第3回 火の国の伝説と鬼だった!!
紅に連れられ、一馬は朱雀の間へと戻っていた。
落ち込む紅に言葉を掛ける事が出来ず、未だに沈黙が続く。
朱雀の巨像を前に紅は正座する。離れた位置で胡坐を掻く一馬は、背を丸め深刻そうに俯いた。やや上目遣いで一馬は、紅の背中を見据える。
重い空気をどうにかしなければと、一馬は思う。だが、こう言う時、何て声を掛ければいいのか分からず、思わず吐息が漏れた。
「ごめんなさい……」
一馬の吐息に、紅が静かに謝った。
沈んだ紅の声に、一馬は慌てて立ち上がる。
「ご、ごめん! そ、そんなつもりじゃ――」
「いえ……。謝らないでください。私が悪いんです……」
紅の肩が落ちる。
「本当に、申し訳ありません……。私達が勝手に呼び出して、勝手に落胆して……」
「いや。俺は全然気にしてないよ。それより、紅こそ……大丈――」
「わ、私は! だ、大丈夫です……」
一馬の声を遮る様に、紅が声を荒げた。その声に一馬は言葉を呑み、俯く。
きっと、その言葉が今の紅には一番辛い言葉なのだと、一馬は悟った。複雑そうな表情の一馬に対し、肩を小刻みに震わせ、紅は静かに口を開く。
「ここに、あなたをお呼びしたのは……」
「いいよ。今は……俺、部屋出てるから……さ。泣きたい時は、泣いた方がいいよ」
僅かに震えた紅の声に一馬はそう告げ、背を向け歩き出す。
しかし、その背中に僅かな衝撃を感じ、一馬は足を止めた。
「す……すみま、せん……うぅっ……す、少しだけ……こ、こうしてて……ぐすっ……」
一馬のシャツを握り締め、その背中に顔を埋めて、紅はすすり泣く。声を必死に押し殺して、シャツを握った手を小さく震わせて。
その温もりを背に感じ、一馬はその場に立ちつくし俯いた。自分に出来るのは、ただこうして立っている事だけだと。
紅が落ち着いたのは一時間も後だった。
「す、すみませんでした……」
目を赤く染めた紅が大きく開いた袖口から右手を出し、その甲で頬の涙の痕を擦る。顔を見られたくないのか、紅はやや俯き加減だった。
「落ち着いた?」
紅を元気付けようと、一馬は出来る限りの笑みを浮かべる。
「えっ……あっ、はい……」
一馬の言葉、一馬の笑顔に、紅の頬が薄紅色に染まる。何故だか、胸が高鳴り、紅は胸の前で右手をキュッと握った。初めての感覚に、胸の鼓動が一層速まる。
(な、何だろう……この……感覚……)
その感覚に紅は戸惑っていた。
俯き硬直する紅に、一馬は小さく首を傾げる。
「紅? 大丈夫?」
心配になり一馬が一歩踏み出す。すると、紅の両肩がビクッと跳ねる。その行動に一馬も動きを止めた。
「ご、ごめ――」
「ち、違うんです! そ、そ、そうじゃなくて……」
謝ろうとした一馬に、紅は慌てて取り繕う。両腕を振り、袖をぱたつかせて。
そんな紅の行動に、一馬は思わず笑いを噴出した。
「ぷっ……ふふっ……」
「か、一馬……さん?」
笑い出した一馬に、紅はゆっくりと顔をあげる。不満げに頬を膨らせる紅は、唇を尖らせる。
「な、なんですか? 急に……笑い出して……」
「いや、紅でも、そんな風に慌てるんだなって、思って」
その言葉に紅はムッとした表情を見せた。
「わ、私だって人間です! 驚いたり、あ、慌てたりします……」
目をそむけ子供の様にそう言う紅に、一馬は安堵した様な笑みを浮かべた。落ち込んでいた紅に少しだけ元気が戻った様に見えたから。
それでも、紅の瞳の奥にはもの悲しげさが残っていた。しかし、紅はそれを隠す様に一馬へと微笑んだ。一馬が自分に気を使っているのだと、紅も分かったのだ。
微笑む紅に、一馬も笑みを返す。
やがて、紅は語りだす。一馬をここに呼んだ理由を――。
この世界には、鬼と言う化物が存在する。
鬼とは元来、人の邪念により生み出された存在。そして、その化物を退治するのが、朱雀の門の使命だった。
作物や家畜を食い荒らし、町へ下りてはイタズラ程度の悪さをする。鬼はその程度の知能しか持っておらず、身体能力も大して高くない。何より、その数が少ない。年に二十体出れば多いと言う程度だった。
それが、ここ数年で急増し、新たな種類の鬼まで生まれる始末。しかも、その新種の鬼は、人を喰らう。朱雀の門の人達も何人も食べられた。
初めは、何とか対処出来た。だが、数は日に日に増していき、今では火の国も半分以上の土地を鬼に奪われていた。
ここ朱雀の門は、聖霊朱雀の力により特殊な結界が施されている。強力な結界の為、鬼達もここまで入ってくる事は出来ず、近隣の町の人々の避難場所だ。この社の裏手には畑や井戸などが存在し、食料などの貯えもそれなりにある。
だが、避難してくる者は後を絶たない。こんな状況がいつまでも続けば、食料だってすぐに底を尽く。そして、考えられたのが、この世界に伝わる伝説の戦士の召喚だったのだ。
小型の動物程度の召喚しか出来ずにいた所に、初めて動物ではなく人間の一馬が召喚された。故に紅も、この朱雀の門の人達も、伝説の戦士だと言う事を期待したのだ。
しかし、一馬は抜けなかった。あの長老から渡された剣を。その事から、一馬が伝説の戦士ではないと判明したのだ。
あの剣は紅蓮の剣と呼ばれ、伝説の戦士しか抜けない剣なのだ。鬼を斬り滅する事の出来るまさに聖剣。聖霊朱雀が宿っていると言われている。
詳しい事は紅も知らない。何しろ、あの剣を抜いた者はただの一人も居ないから。だから、それが、本当に鬼を斬る事が出来るのか、本当に抜ける者が居るのか、疑う者も多い。それでも、今の紅達には、その伝説にすがるしかなかったのだ。
話し終えると、紅は静かに深く息を吐いた。
伏せ目がちな紅の目に、明らかな落胆の色が見えた。紅が一番一馬に期待していた。きっと、この世界を救ってくれると。
落胆の色を見せる紅から視線を外した一馬は、静かに聖霊朱雀の巨像を見上げる。まるで生きている様な姿形をしたその巨像に、一馬は感嘆の声をあげた。
「凄いな……。本物……みたいだよ」
「そうですね。私も、初めて見た時はそう思いました」
一馬の声に紅が微笑し、同じように巨像を見上げる。赤い瞳が薄らと輝き、それがより一層生きている様な印象を漂わせていた。
小さく吐息を漏らす一馬に、紅は静かに宣言する。
「今の私には、朱雀様を召喚する事は出来ません。
ですが、いつか必ず……私は朱雀様を召喚して、この国を救ってみせます!」
紅は胸の前で両手を組み、強い眼差しを朱雀の巨像へと向ける。その姿に一馬は安堵したように微笑む。彼女なら何れ、朱雀を召喚する事が出来るかもしれない、と。
それから、暫く一馬と紅は談笑した。召喚士の事、守人の事、色々と紅は一馬に教えてくれた。
守人は、あの広間に居た人達の事だ。彼らは召喚士を守る存在で、聖霊の力を宿した武器で鬼と戦う事が出来る。ただし、彼らの武器で鬼を斬る事が出来ても浄化する事は出来ず、また日が経つと鬼は蘇ってしまう。
だからこそ、聖霊と言う存在が必要不可欠で、それを召喚出来る召喚士は大事にされているのだ。
しかし、一馬はこの話に違和感を覚えていた。あの広場での出来事。あれは、召喚士である紅を大切にしていると言うよりも、邪険にしている様に思えて仕方なかった。紅と守人達の間に、何か確執がある様に思えた。
それが、何のか、一馬は知る術は無い。ただ、紅に問題があるとは思えない。召喚士としての力を過信していると言うわけでも無く、相手の事を思いやる気持ちもある彼女に問題などあるわけがない。そう一馬は考えていた。
「一馬さん? どうかしましたか?」
押し黙り考え込む一馬の顔を、紅は心配そうに覗き込んだ。その顔に一馬は驚き身を仰け反らせる。
「うわっ!」
一馬が驚き声を上げると、紅は目を丸くする。そして、右手で口元を覆い笑う。
「ふふっ……どうしたんですか? 急に?」
「い、いや……ちょ、ちょ、ちょっと、お、お、おど、おど、おどど……」
一馬は激しく動揺していた。あんなに間近で女の子の顔を見ると言う経験などなかった為、心臓が激しく脈を打っていた。右手で胸を押さえ、呼吸を乱す一馬の姿に、紅はクスクスと愛らしく笑った。
そんな彼女の姿に、一馬は胸を押さえたまま、何度も深呼吸する。
「お、お、驚かせないでよ……」
ようやく、心を落ち着かせ一馬は胸を押さえたまま呟く。すると、紅は「す、すみません」と、クスクス笑いながら呟いた。
紅潮する一馬は、ムスッと息を吐き俯いた。まだ動悸がする胸を右手で押さえ一馬は肩の力を抜いた。免疫が無いと言うのは、一馬も薄々分かっていたが、まさかここまでとは自分でも情け無く思う。この調子ではいつまでたっても夕菜との距離も縮められないと、一馬は深くため息を吐いた。
神妙な面持ちの一馬を、紅は不思議そうに眺める。その際、妙に胸が締め付けられ、紅は胸元で右手を握り締めた。
小さく俯く紅に、一馬は顔を向ける。表情が何故だか曇って見えた。
「どうかした?」
一馬がそう尋ねると、紅は慌てた様子で笑みを浮かべる。
「な、何でもありません。それより――」
紅がそう言い掛けた時、慌ただしく部屋に鐘の音が響く。重く鈍い鐘の音が何度も何度も。
「な、何の音――」
一馬が驚き声を上げる。だが、紅の顔を見て、言葉を呑んだ。唇を噛み締め、不安げな表情が物語っていた。この鐘の音が鬼が現れたと言う合図なのだと。
肩が小刻みに震え、不安から瞳が揺らぐ。激しい恐怖からか、紅の瞳孔は開いていた。しかし、紅は瞬きを一つすると、すぐにその表情を殺し、一馬へと微笑する。
「一馬さん、私は行かないと――」
「鬼……ですか?」
思わず敬語になる一馬に、紅は小さく頷く。その肩が僅かにだが震えていると、一馬は分かった。紅自身は必死に押さえ込んでいるつもりなのだろうが、それでも肩は震えていた。
そんな紅の姿に、一馬は伏せ目がちに俯く。心が痛い。こんなにもか弱い少女が、命を懸けて戦おうとしているのに、何も出来ない自分に苛立つ。
胸の前で右拳を握る紅は、そんな一馬の姿に申し訳なく思う。間違ってこの世界に呼び出したのに、こんなにも責任を感じているなんて、と。
だから、紅は自分の巫女服の袖口から一枚の紙切れを取り出す。そして、それを一馬の右手へと握らせた。
「く、紅?」
突然の事に、一馬は赤面し顔を上げる。一馬の右手を紅は両手で握り、透き通る様な瞳を真っ直ぐに向ける。
「これは、私が一馬さんを召喚するのに使った召喚札です。きっと、一馬さんを守ってくれると思います」
紅がそう言い、ゆっくりと両手を離す。
握った右手を静かに開いた一馬は、長方形の白い紙を真っ直ぐに見据える。召喚札だと言われたが、一馬はそれがただの紙切れにしか見えなかった。こんな紙切れで、本当に人や聖霊を呼び出すなんて出来るんだろうかと、一馬は疑問に思う。
「それじゃあ、一馬さんはここに居てください」
「――紅」
背を向けた紅に、思わず声を上げる。
「はい? どうかしましたか?」
すぐに振り返り、紅はニコリと微笑む。その笑顔に、一馬は言いたかった言葉を呑み、微笑み告げる。
「ううん……何でもない」
「そうですか……じゃあ、私はこれで……」
ニコッと紅が微笑し、駆け出す。
そんな彼女の背中を、一馬はただ見送るしか出来なかった。
“無理するな”
“気をつけて”
本当は、そう言いたかった。でも、出来なかった。紅の気持ちを考えると、そんな無責任な事を言えない。
すでに、神経を削がれるほど気をつけているだろうし、何より無理をしなければここを守る事は出来ないだろうから。
紅から渡された召喚札を強く握り締め、一馬は一人俯く。静まり返った朱雀の間の中心で。