第6回 断崖絶壁だった!!
どれ程の距離を進んだのかは定かではないが、一馬達の目の前には聳えるような断崖絶壁がそそり立っていた。
登頂部がどうなっているのかは確認出来ないが、妙な気配が発せられているのを、一馬は感じ取った。
四体もの聖霊と契約しているからだろう。明らかに一馬の感知能力も向上していた。
だが、あまりにも距離が離れているからか、その気配もハッキリとは分からない。
目を凝らし複雑そうな表情を浮かべる一馬はゆっくりと、視線を戻し小さく吐息を漏らした。
「どうしましようか?」
炎帝を戻した紅が、困ったような笑みを浮かべる。
腕を組む一馬は小さく唸り声を上げ、首をひねった。
流石に断崖絶壁をよじ登るなど無謀な事は出来ない。何より、巫女装束の紅、スカートのリューナ、白衣のキャルの三人は、服装的にそれは不可能だろう。
一層、困った表情を見せる一馬は、右手で頭を抱える。
「ここで、青龍様を呼ぶのは得策では無いですよね」
腕を組むキャルがそう言い小さなため息を吐く。
キャルの言う通り、今、一馬が召喚術を使うのは得策ではない。消耗が激しく、この後、追ってくる鬼姫とジルの事を考えると使用は控えるべきだ。
戦闘になる事は必至だろう。そうなった時、リューナには玄武の力が必要になる。武装召喚は通常召喚よりも消耗は少ない。だが、玄武の力を借りたとして、リューナ一人では鬼姫とジルの相手は厳しい。
そう考えると、最低でも一馬はあと二度分、召喚出来る体力を残して置かなければ行けないのだ。
「でもぉ……このままでは、手詰まりですよぉ?」
リューナはそう言い断崖絶壁を見上げる。
「すみません……私の体力が保たなくて……」
申し訳なさそうに紅は頭を下げた。
この断崖絶壁の前に到着した当初、登るのは不可能だからこのまま迂回しようと言う話になっていた。だが、その矢先に紅の体力が底を尽き、炎帝をここに維持できなかったのだ。
当然、誰も責めはしない。召喚と言うモノが、どれ程術者に負担を掛けるのかを理解しているからだ。それに、紅が炎帝を召喚するのは二度目で、二度共長時間召喚しっぱなしだった。それを考えれば、ここまでたどり着けた事の方が奇跡的だった。
「謝らなくていいよ。紅が悪いわけじゃないんだし……」
「でも!」
「そんな謝られると、私の方こそ、申し訳なくなってしまいますよ」
紅の言葉を遮るように、キャルは困ったような表情で微笑する。ここまで、何も出来なかった事を、内心ずっと申し訳なく思っていた。
召喚銃である程度の聖霊の力をほんの僅かだが使えるが、とても鬼姫やジルと戦える程の代物でもなく、キャル自身が聖霊と契約しているわけでもない。自分が一番役に立てていない事は、キャル自身分かっていた。
そんなキャルの気持ちをその表情から感じ取った一馬は、眉を曲げ、右手の人差し指で頬を掻いた。
落ち込む女子を励ますなどと言う状況、今まで経験した事がなかった為、どう言葉を掛けて良いのか分からなかった。
戸惑い無言になる一馬を見かね、携帯型通信機の画面が一馬の胸ポケットで光を放つ。
『気にする事は無い。アレはアレで、君の判断と行動は素晴らしいものだった』
白虎の優しい声に、「そうですか?」とキャルは眉尻を曲げながら微笑する。
白虎の言うキャルの判断と行動とは、先の鬼姫とジルとの戦いでの事。あの時、リューナがジルに銀の矢を射ち込んだ直後、少しの間が空いた。
あの瞬間、手にしていたボーガンを捨て、重い黒泉で鬼姫への追撃。それは不可能だった。すでに鬼姫は突っ込む寸前だった。あの時、キャルが発砲していなければ、リューナが鬼姫を足止めする事は出来なかっただろう。
その事をここにいる誰もが知っている。だからこそ、キャルを責めるなんて出来ない。
「でも、彼女には殆どダメージも与えられませんでした……」
「仕方ないよ。アレはデータから作り出した白虎で、本来の白虎の力とは違うんだから」
何とか励まそうと一馬がそう言うと、
「そうですよね……。所詮、私が作り出した偽物……」
と、キャルは背を丸め肩をガックリと落とした。
励まそうとした結果、裏目に出てしまい、「あ、あれ?」と一馬は首を傾げる。どこで間違ったのか、と考えながら、人を励ますのは難しい事なのだと、改めて思う。
『全く……マスターよ。余計な事を言って女の子を傷つけてどうする。君はもう少し、女心と言うのを勉強した方がいい』
「ご、ごめん……」
呆れた様子の白虎に諭され、一馬はシュンとなりながら頭を下げた。
大きなため息を一つ漏らし、顔を上げた一馬は遠くを見るように目を細め、灰色に染まった空を見上げる。女心ってなんだろう、などとシミジミと考える一馬を無視し、白虎はキャルへと言葉を重ねた。
『あなたの判断は素晴らしいものでしたよ。ただ、選択を誤った』
「選択……ですか?」
戸惑った様子でキャルはそう口にし、訝しげに首を傾げる。
何処でどう選択を間違ったのか、と考えるキャルは、数秒後小さく頭を振った。決して驕っていると言うわけではない。だが、どう考えても自分の選択が間違っているとは思えなかった。
その為、困った表情で尋ねる。
「何処の選択を間違っていたのでしょうか? 私としては、あの時、最善の行動を行ったつもりなのですが?」
「私も、キャルさんは最善を尽くしたと思いますよ?」
紅も不思議そうにそう口にする。すると、白虎は小さく息を吐き、
『あなたのミスは、攻撃の手段に私の力を選んだ事です』
と、静かに告げる。
この言葉に一層、訝しげな表情を浮かべるキャルは、やや不服そうに答えた。
「どうしてですか? あの場合、一番速度のある白虎様を選択するのは間違いではないと思うのですが?」
『確かに、あの場合、速度と威力を考えれば、私を選択するのは間違いではない。だが、相手との相性はどうだ?』
白虎の指摘に、一馬は思い出す。鬼姫が手にしていた大刀に炎を灯した事を。
「そうか。確か、風属性は火に弱いんだよな」
『その通りだ。属性の優劣で、その威力も大きく変化する。今回の場合、風を司る私の力では、火の属性を持つ鬼姫にはダメージを与える事はできなかったと言う事だろう』
静かにそう語る白虎。実質、前回、キャルはこの力で殺人鬼であるジャックの腕を引きちぎった。故に、その威力は白虎本来の力には及ばずとも、相当な威力があると言える。
だから、キャルが落ち込む必要など一つもなかった。
『そうだとしても、キャルの判断は正しかった。……と、俺は思っている』
青龍が静かに告げる。その言葉に、『そうだな』と白虎も賛同し、
『あの時、彼女が火の属性だとは知り得なかった事。彼女の動きを制すると言う点で、溜めの必要性のある青龍や、守り主体の自分の力を使用するのは得策ではない』
と、改めてキャルの下した判断が、あの時点での最善だった事を玄武も絶賛した。
偉大な聖霊である青龍・白虎・玄武に褒められ、少々元気を取り戻したのか、キャルは恥ずかしそうに笑みを零していた。
そんな中、一人そり立つ絶壁の前へと歩を進めたリューナは、左手でその壁に触れ、ゆっくりと上へと視線を向ける。
「どうかしたんですか?」
リューナの行動に気付いた紅が、トコトコと歩み寄りそう尋ねた。
すると、リューナは小さく首を傾げ、
「どうにかぁ、これをぉ、登れないかとぉ……」
と、紅へと苦笑いを浮かべる。
流石にリューナもこれを素手で登るのは無理だと分かっている。分かっているが、どうにか出来ないか、と考えていたのだ。
そんなリューナに、紅も苦笑し、視線を上げる。
「流石に……無理じゃないですか? 素手で登ると言うのは……」
「ですよねぇ……」
困ったように笑うリューナは小さく肩を揺らし、深く息を吐いた。
「なんとか、足場でも作れれば、楽に登れそうなんですけどねぇ」
「そうですね」
二人並び天を見上げる。何処までも続く絶壁を。
「これから、どうする?」
ようやく、一馬もその事を切り出す。すると、キャルは胸の横で拳を握り締め、気合を入れる。
「よしっ! ここは、科学の力で――」
そこまで言って、キャルは周囲を見回す。そして、一馬も釣られて視線を動かす。現状、科学の“か”の字も存在しえない状況。あるとすれば、一馬達の持つスマホ型の通信機と必要最低限の工具、キャルの持つ召喚銃くらいだった。
二人の間に妙な間が空き、一馬は目を細め小さく息を吐き、キャルはうなだれ静かに笑う。
「ダメですよね」
「ダメだろうな。キャルの世界とは違って、科学がそこまで進んでないみたいだし」
「そうですよねー……まぁ、あたりに集落すら見当たりませんし……」
「だな」
一馬はそう言い、苦笑し、右肩を落とした。
ここまでの道中、集落――と、言うよりも建物らしきものすら発見できなかった。本当に人がいるのだろうか、と思う程だ。
ただ、周鈴の住む村は、山奥にあった。土の山の人々がそう言う文化を持っていると仮定するなら、何もない荒野ではなく、山に集落を築き暮らしていると言う可能性も多い。
故に、ここまでの道中では、人の存在を感じさせるものがなかったと、一馬は考えていた。だから、ここにたどり着いた時、もしかしたら小さいながらも集落があるかも、などと淡い期待はしていたが、それは脆くも崩れ去った。
「しかし……ホント、人がいないな」
「周鈴さんがいれば、色々と聞けるんですけど……」
『恐らくだが、皆、身を隠せる所を根城にしているのだろう』
一馬とキャルの疑問に、静かな声で玄武が答える。この土地の守り神でもある為、この世界の人々がどう言う生活をしているのか大方わかっているのだ。
それだけ、この世界は混沌に包まれていた。
と、そこに紅とリューナがやってくる。
「何の話ですか?」
紅が少々不満げにそう訊ね、
「今後についての話ならぁ、私達も混ぜてくださいぃ」
と、リューナが笑顔を向けた。
右手の人差し指で頬を掻く一馬は、やや右肩を落とすと苦笑する。
「今後についてと言うか、ここまで来るまで人の気配がなかったなって、話をしてて」
「そう言えば、見当たりませんでしたね」
「あれだけ、長い距離を行けば、集落の一つや二つ見つかると思ったんですが……」
小首を傾げる紅に、キャルも苦笑いをしながらそう答えた。
『それより、早く決断した方が言いようだぞ』
玄武の静かな声が響き、
『どうやら、奴らが動き出したようだな』
と、白虎のいつもよりワントーン落とした声が響く。
その声質から、一刻を争う状況だと言うのを一馬達は理解する。
いや、二人の言葉からすぐに察した。足止めしていた鬼姫とジルが動き出したのだと。
張り詰めた緊張感の中、次に口を開いたのは――、
『一馬。迷っている時間はないぞ』
青龍の静かな声に一馬は覚悟を決める。
「分かった……それじゃあ――」
『主よ。自分に提案があるんだが、いいか?』
一馬の声を遮り、玄武がそう口にする。怪訝そうな表情を浮かべる一馬に、玄武は言葉を続ける。
『主の体力を考えれば、召喚を行えるのは良くてあと一回が限界だろう』
「それは、俺が一番理解しているよ」
『そこで、提案なのだが、どうだろうか? 武装召喚を行うのは?』
玄武の提案にその場にいた皆が首を傾げる。ここですべき事は、武装召喚ではなく、青龍を召喚する事。それが、最も効率のいい方法だ。
その玄武の言葉に疑問を抱いたのは、一馬達だけではなく、聖霊である青龍と白虎の二人もだった。
『お前、何を言ってるんだ?』
『この状況で、武装召喚をしてどうすると言うんですか?』
青龍と白虎の厳しい言葉に、玄武は静かに息を吐く。
『お主らは黙っておれ。先も言ったが、自分に考えがある』
『テメェにどんな考えがあるのかしらねぇが、ここで口論している場合じゃねぇだろ』
『だから、黙っておれと言っているのだ』
食い下がる青龍に、低く重々しい口調でそう告げる玄武。その口調から感じ取れる玄武の威圧感に、青龍と白虎は黙るしかなかった。
その中で、小さく挙手したリューナが、小さく首を傾げる。
「武装召喚と言う事はぁ、私がぁまたぁ玄武様をまとう……とぉ、言う事ですかぁ?」
率直な疑問をぶつけるリューナに、玄武は当然のように答える。
『そうだ。自分の力は土を司る。それは、自分の化身でもある黒泉も同じ。その力を利用し、この土の壁に足場を築き上げればよい。何れにせよ、彼らとかち合えば、リューナは自分をまとわなければならない。ならば、少しばかりそれが早まっても問題はあるまい?』
静かに淡々と述べる玄武に対し、一馬は困ったように眉を曲げ、目を細めた。ふと思い返す。なら、なぜ、ここへ来る途中、武装を解いたのだろうか、と。
そう言いたげな一馬の反応に気づいたのか、玄武は弁明する。
『仕方あるまい。よもや、このような断崖絶壁だとは思わなんだ』
「いや……別に、文句があるわけじゃないけど……」
少々不服そうな一馬に、玄武は小さく咳払いをする。すると、リューナが小さく首を傾げた。
「あのぉ……武装召喚は、何かリスクでもあるんですかぁ?」
リューナの素朴な疑問に対し、キャルが曖昧ながら答える。
「確か、使用者の体には大きな負荷が掛かるとか」
『とは言え、まとう聖霊の力量にもよるだろうな』
キャルの説明に青龍がそう付け加えた。
『まぁ、相性が良ければ、そう言うのは関係ないのだがな』
更に白虎がそう付け足し、小さくため息を吐いた。
話が明らかに脱線していくのを一馬は感じる。きっと大切な話なんだろうが、現在、そんな事を話し合っている場合ではない。一刻を争うのだ。
故に、一馬は、深い溜め息を吐き、右手で頭を抱えた。