第8回 二つの間違い 一つの勘違い だった!!
静寂が闇を一層濃くしていた。
冷たい夜風に吹かれ、雄一の夜でも映える金髪を揺らした。
息を呑み、喉元が僅かに上下する。
いつに無く緊張する雄一の左手の親指が、静かにゆっくりと鍔を押し上げた。鯉口に擦れる刃の音が僅かに響き、同時に二人は動き出した。
漆黒のマントを揺らし滑空するように低い姿勢で突っ込むジルに対し、荒々しく乱暴に突き進む雄一は右足を踏み込むと同時に剣を抜く。
赤い閃光が煌き、朱色の刃が空気を裂き僅かな炎を噴いた。
思わぬ一撃に咄嗟に飛び退いたジルは、二歩、三歩と下がり、不適な笑みを浮かべる。
「今のは危なかった」
二人の間にはまだ火の粉が舞っていた。
振り抜いた剣を構えなおす雄一は、左手に持っていた鞘を一馬の方へと投げた。慌ててそれを受け止めた一馬はすぐに二人の方へと視線を戻す。
それ程、緊迫した空気だった。
高熱を誇る紅蓮の剣は、その刃の周りの空気を僅かに歪め、湯気を僅かに噴いていた。それにより、ジルは気付く。その刃は触れただけで細胞を焼き尽くす恐れのあるモノだと。
お互いに距離を置き、間合いを測る。自分が不利な状況だと雄一も分かっているのか、迂闊に飛び込もうとはしなかった。
また静かな時が流れる。数分、いや、数十秒程の時間だろうか。二人は対峙したまま動かない。
恐らく動けないのだろう。互いに警戒しているのだ。
ジリッと右足を前へ出した雄一は、額から汗がこぼれると同時に地を蹴る。先手を取らなければならない。そう、確信したのだ。
静から動へと切り替え、突っ込む雄一に、ジルの反応は僅かに遅れる。まだ動かない、そう踏んでいたのだ。
(くっ! コイツ! 場馴れしてる!)
ジルがそう思うと同時に、間合いを詰めた雄一の剣が左から右へと一直線に流れた。風を切り、炎を噴かせるその刃が間違い無くジルの体を一閃する。だが、その直後雄一の表情が僅かに険しくなり、すぐにその場を飛び退いた。
紅蓮の炎に包まれたジルの体は後方へと倒れ、動かなくなった。しかし、雄一の険しい表情は変らず、その炎をジッと見据えていた。
(何だ……全然、手応えがなかった……)
自分の右手を見据え、雄一は眉間へとシワを寄せる。
完璧に捉えたはずだった。だが、雄一のその手には全く手応えは無かった。
訝しげな表情を向ける雄一。その目の前で燃えるジルの体が突如分裂しコウモリが空へと散る。その様子に雄一は悟る。
「くっ! コイツ……」
自分の剣がこの男には通用しないと言う事を。
空を舞う無数のコウモリに、一馬は驚愕する。
「な、何で! 直撃したはずだろ!」
声を荒げる一馬に対し、一つに纏ったコウモリがまたジルへと戻り返答する。
「直撃? 不死身のヴァンパイアである私を、傷つけられると本気で思っているのか?」
不適な笑みを浮かべ、両腕を広げるジルの姿に、一馬は険しい表情を見せた。思い出してた。フェリアが放った魔術が全く効かなかった事を。
そう考えた後、一馬は理解する。ヴァンパイアであるジルを倒すには、特別な武器が必要だと言う事を。
冷や汗を額に滲ませる雄一は、僅かに呼吸を乱し足を引く。こんなにも威圧的で不気味な相手と対峙するのは初めての経験だった。
静かな時が流れ、雄一は紅蓮の剣を構えなおす。
その様子にジルは両肩を小刻みに揺らし笑う。
「何がおかしい?」
雄一が眉間にシワを寄せ尋ねる。すると、ジルは赤い瞳を雄一へと向け告げた。
「キミの剣は私を傷つけられない。それでも、まだやるのかい?」
「当たり前だろ? 何だ? お前は勝てると分かってる奴としか戦わないのか?」
「なる程……大分、死にたがりと言うわけか」
雄一の言葉にジルは小さく頷きそう答えた。
対峙する二人は、対照的だった。荒々しい雄一の好戦的な雰囲気に対し、穏やかな静かな雰囲気のジル。この対照的な雰囲気が一馬は不気味で仕方なかった。
息を呑み、二人を見守る一馬だが、その頭の中に突如声が響く。
(聞こえるか……主よ)
「えっ?」
頭に響いたのは朱雀の声だった。驚き目を丸くする一馬は辺りを見回すが、朱雀の姿は無い。
その為、一馬は訝しげな表情を浮かべる。
(落ち着け。今、我は直接お前の頭に話しかけている)
「そ、そんな事出来るのか?」
驚き呟く一馬に朱雀は「ふむっ」と小さく頷いた。
「それで、急にどうしたんだ?」
雄一とジルの方へと眼差しを向け、一馬がそう尋ねる。すると、朱雀は静かに答える。
(主よ。紅蓮の剣は我の化身と呼ばれる剣。この地では、我同様あの剣も力を発揮できない)
「えっ? 朱雀ってここじゃ力発揮できないの?」
驚きの声をあげる一馬に対し、朱雀は少々不服そうに告げる。
(主よ……。聖霊の力は人の想い、願いによるもの。信仰の無いこの地では殆ど力は発揮できぬ。
もちろん、青龍も同じだ。信仰が無い今の状況では、奴も力は発揮できない)
真剣な朱雀の言葉に、一馬は眉間にシワを寄せた。
「じゃあ、このままじゃ俺らはあのヴァンパイアとまともに戦えないって事?」
(そうだ。たとえ、青龍が復活したとしても、今の状況では奴には及ばぬだろうな)
朱雀の言葉に一馬は「くっ」と声を漏らした。
今の状況では、何をしてもジルには勝てないという絶望しか残っていないのだ。
だが、そんな中でも、雄一は不適な笑みを浮かべ、紅蓮の剣を構える。
「いいか、よく聞け。男ってのは、たとえ、勝てない相手にでも向かっていかなきゃなんねぇ。
でなきゃ、成長できねぇーし、学習も出来ねぇ。だから、俺は立ち向かう。どんな強敵が相手でもな」
雄一の言葉にジルは大手を広げる。
「成長出来ないし、学習も出来ない? ふふっ。キミは間違っている。成長も学習も出来ないんだよ。
私に向かってくるって事は、死ぬと言う事だからね!」
ジルが地を蹴り、滑空する様に雄一へと迫る。その動きに雄一は右足を踏み込むと右腕に力を込めた。
「うらぁぁぁぁっ!」
怒声を響かせ、力任せに紅蓮の剣を振り抜く。その朱色の刃がジルの首を刎ね、その頭が地面へと落ちる。
だが、地面に落ちたジルの顔は、不敵に笑みを浮かべるとすぐにコウモリへと変わり空へと舞う。
その様子に雄一は眉間にシワを寄せる。やはり、紅蓮の剣ではダメかと、雄一は思うが、それでも剣を構えなおし、ジルへと向かう。
そんな雄一に、一馬は叫ぶ。
「雄一! 一旦、退こう! 今のままじゃダメだ!」
しかし、雄一は一馬の言葉に小さく首を振り、怒鳴った。
「うるせぇ! 男が簡単に敵に背を向けられるか!」
「そ、そんな事言ってる場合じゃないだろ!」
雄一へと一馬も怒鳴る。だが、雄一は頑なに首を振り、その鋭い眼差しをジルから離す事はなかった。
もめる二人に対し、頭が戻ったジルは不適に肩を揺らし笑う。
「仲間割れか? だが、ソイツの言う通りだと私は思うぞ。お前では所詮私の相手じゃ――」
「はぁ? バカか? 何がソイツの言う通りだ。素直に逃げて、お前が逃がすわけねぇーだろ。なら、俺は逃げずにここでお前に立ち向かうだけだ」
雄一のその言葉に一馬は悟る。雄一がここに残る事を選択したのは、自分を逃がす為なのだと。
確かに二人で逃げても、ジルは追って来るだろう。そうなれば結局逃げ切れず二人共アウト。そうなら無い為に雄一は――。
そう思い一馬は唇を噛み締める。結局、自分が足を引っ張っている。そして、また雄一を巻き込んでしまった。後悔ばかりが頭を過ぎる。
俯く一馬に対し、雄一は声をあげる。
「一馬! 早く行け!」
「で、でも――」
「いいから早く行け!」
雄一の声に一馬の肩がビクッと跳ねた。
そして、走り出す。振り返る事無く、一馬は必死に夜の街を駆け抜けた。
それを見送り、雄一は静かに息を吐き出す。肩の力を抜き、やがて雄一は瞼を閉じる。
「おや? あきらめたんですか? 敵を前に目を閉じて?」
ジルが蔑む様な笑みを浮かべる。だが、雄一の反応は無く、その薄らと開かれた唇からゆっくりと息だけが吐き出される。
意識を集中する雄一は心を静めると、ゆっくりと瞼を開き、ジルへとその眼差しを向けた。
先程までの荒々しい雰囲気が完全に消え、冷めた眼差しを向ける雄一は、両手で紅蓮の剣を構える。
雰囲気の変化にジルも気付き、鼻から静かに息を吐き出すと、レイピアを構えた。
「キミは二つの間違いを犯している。まず、キミでは私に勝てない。そして、もう一つ」
左手の人差し指を立て、ジルは不適に笑う。
そのジルの態度に、雄一の右の眉がピクッと僅かに動いた。
僅かなその反応に、ジルはニタッと笑みを浮かべる。
「彼を逃がした所で、彼には何も出来ない。キミは無駄な事をしたに過ぎない」
「無駄なこと? お前こそ、一つ勘違いしてるぜ」
瞼を静かに閉じそう告げた雄一は、口元へと笑みを浮かべる。
そして、瞼を開き鋭い眼差しをジルへ向け、突っ込んだ。
右足を踏み込み左から右へと横一線に紅蓮の剣を振り抜く。その剣をジルはレイピアで受け止め、その額を雄一の額へとぶつけ、囁くように口を開いた。
「勘違い? 一体、私が何を勘違いしているって言うんですか?」
ジルはそう告げると、強引に雄一の体を後ろへと弾いた。突き飛ばされた雄一だったが、バランスを崩す事無く剣を構えなおす。その視線は真っ直ぐにジルを見据え、その口元には笑みが浮かんでいた。
「お前は、アイツを勘違いしている。アイツは弱いわけじゃねぇーし、簡単に逃げ出す様な奴じゃねぇ」
「ふっ……ふふふっ……」
雄一の発言にジルは肩を揺らし笑う。その声に雄一は不快そうな表情を浮かべるが、何も言わずジルをただ見据えていた。
やがて、その笑い声は静まり、ジルの蔑む様な眼差しが雄一へと向けられる。一馬を見下し、そんな一馬を過大評価する雄一を見下す。
「何を言い出すかと思えば……、実際に彼は逃げた。あなたの言っている事は矛盾しているんですよ」
そう言いレイピアの切っ先を雄一へと向ける。
ジルの行動に肩を僅かにすくめた雄一は、ジト目を向けたまま言い放つ。
「矛盾なんかしてねぇーよ。アイツは逃げたんじゃねぇー。お前を倒す為の方法を探しに行ったんだ。
俺はそれまでお前を引きとめるだけだ。大体、アイツが俺の言う事を素直に聞くわけねぇーんだよ!」
雄一の言葉にジルは不快そうな表情を浮かべる。流石に逆鱗に触れた様だった。
「貴様が……私を引きとめる? 何か勘違いしている様だな! 貴様如きが、対等になった気になるな!」
怒声を轟かせるジルの目の色が明らかに変る。
突風は吹き荒れ、金色の髪を逆立てるジルは、口元に二本の牙をむき出しにし、その体から禍々しい空気を漂わせていた。
ジルの雰囲気の変化に雄一は額に汗を滲ませる。自分が本当にヤバイ相手と対峙しているのだと、改めて理解した。
町の中を駆ける一馬は、考えていた。ジルを倒すべき方法を。
だが、その為にもまずフェリアと合流しなければならず、一馬は慣れない複雑な町を走り回っていた。
焦りから上手く思考が働かない一馬は、一旦立ち止まり呼吸を整える。
額から溢れる汗を右手の甲で拭い、膝へと両手を着いた。何とか深呼吸し、気持ちを落ち着かせる一馬は、冷静に考える。
この状況で、フェリアなら何処に行くかを。
呼吸が未だ整わず、肩を僅かに上下に揺らす一馬が導き出した答え、それは――
「魔法学園……フェアリスか……そこしか……ないよな」
自分にそれが正解だと言い聞かせる様にそう呟き、その視線を街の中心に存在する魔法学園へと向いた。
まだパーティーが行われているであるあろう魔法学園フェアリスは明るく光を放っていた。
その為、目指すには容易な場所だと、一馬は走り出した。
それから数十分、一馬は走り続けた。しかし、走れど走れど魔法学園フェアリスに近付く様子も無く、一馬は足を止め空を見上げた。
あまりにも道が複雑過ぎ、完全に一馬は迷っていた。昼間見た町並みと夜の町並みでは雰囲気が違い、一体、自分が何処にいるのかさっぱり分からなくなっていた。
「ど、何処だ……ここ……」
肩で息をし、呟く一馬は辺りを見回す。
キョロキョロとしながら十字路を右へ曲がろうとした時、角から飛び出した少女と衝突した。
「きゃっ!」
「うわっ!」
ぶつかった瞬間に柔らかな反発力のある物体に弾かれ、一馬は尻餅を着いた。相手も同じより、尻餅を着き、大きな胸が弾む様に揺れた。
「ご、ごめん……」
立ち上がった一馬はすぐに頭を下げる。そんな一馬の目に飛び込むはちきれんばかりの胸に、赤面し顔を背けた。それでも、彼女に対し右手を差し出し、「だ、大丈夫?」と尋ねた。
すると、彼女は穏やかに微笑し、差し出された手を取り、ゆっくりと立ち上がる。
「す、すみません。ちょっと、急いでいまして……」
足元まで届くスカートを叩く少女が、そう言い深々と頭を下げる。
初見は大きな胸に目が行った一馬だったが、ここで彼女がメイド服を纏っている事に気付いた。
一瞬、コスプレかと思ったが、その丁寧な口調や仕草から彼女は本物のメイドなのだと、一馬は判断した。と、言うより、この世界だと普通にメイドが居てもおかしくない、と、不覚にも思ってしまった。
丁寧にもう一度深く頭を下げる少女は、「それでは、失礼します」と、静かに呟き、胸を揺らしてから一馬の横を通り過ぎる。
その瞬間に一馬は振り返り声を掛けた。
「あ、あの!」
一馬の声に、メイド服の少女は足を止め振り返る。
サイドアップにした茶色の髪を揺らし、小首を傾げる少女は辺りを見回して答えた。
「えっ? わ、私ですか?」
キョトンとした童顔の顔を怪訝そうに歪める。
あからさまな警戒心を向ける少女に、一馬は慌てて両手を顔の横まで上げ、
「あ、あ、怪しい者じゃないよ! ちょ、ちょっと道を尋ねたくて!」
早口でそう答える。
その一馬の言葉に、彼女は疑念を抱いた眼差しを向けていたが、やがて穏やかな笑みを浮かべた。
一馬に敵意が無い事と、その風貌から怪しい人では無いと、少女は判断したのだ。
「えっと、急いでるんで、手短にお願いできますか?」
「あっ、はい! じ、実は、魔法学園フェアリスに行きたいんです!」
「フェアリスに? ふふっ、もしかして、この町は初めてなんですか?」
右手で口元を押さえ笑う少女にそう尋ねられ、一馬は少々考える。
初めてと言えば初めてだが、この町が初めてと言うよりも、この世界が初めてだった。
その為、苦笑し、「そ、そうです」と右手で頭を掻きながら答えた。
一馬の一言に「そうですか」と微笑む少女は、ゆっくりと十字路の右を指差し、
「コチラの道を道筋に真っ直ぐ行きますと、噴水広場が見え、そちらを右へと行って、さらに突き当たりを左へ行けばフェアリスの裏口です」
満面の笑みでそう説明した少女に、一馬は頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いえ。お気をつけてください」
少女は小さく会釈すると、スカートを揺らして走り去っていった。
そんなメイド服姿の少女の遠ざかっていく背中を見送ってから、一馬は言われたとおりの道を走り出した。