第2回 少年? 少女? 名は“周鈴”だった!!
暗くいつまでも続く闇を抜け、一馬は空間の裂け目から放り出された。
背中を硬く冷たい地面へと打ちつけ、「がはっ!」と一馬は声をあげた。
今回も相変わらず長く落下した為、その衝撃は凄まじく、一瞬呼吸が止まった。
右手を背中に回し、何度も咳き込む一馬は、その目に涙を浮かべ体を起き上がらせる。
「う、うぅ……」
薄暗く埃っぽい空気に、一馬は目を凝らす。
長く闇の中に居た為、その薄暗い室内にすぐに目は慣れる。
部屋はやや広めで、壁には三つの棚が並んでいた。
見た限り、棚の中は空っぽで埃だけが積もっている。
その事から、この部屋が長い間使われていない事を、一馬は理解した。
ゆっくりと立ち上がった一馬は、すぐに思考を巡らせる。
ここが水の都では無い事を漂う空気と、部屋の内装から理解し、やがてその壁を恐る恐る右手で触れる。
ザラザラとした感触の後、壁はボロボロと崩れ出す。
それが、土壁だと感触で気付き、同時にここが火の国で無いと判断した。
火の国は木造、水の都はレンガ造りが基本の為、この様な土壁の造りではないのだ。
火の国でも水の都でも無いなら、ここは何処なのか一馬は考える。
恐らくまた別の世界だと言うのは分かるが、部屋の中にいるだけでは一体どう言う世界なのかと言う事までは思いつかず、一馬は大きなため息を吐いた。
「はぁ……。何だか、こう言う非日常的な現象に驚かない自分が、ちょっと怖いなぁ……」
両肩を落とし、一馬は呟いた。
フェリアに呼び出されすぎたのが原因だ、と思いつつ、一馬は静かに歩き出した。
足を踏み出すと僅かな風圧で床に積もっていた埃が舞い上がる。
それにより、この部屋が一馬が考える以上に長く使われていないと言う事が分かった。
物置と言うには物が無さ過ぎ、人が生活するには汚れすぎていた。
眉間にシワを寄せる一馬は部屋の中央に置かれた四角いテーブルへと目を落とす。
古びた花瓶には枯れた花が活けられていた。
「大分、使われて無いんだな……」
枯れた花を見据え、右手の人差し指でテーブルの表面を擦る。
埃が指に付着し、机にスッと線が入った。
「人の生活してる感じは無いよな……」
部屋を見回す。
流し台らしき場所の傍には水瓶が置かれ、食器棚らしき場所には埃を被った皿が幾つか並んでいた。
腕を組む一馬はそれから天井を見上げる。
電気系統の設備は無く、ロウソクが一本棚に置かれていた。
恐らくあのロウソクが明かりの役割を補っているのだ。
とりあえず、明かりをつけようと、ロウソクの方へと足を進める一馬は不意に足を止めた。
そして、静かに足元を見据え、ゆっくりとしゃがみこんだ。
「アレ? この床って……」
埃の積もった床を右手で触れる。
そこで初めて一馬は気付いた。
この建物が地面にそのまま建てられた家だと言う事に。
「一体、どんな世界なんだ?」
疑問を抱く一馬は腕を組み首を傾げた。
どうにもこの世界の全貌が見えてこなかった。
眉間にシワを寄せ、唸り声を上げる一馬は、不意に木造のドアの方から聞こえた足音に視線を向ける。
(誰か人が居る?)
思わず息を潜める一馬は、音を立てずに立ち上がる。
何故か、全身に走る緊張に、額から一筋の汗が零れ落ちた。
足音がドアの前で止まり、静まり返る。
一秒一秒が長く感じる程の時間が過ぎ、やがてドアノブがゆっくりと動き出す。
(ヤバイ! 誰か来る!)
長く使われていないはずのこの部屋に一体何の用があるのか、そう考える一馬は身構える。
特に何かをしようと考えていたわけじゃない。
ただ、もしもの時は反撃できればいい、などと浅はかな考えを持っていた。
自分が喧嘩などした事の無い非力な人間だと言う事を忘れて。
留め金が軋み、ドアが開かれる。
僅かな光が開かれたドアの隙間から差し込み、薄暗い部屋を照らす。
差し込んだ光に影が延びる。
開かれたドアの向こう逆光で顔は見えない。
だが、小柄な拳法着らしき衣服をまとう少年の姿が一馬の視線に入った。
目を凝らす一馬と、その少年の視線が交錯する。
静かなる時が流れ、僅かな沈黙の後、少年が駆けた。
一瞬だった。
気付いた時には一馬は地面へと押し付けられ、その喉元には右手に持ったトンファーを押し付けられていた。
「うぐっ!」
表情を引きつらせる一馬に、その少年は幼さの残る声で静かに尋ねる。
「貴様! ここで何をしてる!」
低く静かな声が一馬の耳に届く。
灰色の短めの髪を揺らし、茶色の瞳を向ける少年に、一馬は呻き声を漏らした。
「どうやってここに入った! 一体、何者だ!」
次々と問いただす少年に、一馬は声を発する事はなかった。
当然だ。
彼の右手に持ったトンファーが喉を押し潰している為、声など出せるわけがなかった。
呻き声だけを返す一馬に、少年は眉間にシワを寄せると、ギリッと奥歯を噛み締める。
「何とか言え!」
と、少年が言うがそれは無理だった。
それどころか、一馬の意識は遠退いていき、やがて視界は真っ暗になった。
「おい! おきろ!」
幼さの残る声が耳に届き、一馬は目を覚ました。
霞む視界の中にボンヤリと人の姿が映る。
だが、おかしな事に、その人達は皆小柄で、一馬はその人達を見下ろす形になっていた。
何かがおかしいと一馬も感じるが、どうにも思考が働かない。
瞼を何度も閉じたり開いたりし、視界を広げ、頭を何度も振り思考を働かせようとする。
そんな中で、ようやく一馬は一つの事に気付き、声を上げる。
「な、何だこれ!」
驚きの声と共に、両腕を動かそうとする。
しかし、動かない。
当然だ。
一馬の体は地面に立てられた丸太に確りと括りつけられ、吊るされていたのだ。
「おおおっ! ど、どど、どうなってんだ!」
声をあげ、身をよじる。
しかし、確りと縄を巻かれている為、動けば動く程、その縄が体に食い込んでいった。
そんな一馬を見上げるのは、先程の灰色の髪をした小柄な少年と、農具をその手に持った薄汚れた中華風の衣服を纏った少年少女達だった。
視界がようやく開け、松明に照らされた彼らの顔がハッキリと見えた。
夜なのか、辺りは暗く、松明が揺らぎ火の粉を舞い上げる。
少年少女の顔を確認しながら、一馬は何か情報を得ようと町を見渡す。
家はどれも同じような大きさの土造りで、窓は無くドアが一つだけ付けられた簡易的な造りだった。
自給自足をしているのか、どの家にも隣りに畑が耕してあり、作物がなっているのが目に入る。
訝しげに眉間にシワを寄せる一馬は、やがて自分の回りに集まった少年少女達へと視線を落とすと、先程灰色の髪の少年へと尋ねる。
「ここは……一体?」
喉の奥から搾り出した一馬の声に、農具を持った少年少女が一斉に後ろに下がり、距離を取った。
その行動に一馬は眉をひそめる。まるで、彼らは恐怖している様に見えたのだ。
縛られ何も出来ない自分に何をおびえるのか、と疑念を抱く一馬は、ただ一人微動だにしない灰色の髪の少年へと真っ直ぐに目を向ける。
「キミは?」
「…………」
一馬の言葉に、灰色の髪の少年は、不快そうに眉間にシワを寄せ、切れ長の眼差しの奥に見える茶色の瞳を一馬に向ける。
とても子供とは思えぬ程の威圧的な眼差しに、一馬は思わず息を呑み込んだ。
暫しの沈黙が流れ、ようやく少年は口を開いた。
「人に名を尋ねる時は、まず自分から名乗るのが常識だろ?」
「えっ、あっ……ご、ごめん」
あまりの迫力に思わず謝った一馬は、視線を泳がせ俯いた。
こう言うタイプの人を、一馬は苦手としていた。
確かに言っている事は正しいが、その言葉がキツイ。
まるで自分が言っている事は全て正しい、間違っているのはお前だ、と上から目線で言われている様で嫌な気持ちになる。
少々凹み気味の一馬は、小さく吐息を漏らすと遠い目で黒雲に覆われた空を見据える。
「俺は、大森一馬。キミは?」
改めてそう尋ねると、少年はキッと鋭い眼差しを一馬へと向けた。
何故、こんなにもこの少年が怒っているのか、一馬には分からず、ただただ苦笑する。
確かに勝手に部屋に上がり込んだのは悪いと思っている。だが、アレは一馬の意思に関係なく、勝手にあの場所に出てしまったのだから仕方の無い事だった。
そう説明しようにも、そんな空気ではなかった。
暫しの沈黙が続き、少年は目を伏せ息を吐くと、
「僕は周鈴。この町の長だ。お前は何者だ? どうやって、あの家に入った?」
静かに淡々と問う周鈴と名乗った少年に、一馬は訝しげな表情を浮かべた。
(周鈴? ……アレ? これって……)
一馬の疑問。それは、周鈴が、実は少年ではなく少女なのか、と言う事だった。
名前を聞く限り間違いなく女性の名前だ。故に一馬は困惑していた。
ここで、「キミは女?」などと聞くのは失礼だし、何よりそんな事を聞ける状況でもない為、一馬は困り顔で言葉を呑み込んだ。
(顔は童顔。男の子とも女の子ともとれる……身長は俺の胸くらいだから大分小さいよな……。身長から言えば、中学……いや、小学校高学年位か?
だとすれば、今から成長して……。そうすると、女の子の可能性も……)
複雑そうな表情で考えを巡らせる一馬に、周鈴は右の眉をピクリと動かすと、腰にぶら下げていたトンファーを構え、声を張り上げる。
「僕の質問に答えろ! お前は何者で、どうやってこの村に入り込んだ!」
幼さの残る周鈴の声が、厳しく一馬へと飛ぶ。
その声に一馬は肩をビクッと跳ね上げ、視線を周鈴へと向けた。
怖い表情で一馬を睨みつける周鈴は、今にも飛び掛って来そうだった。
その為、一馬は考える。現状、どうにかする為の策を。
頭をフルに働かせ考える一馬は、一つの答えを導き出し、胸ポケットに入れた召喚札へと念を込める。
呼び出すのは火の国、紅。恐らく、この場を丸く収めるには彼女だろうと、一馬は判断した。
いや、判断したと言うよりも、消去法でそうなったのだ。
お嬢様気質のフェリアとこの強気な周鈴とでは水と油だろうし、雄一は論外。朱雀や青龍の聖霊をこんな事で呼び出すなんておこがましい。
そう考え、紅を呼び出す事にしたのだ。
「我、異界の扉を開く者なり。今、汝の力を求めん。我、呼び声に答え、異界より姿を見せろ!」
瞼を閉じ、早口にそう述べる。
すると、足元へと赤い魔法陣が浮かび上がり、その瞬間に周鈴はその場を飛び退き、そこに集まった少年少女達はクモの巣を散らす様に家へと逃げ出す。
身構える周鈴は、小柄な体を更に低くし、トンファーを構える。
「何をした!」
周鈴が叫び、その視線を一馬へと向ける。
丸太に括られ吊るされた一馬の胸ポケットで発せられる赤い輝きに、周鈴は眉間にシワを寄せた。
そして、呟く。
「召喚か……」
周鈴の呟きは一馬には聞き取れなかった。
だが、一瞬で周鈴の雰囲気が変わった事に気付き、一馬は表情を険しくした。
一馬の考えが正しければ、周鈴は戦闘態勢に入ったのだ。
(まずい! このままじゃ、紅が……)
紅が出てきたと同時に、攻撃を仕掛けるつもりだと分かったが、今更召喚を止める事は出来ず、魔法陣が強く輝きを放つと、周囲を眩い光が包み込んだ。
それにやや遅れ、周鈴の持つトンファーも僅かな輝きを放った。そして、周鈴は駆ける。眩い光の中へと。
周鈴のその動きを目撃した一馬は叫ぶ。
「紅! 逃げろ!」
だが、次の瞬間、聞こえたのは澄んだ金属音。
そして、光が凝縮され、辺りが闇に包まれる。
静寂が漂い、飛び退いた周鈴が地面を滑る様に両足を地に着くと、低い姿勢でトンファーを構えた。
薄らと漂う土煙の中、佇む一人の少女。
「全く……一体、何なのよ」
少々冷ややかな声。
静かで落ち着いた口調。
聞き覚えが無い――いや、記憶の隅の方に僅かに残るその声の記憶が、一馬の脳裏に蘇った。
そして、驚き、目を丸くし、ただその少女を見据える。
金色の髪を肩口で揺らす紺色の袴に白の羽織を羽織った一人の少女を――