第7回 風の谷前編だった!!
「あーっ! ムシャクシャする!」
金髪の寝癖頭を掻き毟る雄一は、朝から不機嫌だった。
額には珍しく大きめの絆創膏をつけ、眉間には明らかに不機嫌だと言う様に深いシワが寄っていた。
朝は大抵、機嫌の悪い雄一だが、今日は一層機嫌が悪く、肩で風を切り大股でドカドカと坂を登る。
そんな雄一に関わりあいたくない一馬は、ため息を吐き少しだけ早足になった。いつもの事ながら、現在、遅刻ギリギリ。それもあり、早く学校に行きたいと言う心理が働いたとも言える。
だが、そんな一馬に、雄一は不満そうに告げる。
「どう言う事だ! かーずま」
雄一の声に、一馬はビクッと両肩を弾ませる。声色からして相当、鬱憤が溜まっているのは分かった。
それはそうだろう。
あの日――一馬達が土の山の祭りに参加した日――、雄一は結局野菜しか食えず、挙句周鈴には足蹴にされた。
その後、色々とあり、雄一は周鈴とひと悶着あり――結果、トンファーで頭を殴られ、出血し、大きな絆創膏が張られたという事だ。
雄一的には、踏んだり蹴ったりと言いたいのだろうが、一馬的には自業自得と思っていた。
あれだけ食っておいて、「肉はねぇのか」「肉を出せ」と言われれば、周鈴が怒っても無理はない。
逆に、何で雄一の方が怒って、周鈴に喧嘩を吹っ掛けたのか分からなかった。本気で、女の子である周鈴に手を挙げようとしていた為、一馬は全力で阻止したが、まさか周鈴の方が雄一に殴りかかるとは思っても居なかった。
「大体、ああ言う生意気な奴はな、少し位痛い目にあわねぇーとわかんねぇーんだよ」
ポケットに手を突っ込み、背を丸め前のめりになる雄一は、目を細め小さく舌打ちをした。
一応、歩みを止めた一馬は、呆れた様にため息を吐くと、振り返る。
「いい加減にしろよ。一週間も前の話だろ? それに、あれは――」
「お前が悪い。そう言いたいんだろ? んな事は聞き飽きた。何度も何度も……」
肩を竦め首を振る雄一に一馬は目を細める。
(それは……俺の台詞なんだけど……)
彼是、このやり取りは一週間ですでに数十回以上も続いていた。
会うたびに雄一は一馬に対しこの不満を口にしていたのだ。よっぽど、周鈴に殴られたと言う事が屈辱的だったのだろう。
「とりあえず、忘れろよ。全く……」
一馬はそう言い反転すると、歩みを進める。
流石に、遅刻だけは避けたい。そう考える一馬に、雄一は鼻から息を吐くと、
「なぁ、ここまで来て言うのもなんだけどよ……」
と、背筋を伸ばし腰に手を当てると、坂から町全体を見下ろす。
大堂学園は大分高地にある。正直、うんざりするほどだった。だが、町全体が見渡せ、中々の景色を誇っている。
別に雄一自身はそんな景色になど興味はなかったが、あまりの静けさと鳥の囀りに、シミジミと、黄昏る。
意味深な雄一の言葉に、訝しげな表情を浮かべる一馬は、ゆっくりと振り返り首を傾げる。
「何だよ? 言いたい事あるなら言えよ」
一馬が不満そうにそう口にすると、ガードレールに腰を据えた雄一が瞼を閉じ、フッと笑う。
「知ってたか? 実は、今日って、休日なんだぜ?」
「えっ?」
思わぬ雄一の言葉に、一馬は目を丸くする。
静寂――の後、
「うぉい! ちょっと待て待て! きょ、今日は月曜だぞ! 休日なわけないだろ!」
と、一馬の慌てた声が響き渡る。
両手で耳を塞ぐ雄一は、遠い目で空を見ていた。清々しい程の真っ青な空には、散り散りの雲がゆっくりと流れる。
穏やかな朝に、雄一はホッと息を吐くと肩を落とし、瞼を閉じた。
「いやー……俺もさぁ、今、気付いたんだけどさぁ……」
「ッ……」
妙に落ち着いた雄一の声に、一馬の表情が引きつる。
嫌な予感しかしない。貴重な休日、朝早くから起こしたとなれば、当然――
「テメェ! ふざけんなよ! 今日、海の日じゃねぇか!」
瞼を開いた雄一はキッと一馬を睨み、怒鳴り散らした。
一発殴られてもおかしくないこの状況に、一馬は「ひぃっ!」と情けない声をあげ、後退りする。基本、一馬はビビリなのだ。
表情を引きつらせ、涙目になる一馬に対し、雄一は指の骨を鳴らす。
「明日は終業式だし、どうしてくれんだコラ!」
「わ、わわ、悪かったって! わ、忘れてたんだよ!」
慌てて一馬は両手を振る。最近、色々とありすぎて、本気で忘れていた。今日が海の日であると言う事を。
疲れきったように大きなため息を吐いた雄一は、右手で頭を抱えた。
「はぁ……とりあえず、帰る。無駄な体力をこれ以上消耗したくねぇ……てか、寝てぇ……」
よろよろを坂を下り始める雄一に、一馬はキョトンとした表情を浮かべる。
正直、今の雄一の反応は、意外過ぎた。あまりにも薄い反応に、目をパチクリさせ、首を傾げる。
「どうしたんだ?」
「あーあ……。悪い。今日は疲れてる。愛しい夕菜の顔も見てないし、やる気もでねぇー。それに、午後からはバイトもあるし、ゆっくり休ませてくれ」
ヒラヒラと右手を振り、雄一はそのまま足早に坂を下っていった。
困ったように右手で頭を掻く一馬は、鼻から息を吐くと脱力し、
「仕方ない……俺も帰るか……」
と、帰路に着いた。
リュックを右肩に背負い、帰宅途中、夏服の胸ポケットでスマホが震えた。珍しく第二ボタンまでシャツを開けた一馬は、往来の激しい歩道の端へと寄り、大きくため息を吐いた。
何となくだが、このタイミングでの電話に、嫌な予感はしていた。と、言うよりも、火の国、水の都、土の山と来れば、当然――
(キャルか……)
スマホのモニターにはキャルの名前が映っていた。
右手で頭を抱える一馬は、あからさまに不快そうに眉間にシワを寄せると、ショーウィンドウに映った自分の顔を見た。
相当、嫌そうな顔をしていた。別にキャルの事が嫌いと言うわけではない。滅多に連絡をする事もないし、呼び出される事も少ない。
最近は、もっぱら火の国、水の都、土の山の事に熱心になっているらしく、ほぼほぼ連絡はなかった。故に、このキャルからの電話は、おおよそ予想がつく。
(また……祭りかな? 祭りシーズンだもんな……。断るのも、失礼だよな……他の所には参加してるんだし……)
長考する一馬は、右手でスマホを握ったまま腕を組む。
その間もスマホはブブブッと震えていた。その為、一馬は深いため息を吐くと、
(考えてても始まらないか……。とりあえず出よう)
と、一馬は仕方なく通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。
すると、スマホの向こうからキャルの弾んだ声が響く。
『一馬さんですかぁ?』
「えっ? ああ……うん。俺だけど?」
小声で一馬がそう呟くと、キャルは更に弾んだ声で、
『今夜、暇ですか?』
と、尋ねる。
やっぱり来たか、そう思った一馬はショーウィンドウに左手を着くと、うな垂れる。
別に予定があるわけでもないし、断る理由もないが、正直、どんな祭りがあるのか分からないと言うのが少々怖かった。
その為、一馬は先に聞く事にした。
「その……祭りって、どんな祭り?」
一馬がそう尋ねると、スマホの向こうから、
『はいぃ? お祭りですか? したいんですか?』
と、不思議そうなキャルの声が聞こえた。
あれ、いつもと違う展開、と思う一馬だが、ここで退くわけに行かず、
「い、いや、祭りじゃないの?」
と、一馬が尋ねると、キャルは『はいっ』とハッキリと答えた。
祭りじゃないなら、一体何の用だろうと、眉を顰める一馬は鼻から息を漏らす。
「じゃあ、何?」
『歓迎会をしようと思いまして、その招待を』
(歓迎会と言う名の祭りじゃないか!)
一馬はそう思ったが、口にはしない。それは、流石に失礼だと思ったのだ。
深いため息を吐いた一馬は、左手で頭を抱えると目を細めた。
背筋を伸ばし空を見上げ、
「え、えっと……歓迎会って? 何をするのかな?」
と、恐る恐る尋ねる。
『うーん……料理を食べたり、お喋りしたり? 交流を深めると言う意味では、親睦会と言う方が正しいかもしれません』
ハキハキとした口調でそう返すキャルに、「ですよね」と、呟いた一馬は、小さく頭を二度三度と振り、
「分かった。うん。じゃあ、今夜呼び出してくれていいよ」
『はいっ。それじゃあ、よろしくお願いしますね』
弾むキャルの声に、一馬はよっぽど嬉しいんだろうなと、思い自然と笑みがこぼれる。
ここまで喜ばれると、行く方としても嬉しい。
ただ、何かを企んでいる気がしてならなかった。




