体を地面に押さえつけていた。


「この豪雨の中、いつまで持ちますかね! その盾は!」


 そう叫びながら、ジルは水を纏ったレイピアを地上へと何度も何度も突き出す。その先から放たれる水撃は豪雨と混ざり合い水柱となり、土の盾に衝突する。


「ぐっ!」

(すまぬが、これは長くはもたない)


 申し訳なさそうな玄武の声に、リューナは「いえ、助かりました」と小さく呟き、呼吸を整える。

 衝撃でリューナを中心に波状の模様が泥には刻まれていた。

 そんなリューナの状況を打破する為、尻もちをついていたキャルはゆっくりと立ち上がる。だが、そんなキャルの前に鬼姫が歩を進めた。

 長刀を右肩に担ぎ、トントンと肩を二度叩く。


「あんたの相手は、アタシだから」


 不敵な笑みを浮かべる鬼姫は、左手で前髪を掻き上げ、真紅の髪の毛先からは雫がこぼれ落ちる。

 目を凝らし鬼姫の姿を見据えるキャルだが、シルエットだけがぼやけて見えるだけ。故に声で判別を付けなければ行けないが、この豪雨もあって声も聞き取りにくい。

 ただ、先程の炎と殺気から、彼女が鬼姫であると判断し、召喚銃を構えた。

 銃口を向けられた鬼姫は肩を揺らし笑う。


「アタシとしては、あんたじゃ物足りないけど、肩慣らしにはなるっしょ」


 雨音で殆ど聞き取れない鬼姫の言葉に、キャルは小さく首を傾げる。

 その態度が気に入らなかったのか、鬼姫は不愉快そうに眉をひそめると、力強く右足を踏み込み地を蹴った。

 低い姿勢で突っ込んでくる鬼姫に、キャルは召喚銃のスロットを回し聖霊をセレクトする。


「お願いします!」


 そう声を上げ、キャルは引き金を引く。銃声の代わりに雄々しい獣の声が轟き、銃口から風の白虎が放たれる。軽やかな足取りで泥へと一定の足跡と波紋を残し駆ける白虎に、鬼姫は口元に笑みを浮かべ長刀を振りかぶった。


「そんなの効かないから!」


 右足を力強く踏み込んだ鬼姫は、右手に握った長刀の刃に紅蓮の炎を纏わせた。そして、右肩を正面へと突き出し、体の正面から払うよう長刀を振り切る。

 ――刹那。鬼姫の踏み込んだ右足はぬかるんだ地面で横滑りし、大きくバランスを崩した。


「ッ!」


 左膝を地面にぶつけ、鬼姫の上半身は左へと傾く。振り抜いた右腕は止められず、長刀は横ではなく縦に大きく振り抜かれ、鬼姫は左肩から地面へと倒れた。

 だが、それにより、鬼姫に喰らいつこうとしていた風の白虎は標的を失い、そのまま直進し消滅する。

 両者ともに攻撃を外した形となり、互いの間に微妙な空気が生まれる。

 呼吸を乱し、両肩を大きく上下させるキャルは二度、三度と瞬きをし、左手の甲で視界を遮るように頭から溢れる雨水を拭う。


「痛っ……。マジ最悪……」


 横転した鬼姫は体を起こし呟く。可愛らしいフリルのスカートは泥で台無しになり、左腕は地面で擦り傷が出来ていた。

 少々苛立ち、憮然とした表情の鬼姫は、長刀を地面に突き立てゆっくりと立ち上がる。


「ごめん……興が醒めたわ……てか、ホント最悪……」


 急激にテンションが落ち、完全に闘志を失う鬼姫は肩を落とし大きなため息を吐いた。

 元々、浮き沈みの激しい性格の鬼姫故、一度醒めた気持ちを高めるのは暫く無理そうだった。

 完全に命拾いをしたキャルは、安堵の息を吐き、その眼をリューナの方へと向ける。だが、眼鏡なしでは何も見えず、リューナがどう言う状況なのか、キャルには分からない。

 ただ、豪雨の中で響く衝撃音から未だにリューナがジルと戦闘中なのだと言う事だけは分かった。

 度重なる水撃により、崩れ始める土の盾。流石にこれ以上は持ちそうになかった。

 その為、リューナは二度の深呼吸をした後、黒泉の柄を根本から折り曲げ、ボーガンへと変える。使い慣れない剣よりもこっちの方がいいとリューナが判断したのだ。

 圧し掛かる衝撃に耐え、リューナは膝を立てる。そして、顔を上げ、黒泉の先を空へと向ける。ジルがどこにいるのかは先程から降り注ぐ水撃で予測は着いた。

 故に狙いをつけずとも――引き金を引くと共に放たれた一本の矢は崩れかけの土の盾を突き抜け、空中にいるジルの右肩へと直撃した。


「ッ!」


 思わず表情を歪めるジルだが、すぐに口元に笑みを浮かべる。


「……残念」


 ジルの右肩に直撃した矢はボロボロと崩れ落ちる。この豪雨で土で作られた矢は脆く、ジルに与えたのはただの衝撃だけで、傷をつける事すらかなわなかった。


「この豪雨でなければ、射抜けていましたよ!」


 そう叫び、ジルは右手に持ったレイピアを突き出す。刃から放たれる水撃は豪雨を吸収し、水柱となりボロボロの土の盾を叩く。

 衝撃でついに土の盾に亀裂が生じる。


「そんな盾であと何発防げますかね!」


 叫ぶジルが右腕を振りかぶると同時に、音もなく二本目の矢が土の盾の向こう側から放たれる。

 そして、先程と同じようにジルの右肩に直撃し、脆くも崩れた。

 二度目ともなると、衝撃に声を漏らす事もなく、ふてぶてしく笑む。


「何度やっても同じですよ!」


 声を上げ、レイピアを突き出す。再び水撃が放たれ、その一撃はついに土の盾を砕いた。衝撃が広がり、水煙が辺りを包み込んだ。

 雨音だけが響き、静寂が場を支配する。その中で再び音もなく水煙の中から矢が放たれた。


「――!」


 驚愕するジル。だが、すぐに笑みを浮かべ、静かに腕を広げた。そんなものなど何の脅威もないと。かわす必要など無いと。

 そう言うように、ジルは瞼を閉じる。

 ――刹那。その耳に届く。一定のリズムを奏でる雨音を裂く不協和音。風を切る――、雨粒を貫く――、そんな音に顔を上げる。

 そして、頭を左へと傾け、首をひねった。と、同時に頬を掠める一本の矢。それは、そのまま耳元を過ぎる。今までの土の矢ではなく、ジルの眉間を狙った銀の矢だった。

 音もなく射られたその矢の放たれた位置へとジルは目を向ける。そこには、玄武との武装召喚が解けたリューナが天を仰いでいた。


「なるほど……初めからあの盾は破壊させるつもりだったわけか……。派手に破壊させ、それに紛れて移動し不意を突くと……中々、いい作戦でしたね」


 薄ら笑いを浮かべ肩を竦めるジルは、左手で頬の血を拭いそれを舐めた。


「私としては自分の血よりも、あなたの血を所望したいのですがね」


 舌舐めずりをし、ジルはリューナへとうす気味の悪い笑みを向けた。

 引きつった笑みを浮かべるリューナは、「遠慮させて頂きますぅ」と、銀の矢が装填された小型ボーガンを向け引き金を引いた。

 銀の矢は音もなく放たれる。

 小さく頭を振るジルは、その矢をレイピアで弾いた。澄んだ金属音は雨音にかき消され、銀の矢は力なく地上へと落ちた。


「不意打ちでも届かなかった矢が、私に届くと?」

「思ってませんよぉ。当然じゃないですかぁ」


 息を切らせながら静かにそう答えたリューナは左腕を引く。その手には細い糸が巻かれ、それが引かれたことにより、弛んで泥の中に隠れていた糸がピンと張った。

 糸の先には泥にキッチリと固定された黒泉の引き金に結ばれ、引かれた事によりその引き金は引く。ボーガンへと形を変えた黒泉は、切っ先を空にいるジルへと向けており、装填された矢が一直線にジルへと放たれる。

 一発、二発、三発…………と、次々に土の矢は放たれる。矢は自動で装填され、弦は緩むことを許されずひたすら矢を打ち上げていた。

 奇をてらったその攻撃に、流石のジルも面を食らう。そして、その体を次々と土の矢が襲う。


「グッ!」


 奥歯を噛み締め、表情を歪めるジル。幾ら豪雨の影響で矢がもろくなっているとは言え、止めどなく撃ち込まれれば、その体を――皮膚を裂き、ダメージを与える事は出来た。

 眉間にシワを寄せひたすら耐えるジルは、横目でリューナを見据える。すでに限界なのか、ぬかるみに膝を落とし動く事が出来ない。

 それを確認し、ジルは耐える。この攻撃は長くないと確信して。



 上空で激しく体をぶつけ合う青龍とワイバーン。

 両者の戦いも佳境を迎えていた。

 消耗戦となった青龍とワイバーンの戦い。能力的には青龍が上だが、消耗戦となった時点でワイバーンが圧倒的に優位に立った。

 すでに何十発と言う水撃を放ち、一馬の精神力は大いに削れた。しかし、青龍にとってそれは想定内。こうなる事は、召喚された時から分かっていた。

 それでも、最善を尽くす為に全力を出し切った。その結果、青龍の体は透け、消えかけていた。


『どうやら、ここまでのようだな』


 重低音の声を放つワイバーンに、大口を開いた青龍は水撃を放つ。無言で放ったその一撃に、ワイバーンは右翼を軽く振る。

 すると、風が逆巻き、鋭い刃となり水撃を引き裂いた。引き裂かれた水撃は飛沫となり地上へと降り注ぎ、風の刃はそのまま青龍の体を裂いた。

 血は出ないものの、その傷口から光の粉が漏れ出す。


『ッ……』

『クククッ。もう、消えそうじゃないか』


 青龍に対し、ワイバーンはふてぶてしく笑う。

 開かれた大きく裂けた口から荒い呼吸を繰り返す青龍は薄っすらと口元に笑みを浮かべる。


『そう……だな……。もうリミット……らしい……』


 静かにそう述べる青龍は最後にもう一度大口を開く。


『これが……最後の足掻きだ!』


 全ての力を口の中へと集め、今持てる最大限の一撃を放つ。


『無駄な事を……』


 呆れたように頭を大きく振ったワイバーンは、両翼を大きく羽ばたかせた。

 突風が吹き荒れ、それが風の刃となり青龍の放った一撃を粉砕する。だが、そこで異変は起きる。弾けた水撃は大小様々な水の塊となり留まる。


『……?』


 水泡となりとどまるそれに、ワイバーンの眉間にシワが寄る。

 一方、青龍は口元へと笑みを浮かべ、


『ただ……水を吐くだけが……能ではない』


と、呟く。すると、水泡は意思を持ったようにワイバーンの体へとへばり付く。

 それは、粘着性があると同時に、猛毒性を含んだ毒水。ワイバーンの体に付着し、異臭を漂わせその硬い皮膚を犯す。

 だが、そこまでだ。この豪雨が――すべてを洗い流す。結局、最初から最後まで、この世界の環境がワイバーンへと味方した。

 消滅する青龍。その長い体は透け、光の粒子が空へと散る。

 完全に一馬の精神力、体力が限界に達した。


「ゲホッ! ゲホッ!」


 激しく咳き込み、その口からは血が吐き出される。


「か、一馬さん!」


 寄り添う紅が慌てた様子でそう呼びかけた。だが、一馬の顔色は悪い。呼吸はあるものの弱々しく、衰弱していた。

 そして、状況は更に悪い方へと動く。


「キャッ!」


 リューナの悲鳴が響き、その体が泥の上を転がる。一馬の力が限界を迎えた事により、矢を撃ち出していた黒泉もまたこの場に留まっている事が出来なくなり消えてしまったのだ。

 撃ち出されていた矢が止まった事により、ジルを阻むものはなくなり、それによりリューナは攻撃を受けた。

 直撃は免れたが、それでも十分すぎるほどの威力の一撃は、地面を大きく抉り、リューナを悠々と吹き飛ばしたのだ。

 泥に塗れ、呼吸を乱すリューナを、ゆっくりと地上へと降り立ったジルは見据える。


「リューナさん!」


 キャルが叫び駆け出す。だが、足元がおぼつかず、転倒してしまう。

 泥が派手に飛び散り、キャルの顔は泥に塗れる。ボヤける視界に目を細め、眉間にシワを寄せるキャル。

 そんなキャルの姿を蔑むような冷ややかな眼差しで見据える鬼姫は、小さく息を吐き出すと空を見上げる。

 消失した青龍が残した美しい淡い蒼色の粒子。その向こうに見える毒水に冒され、僅かに表皮はただれた翼竜ワイバーン。

 多少なりにダメージはあるのだろうが、ワイバーンは平然と大きな翼を動かし、優雅に空を舞う。


「んじゃまぁ……そろそろ、アタシの出番ねっ!」


 屈伸運動をした後、両腕を伸ばし耳の後ろまで振り上げ、背骨をググッと伸ばす。背骨がパキッ、パキッと乾いた音を僅かに鳴らせ、ゆっくりと脱力する。

 リラックスした様子の鬼姫は深々と息を吐き出すと、長刀を取り出す。自らの背丈を有に超える長さの刃から一振りで雫が飛び、やがて蒸気を噴く。

 突如、異様な空気を放つ鬼姫に、ジルは一瞬不快そうに眉間にシワを寄せ、やがて小さく息を吐く。


「鬼姫。いいですか、私達の――」

「わーってるから! あんたに指図されなくても」


 ジルの声を遮り、鬼姫は口元へと笑みを浮かべ、ワイバーンを見据える。水気を含んだ真紅の髪は燃え上がる炎のように揺らめき始め、蒸気を噴かせる。

 その異様な空気をワイバーンも悟り、その眼を鬼姫へと向けた。


『何だ。小娘。この私とやり合おうと言うのか?』


 見下すような眼を向けるワイバーンに、鬼姫は身を屈め脚に力を込める。

 そして、ドンッと右足で踏み込み、


「あんたの首をもらうよ!」


と、叫び跳躍する。

 そんな鬼姫にジルは呆れたように右手で頭を抱えた。

 直後、鼻で笑ったワイバーンは、右翼を一振りする。突風が跳躍した鬼姫の体を煽り、バランスを崩す。と同時に鈍い風切り音が広がり、鬼姫の体を強靭な尾が強打する。

 縦回転から放たれた強烈な一撃に、小柄な鬼姫は軽々と地面へと叩きつけられ、衝撃を地上へと広げた。

 ぬかるむ地面が陥没し、波状の模様を描く。飛び散った泥は暫しの時間差を得て地上へと落ち、まるで雨粒のように地面で弾けた。


『小娘が! 図に乗るな!』


 ワイバーンの猛々しい声がこだまする中、ゆっくりと立ち上がる鬼姫は、額から流れる血を左腕で拭い、


「あんたこそ……いつまでも、見下してんじゃないわよ」


 いつしか雨は上がり、鬼姫の全身からは白煙が昇る。薄く開かれた唇から熱気を帯びた吐息を漏らし、鬼姫は真っ赤な眼光をワイバーンへと向け、不敵に笑みを浮かべた。

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