第1回 ティータイム、勉強、デート? だった!!
あれから、一月が過ぎようとしていた。
何事無く、平和な日々を過ごす一馬は、今日も今日とて、何故か水の都に呼び出されていた。
「あのなぁ……フェリア……」
「まぁまぁ。いいじゃありませんの。どうせ、一時間ほどで帰られるんですし」
バルコニーに置かれたガラス張りのテーブルに、ティーカップとポットの乗ったシルバートレイを置き、フェリアは嬉しそうに一馬の対面へと座った。
相変わらず、自分勝手と言うか、強引と言うか、そう言う所を見ると、やはり彼女はお嬢様なのだと、一馬はつくづくそう思う。
あれ以来、頻繁に水の都に呼び出されていた。
そのお陰か、この水の都に居られる滞在時間がほぼ一時間程だと言う事が分かった。
最初に来た時は元の世界に戻るまで大分時間が掛かったが、今は何度呼び出されても一時間以上水の都に居た事は無い。
どう言う原理なのかは、一馬もよくは分かっていないが、とりあえず時間が経てば元の世界に戻れる事が分かり、少しだけ安心はしていた。
手馴れた手つきでティーカップに紅茶を注いだフェリアはそれを受け皿へと乗せ、一馬の前に置いた。
「さぁ、召し上がってくださいな」
「あぁ……ありがとう……」
多少の不満はあったが、呼び出されてしまっては仕方が無いと、一馬は諦めた様に大きなため息を吐きティーカップへと手を伸ばした。
景色は最高だった。魔法学園フェアリスの敷地内にある学生専用寮の最上階。そこがフェリアの部屋だった。
町を一望する事が出来る程の高さはある。
高さがある分、風は少々冷たく、フェリアはカーディガンを羽織っていた。
暫しの沈黙が場を包み、一馬は静かに息を吐いた。
「そう言えば、これ、本当に貰ってよかったのか?」
一馬は、ポケットに入れていたイヤリングをテーブルへと置いた。
蒼い宝石のついた小さなイヤリング。それは、初めて一馬が水の都に訪れた際、帰り際に渡された物だった。
宝石がついている為、高価なものだろうと、一馬は思ったのだ。
しかし、フェリアは気にした様子も無く微笑し、紅茶を一口飲み、カップを置いてから口を開く。
「えぇ。大丈夫ですのよ。それは、わたくしと、あなたの契約の証の様なモノですわ」
「け、契約の証……」
ここで、一馬はようやく理解する。
このイヤリングを貰った所為で、自分は何度もこの場所へと召喚される羽目になったのだと。
引きつった笑みを浮かべる一馬は、深くため息を吐き目を細めた。
それから、他愛も無い会話を続ける。この前、こんな事があった、あんな事があったとか、フェリアは楽しげに話していた。
一馬はそれをただ笑顔で相槌を打ちながら聞いていた。
丁度、ティーカップの紅茶を飲み終わる頃、一馬の体は光に包まれる。
「おっ、時間みたいだな」
「そう……ですの。あ、あの……また、呼んでもよろしいですの?」
残念そうなフェリアが、妙にしおらしくそう尋ねた。
いつもの強引さがなりを潜めた事に違和感を覚えた一馬は、眉をひそめ身を僅かに退いた。
「ど、どうしたんだ? 熱でもあるのか?」
思わずそう聞くと、フェリアがムッとした表情を浮かべ、胸を持ち上げる様に腕を組みソッポを向いた。
ウェーブの掛かった金色の髪を揺らし、ぷくっと頬を膨らしたフェリアは、
「何でも無いですわ!」
と、怒った様な声で一馬へと言い放った。
それでも、何処か気になるのか、チラチラと一馬の顔を窺っていた。
フェリアの視線に苦笑する一馬は、右手の人差し指で頬を掻き、困った表情を浮かべる。
「とりあえず、しばらくは呼ばないでくれないかな?」
「えっ!」
一馬の意外な一言にフェリアの表情が凍りつく。
まさか、こんな事を言われるなんて思っていなかったのだ。
その為、フェリアの目は潤み、やがて震えた声で呟く。
「わたくしの事、本当は嫌いでしたの? ずっと、迷惑だって思ってたんですの?」
涙ぐみそう呟くフェリアに、一馬は慌てて両腕を振る。
もう半分以上透けた体で必死に手を振る一馬は、訂正するように声を上げた。
「ち、違う違う! 別に、迷惑だとか思ってないから!」
「なら、どうしてですの? しばらく呼ばないでくれって……」
潤んだ瞳を真っ直ぐ向けるフェリアに、一馬は困った様に微笑する。
「あーぁ……実は、もうすぐテストなんだよ。流石にテスト勉強はしておきたいからさ」
「……本当ですの?」
「ほ、本当だよ」
可愛らしく潤んだ瞳を上目遣いに向けるフェリアに、一馬はドキッとする。妙に色っぽく見えたのだ。
そんなフェリアから視線を逸らし、一馬は頬を赤らめた。
女性に免疫の薄い一馬に、フェリアの上目遣いは破壊力抜群の一撃だった。
その為、ビシッと言っておこうと思っていた一馬の決心は脆くも崩れ去り、諦めた様にうな垂れる。
「テスト終わったら、すぐ連絡するから、とりあえず、それまでは勘弁してくれよ」
両肩を落とし、一馬はそう告げると同時に、その体は消滅した。
一馬が消えると、フェリアはグスンと鼻を啜り、右手の人差し指で涙を拭った。
「あいでっ!」
長い光の通路を滑り降りた一馬は、床に尻を打ちつけた。
見慣れた自室だった。
ベッドの上に散乱した勉強道具。
机に置かれたノートとシャーペン。
コースターの上に置かれたコップの表面にはもう微量の水滴しか無く、中身は完全にぬるくなっていた。
今日は休日で、丁度、テスト勉強の最中だったのだ。
立ち上がった一馬は背筋を伸ばし、腰の骨をポキポキと鳴らした。
「あぁー……勉強……してたんだっけ……」
机に置かれたノートを見据え、ガックリと肩を落とす。
一度失った集中力を取り戻すのは容易では無く、一馬は暫く机に向かったままノートと睨み合うだけで、手は全く進まなかった。
シャーペンで何度もノートを叩き、教科書へと視線を落とす。
一馬の成績は特に悪いわけではない。恐らく、学年でも真ん中辺りの平均的な成績だ。
ただ、高校に入って初めてのテスト。不安があった。
「はぁ……。何だかんだで、授業にはついて行ってるし、大丈夫なのかな?」
背もたれへと体を預け天井を見上げる一馬が、独り言を呟いた。
普通ならただの独り言で済むが、今回はちょっと違った。
『クスクス……』
「はぁ?」
突然の笑い声に、一馬は思わず間の抜けた声をあげ、やがてバランスを崩し椅子ごと倒れた。
激しい痛々しい音が響き、ふわりと赤く光る召喚札が宙へと舞う。
『だ、大丈夫ですか! 一馬さん! 今、凄い音しましたけど?』
紅の声が聞こえ、無様に倒れる一馬は「あいだだ……」と腰を擦り立ち上がる。
あまりにも突然の事だったので、驚いた一馬だったが、すぐに冷静になった。
「だ、大丈夫……それより、いきなりビックリするだろ?」
『す、すみません……ただ、私の召喚札が光ってたので、何か御用かと思いまして……』
「えっ? 召喚札が?」
意外な返答に驚いていると、召喚札から意外な者の声がする。
『フムッ。気を利かせたつもりなのだが、迷惑だったか?』
朱雀だった。
まさかの朱雀の言葉に呆然とする一馬は、引きつった笑みを浮かべ右肩を落とす。
一体、何の気を利かせたのか、と一馬は言いたかったが、言葉を呑んだ。
相手は守護聖霊と呼ばれる偉大な聖霊。そんな聖霊にそんな失礼な事を言える程、一馬は度胸がなかった。
その為、大きなため息を一つ吐き、床に落ちた召喚札を手に取る。
「あ、ありがとう……朱雀。けど、別にそんな変に気を使う事ないから」
『あ、あの……もしかして、今、お忙しかったんですか?』
不安げな紅の声に、一馬は胸を痛める。
あんな風な言い方だと、まるで紅が話しかけて迷惑だと言っている様な感じじゃないか、そう思ったのだ。
申し訳ないとうな垂れる一馬は、右手で頭を抱え天井を見上げた。
どうするかを考える。
ただひたすら平謝りするか、と、考えたが、そこで一馬は動きを止める。
平謝りしたら、それは先程、一馬が思った事を肯定する事になるのではないか、そう思ったのだ。
複雑な心境で、思考を張り巡らせる一馬は、召喚札の前で正座し腕を組みひたすら唸り声を上げていた。
『か、一馬……さん?』
「ご、ごめん。ちょっと待って!」
紅の声にそう返答すると、
『そ、そうですか?』
と、戸惑い気味に紅は呟いた。
暫しの間が空き、やがて一馬は小さく頷く。
それから、自分に言い聞かせる様に、
「うん。やっぱ、謝るべきだよな!」
と、拳を握り立ち上がった。
そして、深々と頭を下げ、
「悪かった。今、テスト勉強中で、その、紅の事が迷惑とか、そう言う事思ってないから!」
と、大声で告げた。
しかし、返答は無く数秒、数十秒と時が過ぎ、一馬は恐る恐る顔を上げる。
テーブルに置かれた召喚札は微動だにせず、一馬は小首を傾げた。
すると、突如召喚札が赤く輝き、
『紅嬢ならおらぬぞ? 先程、呼ばれて祈りに行ったからな』
「なっ! マジかよ! 何でもっと早く言わないんだよ!」
一馬がそう声をあげ、その場に座り込んだ。
「もー……何なんだよー……今日は特別厄日じゃないか!」
『女難の相でも出てるんじゃないか?』
「まさかー。ありえないありえない」
あはは、と笑う一馬は立ち上がり、背筋を伸ばした。
産まれてこの方女性にモテた事など無い一馬にとって女難の相など無縁な存在だった。
背筋を伸ばした一馬は、深く息を吐き出し肩の力を抜く。
窓から入り込む風が、一馬の黒髪を撫で、ゆらりと揺れた。
「さて、勉強再開しようかな!」
一馬がそう気合を入れた時だった。
窓の向こうから愛らしい声が響く。
「一馬くーん!」
聞きなれたその声に、一馬は窓の手すりに手を置き、身を乗り出した。
すると、塀の向こうの歩道で、手を振る夕菜の姿があった。
妙に可愛くまとめた私服姿に、一馬は思わず見とれ、言葉を呑み込む。
思わず見とれてしまう程、夕菜の私服姿が可愛かった。
そんな一馬の視線に、夕菜は右手で肩口で揺れる茶色の髪を耳へと掛けると、恥ずかしそうに視線を逸らした。顔を赤らめて。
夕菜の反応で我に返った一馬は、慌てて視線を逸らしオドオドと両腕を振り回し甲高い声をあげた。
「ど、どど、ど、どう、どうかした!」
完全に動揺する一馬の裏返った声に、夕菜は思わず笑いを噴出し、肩を揺らして笑う。
「ぷぷっ……も、もう、一馬くんてば、何で声が裏返っちゃうかな?」
「あっ、いや、そ、その……」
赤面し俯く一馬は、恥ずかしさで死にそうだった。
もう顔を上げる事などできず、ただ体を小刻みに震わせる。
恥ずかしさに打ちひしがれる一馬に、夕菜は顔を上げると、幼さの残るその顔に満面の笑みを浮かべた。
「ねぇ、今、暇かな?」
夕菜のその言葉に一馬は思わず顔を上げる。
それから、机に広げたノートへと一瞬目を向け、すぐに夕菜へと笑みを返す。
「うん。全然、暇だよ!」
一馬の言葉に、安堵した様に胸を撫で下ろした夕菜は、笑顔で右手を挙げ、
「よかったら、買い物に付き合ってもらえないかな?」
「買い物?」
思わぬ事に思わず聞き返すと、夕菜の表情は僅かに曇る。
「あっ、別に、嫌ならいいんだけど……」
「いや、ぜ、全然大丈夫! すぐ準備するよ!」
一馬はそう答え、窓の向こうへと引っ込んだ。
それを見据え、安堵した様に息を吐いた夕菜は何処か嬉しそうに微笑した。
慌ただしく着替え済ませた一馬は洗面所へ移動すると、鏡に向かい髪を整える。特に髪に気を使っていると言うわけでもないが、今日は入念にチェックしていた。
「よし!」
気合を入れる様に声を上げた。
「お、お待たせ!」
玄関を飛び出し、一馬はぎこちない笑みを浮かべ右手を上げる。
すると、夕菜は愛らしくスカートを揺らし、ニコッと微笑した。
その仕草に思わずドキッとする一馬は、頬を赤くし、それを隠す様に右手の人差し指で頬を掻き視線を逸らした。
夕菜も恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして俯いていた。
それから、二人は妙な間隔を開け、繁華街へと向かい足を進めていた。
お互い緊張しているのか、妙な沈黙が漂いぎこちない空気だった。
私服の夕菜を見るのは小学校以来で、一馬の心臓は大分大きく脈を打つ。
それに、いつもはここに雄一が必ず居る為、何の気がね無く話せていたが、改めて二人きりになると、どうにも言葉が出てこなかった。
長く沈黙が続き、二人はいつしか人通りの多い大通りへと出ていた。
赤信号で立ち止まり、あたりには自然と人が集まる。
そんな中で、夕菜の肩が分厚いメガネを掛けた猫背の男とぶつかった。
「きゃっ!」
バランスを崩した夕菜の体が後ろへと弾かれ、
「夕菜!」
と、思わず一馬は右手を伸ばし、夕菜の肩を抱いた。
自分の胸へと夕菜の体を抱きとめ、一馬は安堵した様に息を吐いた。
普段の一馬ならこんな大胆な事出来なかっただろうが、緊急事態だった為、自然と体がそう動いたのだ。
「だ、大丈夫?」
「う、うん、だ、大丈夫」
顔を赤らめ、夕菜がそう言うと、ぶつかった張本人である分厚いメガネを掛けた猫背の男が深々と頭を下げる。
「す、すみません……急いでいたので……」
「あっ、い、いえ……」
夕菜がそういうと、男は急ぎ足で去っていった。
その背中を見据え、夕菜は小さく首を傾げる。
「あれ? 今のって……」
訝しげな表情を浮かべると、一馬は顔を赤くしながら夕菜から手を離し視線を逸らし尋ねる。
「し、知ってる人?」
一馬の態度に夕菜も赤面し体を離すと、俯き小さく頷いた。
「う、うん……多分、同じクラスの……」
「へぇー……同じクラス……」
一馬は立ち去るその男の背に目を向ける。あんな生徒が同じ学年に居た事を全く知らなかった。
不思議そうな顔をしていると、夕菜はクスクスと笑う。
「な、何?」
「ううん。今、全然知らないな、とか思ったでしょ?」
「えっ? あっ……うん」
心を見透かしたような夕菜の発言に一馬は驚いた様に目を丸くする。
すると、夕菜は口元を左手で隠し、肩を揺らし笑う。
「あのね、彼、体が弱いらしくて、一馬君と一緒で、入学式に出てないんだよ? しかも、つい最近まで学校休んでたしね」
「へ、へぇー……」
何だか、入学式の事を責められている様で、一馬は思わず表情を引きつらせる。
しかし、夕菜はそんな事に気付かず、青信号に変った横断歩道を歩き出す。
そんな夕菜に遅れて、一馬も歩き出した。
(やっぱり、入学式のこと、怒ってるんだろうな……)
深くため息を吐く、一馬の足取りは重い。
夕菜は何も言わない。だが、逆にそれが一馬には怖かった。
もう一度ため息を漏らした一馬が一歩踏み出すと、唐突に空気一変する。
まるで時が止まった様に周囲の色が消え、やがて足元から湧き上がる黒い光に一馬は奥歯を噛む。
(これは――)
一馬は気付く。それが、異界へと繋がる道だと。
その為、視線がすぐに足元へと向いた。
黒光りするマンホール型の魔法陣が一馬の視界に入る。
それから、夕菜へと右腕を伸ばす。もちろん、その手は届くこと無く、一馬の姿は消滅した。
「それでね、彼、凄く頭が――あれ?」
笑顔で振り返った夕菜の前に、一馬の姿はなかった。
キョトンとした表情を浮かべる夕菜は、その頬を膨らせると「もうーっ!」と声をあげる。
その足元に、薄らと残る黒光りするマンホールは静かにアスファルトへと同化していった。