第10回 青龍の復活だった!!
激しい衝撃と共に雄一の体が壁へと叩きつけられる。
砕石が雄一の体へと圧し掛かり、額から流れる血がシトシトと零れ落ちた。
呼吸を乱す雄一は、右手に握った紅蓮の剣を地面へと突き立て、体を起こそうとする。
だが、そんな雄一の体を、ジルは右足の裏で押さえ込む様に踏みつけた。
崩れかけた壁へと押さえつけられた雄一は、表情を歪め歯を噛み締めたまま息を吐き出す。
体が重く、そのジルの足を押し返す事が出来ず、雄一はただジルを睨みつけた。
不適に笑みを浮かべるジルは、その手に持ったレイピアを雄一へと向ける。
「終わりだな」
静かにそう告げ、ジルはレイピアを雄一の心臓へと目掛け突き出した。
その刹那――空を裂く一つの音が響き、レイピアを一本の銀の矢が弾く。
右へと大きく逸れたレイピアは、壁へと突き刺さった。
「くっ!」
声を漏らしたジルが、その視線を矢の飛んできた先へと向ける。
明らかに隙が出来た。この好機を雄一が逃すわけがなかった。
(今だ!)
雄一は右足を振り上げるとジルの腹を蹴り飛ばした。
「ぐっ!」
声を漏らすジルが後方へとよろめき、その直後ジルの体を数本の銀の矢が射抜く。
大きく跳ね上がるジルの体だが、すぐにその肉体はコウモリと化しその場から散る。
ジルの体を射抜いた数本の銀の矢は石畳の地面へと突き刺さり、激しく揺れていた。
体を起こした雄一は、深く息を吐き肩の力を抜いた。
疲労で膝は震えていたが、それでも、雄一は何度かの深呼吸でその震えを止め、静かに顔を上げる。
血を吸い赤く染まった金髪を掻き揚げた雄一は、真剣な眼差しで辺りを見回した。
「逃げた……わきゃねーよな」
そう呟いた雄一の視線の先にコウモリが集まる。
だが、その刹那、一本の銀の矢が一羽のコウモリを射抜いた。
「ぐあっ!」
僅かにジルの声が聞こえ、コウモリが消えそこには膝を着くジルが姿を見せる。
銀髪を揺らすジルの右肩から赤黒い血が溢れ出していた。
何が起こったのか分からず雄一は訝しげな眼差しを向ける。
口角から血を流すジルは静かに顔を上げ、雄一を睨んだ。
「くっ……」
そのジルの表情に、雄一は何かを悟ったのか薄らと口元へと笑みを浮かべ、足元に突き刺さった銀の矢を左手で掴んだ。
「そうか……これは、効果あんのか……」
銀の矢を抜いた雄一は、それを軽く投げながらそう呟き、ジルへと視線を送る。
二人の眼差しが交錯し、静かな時が過ぎた。
二本の牙をむき出しにするジルは、喉元から低い声を吐き出し目の色変える。
いよいよ本気になったのだと気付いた雄一は、左手に持った銀の矢をジルへと投げた。
赤いマントを翻すジルは、その矢を弾くと跳躍し街灯へと着地し、その赤い眼差しを素早く動かす。
矢を放っている者を探そうと必死だった。
しかし、そんなジルの考えを読み取った様にもう二度と矢が飛んでくる事はなかった。
「くっ! 一体、何処から!」
声を荒げるジルを見上げ、雄一は苦笑する。
「おうおう……荒れてんなぁー」
小声で呟き雄一は紅蓮の剣を構えた。
そして、一閃。街灯の柱が火花を散らせゆっくりと崩れ落ちる。
それにより、街灯の上にいたジルはバランスを崩し、地上へと落とされた。
だが、そもそも空を飛べるジルにはそんな事関係なく、優雅に地上へと降り立つ。
鼻筋にシワを寄せるジルは銀色の髪を冷たい風に揺らし、血の様に赤い瞳を輝かせる。
「貴様……私は、今貴様の相手をしている程、暇ではない」
「おいおい……。お前の相手は俺だろ?」
肩を竦めそう告げた雄一に対し、ジルは怒りをその顔に滲ませながら声をあげる。
「さっき、命拾いした奴があまり調子に乗るなよ」
「テメェの弱点が銀の矢だって分かったんだ。戦い方だって変るさ」
雄一はそう言い、また地面に突き刺さった銀の矢を抜いた。
その動きにジルは僅かに足を退く。
雄一とてただのバカではない。勝機があるからこその挑発だった。
そんな折だった。空へと眩い光の柱が昇ったのは。
夜の街を照らす様な眩いその明かりに、雄一もジルもその視線を奪われる。
何が起こっているのか雄一は分からなかった。だが、確信していた。一馬が何か行動を起こしたのだと。
故に、雄一は白い歯を見せ笑い、ジルは険しい表情を浮かべていた。
魔法学園フェアリスの中心、噴水前に佇む三人は、空へと昇る青白い光の柱を見上げていた。
雲一つ無い夜空へと輝くその柱は美しく、とても神秘的な輝きだった。
やがて、青龍の彫刻が青く美しい輝きを放つと、その光の柱を登る様にゆっくりと動き出した。
「せ、青龍様の彫刻が……」
その瞬間にフェリアが声を上げ、一馬と紅の目もその彫刻へと向いた。
実際、彫刻が動いたわけでは無く、彫刻から飛び出したのだ。
青く鱗を輝かせる美しい龍が、空へと向かって。
みるみるのその体は大きく膨れ上がり、空を覆うようにその長い体は渦を巻いた。
鱗の一枚一枚が光を反射し、全く別の青色を映し出す。
神々しく輝くその龍の姿は、恐らくこのパーティー会場にいる者、いや、この水の都にいる全ての者達の目を魅了しただろう。その姿が、他の皆の目に見る事が出来れば――。
宝石の様な蒼い瞳が輝き、頭に生えた二本の角は太く強靭。牙を覗かせるその口から吐き出される吐息が、突風を生み出し、その鋭い爪は、空気を裂く。
やがて動きを止めた青龍は、自分を呼び出した一馬へと視線を落とした。すでに感じていたのか、青龍は静かな口調で尋ねる。
『我を呼び出しし者よ。朱雀が貴様を導いたのか?』
静かでとても重々しい声に、一馬は息を呑み答える。
「は、はい! お、俺が……」
『そうか……どうやら、何か緊急事態が起こっている様だな……』
青龍が町の様子にそう呟いた。
感覚的にヴァンパイアの存在に気付いていた。故に不快そうな表情を浮かべ、その眼差しを動かす。
『どうやら、一体だけか……』
静かに呟いた青龍へと、一馬の持った召喚札が赤く輝き、朱雀の声が響く。
『青龍よ。目覚めたばかりで悪いが、力を貸してもらえるか?』
『ふっ……力を貸すも何も、今の我には力は無い。分かっているはずだ』
静かな声で青龍は告げた。皮肉の様にも聞こえるその言葉に、一馬は苦笑する。
だが、そんな一馬を押しのけ、フェリアは真剣な眼差しで懇願する。
「青龍様! お願いいたしますわ! あなた様のお力を、ワタクシ達にお貸しくださいませ!」
『貴様は……以前、湖で助けた娘か?』
「は、はい! あ、あの時は、ありがとうございました!」
深々と頭を下げるフェリアに対し、青龍は『そうか……』と、静かに呟いた。
気付いたのだ。自分の存在が消えなかったのは、フェリアがいてくれたからなのだと。
そんなフェリアの願いを叶えてあげたい。そう思う青龍だが、静かに瞼を閉じると、大きく頭を振る。
『娘よ。貴様の願いは叶えてやりたい。だが、我には力が無い。朱雀に聞いているだろうが、我ら聖霊の力は人々の信仰によるもの。貴様一人の願い、信じる心だけでは、力は発揮できないのだ』
静かな青龍の声は魔法学園全体へと響く。
その時、フェリアは思い出す。
今、この学園で行われているパーティーの事を。
そして、フェリアは走り出した。
「ふぇ、フェリア!」
慌てる一馬が、追いかけようとした。だが、それを朱雀が止めた。
『寄せ。ここからの事は、この世界の者であるフェリアの仕事だ。青龍が力を取り戻せるかどうか、それは、彼女次第だ』
その朱雀の言葉に一馬は複雑そうな表情を浮かべる。
そんな一馬に紅は胸の前で手を組んだまま、穏やかな口調で告げた。
「大丈夫ですよ。きっと」
「えっ、ああ……うん。そうだね」
紅の穏やかな笑顔に、一馬も笑みを浮かべる。引きつった不安げな笑みを。
会場へと走るフェリアは、自分がどんな格好をしているのかも忘れ、壇上へと上がり声をあげた。
「皆さん! 外を見てくださいませ!」
高らかと響くフェリアの声に、楽器を演奏していた者達の手は止まり、ダンスをしていた者達は足を止め、談笑していた者達は喋るのを止めた。
いや、正確に言えば、フェリアの声では無く、格好に皆驚いていた。
当然だ。パーティーには似つかわしくないボロボロのスカート、汚れたドレスを纏っているのだから。
そんな中で失笑が生まれる。彼女がこの学園の学園長の孫娘でも関係ない。そんな格好をしていれば、笑われて当然だった。
その一つの失笑が、やがて多く者へと広がり、会場は笑いに包まれた。
しかし、フェリアはそんな笑い声など気にせず声を張り上げる。
「今、この町では恐ろしい事が起きていますの。魔術の効かない正体不明の敵が――」
「魔術の効かない敵? そんなのいるわけねぇーよ」
一人の男がフェリアの言葉をバカにする様にそう声をあげた。
その声に更に会場は笑いに包まれる。
拳を握り締めるフェリアは、ギリッと奥歯を噛み締める。
そして、涙で潤んだ瞳を向け、更に言葉を続けた。
「この脅威に対抗出来るのは、青龍様の力だけ……。だから、皆さんのお力を貸して欲しいのです!」
涙で潤む宝石の様な蒼い瞳に、会場に居た者達の笑い声が止む。
強い意志と願う心。それが、会場にいる者達にも分かった。
静まり返ると、一人の青年が恐る恐る挙手する。
「本当に、青龍は、いるのか?」
疑念を抱く様にそう尋ねると、フェリアは小さく頷き、窓の向こう側へと目を向ける。
「いますわ。現に、今もそこに……」
フェリアの言葉に会場に居た者達は慌てて窓の外へと目を向けた。しかし、そこには何も無く、ただの星空が広がっていた。
「ど、何処にもいないじゃねぇーか!」
「そうよ。何もいないわ」
会場の人達がざわめく中、フェリアは声をあげる。
「いないわけじゃないですわ! 見えないだけですの! その存在を信じ、疑わなければきっと……見えるはずですの!」
フェリアの言葉に人々は沈黙する。
信じれば見える。そう言われも信じようが無い。
彼らにとって青龍とはただのおとぎ話の存在。故に、そんなモノを信じるなど馬鹿げていると、思っているのだ。
そんな人々の気持ちを悟ってか、フェリアはただ悔しげに唇を噛み締め、俯いた。
どうすれば、信じてもらえるのか、どうすれば分かってもらえるのか、必死で考え、やがて静かに口にする。
「ワタクシは幼い頃、湖で溺れ死に掛けました」
突然のフェリアの言葉に皆の視線が集まる。
「ですが、ワタクシは助かった。いえ……助けられたのです。この湖で、この町を見守ってくれていた、青龍様に。
皆さんも経験があるはずなのでは? この町の全てを青龍様は知っている。この町をずっと青龍様は守り続けていた。
なのに、ワタクシ達はその存在を忘れ、ただのおとぎ話だと……その所為で、青龍様の力は弱まり、今ではその姿すら……」
涙ぐむフェリアのその声は、震えていた。
無力な自分が情けなく、青龍の存在をただ信じてくれと訴え続ける事しか出来ない事が悔しく、その目からは涙がこぼれる。
そんなフェリアの姿に、皆心を打たれる。いや、皆何処かで感じていた。
幼い頃、青龍と言う存在を目にした事があるのではないかと。
そう、まだ純朴な幼い子供の頃、青龍と言うおとぎ話の中に出てくるその存在を信じていた頃。誰もあっているはずなのだ。
その記憶が蘇り、人々は思い出す。その神々しい姿を――、その気高き存在を――。
会場の皆に生まれた僅かな想い。
その想いは着実に青龍に伝わり、その体は一層濃く強く、輝きを放つ。
青龍自身も気付いていた。フェリアが、皆の心を動かした事を。また、この町の皆が自らを信じ、存在を確かに感じている事を。
かつての力が戻ってくる感覚に青龍は聊か驚きを隠せない。
そんな青龍に対し、朱雀は僅かに笑った。
『青龍よ。人とは不思議な生き物だ。忘れていたはずのその存在を、幼い頃の記憶を呼び覚ます事で思い出す』
『ふむっ……長く生きてきたが、分からぬな。人と言うモノは……』
聖霊として長く生き続ける二人でも、分からない程、人は不完全でまた謎の多い存在なのだ。
天空に舞う青龍は、皆の想いをその体に宿し、ようやく色濃く美しい姿を全ての者の目へと映し出した。
そして、その姿は、雄一とヴァンパイア・ジルの視界にも入った。
「な、何だ! アレは……」
驚くジルは思わず後退する。それ程、青龍の姿は圧倒的な力を発していた。
と、その時、ジルは青龍と視線が交錯する。その瞬間、全ての毛が逆立ち、背中には汗が滲んだ。
(こ、これ程……なのか……守護聖霊……)
瞳孔を広げ驚くジルは、直感する。今すぐ逃げないとマズイと。
だが、そう思うより先に足元――いや、湖自体が蒼く輝き、町を流れる水路をその光が駆けた。
やがて、蒼い光は町全体を覆う。
「ぐっ!」
突如、ジルの体が地面へと平伏す。
「な、何だ……この力は……」
ジルは激しい重圧を感じ、そこから動く事が出来なかった。
体に力が入らず、まるで上から何か見えない手で押さえつけられているそんな感覚だった。
「くっ……体が……」
表情を歪ませるジルに、雄一は首を傾げる。
何が起こっているのか、イマイチ理解出来ていなかった。
そんな折だった。突如、空から雄々しい声が響く。
『我が、力は清き力。あらゆる悪しき力を押さえつけ、捕らえる』
いつそこに移動したのか、上空で体をくねらせる青龍が、平伏すジルを見下ろしていた。
その鋭く透き通る様な蒼い眼差しに、ジルは奥歯を噛み締める。
額から血を流す雄一は深く息を吐くと、肩に紅蓮の剣を担ぎ青龍を見上げた。
「何だ? デッカイ蛇か?」
「龍だよ!」
後ろから駆けて来た一馬が雄一の頭を叩いた。
全力疾走してきた為か、その一発には力が無く、その音も少々しょっぱい音だった。
よろよろと倒れ込む一馬に、雄一は左手で頭を掻きジト目を向ける。
「何だよ? 痛いだろ?」
「い、いた、いたい……じゃ、じゃなくて……」
呼吸を乱す一馬の途切れ途切れの声に、雄一は呆れた。
「お前、少しは体力つけろよ」
「う、うるさいよ……」
「か、一馬さん、だ、大丈夫ですか?」
横たわり空を見上げる一馬へと、後からやって来た紅がそう声を掛けた。
突然の紅の登場に、雄一は目を丸くし、眉間にシワを寄せる。
「な、何で? 何で、コイツがいるんだ? ここ、前の世界とは別世界だろ?」
「せ、説明は、あ、後で……」
「お久しぶりです。雄一さん」
「お、おう。久しぶり……」
深々と丁寧にお辞儀をする紅に、雄一も軽く会釈する。
何が何だか雄一にはさっぱり分からなかった。
妙に穏やかなのんびりとした空気が流れる中、ジルがゆっくりと立ち上がる。体を襲う重圧に耐えるジルは、鼻筋へとシワを寄せ、怒りに満ちた顔を三人へと向ける。
雄一はその様子に一歩前へと出ると、一馬と紅を背に隠す。
「離れてろ。戦闘は俺の仕事だ」
格好をつける雄一へと、一馬はジト目を向ける。
確かに戦闘は雄一の専門だが、ボロボロのその姿ではとてもじゃないが任せられそうになかった。
それに、紅蓮の剣ではジルを傷つける事は出来ない事も知っていた為、一馬は深くため息を吐いた。
一馬のため息に雄一は眉をひそめる。
「何だよ? 大分、不服そうだな?」
「不服って言うか……カッコつけてるけど……戦う手段が無いだろ? あのヴァンパイアにダメージを与える手段が……」
「ふっふっふっ……」
不適に笑う雄一が一馬へと振り向いた。
その挙動が不気味で一馬は表情を引きつらせ、紅も同じ事を思ったのか身を震わせ引きつった笑みを浮かべる。
二人の視線など気にせず、雄一は力強く言い放つ。
「俺は見つけたのだよ! 奴に傷を負わせる手段を!」
「……へ、へぇー」
哀れな者を見る様な冷めた眼差しを向ける一馬は、その視線をゆっくりと雄一の手へと向けた。
その手に握られた一本の矢に注目し、更に目を細める。
一方、紅も困った様な表情で微笑し、その目をチラチラと一馬へと向けていた。
助けを求める様な紅の視線を感じ、一馬は深く息を吐き出し両肩を落とした。
「雄一……」
「何だ? 聞きたいか? その方法」
「うーん……あ、あのさぁ。銀って、結構脆いって知ってる?」
「んっ? 脆い? 何の話だ?」
一馬の言葉に雄一はキョトンとした表情を向ける。
分かっていないのだ。自分が手にしている矢の先がどうなっているのか。
そんな雄一には非常に言い難い事だったが、一馬は小さく頷き気合を入れてから告げる。
「お前さぁ……その手に持ってる矢で攻撃しようとか、考えてるだろ?」
「はぁ? な、なな、何で分かった! エスパーか! エスパーいと――」
「とりあえず、矢尻見てみろよ」
右手で雄一の持つ矢を指差し、左手で頭を抱える一馬は深く息を吐いた。
一馬に言われ訝しげな表情を浮かべる雄一は、チラリと紅へと目を向ける。
紅は相変わらず困った様な笑みを浮かべ、小さく頷くと右手の平を上へと向けて、雄一の持つ矢を見る様に促す。
二人の行動に首を傾げた雄一は、オズオズと左手を持ち上げ矢尻へと目を向ける。
「なんじゃこりゃっ!」
驚き声を上げる雄一に、二人は呆れた様に笑った。
ようやく、雄一は気付いたのだ。そのボロボロになった矢尻に。
純度の高い銀は強度が脆い。その為、衝撃を与えると砕けてしまうのだ。
その事を知らなかったのか、雄一は酷く落ち込みその場に平伏していた。
あまりに緊張感の無い三人に対し、上空で体を揺らす青龍は少々戸惑いつつ声を発する。
『主ら、状況を理解しておるのか?』
「あっ、悪い。青龍。コイツはこんな感じで空気が読めないんだよ!」
申し訳なさそうに、一馬は頭を下げる。
「本当、申し訳ないです」
そんな一馬の隣りで紅も申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
一馬と紅のマイペースな空気に、青龍は複雑そうな眼差しを向ける。
(いや……大概、主らも空気が読めていないと思うんだが……)
青龍が密かにそんな事を思っているなどと知らず、一馬と紅は困った様に笑っていた。
「くっそ……じゃあ、俺は、奴に一撃もくれてやる事ができねぇーのか……」
落ち込む雄一に、重圧に耐え切れずもう一度地面へと平伏したジルが肩を揺らし笑う。
「当然だ……下等な人間が、高貴なるヴァンパイアに傷を負わせるなど不可能だ」
ジルの言葉に雄一はムッと表情をしかめる。
すると、上空の青龍が静かに口を開く。
『我の化身である剣ならば、そやつを斬る事が出来るかも知れぬが……』
「何っ! それは、ホントか! なら、早く出せよ!」
聖霊である青龍に対しても、物怖じしない雄一の怒鳴り声が響き、あたりは沈黙する。
唖然とする一馬は目を細め、紅は慌ただしく両腕を振り、青龍へと頭を下げる。
「せ、せせ、せ、青龍様! も、もも、申し訳ありません!」
『いや……構わぬ。我は気にしていない』
紅の言葉に青龍は静かにそう述べた。
一方、一馬は無礼な雄一の頭を引っぱたき、その頭を深々と下げさせる。
「な、何すんだ!」
「バカ! 聖霊だぞ! 何、アホみたいな口の聞き方してんだよ!」
「はぁ? 聖霊? んなの俺には関係ないだろ!」
ギャーギャーと揉める一馬と雄一に、青龍は呆れた様に吐息を漏らす。
『やめんか。双方とも。全く……緊張感に欠ける者達だ……』
青龍はそう告げ、また吐息を漏らし、その身を輝かせると、光と共に鞘に納まった剣を三人の前へと呼び出した。
美しい鱗模様の描かれた蒼い鞘。その両端に、何故か柄が付いていた。その不思議な形の剣へと手を伸ばす雄一は首を傾げる。
「な、何だ? この剣? 両方に柄が付いてるけど……どうやって鞘から抜くんだ?」
鞘を握り両端に付いた柄を、雄一は交互にマジマジと見据える。
疑念を抱く雄一が眉間にシワを寄せていると、青龍は落ち着いた口調で告げる。
『それは、我の化身。双龍刀。鞘の両端に柄が付いているのは、それが双剣だからだ』
「へぇーっ……双剣……」
小さく頷きながら雄一は両手で左右の柄を握った。
柄はとても握りやすく、確りと手に馴染んだ。だが、ここで雄一は僅かな違和感を感じる。
まるで、この剣が自分を受け入れていない。そんな感覚だった。
それでも、これしかジルに傷を付ける方法が無い為、雄一は深く息を吐き出し両腕を引いた。
だが、その刀はガンッと甲高い音を起て、鞘から抜ける事はなかった。
思ったとおりの結果に雄一は鼻から息を吐き出し、瞼を閉じる。
そんな雄一とは違い、驚く一馬と紅は顔を見合わせた後に青龍を見上げた。
「ど、どど、どう言う事だよ!」
思わずタメ口になる一馬に、青龍は僅かに表情を歪める。もちろん、彼が自分の主である事は認めているが、先程雄一に言っていた事を考えると、どうも複雑な気持ちになった。
しかし、それを態度に出す事無く、青龍は答える。
『朱雀の化身である紅蓮の剣と同じだ。我の剣も持ち主を選ぶ。そやつが抜けなかったと言う事は、その資格がなかった。双龍刀に選ばれなかったと言う事だろう』
「そ、そんな……それじゃあ、私達はこのまま戦う事が出来ないんですか?」
『仕方あるまい……』
「くっ……くっくっくっ……」
このやり取りに、ジルが不適に笑い出す。
不適なジルの笑い声に、雄一は額へと青筋を浮かべる。そして、双龍刀を一馬へと投げ、その手に紅蓮の剣を握りなおした。
投げられた双龍刀を両腕で抱きかかえる様にキャッチした一馬は、ホッと息を吐き出し雄一を睨む。
だが、その雄一の表情に息を呑み込んだ。
恐ろしく冷めた雄一の眼差し、怒りなど通り越し、その表情には感情など無い。
足音も立てず、平伏すジルへと足を進めた雄一は、紅蓮の剣を持ったその手を振り上げる。
その行動に、一馬は慌て、声を上げる。
「雄一! 止め――」
しかし、一馬が言い終える前に雄一はその腕を振り下ろした。
その瞬間を待っていたのか、ジルは口元へと笑みを浮かべる。と、同時に雄一も理解し、「あっ!」と、思わず声を上げた。
「くくくくっ! バカな奴め! ありがとうよ。逃がしてくれて!」
ジルはコウモリへと分裂し、空へと舞い上がっていった。
紅蓮の剣を振り下ろしたまま硬直する雄一は、目を細め、やってしまったと、肩を落とす。
その後ろで頭を抱える一馬は、大きくため息を落とし、紅は残念そうに微笑していた。
ここでようやく力を抜いた青龍は、その大きな口を開き静かに息を吐き出す。すると、その体は煌き、徐々に薄れていった。
「せ、青龍様!」
フェリアが声をあげ、その場へと駆けつける。ウェーブの掛かった長い髪を揺らすフェリアは、鮮やかな蒼い瞳を潤ませ青龍を見上げた。
息を切らせ、大きく肩を上下に揺らすフェリアは、消え行く青龍に不安そうな眼差しを向け、叫ぶ。
「ど、どうして、せ、青龍様が消えて……」
『ふむっ。流石に、この状態でこの世界に止まり続けるには主の体力的にもこの位の時間が限界だろう。
しかし、フェリアよ。主には感謝している。我の存在を皆に信じさせ、力を取り戻してくれた。感謝し切れん程だ』
青龍が穏やかな口調でそう告げると、その体は光となり消滅した。
それと同時に一馬の体を強烈な疲労感が襲いかかった。あまりに唐突な事に一馬は思わずよろめき、膝を落とした。
「か、一馬さん!」
紅が声をあげ一馬へと駆け寄る。不安げな紅の眼差しに、一馬は安心させようと微笑し、右手を軽く上げた。
「だ、大丈夫。ちょ、ちょっと疲れただけだよ……」
僅かに引きつった一馬の笑顔に、紅は眉をひそめる。その表情が一層、紅を不安にさせていた。
紅蓮の剣を鞘へと収めた雄一は、腰へと手をあて息を吐くと、一馬へとジト目を向ける。
幼い頃から一馬の事を知っていた。だからこそ、雄一は一馬のその笑顔が不快で、見ているとイライラとする。
そんな不満そうな雄一に一馬はチラッと視線を向け、静かに立ち上がった。
「悪かった。今回もまきこ――ふぐっ!」
一馬が言い終える前に、雄一がその腹を殴った。
力を込めてはいないが、それでも鍛えていない一馬にとってはその一発は重く体を沈めるには十分な威力だった。
腹を押さえ一馬は蹲り、突然の雄一の行動に、紅とフェリアは声をあげる。
「一馬さん!」
「な、何してますの!」
二人の声を無視し、雄一は深く息を吐いた。
その体は煌き、徐々に薄くなっていく。
苦しそうな表情で、雄一を見上げた一馬は、眉間にシワを寄せ唇を噛み締める。
「謝ってんじゃねぇーよ。前にも言ったろ。大体、辛い時に無理して笑ってんじゃねぇよ。逆に不安になるだろうが!」
雄一はそう怒鳴り、消えていった。
腹を押さえる一馬は、深く息を吐き出し、立ち上がる。
「どうやら、私も時間みたいです……」
紅が静かに呟いた。その体は光に包まれていた。
巫女装束と言うこの世界には無い衣装の紅に、フェリアはゆっくりと頭を下げると、その蒼い瞳を向ける。
「助かりましたわ。あなたが居なければ、青龍様も復活できませんでしたの」
「い、いえっ……わ、私は何も……」
丁寧なフェリアの対応に、紅は困った様に微笑し、顔の前で両手を振っていた。
そんな二人のやり取りに、一馬は腹を押さえたまま苦笑する。この二人はやはり、普通に生活をしていて交わる事の無い性格同士なのだろうと、ついつい思ってしまう。
それ程、二人のやり取りはぎこちなくおかしなものだった。