第1回 見慣れぬ場所だった!!
長い長い闇の中。
自分がどう言う状態なのか、一馬には分からない。
恐らく、落ちているのだと思うのだが、その感覚がすでに失われる程長い時間の落下だったからだ。
足から落ちているのか、頭から落ちているのか、はたまた腰から落ちているのか、さっぱり分からない。ただただ、待つだけ。
この長い闇の中を抜けるのを――。
どれくらいの時間、落下していたのか、対に一馬は闇を抜ける。
眩い――とは言い難いが、今までいた闇の中よりは遥かに光の溢れる空間へと投げ出された。
空気を肌に感じ、僅かな光を瞼の向こうに感じた。
そして、一馬は地面へと背中から落ちた。鈍い音が響き、「ガハッ」と一馬は声を上げた。激痛が全身を掛け、呼吸を僅かに止まった。
それほどの衝撃を受けたのだ。
「うっ……ぐうっ……」
ゆっくりと体を起こす一馬は右手で腰を押さえ、辺りを見回す。
見慣れない風景がそこには広がっていた。
見慣れない――と、言っても空気感は火の国や土の山、風の谷と似通っており、空も分厚い雲に覆われている。
情景は何処と無く火の国に近く、植物の類は辺りに見当たらず、地面も乾燥していた。枯れた木々の様子からも、恵みの大地である土の山とは思えない。
「イッテテ……」
そう一馬は口にし、頭を二度、三度と振った。ずっと闇の中にいた所為か視界がまだ少しぼやけていた。
目を凝らし、もう一度周囲を確認する。だが、やはり見覚えは無い。火の国だろうか、と一馬は考え、周囲を警戒しながら歩みを進める。
鬼が出て来れば間違いなく、火の国と断言できるが――そこで、一馬は足を止めた。右手を口元へと当て、懸念する。
“それは、決めつけじゃないのか?”
と。
ここに来る直前、神守には鬼姫がいた。影だけでちゃんと姿を確認したわけじゃないが、あの声は間違いなく鬼姫だ。
それを考えた時、一馬は一つの仮説を導き出す。
それは、最も考えたくない仮説だが、これが正しければ鬼姫があの場にいた事もうなずける。そして、一馬がこの場所に飛ばされた事も――。
一馬が導き出した仮説。それは――
「召喚士が、俺の他にもいる……」
神森――いや、元の世界に、一馬以外の召喚士がいる――と、言う事。どう言う経緯で召喚術を使えるようになったのかは分からない。でも、相当の術者である事は理解出来た。
一馬の召喚術と違い、その者が使ったものは相手を自在に別の世界に飛ばす。しかも、何の媒介もなく。
一馬が行う召喚には、それぞれ媒介がある。
紅の場合は召喚札。
フェリアはイヤリング。
周鈴は水晶。
キャルはスマホ型の通信機兼召喚機。
これらの媒介があり、契約が成立し別の世界へと召喚する事が出来るわけなのだ。
もし、その者が召喚士で、鬼姫を神守町に召喚していたとするならば、その者は自在に別の世界に鬼を召喚できるのではないか、と考えたのだ。
そうだとするなら、鬼が出てきたとしても、ここが火の国であると決めつける事は出来ない。
「困ったなぁ……」
小さく吐息を漏らす一馬は、右手で頭を掻く。正直、現状を一人で打開する事はかなり無理があった。
と、不意に一馬はひらめく。
「そうだ! 俺には朱雀や青龍がついてるじゃないか!」
声を上げる一馬。完全に独り言だが、周囲に人などいない事から、一馬は気にせず続ける。
「朱雀? 青龍? 玄武? 白虎? 誰でもいいから、返答してくれ」
聖霊の名前を呼び、そう呼びかけるが、答えは返って来ない。
しばらく、一馬は聖霊に呼びかけ続けた。しかし、声は無い。
ガックリと肩を落とす一馬は、小さく吐息を漏らすと手にしていたスマホ型の通信機を静かにポケットへとしまった。
「どうしたもんか……」
困ったように呟く。聖霊に頼れないとなると、急激に心細くなる。
知らない土地に一人きりなのだから当然なのだが、何より土地ではなく世界だ。怖くならないわけがなかった。
しかも、何処だか分からない。人一人いない。町も村も、建物すら確認できない。
そんな場所に一人だけ。恐怖で胸が絞め付けられる。
右手で胸ぐらを握り締める一馬は、ギリッギリッと奥歯を噛み締め、心を鎮めるように静かに長く息を吐き出す。
焦るな、慌てるな、怖がるな。自分にそう言い聞かせ、一馬は背筋を伸ばし天を見上げた。肩の力を抜き、脱力する一馬は瞼を閉じゆっくりと顔を正面へと向ける。
「よし! 大丈夫! 大丈夫!」
自分に言い聞かせるようにそう口にした一馬は頬を両手で叩き、気合を入れた。
気合でどうにかなるとは思っていないが、入れないよりマシだろうと考えたのだ。そして、一馬は歩き出す。
下手に動かない方が賢明なのだろうが、ジッとしているわけにもいかない。とりあえず、探さなければならない。
ここが何処なのかを知る手がかりを。
ただ、ここで選択を誤るわけにはいかず、一馬は出来る限り遠くの方へと視線を向け、周囲を見回す。
建物か何かが見えないかと、そうしたのだが、どうも遠くの方は霧のように白ずんでおり確認する事は出来なかった。
「ダメか……」
そう呟き肩を落とす。だが、すぐに大きく頷き、顔をあげる。
「とりあえず……目印付けて――」
一馬は枯れ木から枝を一本折ると、それで乾いた地面にバツ印を描いた。周りに何も無い為、道に迷った時にこれを目印に戻ってこれるようにと、考えたのだ。
「さて、まずは……」
周囲を見回した後、一馬は再び歩き出す。一定距離で足を止めては、地面にバツ印を描く。これを繰り返し、しばらく進んだ。
相変わらず、目印になるような建物などはなく、人の気配も無い。このまま何処まで進んでも、何も無いかもしれない。そう思った一馬だったが、不意に気付く。
「アレ? 緩やかだけど……斜面になってる?」
あまりにも緩い傾斜だった為、中々気づけなかったが、随分と長い間坂を登っていたようだった。
どれくらい前から傾斜だったのか、と考えるが、どうにもあやふやだった。何度も立ち止まり、目印を描き、周囲に気を張っていたからだろう。
立ち止まった一馬は右手を腰に当て、左手で頭を掻く。このまま進んで大丈夫だろうか、と暫し悩む。しかし、ここまで来て引き返すのも気が引け、「大丈夫大丈夫」とまた自分に言い聞かせ歩き出す。
そんな時だ。空を何かが滑空し、大きな風切り音が響く。
「な、なんだ?」
一馬は慌てて視線を空へと向けた。すると、その視界に巨大な影が横切る。大きな翼を広げ、巨体を揺らし、大きな口を開くそれは、
“ガァァァァァッ!”
と、大地を揺るがすような咆哮を放ち、太い尻尾を振り乱し、飛び去っていた。
両手で耳を塞いだ一馬は、その影の行く先を見据える。アレは間違いなく――
「ドラゴン……だよな」
ボソリと一人呟く。あの影は間違いなくドラゴン。だが、青龍とは違う翼を持つ竜。翼竜だった。
何故、あんなものが――と、考える一馬は怪訝そうに眉を顰める。
余計にここが何処なのか分からなくなった。だが、一つだけ明白に分かる。あの翼竜。アレが、きっと鍵を握っている。そう一馬は判断し、走り出す。翼竜の飛び去った場所へと向かって。
しばらく走り続けた一馬だったが――
「ぜぇ……ぜぇ……」
走り続けた結果、疲れ果て仰向けに地面に倒れていた。流石に、走って翼竜を追いかけるなんて無謀だった。
灰色に染まった空を見上げ、胸を上下させる一馬は、口を大きく開き荒々しい呼吸を続ける。
「あぁー……何してんだろう……」
冷静になる一馬。どう考えたって、走って追いつけるわけもなく、この方向に真っ直ぐに飛んで行ったのかも定かじゃない。
無駄に体力を使っただけかもしれないと思うと、立ち上がる気力すら湧かなかった。
横たわり空を見上げる。どれくらい横たわっていたのか、額から溢れる汗も引き、呼吸も整い気持ちも落ち着いていた。
ゆっくりと上体を起こした一馬は、ふっと息を吐き目を細める。どこまでも続く荒野。遠くの方を覆い隠す霧。
途方に暮れると言うのはこう言う事を言うのだろうと、一馬はもう一度吐息を漏らした。
「さて……いつまでもこうしてるわけにもいかないし……歩くか」
ゆっくりと腰を上げた一馬は、先程翼竜が飛んで行ったと思われる方角へと歩き出した。ただ、向かっている方向が正しいのかは分からない。
なにせ、目印になるものはなく、翼竜を追うと全力疾走して来た為、地面に目印を書き記すのも忘れてしまった。
気付いた時にはもう手遅れで、自分が何処から来たのか全く分からない状態になってしまった。
その為、引き返せない。もう進むしかなかった。
歩みを進める一馬の肩はやや落ちていた。喉が乾き、お腹も空いた。どれくらいの時間が過ぎたのか、確認する為に一馬はポケットからスマホを取り出した。
その時、スマホ型の通信機がスルリと落ちる。慌てて左手で掴もうとしたが、それすらすり抜け、スマホ型通信機は角から地面へと落ちた。
ガンッと衝撃音が響き、「あっ!」と一馬は声を上げる。精密機械だ。流石に壊れたかもしれないと、一馬は慌ててスマホ型の通信機を拾い上げた。
画面にヒビは無く、電源も入る。安堵する一馬はホッと胸を撫で下ろし、肩の力を抜いた。
そんな時だ。唐突にスマホ型の通信機がガタガタと震え、画面は薄っすらと光を放つ。
「通信!」
声を上げる一馬は、素早く画面を人差し指でスライドさせ、それを耳へと当てた。
「もしもし! み、皆無事か!」
慌てたように声をあげる一馬。そんな一馬の耳に『ガ、ガガガガッ』と雑音が聞こえた後、
『か――ガガッ――さん? き――ガッ――え――ガガッ――か?』
雑音の中に僅かに聞こえる声に、一馬は耳を澄ませる。
『今――ガッ! ガガガッ――で、むか――ガガガガッ――』
何かを伝えようとしているのは分かったが、殆ど聞き取る事は出来ない。
「えっ? な、何? 聞こえない! 今なんだって?」
辺りを見回し、声を荒らげる一馬は、電波が悪いのかと、その辺を歩き回るが、それは唐突に切れた。
小さく舌打ちをする一馬は眉を顰め、手にしたスマホ型の通信機の画面を見据える。そんな時、遠くの方から聞こえる。何かの駆ける音。
軽快な一定のリズムでありながら、妙に重い足音。その音のする方へと一馬は体を向ける。薄っすらと見える霧の向こうに、何やら土煙が上がっているのが見えた。
そして、それが、徐々に近づいている事に気づき、顔を強張らせた。
――敵。だとすると、最悪な状況だった。現状、聖霊を呼ぶ事の出来ない一馬に戦う術はないからだ。しかも、隠れるような建物もなければ、草木があるわけでもない。
絶体絶命だった。
(どうする! どうする!)
焦りが一馬の思考を鈍らせる。恐怖が一馬の判断力を失わせる。
激しい動悸に、目眩。それにより、一層考えはまとまらず、一馬の膝が地面へと落ちた。
「くっ……ダメだ……」
諦め、そう漏らす一馬は堅く瞼を閉じた。地響きがすぐそこまで近付き、重々しい足音も大きくなる。
このまま、一瞬で終わらせてくれ。そう強く願う一馬はうなだれ俯いたまま動かない。
そんな一馬の直ぐ側で重々しい足音が止まり、衝撃と土煙が激しく広がった。衝撃はうなだれる一馬を後転させ、土煙はそんな一馬の姿を覆い隠す。
「な、なんだ……一体……」
険しい表情を浮かべる一馬は体を起こし、激しい土煙に目を細める。悪い視界の中に一つの影を見つける。一馬と同じくらいの背丈に、長い髪が揺れる。
見覚えがあるシルエットに、一馬は眉を顰めた。すると、聞き覚えのある声が響く。
「一馬さん!」
「く、紅か?」
突然の紅の声に、そう一馬が声を上げる。そして、気付く。目の前に佇む巨大な影が、紅が召喚した聖霊、炎帝である事に。