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第7回 裏切り者 周蓮だった!!

 地響きに似た足音は次第に近づいてきていた。

 息を呑む一馬の足は自然と半歩下がり、恐怖を感じていた。

 以前にも聞いた事がある音。

 それは、火の国で聞いた鬼達の進攻する時の足音だった。

 ドクンと大きく心臓が鼓動を響かせ、一馬の頭の中は真っ白になる。

 これから、どうすればいいのか、何をすればいいのか、考えていた事全てが飛んでいた。


「くっ……」


 静かに声を漏らした周鈴は、膝を震わせゆっくりと立ち上がる。近づく足音に、表情を歪めながら。

 ダメージがまだ残るが、それでも周鈴は奥歯を噛み締め、トンファーを構えなおした。


「く……来るぞ!」


 周鈴のその言葉通り、それはすぐにやってきた。

 黒ずんだ肌の色をした人間の姿をした異形な生物が――。

 火の国にいる鬼、黒鬼に似た風貌だが、それよりは背丈が高く、それにちゃんと服を着た大人の人間の様な形だった。

 何で、鬼がここに存在しているんだ、と一馬は疑念を抱く。

 元々、鬼は火の国にしかいないと、一馬は思っていたのだ。

 柚葉もそう思っていたのか、その生物の姿を見た瞬間に思わず口ずさむ。


「こ、黒鬼! な、何で、こんな所に!」


 僅かに声が上ずり、柚葉の目は見開かれていた。瞳孔が開き、緊張が走る。

 まさか、こんな異世界で自分の世界に居る鬼を見るとは思わなかったのだ。

 しかし、そんな柚葉に対し、周鈴は静かに告げる。


「コイツらは鬼人。元々は普通の人間だ」

「どう言う事ですの! あの時は聞きそびれましたけど、普通の人がどうして、この様な姿に!」


 周鈴の言葉にフェリアがそう声を上げた。

 流石に納得できなかった。

 何故、普通の人がこの様な化物に変貌するのか、理解に苦しむ。

 怪訝そうなフェリアは、美しい蒼い瞳を周鈴の背に向け、答えを待っていた。

 しかし、周鈴は一向に答えようとはしなかった。

 数秒、十数秒、数十秒と時間だけが過ぎ、やがて鬼人と呼ばれた黒ずんだ肌の異形の人が動き出す。

 肩を交互に前後に揺さぶり、前傾姿勢で先陣を切る一体の鬼人。

 だが、彼が周鈴へと辿り着くその前に、柚葉の脇差がそのミゾオチを貫いた。

 投げられた脇差の鋭い刃は骨を砕き、背中から赤黒いヘドロの様な血を切っ先と共に噴出する。

 衝撃で後方へと吹き飛び、鬼人は二度三度と横転し、やがて地面へと平伏す。

 ヘドロの様な血が地面へと広がり、鬼人の体が痙攣する様にビクッビクッと何度も歯ね、やがて動かなくなった。

 火の国に存在する鬼ならば、この瞬間に土に還り消滅するはずだが、この鬼人の肉体は残され、朽ちる事はなかった。


「はぁ……はぁ……」


 呼吸を乱す柚葉は、脇差を投げたままの状態で俯き動かない。

 正直、こんな所で鬼を目にするなどとは思っていなかった。いや、鬼に似た生物に会うとは思わなかった。

 その為、目の前に現れたその存在に沸きあがってきたのだ。

 自分の町を――親を――全てを奪った鬼への憎しみが。


「柚葉?」


 思わずそう口にした一馬は、柚葉の方へと視線を向けた。

 明らかに柚葉の雰囲気が変わった事に、一馬も気付いたのだ。

 と、同時に何故か、胸がざわめき恐怖を覚えた。


「そうか……」


 ボソリと呟いた柚葉の伸びきった右手がゆっくりと握られる。


「この世界にも……」


 握られた右手が僅かに震えだし、


「鬼が居るのか……」


と、静かに柚葉は顔を上げる。

 その顔には怒りと喜びの混ざったような表情が浮かんでいた。

 鬼に対する怒りと、それを殺す事が出来ると言う喜び。

 そんな柚葉の表情に、一馬とフェリアは背筋をゾッとさせる。

 それ程、柚葉が鬼に抱く憎悪は激しかった。

 恐らくその感情は一馬やフェリアには到底理解出来ない感情だろう。

 それ程の辛い過去が柚葉にはあるのだ。

 それ程の憎しみを鬼に抱いているのだ。

 深く息を吐き出す柚葉は左腰にぶら下がる小太刀の柄を逆手で握った。

 刃が鯉口に擦れ嫌な音を響かせ、小太刀が鞘から抜かれる。

 その刃は揺らめく炎の明かりに照らされ不気味に輝き、美しきその平に、鬼人の姿を反射していた。

 集まった数十は居るであろう鬼人は、皆、動きを止めていた。

 何か、合図を待っているのか、それとも、先陣を切った鬼人が一瞬にしてやられてしまった事に驚いていたのか、それは定かではない。

 だが、すぐに時が動き出したように鬼人達は一斉に動き出した。


「来るぞ!」


 周鈴が怒鳴り、地を蹴る。

 遅れて柚葉が――。

 二人が迫る鬼人の群れへと突っ込み、ようやくフェリアは我に返り魔力をその手に練りこむ。

 三人の行動に一馬だけがどうすればいいのか分からず、狼狽していた。

 先陣を切る柚葉は、横たわる鬼人の体から脇差を抜き、血を払うようにそれを横一線に振り抜いた。

 その際、右から迫っていた二体の鬼人の喉元を、切っ先で切りつけ、赤い筋が走ると鮮血が迸り、二体の鬼人は後方へと倒れる。

 しかし、柚葉はそれを見届ける事無く、次々と襲い来る鬼人を切りつけていく。

 手応えは軽い。

 柚葉は、無駄の無い体捌きで次々と鬼人をかわし、右手に持った脇差の一閃は美しく弧を描き、左手に握った小太刀は、乱暴に鬼人の体に突き立てられ、濁った血の花をその体へと描いた。

 鬼人自体の戦闘能力が低いのか、それとも柚葉が強いのか、定かではないが、ほぼ一撃で致命傷を与えて行き、鬼人は次々と倒れていく。

 そして、周鈴も同じくほぼ一撃で鬼人を倒していた。

 だが、コチラは柚葉の急所を的確に狙うやり方とは違い、重い一撃により骨を砕く事により鬼人の動きを確実に止めていた。

 多少なりに先ほどの男に受けたダメージがあるものの、周鈴の振り抜くトンファーは次々と重々しい打撃音を響かせ、鬼人の頭蓋骨を的確に砕く。

 圧倒的な戦闘能力を見せ付ける二人。

 舞うような可憐な柚葉の動きに対し、鋭く刺す様な動きの周鈴。

 対照的だが、二人の動きは目を奪われるモノがあり、さっきまで狼狽していた一馬は、ただ口を開きその光景を眺めていた。

 呆ける一馬の姿に、不満そうに頬を膨らすのはフェリア。

 ここは自分も出来る所をアピールしないと、と、フェリアは、右手を空へと掲げる。

 すると、フェリアの足元に青白い魔法陣が輝き、そこから水が溢れ出す。

 そして、その水は、フェリアの掲げた右手へと集まり、直径三十センチ程の球体にまとまった。


「ワタクシも、一気に行きますのよ! 降り注ぎなさいな! レイン!」


 フェリアが叫ぶと、右手に集まった水が弾け空へと放たれる。

 そして、次の瞬間、暗雲の中で青白い眩い輝きが弾け、地上へと一斉に降り注ぐ。

 雨粒が鋭利な刃物となって。

 それは、狙い済ましたように、鬼人の頭部を打ち抜きながら、大きな雨音をあたりへと轟かせた。

 広範囲に渡るその一撃は、鬼人と地面に無数の細かな穴を開け、僅かな土煙を足元に漂わせる。

 鬼人の群れの真ん中に居た柚葉と周鈴は、降り注ぐその鋭い雨粒にただただ呆然としていた。

 圧倒的な力と、言うのはこう言うものだと見せ付けられているようだった。

 この一撃により鬼人の大半が地面へと平伏し、肉片だけが残される。


「恐ろしい破壊力ね……」


 苦笑する柚葉が表情を引きつらせ、右肩をやや落とす。

 呆れていると言うよりも、その破壊力にただただ感心せざる得なかったのだ。

 呼吸をやや乱す周鈴は、肩を上下させ、辺りを確認する。

 大半は倒したが、まだ多くの鬼人が残されており、呻き声を上げてた。


「まだ、大分残ってますわね」


 鬼人達の姿を見据え、ウェーブの掛かった金色の髪を右手で掻き揚げたフェリアはフッと息を吐く。

 鬼人を全滅させるつもりで放った一撃だった為、フェリアも大分魔力を消費していた。

 これ程まで広範囲に渡る魔術を使うのは、フェリアも初めてで、どれだけ魔力を練りこめばいいのか分からなかったのだ。

 その為、呼吸は僅かに乱れているが、それをフェリアは必死に隠していた。

 圧倒的な三人の力を目の当たりにし、鬼人達は意気消沈したように動かず、ただ呻き声を上げるのみ。

 しかし、そんな折、呻き声を上げる鬼人達の合間を縫い、一体の鬼人が前へと出る。

 他の鬼人達とは違い、落ち着きがあり口元には薄らと笑みを浮かべるその鬼人は、褐色の肌に白髪を揺らしていた。

 明らかに雰囲気の違うその鬼人の登場に、フェリアも、周鈴も、柚葉も気を引き締め、息を呑む。

 そして、一馬もその存在に妙な胸騒ぎを感じた。



 謎の男によって森へと連れさらわれた夕菜は――


「イタッ!」


 乱暴に地面へと落とされた。

 何も無い静かな森の中。

 暗く何も見えないその場所で、夕菜はゆっくりと立ち上がった。

 尻餅を着いたため、汚れたスカートの裾を軽く叩き、辺りを見回す。

 薄らとだが木々が揺れているのが見える。

 何が何だか分らない夕菜は目を凝らすが、ハッキリと見る事が出来ず、暗がりに浮かぶ僅かな影のみを薄らと視覚に捉えていた。

 それ程、周囲は暗い。

 何処を見ても同じような真っ暗な風景。

 方角すらも分らなくなってしまいそうな程だった。

 夕菜が辺りを見回していると、唐突に闇の中で何かが発光する。

 突然の光に、思わず夕菜は目を細め、表情をしかめた。

 ようやく目が慣れ、夕菜は発光しているのが、男が持っている棍棒の先端だと言う事に気付いた。

 その薄らとした明かりで、男の顔が闇にハッキリと浮かぶ。

 物静かな落ち着いた面持ちで何処かクールな印象を、夕菜は感じた。

 その発光する光を浴び、男は静かに息を吐き出し、夕菜はそんな男の顔を真っ直ぐに見据える。

 静寂が辺りを包み、何も無いまま数秒が過ぎた。

 木々のざわめきが止む頃、男はゆっくりと夕菜の方に顔を向けた。


「お前は何だ?」

「えっ?」


 男の問いかけに夕菜はスットンキョンな声をあげた。

 質問の意図が全く分らなかった。

 お前は何だ、とはどう言う事なんだろうか、夕菜は考える。

 お前は誰だ、と言うのは分かるが、何だとは……。

 困惑する夕菜に、男は眉間にシワを寄せる。


「どうした?」

「あっ、い、いえっ……あ、あの……し、質問の意味がよく分からなくて……」


 正直にそう聞くと、男は鼻から息を吐き出し、


「奴らの狙いは間違いなくお前だ。何故、お前が狙われている? お前は一体なんだ?」


と、眉をひそめ問う。

 しかし、夕菜には狙われる理由もなければ、狙われている自覚も無い。

 その為、訝しげに首を傾げる。


「ご、ごめんなさい……」

「何故、謝る」


 謝った夕菜に対し、不思議そうに男が尋ねる。

 綺麗に整った男の顔を見据え、夕菜は困ったように笑う。


「えっと……私、ここが何処かも分らないですし、狙われる理由も心当たりもないんで……」


 夕菜のその言葉を聞き、男は静かに「そうか……」と呟いた。

 そして、腕を組むと目を細め、口元へと右手を当てる。

 長考に入る男の横で夕菜はオロオロとしていた。

 自分が狙われていると知った為、唐突に恐怖が胸を締め付ける。

 落ち着かない夕菜は、キョロキョロと辺りを見回していた。

 身を守る為、本能的にとった行動だった。

 辺りを警戒する夕菜の様子に、男は深く息を吐き出し、腰に手を当てる。


「落ち着け。お前は俺が守ってやる」

「ま、守ってくれるんですか?」


 怯える夕菜に、男は右手を自らの額に添え、


「ああ。その為にここまで連れて来たんだからな」


と、静かに告げた。

 その時だった。


「そうか……お前の仕業か、周蓮しゅうれん


 濁った薄気味悪い声が闇の中から響いた。


「――ッ!」


 表情をしかめる周蓮と呼ばれた男は、灰色の髪を揺らし辺りを見回し、棍棒を構えた。

 両端は銀で作られた青色の棍棒を腰の位置に構える周蓮は、切れ長の目の奥で茶色の瞳を激しく動かす。

 全神経を研ぎ澄まし、辺りを警戒する周蓮の背に、夕菜は不安げな表情を向ける。

 何故だか、胸がざわめく。

 何か嫌な予感だけが脳裏を過ぎっていた。

 胸の前で手を組む夕菜に、周蓮は静かに告げる。


「何があってもお前を守る。この命に代えても――」

「なら、その命……俺が奪ってやろう」


 静かな声が聞こえたかと思うと、鈍い音が周蓮の体を貫く。


「うぐっ!」


 口から血が吐き出されると同時に、周蓮の右脇腹から鋭い切っ先が飛び出した。

 鮮血が衣服を突き破った刃と共に外へと散り、やがてジワジワと衣服に染み出す。

 突然の事に周蓮は奥歯を噛み締める。

 一方、夕菜は何が起こっているのか分からず、不安げに周囲を見回していた。

 発光していた明かりも唐突に消え、周蓮が何処にいるのかも夕菜には分からない。

 だが、先ほどの呻き声からして、何かがあったのだと言う事は理解していた。

 その為、夕菜は必死に目を凝らし、暗闇へと目を向ける。

 薄らとだが、人影が二つ重なっているのが見えた。

 そして、その二つの影がゆっくりと離れ、一方が崩れ落ちるように膝から倒れる。


(な、何? 何が起きてるの?)


 顔など見えない為、誰が誰なのかハッキリと分からず、ただ夕菜は声を殺す。

 声を出してはいけない気がしたのだ。

 両手で口を塞ぎ、息を呑み込む夕菜は、音をたてないように、一歩、また一歩と後退する。

 その時、夕菜は木の根に足を取られ、そのまま尻餅を着いた。


「きゃっ!」


 夕菜が思わず声を上げると、その声に一つの影が反応する。


「そこにいたか……」


 静かな濁った声。それは周蓮ではない、別の男の声だとすぐに分かり、夕菜は恐怖に瞳孔を広げる。

 闇に目が慣れ始め、ようやく、薄らとその影の全貌が見え始める。

 逆立った髪。色はハッキリと分らない。

 薄らと見えるホッソリとした輪郭に、緩んだ唇から薄気味悪く輝く白い歯が見えた。

 荒々しい呼吸を両手で口を塞ぎ、必死に押し殺そうとする夕菜だが、それでも指との合間から息が漏れ呼吸音は静かにその場に響く。

 闇に浮かぶ二つの鋭い眼光が、夕菜を真っ直ぐに見据えていた。

 まるで、この闇の中でもハッキリと夕菜の姿が映っているかの如く。

 心臓が張り裂けそうな程激しく鼓動を打ち、夕菜の頭の中にはその音だけが響き渡る。

 思考回路は完全にパニックに陥っていた。

 視界が涙でにじみ、やがてその男の影が霞む。

 どうすれば良いのか、どうしたら良いのか。

 頭の中で何度も何度も、そんな言葉が響く。


(一馬君! お兄ちゃん!)


 思わず夕菜は二人に助けを求める。

 もちろん、そんな事をしても、無意味だ。一馬も、兄である雄一も助けに来る事は出来ない。

 そんな中、唐突に鈍い打撃音が轟いた。


「うぐっ!」


 濁った呻き声が響き、夕菜の目の前に浮かぶ人型の影が横にくの字に折れ、右方向へと弾き飛ばされた。

 完全に夕菜の視界からその影が消えた。

 目には涙が溢れんばかりにたまり、口から吐き出される呼吸は荒く、心臓は激しい鼓動を打つ。

 そんな夕菜の視界に、ゆっくりと立ち上がる周蓮の影が浮かび上がった。


「うっ……がはっ……」


 左手を腹部へと当て、俯き加減の周蓮の口から大量の血が吐き出される。

 暗い為、夕菜にはその光景は見えない。

 だが、血が地面へと落ちる音だけが耳に届いた。

 足を引きずり、夕菜の傍へと歩み寄る周蓮は、荒い呼吸を繰り返しその手で静かに夕菜の頬を撫でた。


「泣く……な。言ったろ……。俺が守る……。お前は、この世界を……いや、玄武……様を呼び起こす……鍵だ……」


 途切れ途切れの苦しそうな周蓮の声が夕菜の耳に届いた。

 どれ程の傷を負っているのか、夕菜には分らないが、その声からとても戦える状況ではない事はハッキリと分かった。

 だから、夕菜は声を上げる。


「ダメ! そ、そんな傷で戦うなんて! わ、私の事は大丈夫! 一緒に、皆の所へ――」

「戻れねぇーよな。妹の所には? テメェーは裏切り者なんだからな」


 夕菜の声を遮るように濁った声が響き渡る。

 その言葉に、一瞬周蓮の表情が曇った。

 眉間にシワを寄せ、奥歯をギリッと噛み締め、怒りをその身から迸らせる。


「テメェーは、里を裏切り、妹を裏切った。今じゃ、この原因を作った張本人だからな」

「ぐっ……」


 夕菜の頬から手を離し、周蓮は振り返る。

 そして、静かに夕菜へと告げる。


「考えろ……何故、ここに呼ばれたか。お前には……すべき事がある。きっと……」

「すべき……事?」

「ああ……それから、妹に……周鈴に伝えてくれ……すまな……かった……と……ゲホッ!」

「周蓮さん!」


 夕菜がそう呼ぶと、周蓮は暗がりで微笑する。

 妹である周鈴と同じ歳ほどの夕菜に名を呼ばれると、何故だか昔を思い出す。

 走馬灯の様に湧き上がる記憶の数々に、周蓮は鼻から息を吐き出し左手を空へとかざした。


「我呼び声に答え、今、異界より、姿を現せ!」

「くっ! 召喚か!」


 周蓮の高らかと響く声に、男が焦る。

 何が起ころうとしているのか分からず、夕菜はただただ呆然としていた。


犀石さいせき


 片膝を着き、周蓮はかざした左手を地面へと振り下ろした。

 衝撃が地面を砕き、同時に地面に魔法陣が刻まれ、それが黒く不気味に輝いた。

 何が起きようとしているのか検討もつかない夕菜は目を見開いた。

 地響きがおき、輝く魔法陣の中心に亀裂が生じる。そして、そこから不気味な風音が鳴り響く。

 亀裂の入った地面は次第に隆起し、やがて一本の強靭な角が地面を突き破った。

 それから、ゴツゴツとした皮膚の全長十メートル程の巨大な四足歩行の生物がゆっくりと地面から這い出る。

 赤い大きな眼を動かし、大きくゴツゴツとした四本の足で地面を踏み締める。

 灰色の肌は岩のようで、太く頑丈な背骨が隆起していた。


『主よ。久しくぶりだな。召喚など珍しい』


 野太く地を振るわせるような声が響き、ノッソリとその生物は周蓮に向き直った。

 そんな大きな生物に、周蓮は俯き笑みを浮かべる。


「ああ……犀石。お前の……姿を見るのも、これが……最後に、なり……そうだ……」

『……そうか』


 犀石と呼ばれたその聖霊は、静かに呟いた。

 周蓮のその声と、自らに伝わる力の微弱さで、周蓮がどのような状態なのか、すぐに気付いたのだ。

 その為、何も聞かず、ただ告げる。


『さぁ、最後の命を。我、主。周蓮』

「あぁ……この……娘を頼む。玄武様を、呼び覚ます……鍵だ」


 周蓮の言葉に、犀石は訝しげな眼差しを腰を抜かす夕菜へと向ける。

 辺りは真っ暗だが、犀石のその赤い瞳にはハッキリと夕菜の姿が映っていた。

 この世界には無い面妖な格好の夕菜の姿に、とても周蓮が言う程重大な存在とは思えず、小さく首を傾げる。


『この娘が、玄武殿を?』

「あぁ……間違いない……。その証拠に、奴らが……狙ってきた……」

『そうか。ならば、我はこの娘を助けた後、周鈴につけば――』

「いや! お前は……その娘につけ。アイツには……石象をすでに伝承した……」


 周蓮のその言葉に、犀石は聊か不思議そうな表情を向ける。

 だが、問いただしている時間など無く、暗がりで一人の男の声が響く。


「くっ……くくっ……どうやら、召喚した聖霊の力は、術者の力に比例するようだな」

「行け! 犀石!」


 高く響く渡る周蓮の声に、犀石は太く強靭な足で地を蹴り、鼻頭から伸びる角で夕菜の体を抱え、走り出した。

 地響きが広がり、大量の後塵が舞う。

 そんな中、周蓮は棍棒を構えなおし、溢れ出る血を左手で押さえ、目の前に佇む男を睨んだ。


「死に底無いが……。だが、玄武は復活できねぇーよ」


 男はそう言うと、大手を広げ、空を仰ぐ。


「何故なら、もう一つの鍵を、今、俺の弟が破壊しに行っているんだからな!」


 その言葉で、周蓮は理解する。

 家の前であった少年――一馬が、玄武を復活させる為のもう一つの鍵なのだと。


「ぐっ!」


 思わず声を漏らす周蓮に、更に男は言葉を付け加える。


「安心しろ。テメェが寂しくない様に、妹にもすぐ死んでもら――ふぐっ!」


 男が言い終える前に、周蓮の突き出した棍棒がその腹を強打した。

 よろめき、後退する男は、ヨダレを撒き散らせ、怒りに狂った表情を周蓮へと向け、


「死に底無いが!」


と、怒声を轟かせた。

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