第5回 内藤夕菜だった!!
場所は現代、一馬の暮らす町、神守町。
その中心、多くの人で賑わう繁華街に内藤夕菜は居た。
物静かな喫茶店で、頬杖を突く夕菜はティーカップに注がれたコーヒーを、スプーンでかき回しながら窓の外へと目を向けていた。
丁度昼時だからだろう。
財布を持ったOLや、サラリーマンが多く見られた。
繁華街であると同時に、この辺りはオフィス街でもある。
故に昼時になると飲食店は非常に混雑する。
それにも関わらず、夕菜が居るこの喫茶店はめっきり人は居らず、静かな音楽だけが流れていた。
喫茶店と言っても、和食から洋食、はたまた中華まで用意された喫茶店と言うには惜しい程のメニューの数。
しかし、その店内は実にこじんまりとし、マスターが一人で全てを切り盛りしている。
本来、夕菜はここに一馬と二人で来る予定だった。
ここは最近夕菜が見つけた穴場で、ここなら一馬と二人きりでゆっくり話せると、思っていた。
だが、現実は一人きり。
ここに来る途中ではぐれたのだ。
横断歩道を渡る時に人の波に呑まれ、それっきり。
携帯に電話をかけようと思ったが、実は一馬の番号を知らないと言う致命的な問題に直面し、仕方なく一人でここにやって来たのだ。
ボンヤリと窓の外を見据える夕菜は不意に見覚えのある姿を発見した。
(アレ? お兄ちゃん? こんな所で何してるんだろう?)
それは、兄である雄一だった。
こんな人の多い所になんて滅多に出る事の無い雄一が、何故こんな真昼間の混む時間帯にこんな場所にいるのか気になり夕菜はすぐに席を立ち、勘定を済ませ店を出た。
人ごみを掻き分け、夕菜は雄一を追う。
理由は簡単だ。
雄一なら一馬の携帯の番号を知っているはずだと、思ったのだ。
足取りは軽く、夕菜は自然と笑顔になる。
いつもは鬱陶しくて、面倒臭い兄である雄一だが、初めて頼りになるかもしれない、と夕菜は思った。
金髪のボサボサ頭が人ごみに揺れる。
あの髪は人ごみでも目立つ為、夕菜は雄一の姿を見失う事はなかった。
スカートから伸びる細く長い脚を早足で動かし、肩口で茶色の髪を揺らす夕菜は、ようやく雄一に追いつき、その肩に右手を伸ばす。
「おに――!」
夕菜がそう口にした直後、異変が起きる。
足元から妙な輝きが迸り、周りの風景が色あせる。
音が消え、声が消される。
まるで自分だけの時が止まった様に体が停止し、周りを行き交う人達はスローモーションで動く。
何が起こっているのか分からず、夕菜の視線は足元へと向いた。
(なに? アレ……)
その視線の先に映るのは黒い輝きを放つマンホール。
だが、その模様は見た事の無い綺麗な模様が刻まれ、縁から更に黒い光が柱を上げように夕菜の体を覆いつくした。
(お兄ちゃん……助け――)
そこで、夕菜は消える。
黒い光に呑み込まれ、薄らとアスファルトにマンホール型の魔法陣を残して。
「……?」
ゆっくりと足を止めた雄一は、不意に振り向いた。
愛しい妹、夕菜の声が聞こえた気がしたのだ。
「……気のせいか?」
訝しげに眉をひそめる雄一は、首を捻ると右手で頭を掻き、再び歩き出す。
薄らと残った魔法陣に気付く事無く。
そして、魔法陣は静かに消滅した。
召喚を行った一馬は、現れた人物に驚き、目を白黒させていた。
声すら出ぬ程の驚愕っぷりに、フェリア、周鈴、柚葉の三人はただただ呆れていた。
硬直する一馬が我に返ったのは彼女の声を聞いてからだった。
「いたたた……こ、ここは?」
「ハッ! な、なな、何で、何で! 夕菜が!」
混乱する一馬がそう声を上げると、ようやく夕菜もロウソクの明かりに照らされる一馬の姿に気付いた。
「か、一馬君?」
お尻を擦り立ち上がった夕菜が訝しげな眼差しを向けると、一馬は狼狽しアワアワとその場を右往左往する。
明らかに冷静さを失った一馬に、夕菜は小首を傾げ、それから辺りを見回す。
薄暗い中にロウソクの明かりだけが揺らぐ。
殺風景な部屋の内装。
窓など無く外の様子など分らぬその部屋に夕菜は思う。
(まさか、監禁!)
自分がいや、ここに居る人が皆誘拐された人たちなのだと思う夕菜は、フェリア、柚葉、周鈴の順に見据える。
お嬢様の様な綺麗な服装のフェリアに、
(あの人、相当お金持ちそう……それに、ブロンドだ! 外人さん……かな?)
と、考え、和装の柚葉には、
(あの人は……コスプレかな? 羽織袴だし、腰には刀差してるし……確か、そう言うアニメがあった様な……)
と、眉を潜め、拳法着の周鈴には、
(小さいけど……幾つ位だろう? 中学? うーん。小学校高学年かな? この子もコスプレ……なのかな? いまどき拳法着なんて……)
と、小首を傾げる。
盛大な勘違いをしている夕菜は腕を組むと小さく何度も頷いた。
「ちょ、ちょっと! 一馬!」
狼狽する一馬の袖を引き、フェリアが小声で名を呼ぶ。
その声に一馬は我に返った。
「ハッ! な、何?」
「あの娘は何ですの!」
頬を膨らせ不満げな声を上げるフェリアに、一馬は瞳を右往左往させながら答える。
「か、彼女は、えっと……そ、そう! 雄一の妹で……」
「雄一? ……あぁ、あの金髪の……」
「そう!」
「ふーん……伝説の戦士様に妹なんていたんだ……」
一馬とフェリアの話を聞いていた柚葉が小さく頷きそう呟いた。
意外そうな声をあげる柚葉に、一馬は苦笑する。
よく言われるのだ。雄一に妹が居るなんて思えないと。
特に、あんなに可愛くて出来た娘が何で雄一なんかの妹なのかと、言われる。
その為、柚葉がそう言うのも一馬は頷けた。
訝しげに腕を組む小柄な周鈴は、一人考え込む夕菜を眺めながら一馬へと尋ねる。
「おい。アイツは戦力になるのか?」
「いやいやいやいや! ならないよ! なるわけ無いだろ! 一般人なんだから!」
周鈴の言葉に即座にそう言う一馬は、凄い形相で周鈴へと迫っていた。
あまりの迫力に、周鈴も思わず気圧され、「そ、そうなのか……」と、呟き僅かに背を仰け反らせていた。
一方で、ジト目を向けるのは柚葉。
囲まれている状況で全く戦力にならない人を呼び出して何の意味があるんだ、そう言いたげな冷めた眼差しに、一馬は僅かに身を震わせる。
直感的――いや、経験上、この様な冷めた眼差しを向けられている、と言う事に過敏に反応を示す一馬は、恐る恐る柚葉の方へと振り返った。
「あ、あの……な、何か?」
目を細め、おずおずと尋ねると、柚葉は右手を腰にあて大きなため息を一つ吐いた。
「何か? じゃないだろ? 状況を分っているのか? 朱雀様は伝説の戦士様を呼べと言ったのにどう言う事なんだ?」
強い眼差しを向け、右手の人差し指を一馬の胸へと押し付ける。
柚葉のもっともな言葉に一馬は何も言えなかった。
正直な所、一馬も分からないのだ。
いつもと同じ様に雄一の力を借りたい、そう願い、詠唱したはずなのに、どうして夕菜が呼び出されたのか。
一番巻き込みたくない、一番危険にさらしたくない人を、呼び出してしまった事に、一馬は拳を握り締め肩を震わせた。
と、その時、召喚札が赤く輝き、静かな朱雀の声が告げる。
『何者かの妨害があったようだな』
「えっ?」
思わず顔を挙げ驚く一馬。
そして、柚葉が訝しげな表情で尋ねる。
「妨害? 一体、誰が?」
『それは分らん。敵方に次元を操る者が居るのか、はたまた、これも玄武の意思なのか、我には分らぬな』
意味深にそう呟いた朱雀に、一馬は「次元を操る者……」と右手を口元へとあて呟いた。
正直、考えた事などなかった。
相手に次元を操る者が居るなどと言う事を。
そもそも、敵とは何なのか、と言う疑問を一馬は考える。
火の国では鬼。これは、人の悪しき魂から生まれ出でるモノ。
水の都ではヴァンパイア。これは、たまたまあの町を襲っただけに過ぎない。アレ以来ジルが水の都に現れていないと、フェリアから聞いていた為、恐らくそうだろうと一馬は結論付ける。
では、ここ土の山ではどうだろう。
そう考えた一馬は、不意に思う。
この周囲を囲っているモノとは一体何なのだろうか、と。
当然の疑問に一馬が周鈴へと目を向ける。
だが、すでに周鈴は気持ちを静め、戦闘体勢へと移行していた。
両手に持ったトンファーを回転させる周鈴は瞼を閉じ静かに息を吐き出す。
これは、周鈴の集中力を高める時の儀式の様なモノだった。
その為、その身から話しかけるな、と言うオーラを放っており、一馬は開きかけた口を堅く閉じた。
一方、柚葉も集中力を高める様に、薄らと開いた唇から息を吐き出し、肩の力を抜き脱力する。
そして、フェリアもウェーブの掛かった金色の髪をたくし上げ、頭の後ろで留め、ふっと静かに息を吐いた。
各々が臨戦態勢に入り、室内は妙に緊迫した空気が流れていた。
それだけ、事は重大な局面なのだと一馬も悟り、唾を呑み込む。
今、一馬に出来る事は限られている。
三人の邪魔にならない事と、夕菜を安全な場所へと避難させる事だけだった。
気を引き締め、一馬は夕菜の方へと身を寄せる。
何かあれば、夕菜だけでも逃がせる様にと。
張り詰めた空気に、流石の夕菜も身を強張らせる。
一体、何が起ころうとしているのか、そう考え、胸の前で手を組んだ。
そして、動き出す。
周鈴がドアを蹴破り、外へと飛び出し、それに続く様に柚葉、フェリアと飛び出した。
ロウソクの炎が開かれたドアから入り込んだ風で揺れ、やがて消えあたりは闇に包まれる。
「きゃっ!」
思わず声を上げる夕菜に、一馬は叫ぶ。
「だ、大丈夫! 俺が傍にいるから!」
普通の状態ならこんな言葉など出てくるわけが無いが、この殺伐とした空気に自然とそんな言葉が一馬の口から飛び出した。
その言葉に思わずきゅんとする夕菜は、恥ずかしそうに俯きそっと一馬の服の袖を握り締めた。
外へと飛び出した周鈴は家の前に立てられた松明へと火を灯すと、それを持ち、集落のあちこちに立てられた松明に次々と点火して行く。
暗闇での戦いは不利だと分っているからこその行動だった。
松明に灯された炎により、集落は幾分か明るくなり、視界は大分よくなっていた。
そんな折、フェリアは目にする。
一軒の小さな家の脇にある畑に人影を。
衣服をまとうやや痩せ型のその人物に、フェリアはゆっくりと近付き、
「ここは危ないですわ。避難を――」
「近付くな! ソイツは――」
周鈴がフェリアへと声を上げる。
その直後、畑を漁っていたその人物は静かに顔を挙げ、フェリアへと体を向けると大きく裂けた口を開き襲い掛かる。
人間の様な容姿だが、その目は赤く充血し、大きく裂けた口から覗くのは鋭利な牙だけだった。
「な、何ですの!」
襲い掛かるその人物に、フェリアは思わず声を上げる。
油断していたわけじゃない。
まさか、普通の人だと思っていた人物が、実はこんな化物だったとは思わなかったのだ。
一瞬の反応の遅れ。
それは、魔術師であるフェリアにとっては致命的な事で、詠唱が遅れ、同時に魔力を集めるのも遅れる。
「くっ!」
「退け!」
身を仰け反らせるフェリアへと、後方から柚葉が声を上げる。
腰の位置に構えた鞘に収まった脇差。
その柄へと右手を添わせる柚葉は、意識を集中したまま地を駆ける。
今の状態では何も出来ないと、フェリアは判断し柚葉の指示に従う様にそのまま背中から地面へと倒れこんだ。
フェリアが倒れこむのとほぼ同時に、柚葉は右足を踏み込み、つま先へと全体重を乗せた。
(居合い――)
鞘を握る左手の親指で鍔を弾き、脇差を抜刀する。
それから一瞬にして、刃が横一線に振り抜かれた。
閃光が走り、疾風が駆ける。
そして、静寂――。
刃は見事に化物の喉元を切り裂き、赤黒い鮮血が噴き上がった。
地面に横たわるフェリアはその血を避けるように地面を転げ、距離を取る。
衣服が土で汚れるが、血で汚れるよりもマシだと言う判断だった。
喉元を裂かれたその化物は、血を噴かせながらよろよろと後退し、やがて背中から倒れた。
体をピクつかせるその化物の姿に、柚葉は険しい表情を浮かべる。
「人間か? コイツは?」
柚葉の静かな口調に、周鈴は眉をひそめ、やがて静かに答える。
「元・人間だ……」
目を伏せ、周鈴は拳を震わせる。
その姿に柚葉は何となく状況を理解した。
今の化物は元々、この集落の住人だったのだろうと。
立ち上がったフェリアは、衣服に付いた土を払いゆっくりと柚葉の方へと足を進める。
「助かりましたわ。ですが、一体、何があったんですの? 元・人間だなんて……」
「その件は後回しだ。今は、この町に入った奴らを始末してくれ」
周鈴は自分の気持ちを押し殺した様にそう告げ、フェリアと柚葉はそれを悟り小さく頷き、
「じゃあ、私は北口に行く」
「でしたら、わたくしは西へ……」
「東は僕が何とかする。南を……」
周鈴がそう呟いた。
「じゃあ、南は……」
柚葉が腕を組みそう呟くと、チラッと開かれた扉の向こうへと目を向ける。
そこに居るのは一馬と夕菜。
もちろん、二人共戦う術など持たない。
その為、一馬は慌てて家から飛び出し声を上げる。
「む、無理無理! 絶対、無理だ!」
「無理でも何でもやれ。お前しか居ないだろ」
周鈴が鋭い眼差しを向ける。
その眼差しに、一馬は気圧され何も言い返せなかった。
それに、状況を理解していることもあり、もうやるしかないのだ。
不安から大きなため息を付く一馬は、肩を落とした後に家の中にいる夕菜へと目を向け、弱々しく笑みを浮かべた。
「ごめん。夕菜はここで待ってて」
「えっ? 一馬君は?」
「う、うん。ちょっと行って来るよ。だ、大丈夫! 何にも危ない事はしないから!」
心配そうな夕菜に対し、一馬は心配掛けまいと満面の笑みを浮かべる。
その笑顔に夕菜は小さく頷き、
「わ、わかった……」
と、静かに答えた。
それから、四人は分かれる。
東西南北へと。
一人残された夕菜はどうすればいいのか分からず、ただ不安だけを胸に秘めていた。
南へと向かった一馬は不安で胸が張り裂けそうだった。
戦う術など無い自分に何が出来るか考えた。
その結果、一馬に出来るのは召喚する事だけ。
雄一を召喚すれば何とかなる。
そう考え、胸を撫で下ろした。
しかし、そんな一馬の考えに、朱雀が静かに告げる。
『お前に言っておく事がある。恐らく、今のお前では同じ世界から二人以上の者を召喚する事は不可能だ』
絶望的なその忠告に、一馬の足は自然と歩みを止めた。
「マジッスか?」
顔面蒼白の一馬の問い掛けに、朱雀は静かに答える。
『ああ。本当だ。恐らく、力量の問題だろう。もう少し鍛えれば、複数人の召喚も出来る様になる』
朱雀の言葉にガックリと肩を落とし、その場に座り込んだ一馬は、深いため息を一つ吐いた。
今の説明からすると、今の一馬に雄一を呼び出す事は不可能。
よって、一馬は自分の力で戦わなければならない。
力も無い、武器も無い一馬に、戦うことは不可能。
イコール、死、と、言う答えしか待っていなかった。
完全に落ち込み、ブルーな雰囲気を漂わせる一馬に対し、朱雀は深くため息を吐いた。
『安心しろ。いざとなれば、我や青龍が力を貸す』
「貸すって……二人はこの地じゃ本来の力が出せないんだろ?」
『ああ。だが、安心しろ。どうやら、今回の相手はあの火の国の小娘や、水の都の吸血鬼とは違う』
「どう言う事だよ?」
不満げに顔を上げた一馬がそう問い掛けると、今度は青龍が答える。
『主力では無いと、言う事だ。恐らく、様子見、もしくは、こちらを侮っている、と、言う所だろう』
青龍がそう言うと、朱雀は静かな唸り声を上げる。
その声に対し、青龍は何処か不機嫌そうに尋ねた。
『何だ? 俺の考えに不満があるのか?』
『……もう一つ、可能性があるだろ?』
「もう一つ?」
『陽動か?』
青龍がそう言うと、朱雀は『フムッ』と、答える。
しかし、何の為の陽動なのか、分らず疑問だけが渦巻く。
そもそも、陽動だとして、何故、彼らが今、この場に戦力が集まっていると知っていたか、と言う疑問が浮かんだ。
今回、たまたま一馬がここに召喚され、そして、フェリアと柚葉を召喚した。
偶然が重なり、本来、周鈴だけが戦えるこの集落に、魔術師のフェリア、守人の柚葉が集まったのだ。
陽動だと考えるなら、明らかにこれらの事を知っていた事になる。
腕を組み、眉間にシワを寄せる一馬は、鼻から息を吐き出すと小さく首を傾げた。
「陽動だとしたら、目的は何だと思う?」
『この地の底に眠る玄武か?』
『いや、流石にそれは無理だろう。それが目的の陽動だとするなら、明らかに玄武を掘り出すまで時間が足りない』
青龍に朱雀がそう答える。
やはり、陽動だと考えるには、材料が足りず、一馬は静かに立ち上がり腰に手を当てた。
「とりあえず、今はすべての可能性を頭に入れておく事にしよう。陽動にしても、ただの様子見にしても、どうせ俺にはやれる事は少ないんだし……」
『そうだな。今は、この集落への被害を最小に抑える事を考えるのが一番だろう』
朱雀がそう言い、一馬はふっと息を吐き、気合を入れる。
夕菜を守らなければならない、そう思い胸を二度左拳で叩いた。