第5回 本来の紅の姿だった!!
身を振るう炎帝は火の粉を撒き散らせ、左右の前足を交互に振り下ろす。
鋭い爪が小柄な黒鬼の体を刻み、地面へと減り込んだ。大量の微粒子が宙へと舞い、炎帝の体を包む。
『鬱陶しいな……こう大勢居ると……』
炎帝が呟き、体を右へと回転させる。二本の尾が激しく振られ、周囲の黒鬼を次々と叩いていく。周りを囲う黒鬼を大分消滅させたが、それでも、黒鬼の数はまだ多く、炎帝は渋々跳躍し後方へと下がった。
炎帝は紅の横へと着地し僅かな土煙と衝撃を広げた。地が揺らぎ、紅はふら付くが横転するのだけは堪えた。紅の隣りに並ぶ炎帝は、大きく裂けた口から熱気を帯びた息を吐き、周囲を見回す。
すでに、守人は戻ってきていた。その為、前方に居るのは黒鬼のみ。これで、咆哮が放てると、炎帝は大きく息を吸った。その甲高い音に、守人達は耳を塞ぎ、表情を歪める。
しかし、紅はそんな中でも表情一つ変えず、炎帝の横に並び黒鬼を見据える。
大きく息を吸い込んだ炎帝は前足の爪を地面へと突き立て、頭を下げた。
“ガアアアアアアッ!”
咆哮がその大きく開かれた口から放たれ、衝撃と共に螺旋を描く紅蓮の炎が前方へと一直線に走る。衝撃は地面を砕き、渦巻く炎は全てを焼き払う。枯れた木々も、迫り来る黒鬼の群れも。
炎帝は頭を左右に振る。それは、その場にいる全ての黒鬼を、紅蓮の炎で焼き払う為だった。蛇行する炎は次々と黒鬼を呑み込む。そして、消し炭となった黒鬼は浄化され消滅する。
数十分にも及ぶ炎帝の咆哮が静まり、周囲にはただ黒煙だけが昇っていた。全ての黒鬼を消滅させ、炎帝は静かにその大きな瞳を紅へと向けた。すると、紅は体の前で手を組み、深々と頭を下げる。
「あ、ありがとうございます。炎帝様」
『面を上げられよ。我は、主の命に従ったまで。礼を言われる様な事をしては居らぬ』
雄々しい声でそう告げた炎帝の体が発光する。
「お疲れ様でした。また、よろしくお願いします」
『我の力は汝の力。いつでも呼び出すがよい』
炎帝がそう言うと同時に、その体は弾け光となり消滅した。異界へと戻ったのだ。紅が炎帝をこの場に召喚していられるのはおおよそ三十分が限界だった。それは、紅が召喚士としてまだ未熟だと言うのもあるが、それだけ聖霊を呼び出す事、この世界に留めて置く事は体力、精神力を消耗するものだった。
だから、紅は毎度鬼との戦い後は激しい疲労感に襲われ、意識を失いそうになる。
眩暈に襲われ、紅はふら付く。だが、守人達はそんな様子に気付くわけも無く、静かに朱雀の門へと戻っていく。
「流石、聖霊さまさまだな」
「何が礼を言われる様な事はしてねぇーだ」
「聖霊が鬼と戦うのは当たり前だっつの!」
守人達の口から吐き出される言葉の数々。それは、全て聖霊炎帝に向けられたモノだった。そして、その中には紅に向けられた言葉も――。
「最初から聖霊を呼び出していれば――」
「何で、アイツが死ななきゃなんねぇーんだ! あの召喚士が、もっと早く聖霊を呼び出していれば!」
「結局、最後は召喚士の手柄かよ」
口々に守人は不満を口にし、その悪意に満ちた目を紅へと向けた。
霞む視界、モウロウとする意識の中でも、紅にはハッキリとその言葉の数々が聞こえていた。どうして、そんな事を言われなきゃいけないのか。そう思い袖口を強く握り締めた。何も言い返せない事が悔しくて、その目に涙を浮かべた。
一人残された紅は膝を抱え、荒野を見据える。所々に屍が転がり、乾いた風が砂埃を舞い上げた。元々緑豊かだったこの辺りの光景を思い出し、紅は小さく吐息を漏らした。流れる小川も、金色の田畑も、今はもう見る影も無い。目の前の光景に紅は責任を感じていた。
この辺りがこれ程まで荒れたのは、鬼だけのせいじゃない。紅の契約している聖霊、炎帝の咆哮による被害も大きかった。
咆哮は威力も強く、鬼を一掃出来る。だが、それは同時に、草木、土、全てを焼き払うモノでもあった。きっともうこの地に緑が戻る事は無いだろう。それ程、炎帝の放つ咆哮の威力は凄まじいモノなのだ。
荒れたその地へと、紅は悲しげな眼差しを向けた。
落ち着かない様子で、朱雀の間で胡坐を掻く一馬は何度も立ったり座ったりを繰り返していた。
なにやら大きな獣の鳴き声が轟いたのは聞こえた。だが、それっきり何の音も聞こえない。不安だけが一馬の胸を締め付けていく。
鬼はどうなっただろう。
紅は大丈夫だろうか。
重なる不安に一馬はもう一度立ち上がり歩き出す。廊下へと向かって。だが、すぐにその足は止まり、反転する。
先程からずっとこの繰り返しだった。
紅の事は心配だが、この部屋を一歩踏み出せば迷子になる可能性があると、一馬も分かっているのだ。悩み考える一馬は、腕を組み開かれた襖の前にただ立ち尽くす。
「う、うーん……」
一馬が唸り声を上げると、不意に視線を感じ辺りを見回す。すると、襖の陰から紺色の袴に白の羽織を羽織った一人の少女は姿を見せる。美しい金色の髪を肩口で揺らして。
物静かな表情で、小さく会釈するその少女は威圧的な鋭い眼差しを一馬へと向ける。冷ややかなその眼差しに、一馬は思わずたじろぎ半歩下がった。少女は眉間にシワを寄せ、不満そうに腕を組み、その腕が控えめに膨らんだ胸を持ち上げる。
「案内するわ」
「えっ?」
「鬼との戦いは終わったわ。心配だったんでしょ? 紅の事」
冷めた眼差しを向ける少女に、一馬は更に距離を取る。彼女の腰に刀が差してあるのが見えたからだ。
警戒する一馬の姿に、少女は相変わらず物静かな表情で首を傾げる。
「どうかしたの? 別に、行かないならいいけど……」
「い、いえ! い、行きます! お、お願いします!」
立ち去ろうと身を翻した少女の背中へと、一馬は慌てて声を上げた。その言葉に少女は目を細め小さく吐息を漏らす。
「なら、早くして。面倒な事は嫌いなの」
「ご、ごめん」
少女の冷たい言葉に圧倒され、一馬は小さく頭を下げた。
足音も立てず静かに廊下を進む少女の後へと一馬は続く。何も言わず静かに。何人かの守人とすれ違うが、彼女は何も言葉を発せず、ただ会釈するだけ。そして、守人達も何かを言うわけでも無く、彼女の存在を疎ましく思うように表情をゆがめていた。
この世界には男女で差別の様なモノがあると、一馬は感じていた。もしそうだとするなら、希少な存在である召喚士の紅に対する守人達の態度も、納得がいく。彼女に対する態度も全て。
一馬があれこれと考えていると、彼女は足を止め振り返った。その行動に、一馬は我に返り足を止める。そこは、屋敷の玄関口だった。
「ここを真っ直ぐに行けば、赤い鳥居が見えます。恐らく、そこを潜った先に彼女はいるわ」
開かれた戸の向こうを右手で示し、彼女は感情の篭っていない声で告げた。感情を押し殺しているのか、元々こう言う性格なのか、一馬には良く分からない。だが、一馬に対し、彼女もあんまり良い印象を持っていないのは、その冷たい眼差しで分かった。
その為、一馬は引きつった作り笑いをし、「あ、ありがとう」と、静かに述べ、玄関口を飛び出した。
そんな一馬の背中へと真っ直ぐに視線を向ける少女は、肩口で金色の髪を揺らすと口元へと薄らと笑みを浮かべる。
「アレが……紅の――ふふっ」
楽しげで何処か嬉しそうな穏やかな声を発し、彼女は静かにその場を立ち去った。
石畳の道を進み、一馬は正面に見える鳥居へと急いだ。途中、石段を二段飛ばしで駆け下り、思わず転びそうになった。それでも、何とか踏みとどまり、鳥居の前まで辿り着く。
両手を膝に置き、俯いて荒い呼吸を繰り返す。屋敷からこの鳥居までおおよそ一〇〇メートル程。その距離を全力で駆けた為、息が上がっていた。
「くぅーっ……運動不足か……」
ボソッと呟き、一馬は背筋を伸ばす。背骨が伸び、ポキポキと音を立てた。右手の甲で額の汗を拭い、一馬はホッと息を吐く。そして、乱れた衣服を整え、もう一度深呼吸をする。
「よ、よしっ!」
気合を居れ、一馬は鳥居の向こうへと足を踏み――
「一馬さん? どうしたんですか?」
不意に背後から聞こえた声に、一馬は踏み出そうとした足を止め、反転する。すると、そこには紅が立っていた。
「アレ? 紅……さん?」
「はい? なんですか?」
ニコッと微笑む紅に、一馬はぎこちなく微笑んだ。道幅は広いが、屋敷からこの鳥居まではほぼ一本道。紅を追い抜いた記憶は無い。なら、何故彼女が後ろに。そんな疑問を抱く一馬に、紅は袖口を握った右手で口元を覆いクスクスと笑う。
「な、何?」
「今、どうして後ろにって、思いませんでしたか?」
愛らしく頭を僅かに右へと傾ける紅に、一馬は苦笑する。以前に紅に言われたが、そこまで自分が分かりやすいだろうかと、紅に背を向け両手で顔を触る。自覚はなかったが、ここまで言い当てられると、本当に顔に出ているんじゃないかと疑いたくなる。
そんな一馬の姿に、紅は更にクスクスと笑い続けた。
数分後、むくれた顔で一馬は紅と石畳の上を歩いていた。事の真相は簡単だった。石段を駆け降り転びそうになる一馬の声に気付いた紅が、驚かそうと近くの茂みに隠れていた。ただそれだけの事だった。
むくれた一馬に対し、紅は困った様に笑みを浮かべ、両手を合わせる。
「すみません。ちょっと、驚かせようとしただけなんです。別に、からかうつもりじゃなかったんです」
「別に怒ってないよ」
一馬はそう言いながらもそっぽを向くと、紅の足が止まる。それに気付いた一馬も足を止め振り向く。
「くれ――」
そこまで言って一馬は言葉を呑んだ。腹の前で両手を握り、俯く紅の姿を見たからだ。小さな肩が小刻みに震え、一瞬だがキラリと光るモノがその目から零れたのが見えた。その瞬間、一馬は気付く。自分がした行動がどれだけ紅を傷つけたかと言う事に。
だから、一馬は慌てて両腕を振り乱し、奇声をあげる。
「わ、わわ、わっ! ご、ごご、ごめん!」
両手を合わせ、深々と頭を下げた後、一馬は石畳へと正座し、額を石畳へと擦りつけた。
「わ、悪かった! 本当、ごめんなさい!」
「ふっ……ふふふっ……」
「えっ?」
突然の紅の笑い声に、一馬はスットンキョンな声をあげ顔上げる。
右手で袖口を握り口を覆い顔を後ろに向け、必死に笑いを堪える紅の姿に、一馬は目を細める。
「くぅぅぅれぇぇぇなぁぁぁいぃぃぃ!」
握った拳を震わせ、一馬は喉の奥から声を振り絞る。すると、紅は右手の人差し指で目尻に溜まった涙を拭い、
「す、すみません。ふふっ……一馬さんは本当に素直で優しい人なんですね」
と、にこやかに言う。その言葉に一馬はムスッとした表情をしながら、頬を紅潮させる。あんな可愛らしい笑顔で、そんな風に言われると怒りは消え、妙に照れ臭くなってしまう。
だから、一馬は視線を逸らし立ち上がるとズボンを叩き背を向けた。そんな一馬の横へと並び、紅は「本当、ごめんなさい」と、小さく頭を下げた。
「もういいよ。怒ってないから。それに、俺の方も悪かったと思ってる。これで、お互い様でいいだろ?」
一馬がそう言い歩き出すと、紅も横に並び歩き出す。
「一馬さんがそう言うなら……お互い様で」
少々悪ふざけが過ぎたと思ったのか、紅は少しだけ肩を落とし困り顔だった。だが、すぐにその表情は一変し、驚いた表情を一馬へと向けた。
「そ、そう言えば、一馬さん、どうしてこちらへ?」
「えっ? どうしてって……そりゃ、心配だったから?」
突然、声を上げた紅に対し、微妙な間を空けそう返答する。だが、紅の望んでいた回答ではなかったのか、慌ただしく頭を左右に振り、長い黒髪を振り乱す。
「そ、そうじゃなくてですね! ど、どうやってこちらへ?」
「いや、まぁ……走って? もしくは、徒歩?」
腕を組み小首を傾げ、一馬がそう答える。やはり、これも、紅の望んでいた回答ではなかったのか、今度は両拳を胸の前で小さく上下に振る。
「んんーっ! そ、そ、そうじゃなくて! あの、その――」
「あぁー。もしかして、何処をどう通ってきたかって事?」
上手く説明出来ない紅に代わり、一馬がそう尋ねると、紅は右手の人差し指を立て一馬の顔を指差す。
「そ、そうです! それです! どうやってこちらに来たんですか!」
今、一馬の目の前にいる紅は、初めて目にした時の大人びた印象とは酷くかけ離れた姿だった。だが、きっとこの姿が本来の紅の姿で、あの大人びた姿は何処か無理をしていたのだろう。そう、一馬は思い穏やかに笑う。
まだ知らない、紅の一面を発見した喜びに、胸を躍らせて――。