第7回 ジルの目的 一馬の頼れる奴だった!!
呼吸を乱す一馬は空を見上げていた。
散り行く朱雀の姿に、肩を大きく上下に揺らし唖然としていた。
信じがたい光景だった。火の国では鬼を寄せ付けぬ強さを見せていた朱雀が、いとも容易く散っていく姿を想像出来るわけがなかった。
半開きの口から荒く息を吐き出す一馬は、表情をしかめると息を呑み、再び走り出す。
朱雀がやられたと言う事は、あのヴァンパイアが動き出すと言う事だからだ。何とかしなければならないと、思考を張り巡らせる。
だが、良い案は浮かばない。いや、浮かぶ前に、ソイツは目の前に現れた。
空より月光を背に浴び、漆黒のマントをはためかせながら。
「おやおや……まだこの様な場所に居たのか?」
穏やかな口調でそう告げるヴァンパイアはゆっくりと着地する。そして、銀色の髪を右手で掻き揚げ、赤い瞳を二人へと向けた。
身もよだつ恐ろしい気配に、一馬は表情を歪め、フェリアを自らの体の後ろへと隠す様に立つ。フェリアだけは守らなければならない。そう自分に言い聞かせる。
対峙しただけで分かるヴァンパイアの圧倒的な力に、一馬の膝は震えていた。それを押し殺すように、一馬は深く息を吐き出した。
静寂が二人の間に流れ、冷たい風が吹き抜ける。ゆっくりと時が刻まれ、ジリッと一馬は左足を退いた。
その時だった。唐突に両腕を広げたヴァンパイアは、声高らかに告げる。
「自己紹介がまだだったね。私は、ヴァンパイア、ジル! 高貴なる種族だ。ああ。キミは名乗らなくてもいいよ。どうせ死に行く命なのだから」
ジルと名乗ったヴァンパイアは、薄ら笑みを浮かべ右手をスッと差し出した。鋭い黒い爪が一馬へと向けられる。
息を呑む一馬は、眉間へとシワを寄せると、フェリアの顔をチラリと見た後に静かにジルへと声をあげた。
「い、一体、何が目的だ!」
「目的? それは、簡単だよ。まずは、彼女だ」
ジルが指し示したのは一馬の背中に隠れたフェリアだった。その言葉に一馬は表情をしかめ、僅かに足を下げ、フェリアを自らの体の後ろに隠す。
何故、フェリアを狙っているのかは分からない。だが、その目が本気だと言う事がハッキリと分かった。
奥歯を噛み締める一馬は、思考をフル回転させる。今、すべき事、出来る事を考えた後に出た答えは簡単だった。
「フェリア……」
一馬は静かにフェリアの名を呼び、その手を離す。その行動にフェリアは顔を上げる。その視界に映るのは一馬の横顔だけ。だが、その真剣な表情にフェリアは気付く。
「な、何を考えてますの! そんな事――」
「俺は大丈夫だから。フェリアは逃げろ」
「何を言ってますの! 魔術も使えないあなたがどうにか出来る相手じゃありませんのよ!」
フェリアが声を荒げる。だが、一馬の決意は変らず、静かな口調で告げる。
「それでも、今は俺が時間を稼ぐしかないんだよ」
「なら、ワタクシも――」
「奴の狙いはフェリア、キミなんだ! それに、フェリアの魔術だって奴には効かなかった。今は逃げる事を最優先に考えるべきだ!」
一馬が怒声の様にそう告げた。膝が僅かに震えていたのに、フェリアは気付いた。そして、唇を噛み締める。上級魔導士、特Aクラスなどと言っておいて、結局何も出来ない自分の不甲斐なさが悔しく、涙が溢れそうになった。
だが、そんなフェリアの涙を押さえたのは、一馬の一言だった。
「俺にはまだ頼れる奴が居る。ソイツは、きっとこの状況も一瞬で変えてくれる。だから、俺を信じて今は逃げてくれ。絶対に、後から追いつくから」
真剣な一馬の言葉に、フェリアは溢れそうになっていた涙を右手の甲で拭い、強い眼差しを向ける。
「絶対、ですのよ!」
「ああ。約束する」
一馬がそう言うと、フェリアはその視線をジルへと一瞬向けると、すぐに背を向け走り出した。
フェリアの足音が徐々に遠ざかり聞こえなくなる。そこでようやくジルは口を開く。
「逃がした所で結果は変らない。無力なお前では何も出来ない」
大手を広げ、演説の様にそう告げるジルに、一馬は険しい表情を浮かべる。
ジルの言う通り、一馬には何も出来ない。雄一の様に力が強いわけでもない、フェリアの様に魔術が使えるわけでもない。それでも、一馬には出来る事がある。
瞼を閉じた一馬は、深く息を吐き出し、心を静める。そして、ゆっくりと瞼を開き、強い眼差しをジルへと向けた。威圧的なその眼差しに、ジルは不適な笑みを浮かべる。
「無力なキミが私とやりあう気か? 無謀だね」
「自分でもそう思うよ」
ジルの言葉に、一馬は静かにそう答えた。だが、その声にはすでに恐怖は無く、震えていた膝の震えも止まっていた。
その覚悟を決めた一馬の眼差しに、ジルの顔から笑顔が消える。そして、赤い瞳が真っ直ぐに一馬を見据える。
二人の視線が交錯し、静かなその場に冷たい風が吹き抜けた。緩やかに揺れる水気を帯びた一馬の髪の先から雫が一つ零れ落ちる。それが、ゆっくりと地面へと向かって落下する。
落下するまでに一馬の心臓がどれ程鼓動しただろう。落ちるまで、どれ程思考を張り巡らせただろう。ただ、一瞬。雫が地面に触れ、弾けるその一瞬の時に、一馬は手にした召喚札を握り締め、念じる。
(頼む……また、俺に力を貸してくれ――雄一)
と、強く――。
場所は大堂学園、時刻は放課後――。
丁度、下校の時刻だった。
相変わらずグラウンドからは運動部の活気ある声が響き、開かれた門からは隊列を組んだ男子運動部員が坂を下っていく。
新入生もようやく、自分が入りたい部活を決め、この時間に下校する生徒の数は案外少なかった。
そんな中に、奴はいた。
金髪の寝癖頭。進学校には珍しいシャツのボタン全開の男、内藤雄一だ。授業の半分以上は寝ているクセに、大きな欠伸をする雄一は、眠そうに頭を掻き毟る。
「ったく……一馬の奴……また、変な事に巻き込まれてねぇーだろうな……。心配で全然眠れなかったぜ……」
全くの嘘である。
確かに一時限目は心配していた。だが、二時限目以降は早々に机に身を預け深い眠りに誘われていた。
また大きな欠伸をする雄一へ、後方から小さな足音と共に声が響く。
「お、お兄ちゃん!」
夕菜の声だった。僅かに呼吸を乱しながらも愛らしいその声に、雄一は目を輝かせ振り返り、大手を広げる。
「おおーいと――げふっ」
「やめて!」
雄一が言う前に、夕菜の手に持ったカバンがその顔を叩いた。
夕菜も変らず綺麗に可愛らしい制服を着こなし、茶色の長い髪を揺らしていた。今日は六時限目が体育だったと言う事もあり、珍しくポニーテールにしていた。
そんな夕菜の姿に、雄一はおっさんの様に「はっはっはっ」と笑い声を上げる。
「な、何……お兄ちゃん。変な物でも食べた?」
いつもおかしな雄一だが、今日は一層酷かったのか、夕菜は心配そうにそう尋ねる。愛らしく覗き込む様に目を向ける夕菜の姿に、雄一は「ふっ」と二枚目風に笑うと、ニッと歯を見せ笑い言い放つ。
「お前の作った愛情の篭ったべ――ふごっ!」
また、雄一の顔面へと夕菜のカバンが直撃した。
「痛いだろ! さっきから!」
「変な事、言おうとするからでしょ? そもそも、アレは、お兄ちゃんにじゃなくて……ごにょごにょ……」
頬を僅かに紅潮させる夕菜の言葉は後半ごにょごにょと言っている為、雄一には上手く聞き取れなかった。その為、雄一は不機嫌そうに「はぁ? 何だって?」と右手を耳にあて聞き返す。
「な、何でも無い! とにかく、アレはお兄ちゃんの為に作ってるわけじゃないんだから! ついでなんだからね!」
頬を膨らせ、捲くし立てる様に言い放つ夕菜の姿に、雄一は思う。
(これが、ツンデレって奴か……そんなに照れる事無いのにな)
胸の前で拳を握り締め、雄一は何度も頷いていた。
しかし、そんな雄一に対し、夕菜は冷めた眼差しを向け深くため息を吐いた。
「あのね、お兄ちゃん。言っておくけど、これっぽっちもデレなんてないからね」
右手の人差し指と親指を顔の前に僅かな隙間を開け構える夕菜に、雄一ははっはっはっ、と大胆な笑い声を上げる。
「照れるな照れるな! お兄ちゃんはいつでも大歓迎だぞ!」
雄一の危ない発言に、一層身を引く夕菜は肩を抱き身を震わせる。
「な、何言ってるの? 気持ち悪いです」
距離を置いたように敬語になる夕菜に、雄一は表情を引きつらせる。
「あ、アレ? 何で敬語? いつもみたいにほら」
「えっ? 何ですか? 私、いつもこんな感じですよ? おかしな事いいますね。お兄さん」
冷めた表情、感情を押し殺した様な声に、雄一は目を細め肩を落とした。
「俺が悪かった……マジで、勘弁してください……もう、二度としません」
深く頭を下げ謝る雄一に、夕菜はふっと息を吐き出すと肩の力を抜き微笑する。
「約束だよ? に・ど・と! 愛しのとか、私に対して妙な感情で話すの、やめてね」
満面の笑みを浮かべる夕菜に、雄一は不満そうに目を細め顔をあげる。
腰に手をあて得意げな表情を向ける夕菜は、ミニスカートを揺らし一転し静かに歩みを進める。相変わらず、一つ一つの行動が愛らしい夕菜に、雄一は嬉しそうに息を吐くと、ポケットに手を突っ込み歩き出した。
と、その時、雄一の視界に飛び込む。夕菜の足元に薄らと輝くマンホールが浮き上がってくるのが。
(アレは――ッ! まさか、一馬の奴!)
すぐにそのマンホールが異世界へと繋がる――いや、一馬が雄一を呼び出す為に開いた異世界への扉だと気付いた。それが、大分逸れている事から、相当危機的状況なのだと雄一は悟るが、同時に怒りも込み上げる。
(あの野郎! 夕菜を危険な目にあわせる気か!)
額に僅かに青筋を浮かべる雄一へと、夕菜は不満そうに声をあげる。
「そう言えば、お兄ちゃん。一馬君の――キャッ!」
夕菜が悲鳴を上げる。雄一によって後ろから押されたのだ。
よろめく夕菜は二歩、三歩と足を進め、何とか転ぶは間逃れる。下り坂であるこの場所で転べば大惨事になる為、夕菜も必死だった。その為、振り返った夕菜はいつに無く大きな怒鳴り声を上げる。
「な、何するのよ! お兄ちゃん! 危ないじゃない!」
しかし、振り返った夕菜の目の前に、雄一の姿はなかった。薄らと輝きを放っていたマンホールは静かに消滅し、静かに風が吹きぬけた。
青白い光の中を雄一は落下する。
二度目ともなればなれたモノで、声をあげる事無く雄一はただ一点を見据えていた。
やがて青白い光は消え、真っ暗な闇に突入。それから数秒後、雄一の足は地上へと降り立ち、冷たい空気が頬を撫でた。
火の国とは違う涼やかで空気も澄んだ環境に、雄一は僅かな違和感を感じる。だが、すぐに顔を上げ辺りを見回し、理解する。
「何だ? 前と違う所じゃねぇーか!」
僅かながらの驚きの声をあげる雄一に、一馬が叫ぶ。
「雄一! 前!」
「あぁん?」
一馬の声に、雄一が正面へと視線を向ける。すると、その視界に飛び込む。銀髪を揺らす青白い顔のジルの姿が。
「死ね!」
鋭く尖った漆黒の爪を合わせ雄一へと突き出す。だが、雄一はそれを身を右へとそらしかわすと、握った左拳を反射的に下から突き上げる様に振り抜いた。
「ぐっ!」
その拳がヴァンパイア、ジルの腹部に抉るように突き刺さる。
しかし、その瞬間にヴァンパイア、ジルの体は崩れ無数のコウモリへと分裂した。
「うわっ!」
驚きその場を飛び退いた雄一は、そのまま一馬の隣りへと並んだ。夜空へと舞う無数のコウモリは、街灯の上へと集まる。そして、ゆっくりと一つにまとまり、元のジルの姿へと戻った。
足元からの光に照らされ、ジルの姿が不気味に映る。銀髪は漆黒のマントと共に風に揺れ、赤い瞳が二人を見下す。
その眼差しに一馬の隣りに並んだ雄一は額へと青筋を浮かべる。気付いたのだ。この男が完全に自分達を小物扱いし、馬鹿にしている事に。
奥歯を噛み締め、口元に引きつった笑みを浮かべる雄一は、握り締めた拳を震わせ口を開く。
「久しぶりだな……こんな感情になるのは……」
「ゆ、雄一? ど、どうしたんだ?」
突然の雄一の発言に一馬は動揺する。いつもと雰囲気が違う事にいち早く気付いたのだ。
明らかに怒気を含んだ雄一の眼差しが、ジルへと向けられる。
「マジで、忘れてたな。こんな風に人に見下されるって感覚」
雄一がそう呟く。一馬達二人が住む町では、雄一はずば抜けた存在で、今となっては見下すなどと言う命知らずな行動を取る者はいない。その為、久しぶりに見下され、腹の底から怒りがわきあがってきたのだ。
しかし、雄一はすぐにその怒りを静める様に息を吐き出す。多くの喧嘩の経験から、相手の挑発に乗るとろくでもない事になる事を同時に思い出したのだ。
「ふぅー……はぁぁぁぁ……」
何度も息を吐き出す雄一の姿に、ジルは不適な笑みを浮かべる。
「どうやら、ただの喧嘩慣れしたバカではなさそうだな」
ジルのその発言に、一馬は驚いた表情をジルへと向けた。
(えっ? そ、そうなの? お、俺はずっとそう思ってたんだけど……)
そう思いながら一馬は雄一の横顔を見据える。とても、ジルが言う様には見えず、一馬には本能のままに生きている様な印象しかなかった。
「とっとと下りて来いよ。相手はしてやるから」
雄一はそう言うと、慣れた様子で右腕を右方向へと伸ばす。すると、空間が裂け、そこから紅蓮の剣が飛び出し雄一の手の中へと納まった。
突然、空間を裂き現れたその剣に、ジルは聊か驚いた表情を浮かべる。だが、それと同時に、ジルは雄一と言う存在に興味を示した。
(空間を貫き武器を呼ぶ……。ただのガキではないと言う事か……)
青白い顔に浮かぶ薄気味悪い笑みに、雄一は警戒心を強め、腰を僅かに落とし紅蓮の剣を腰の位置に構えた。
「下がれ! 一馬!」
「えっ、あ、ああ……」
雄一の真剣な声に、慌てて返答した一馬は三歩ほど下がると、街灯の上に立つジルへと眼差しを向ける。
異様な空気だった。緊迫が辺りを包み込んでいるはずなのに、とても穏やかな時が過ぎる。
そして、その空気に雄一も気付き、額に汗を滲ませていた。
(何だ……コイツ。急に空気が変った……)
すり足で右足を前に出した雄一は、意識を集中していた。
マントをはためかすジルは、ふわりと浮き上がると静かに地上へと降り立つ。
「ふふっ……私を楽しませてくれよ」
ジルはそう言うと、マントの中から一本のレイピアを取り出し、それをゆっくりと構えた。