第4回 黒鬼の大軍勢と聖霊炎帝だった!!
朱雀の門の赤い鳥居の前。
そこに五十人を超える守人が集まっていた。十代から四十前半と言う幅広い年齢層の守人の男達。守人に女性は居ない。女性に武器を持たせるな、と言うのがこの国での仕来りになっているのだ。
集まった五十を超える守人たちは、物々しい雰囲気を漂わせる。緊張していた。外に待つ大量の鬼を前にして。
鳥居の向こうには荒野が広がっていた。緑など無く、枯渇しひび割れた地面と枯れた木々が並ぶ。
乾いた風が吹き抜け、砂埃だけが静かに舞う。その砂埃の向こうに無数の影がうごめく。小型で漆黒の肢体の鬼、黒鬼だった。
昔からこの国に存在する鬼で、全長は大きいモノで一メートル前後の小型のモノばかり。知能は低く、力も弱いこの世界に昔から存在する一般的な鬼が黒鬼だ。
基本的に鬼の骨格は人間と類似しており、二足歩行が出来る。唯一違うのはその赤い瞳と、額から突き出る角のみ。その角は大きく数が多い程、強い鬼の証となる。
そこに集まった黒鬼の額の角は、ただ一つ小さいモノばかりだった。それは、この黒鬼と言う鬼が最弱だと言う証だった。
この世界に存在する鬼の種類は、黒鬼の他に二つ。
一つは知能型の鬼、閃鬼。体長は一七〇前後の標準型で、青紫の肌をしている。数年前に現れた新種の鬼で、知能が高く、他の鬼を統率し狡猾に人間を狩る。最も狡賢い鬼だ。
もう一つは怪力型の鬼、剛鬼。大型の鬼で、小さいモノでも三メートルを超える超重量級の鬼だ。赤紫の肌に鋼の様な肉体を持つ力にのみ特化している。故に知能は黒鬼と変らない。それでも、地形を一発で変えてしまう程、強力な力を有している。
だが、今回はその二種類の鬼は居らず、黒鬼の大軍勢だった。それでも、力も知能も低い黒鬼だけならば、守人だけでも何とかなる。と、言っても、守人の扱う武器では鬼は浄化出来ない為、幾ら倒しても数日経てば蘇ってくる。そうさせない為にも、召喚士である紅の聖霊の力が必要なのだ。
集まった守人達に苛立ちが見えていた。その理由は、召喚士である紅が、遅れていたからだ。
「何をしているんだ! 召喚士は!」
二十代程の男が怒声を響かせる。今から鬼と戦うと言う恐怖から、皆ピリピリとしていた。そんな中での紅の遅刻。それは、普段から不満を抱く守人達の神経を逆なでするには十分だった。
もちろん、紅もわざとやっているわけではない。守人と違い召喚士は精神力を過度に削る。故に、戦いに出る前に精神統一を行うのだ。本来なら朱雀の間で行うが、今回は一馬があの部屋に居た。その為、自室で行っていた。故にいつもよりも遅れていたのだ。
「遅れて……すみません」
息を切らせ、紅がそこに駆け足でやってくる。すると、何処からとも無く舌打ちが聞こえ、紅の肩はピクッと跳ねる。
「流石は召喚士」
「所詮、命を張るのは俺達守人だからな」
小声でヒソヒソと言う声が、紅の耳に届く。俯き唇を噛み締める紅は、袖をギュッと握り締め、ただ堪える。彼の声が聞こえなくなるのを。
命を張るのは、守人も召喚士も同じはずなのに。どうして、そんな事を言われなきゃならないのか。そう思いながらも、紅はひたすら我慢する。それが、事を円滑に進める為だと、紅は分かっていた。
声を噤み、俯く紅に声を掛ける者はおらず、守人のリーダーが声を上げる。
「今回は、黒鬼のみ! だが、大軍勢に変りは無い。油断せず皆の力を一つにし、戦うぞ!」
皆を鼓舞する一喝に、守人達の声が轟く。
“うおおおおおっ!”
と。
だが、この皆の中に、召喚士である紅は含まれて居ない事を、彼女は知っていた。だから、伏せ目がちに、僅かに離れた場所から、歓声を上げる守人達を見据える。袖の中で強く拳を握り締めたまま。
歓声をあげ、気合を入れる守人達の声がやがて消えた。静寂がその場を包み数分が過ぎる。守人達による精神統一が行われていた。それを、紅はただ見ているだけ。
冷たい風が足元を吹き抜け、チリが僅かに舞い上がる。守人のリーダー格の男が静かに瞼を開き、凛とした表情で鳥居の向こうへと目を向けた。うごめく小さな黒い影が奇声をあげる。開戦を待ちわびている様に――。
“ギギギィィィィッ!”
その声に、リーダー格の男も怒声を轟かす。
「行くぞ! 鬼を殲滅するぞ!」
“うおおおおおっ!”
守人達は声をあげ、鳥居を潜り外へと飛び出す。五十人もの守人が鳥居を出るのを確認し、紅もゆっくりと歩みを進める。そして、鳥居の前で足を止め、静かに鳥居を見上げる。
赤い古びた鳥居に向かい、紅は祈る。
(皆さんが、無事に戻りますように……)
と、胸の前で手を組んで。
それから、ゆっくりと息を吐き、鳥居を潜った。
鳥居を潜り外に出ると、空気は一変する。とても重苦しく胸が苦しい。濁った空気は体に絡みつく様だった。足を踏み出すと微量と土埃が舞い上がり静かに消える。
俯いていた紅は、足を揃えて立ち止まると、顔をあげて目の前の光景を目視する。うごめく黒い影が後塵を巻き上げ、迫ってくるのが見えた。それが、紅には波の様に見えていた。
「小隊を組め! 決して一人で突っ込むな!」
リーダー格の男が叫び、守人全員へと指示を送る。
黒鬼の大軍勢を迎え撃つ為に、守人達は刀を抜く。
「来るぞ!」
リーダー格の男の声と同時に、先陣を切る黒鬼の群れと、守人達がぶつかり合った。守人達の鋭い刃が、次々と黒鬼を裂く。斬られた黒鬼は微粒子の砂と化し、土へと還る。土へ還っただけで、この鬼は死んだわけではない。このまま数日経てばまた蘇ってくる。決して守人の武器で鬼を浄化する事は出来ないのだ。
それでも、守人達は必死に次々と黒鬼を斬っていく。
「ギギギギッ!」
「消えろ! 鬼が!」
声をあげ、跳びかかる黒鬼を、リーダー格の男は横一線に切り裂く。体を裂かれた黒鬼は砂となり、彼の体に降り注ぐ。それでも、彼は留まる事無く駆け出す。
「立ち止まるな! 突き進め!」
三体の黒鬼を横一線に裂き、男は叫ぶ。だが、この時、守人達は気付いていない。自分達が黒鬼によって釣り出されている事に。守人達は、皆、無我夢中で必死に戦っている。だからこそ、自分達が押しているのだと、錯覚していた。いや、侮っていた。所詮、黒鬼には知能も力も無いと。その気持ちが、最悪の結果を導くとも知らずに――。
異変にいち早く気付いたのは、紅だった。最後尾で戦況を見ていたからこそ、その異変に気付けたのだ。下がっているのは、正面に集まった黒鬼だけ。他は未だに激しい攻防が続いていた。いや、どちらかと言えば、徐々に後退させられていた。
「守人の皆さん! 下がってください! これは――」
「黙れ! 召喚士が俺達守人に指示してんじゃねぇ!」
一人の守人が、紅に対し怒鳴った。その言葉で、紅は萎縮し言葉を呑んだ。俯き、ただただ唇を噛み締めた。
誰一人として、紅の言葉に耳を貸すものは居ない。そう紅自身気付いた。
その間も、守人達は黒鬼を徐々に押していく。それが罠だと知らずに。焦る紅は、考える。自分がどうにかしないと、と。
だが、守人達は紅の言葉に耳を貸さない。と、なれば、もう出来る事は一つだけ。
「お願い……私に力を……」
彼女は祈りを捧げる様に胸の前で手を組む。召喚札をその手に握りこんで。
意識を集中するように瞼を閉じ、深くゆっくりとその口から息を吐く。薄紅色のふっくらとした唇から漏れる吐息が、僅かな熱を帯びる。重なり合った瞼が静かに離れ、物静かな黒の瞳が悲しげに目の前の光景を見据えた。
落ち着き、研ぎ澄まされた意識の中、紅は歌を紡ぐ様に唇を動かした。
「我……汝の使い人なり。我、祈り。皆の願いに応え、異界より姿を見せよ。
悪しき闇を照らす業火の使い。聖獣、炎帝」
紅が静かにその名を呼び、手に握り締めた紙切れを空へと放る。眩い輝きが、辺りを照らす。その輝きに、黒鬼の動きが僅かに鈍る。そして、守人達の動きも。
「くっ!」
「来るぞ!」
「また、あの獣か!」
守人達が表情を険しくし、口々に告げる。
すると、紙切れは突如炎に包まれ弾けた。地面に円を描く様に火の粉は散り、やがて空中に六つの火の玉が現れる。直径一メートル程の大きな火の玉が、空中で円を描く。
強い波動が砂埃を舞い上げ、空間が裂けた。そして、その奥から赤い瞳が覗き込む。威圧的なその目がギョロリと外の様子を窺い、やがて右前足が裂け目から悠然と地上へと振り下ろされた。重々しい衝撃が広がり、その爪が地面へと食い込む。その脚だけで紅の体を悠に超えていた。
“ガアアアアアアッ!”
僅かな裂け目の奥から轟く咆哮により、裂け目は更に大きくなった。その裂け目から聖獣炎帝は、大きな体を左右に揺さぶり、その全貌を現す。犬――いや、猫に近い姿形をしたその聖霊の首に、宙に浮いた六つの火の玉がタテガミの様にまとわりついた。
雄々しいその姿は、まさに聖霊と言うに相応しい風貌だった。火の粉を舞い上げる二本の尾を揺らし、赤い毛で覆われた肢体を激しく震う。
熱風が足元に佇む紅の長い黒髪を揺らした。思わず顔をしかめる紅は、静かに顔を挙げその雄々しい聖霊、炎帝の顔を見据える。
「また、お願いします」
『…………』
紅が深く頭を下げる。その姿に、炎帝は何も言わず周囲を見回す。黒鬼の群れ、それと戦う守人達の姿を見据え、深く鼻から息を吐いた。熱を帯びた息が、砂埃を舞い上げる。
『汝は我の主。そう畏まるな』
「い、いえ……わ、私は未熟者ですから……」
苦笑し俯く紅の姿に、炎帝は呆れた様な表情を浮かべ、静かにその視線を前へと向ける。
炎帝の登場により、場の空気は一変していた。妙な緊張が周囲を支配する。冷たかった風も、熱風へと変っていた。そして、重く息苦しかったその空気は一層重く苦しいモノになっていた。
ギギギッと声を漏らす黒鬼達は、隣りに居る者同士が顔を見合わせる。小さく首を傾げる黒鬼達は、やがて動き出す。その動きに守人達も我に返り攻防を再開する。
守人達は幾度と無く黒鬼を切り、土へと返す。舞うのは切り裂かれ微粒子の粉となった黒鬼の残骸のみ。まるで、聖霊の力など必要ないと、言う様に、守人達は激しく黒鬼へと襲い掛かる。
中央の守人達がドンドン前進していくのを、炎帝は黙ってみていた。守人達の態度は毎度の事だった為、大して気にはしていなかった。だが、紅同様に、黒鬼達の動きに妙な違和感を感じていた。まるで統率された様な動きだが、それを指揮する閃鬼の存在は感じない。黒鬼が考えて動くと言う事はまず無い。それだけ知能が低いのだ。なら、一体、何が起きているのか。そう疑問を抱く炎帝はその視線を紅へと向けた。
『どう言う事だ? この布陣は?』
「お気づきになりましたか? 炎帝様も」
『様付けはよせ。主は汝――。それは、今、関係ないな……』
大きく頭を振り、炎帝は真剣な眼差しを前方へと向ける。そして、喉を鳴らしてから言葉を続ける。
『相変わらず、奴らは我らを無視か……』
「すみません……私の力が無いばっかりに……炎帝様にも……」
『いや……いい。まずは――』
炎帝はその瞼を閉じ、大きく裂けた口に大量の空気を含む。窄めた唇からゆっくりと空気が入っていく高音の音が響く。
その音に、守人達は気付く。炎帝が何をしようとしているのかを。だから、リーダー格の男は刀を引き、慌てて叫ぶ。
「皆の者! 下がれ! 咆哮が来るぞ!」
その怒号に慌てて守人達は急いで下がる。その動きを見据える炎帝は、空気を限界まで吸い込み頬を膨らし、暫し時を待つ。
「急げ! 黒鬼など構うな!」
リーダー格の男が叫び、振り向き様に刀を一閃する。その背に跳びかかろうとした五体の黒鬼の肢体が綺麗に真っ二つに裂け、それを見届ける事無くすぐに振り返り、男は走る。
何人かが黒鬼の群れに飲まれた。だが、それを助けに行く余裕は無く、リーダー格の男は表情をしかめる。アイツが居なければ、犠牲者など出なかったと。炎帝――いや、紅を睨んだ。
こうなる事は分かっていた。それでも、紅は強い眼差しで皆を見据え、唇を噛む。出来るだけ、多くの守人が、この場に戻ってこれる様に願いながら。
しかし、その願いを打ち砕く様に、事件は起きる。黒鬼を押していた中央部分。その無人となった空間に、黒鬼が姿を現す。その土から這い出る様に、ゆっくりと。
戻ろうとしていた守人達は、完全に退路を断たれ動きを止める。表情をしかめるリーダー格の男は、静かに刀を構えた。
「くっ! コイツら、何でもう再生しているんだ!」
リーダー格の男は声を荒げる。だが、男の考えは間違っていた。再生したのではない。最初に大軍勢で攻め入った時に、目に付かない様に地中に潜っていたのだ。乾燥しひび割れた地面で、潜った跡はすぐにバレそうだが、それを覆い隠したのが、切り裂かれた黒鬼による微粒子の粉だった。
そして、最後にわざと後退し、聖霊が出てくるのを待ったのだ。
多くの黒鬼が立ちはだかり、守人達は立ち往生していた。その間に、後ろからも、左右からも黒鬼がなだれ込む。完全に包囲されていた。
「え、炎帝様!」
慌てて、紅が声を上げる。すると、炎帝は不快そうに鼻筋へとシワを寄せると、その口に含んだ空気をゆっくりと吐き出す。
『仕方あるまい……主はここで待て。我が、片を付ける』
炎帝は身を屈めると、その体に紅蓮の炎を灯す。これが、戦闘モードの炎帝の姿だった。その熱気に紅は表情をしかめ、小さく告げる。
「お願いします……皆さんを――」
『…………分かっている』
炎帝はそう呟き、地を蹴った。鋭い爪を地面へと突き立て加速し、跳躍する。巨体が宙を舞い、火の粉が地上へと降り注ぐ。そして、足音も無く静かに守人達の真上に炎帝は降り立った。
僅かに広がる熱風が砂埃を舞い上げる。激しい熱風は周囲の黒鬼を弾き飛ばした。
『我が道を切り開く。貴様らは下がれ』
「くっ! 物の怪が……」
「やめろ。聖霊様だぞ!」
守人の一人が呟いた言葉に、リーダー格の男が怒鳴る。もちろん、その声は炎帝にも聞こえた。だが、何も言わず聞き流す。そして、右の前足を一振りし、守人達の道を塞ぐ黒鬼をなぎ払った。砂埃が激しく舞い、地面には三つの爪痕深く刻み込まれた。
『さぁ、行け』
そう炎帝が言うと、守人達は走り出す。その手に持った刀で、黒鬼の残党を切り裂きながら。
悠然とそれを見送った炎帝は、後ろから跳びかかる黒鬼の群れを二本の尾で弾き、体につかみ掛かってくる黒鬼を、その炎で焼き払う。
守人など構わず、黒鬼の大軍勢は炎帝へと襲い掛かる。元々、閃鬼がこの大軍勢に与えた策だったのだろうが、不測の事態に対応出来る程、黒鬼は賢くはなかった。
朱雀の門から数十キロ程、離れた丘の上にある大きな枯れ木。
その枝の上に小柄な一人の少女が座っていた。フリルの着いた可愛らしい黒の衣服に身を包んだ彼女は、真紅の長い髪を揺らし無邪気に笑う。
「ふふっ。アレが……聖霊、かぁ……」
目を凝らし左手で前髪を掻き揚げる。すると、その髪の生え際に数本の尖った小さな角が、まるでカチューシャの様に並んでいた。
「鬼姫? 様子はどうなんだなぁ?」
その枯れた大木に並び立つ巨大な鬼が野太い声をあげる。額に太く大きな角を三本生やした、十メートルはあるであろう巨大な鬼が眠そうな目をゆっくりと鬼姫と呼んだ少女へと向けた。枝の上に腰を据える鬼姫は、背負い込んだ自分の身長の二倍近くある刀を抜くと、不適に笑う。
「アレ、狩りたいなぁ。アタシのこの刀で……」
「でもぉ……カズキは偵察だけだって……」
幼い子供の様に無邪気な笑みを浮かべる鬼姫に対し、巨大な鬼が不安そうにそう口にした。だが、鬼姫はそんな彼の言葉など聞かず、手足をバタつかせ声を荒げる。
「狩るったら、かーるーのぉー! そんで、そんで、カズキにたくさぁぁぁぁん! 褒めてもらうのぉ!」
えへへ、と笑う鬼姫の子供の様な発言に、巨大な鬼は呆れた様にため息を吐いた。
「分かったんだなぁ……オイラも、付き合うんだなぁ」
「うんうん。じゃあ、次に備えてぇー。閃鬼と剛鬼も集めちゃって」
右手の人差し指で空を指す鬼姫は、木の枝から下した脚をブラブラと揺らす。その赤い瞳が見据えるのは、数十キロ離れた場所で黒鬼に囲まれた炎帝の姿だった。