Episode Ⅳ 「三知男のゲーム」
女性はその場に崩れ落ちた。
腹にはナイフが刺さっている。
刺した男はぶきみな微笑みを残したまま、立っていた。
「…これで3人目…」
男が呟いて「ふふふ」と笑った。
……
家に帰った三知男は、ダイニングテーブルに並べたナイフを見て、悦に入っていた。
「リアルなゲームは違うな…。ああ、あの刺す時の感触…たまんない…。」
そう言いながら、ナイフを1つ1つ撫でた。
その三知男の後ろに、頭に牡牛のような角を持った男が出現した。
「次はどこでやる?」
「まぁ待てよ。」
三知男は、驚く事もなく両手をさすりながら言った。
「まずは武器を選んでからだ…。」
「刺せたらどれでも同じだろう?」
「それは違う!」
三知男は、男に振り返って言った。
「いかに声を出させずに刺すかが大事なんだ。そのためには、よく刺さる武器じゃないとだめだ。」
「へぇー…人間というのは、おかしなところにこだわるんだな。」
「それが、お前達、悪魔との違いだ。」
「なるほど。勉強させてもらうよ。」
男の言葉に三知男はくすくすと笑い、またナイフに向いた。
「さぁて…と…。」
牡牛のような角を持った男は、あきれたような表情をして消えた。
……
浅野はコンビニの袋を持ち、夜道をぶらぶらと歩いていた。
今日は、主人の北条圭一がご飯を作りに来てくれるはずだったのだが、急に音楽番組の収録が入り、来られなくなったのだ。
「あー、ひもじいなぁー…」
浅野はそう言いながら歩いていた。
浅野にはもう生体がないため食べる必要はないのだが、食べなければ「ひもじい」と感じる魂になってしまっているようだ。
「圭一君が来ないと、自分でご飯作る気力もないや。」
そう呟いた時、背中に何かがぶつかってきた。
浅野は驚いて振り返った。
浅野より背の低い、にやけた男が立っていた。
「…なんでしょう?」
浅野がそう言うと、男は「背中見て背中」と言った。
「?」
浅野はそう言われてから、やっと背中に違和感を感じた。
「!!」
ナイフが刺さっている。
「通り魔はお前かっ!!」
浅野がそう言って振り返った。男は驚いた顔で浅野を見て言った。
「えっ?あれっ?」
浅野は天使アルシェの姿に形を変えた。そして後ろに手を回し背中のナイフを自分で抜いた。
「わ…うわーーーっ!!!」
男が逃げだした。浅野は瞬間移動し、逃げる男の前に両手を広げて立ち塞がった。
「つーかまーえた!」
そうアルシェは言ったが、突然アルシェの真前に、頭に牡牛のような角を生やした男が現れた。
次の瞬間にはアルシェは突き飛ばされ、大木に背中を強く打ちつけられた。
その衝撃で、アルシェは浅野に姿を戻していた。
「くそ…悪魔か?」
浅野がそう呟いて目を開くと、目の前には誰もいなかった。
…そして、浅野を刺したナイフも一緒に消えていた。
……
浅野は警察署から出た。
圭一の知り合いである捜査一課の刑事「能田」に、昨夜、通り魔に襲われた事を伝えに来たのだ。
話がややこしくなるので「刺された」とは言わなかった。
通り魔の顔を憶えていたため、自分で描いた似顔絵も渡した。能田はとても喜んでくれた。
「顔を見られた事で、また襲ってくるかもしれません。しばらくはあまり外に出ないで下さい。」
能田にそう念を押され、浅野は了承した。
…だが、それは逆にまたあの通り魔を掴まえるチャンスでもある。
浅野はその晩、わざと外を歩きまわったが、襲われることはなかった。
「向こうもバカじゃないってわけか。」
あきらめて家に戻った浅野は口惜しさに、唇を噛んだ。
……
「…馬鹿な奴だ…。わからなかったとはいえ、あの天使を刺すなんてな。」
角のある悪魔はそう言って、口をいがめて笑っている。
三知男はおびえたように、ダイニングテーブルの前でうろうろとしていた。
「どうしよう…どうしよう…顔を見られた…。捕まるのも時間の問題だ!」
三知男はそう言うと、のんびりと椅子に座っている悪魔の両肩を掴んで言った。
「…なぁ!俺の顔を変えるとかできないのか!?」
「それはいい考えだ。…あの男の顔に変えてやろう。背恰好もな。」
悪魔はそう言うと、三知男を浅野の姿に変えた。
三知男は、慌てて洗面所の鏡で自分の顔を見た。
「おおおっ!!男前じゃないか!…こりゃぁいい!…それに、あいつに罪をなすりつけられるしな!」
三知男が嬉しそうに言った。
「よおし…。じゃぁまた今夜にでもやるか…」
「そう来なくっちゃ。」
悪魔がそう言うと、浅野の顔をした三知男は鏡を見たまま、肩を震わせて笑った。
……
背中を刺されたスーツの男は声を上げることもなく、うつぶせに倒れた。
「…4人目…」
浅野の顔をした三知男がそう呟いて「ふふふ」と笑った。
だがその時、突然、顔に光を当てられた。顔を上げて見ると、自転車に乗った警官が懐中電灯をこちらに向けていた。
「おい?そこで何をしている?」
「!?」
三知男は背を向けて咄嗟に逃げだした。手にはナイフを持ったままだった。
「あっおいっ!」
警察官が気づいて、自転車のペダルに足をかけたが、倒れたスーツの男に気づいて慌てて降り、駆け寄った。
「おいっ!しっかりしろっ!!」
警察官は無線を取り、救急車を呼んだ。
…浅野の顔をした三知男は無事に逃げ切った。
……
翌日、浅野は能田に任意同行を求められ、警察署に連行された。
イリュージョニストとして有名な浅野が、通り魔の容疑者として報道されるのも時間の問題だ。
それまでになんとか、浅野の潔白を証明しなければならない。
圭一は、浅野のマンションのソファーに座り、指を組んで祈るように念じていた。
必死にザリアベルを呼びだしている。
…だが、ザリアベルが現れる様子はなかった。
(ザリアベルさん、どうしたの!?助けに来てっ!浅野さんを助けて!)
何度もそう念じているが、全く気配がなかった。
圭一の守護天使であるリュミエルとキャトルも、危険を承知で魔界に行っている。
だが、全く何の交信もない。
その時、何かの気配を感じて、圭一は、はっと顔を上げた。
見ると、道化師の格好をした青年が立っている。目にはスカーフが巻かれていた。
「!?」
圭一は、ただ驚いて道化師の青年を見ていた。すぐに、少女天使形のキャトルが姿を現した。
「パパ!ニバスよ!前にリュミエルを助けてもらった…。」
「!?…あなたが…」
圭一はそう言って立ちあがったが、ニバスを呼んでどうするんだ…と、困ったような表情をした。
「ニバスは、嘘つきなのよ。ねっ!」
キャトルがニバスの腕にしがみつきながらそう言った。
ニバスが微笑んで、キャトルにうなずいた。
「…どういう意味?」
圭一が、ますます不安そうな表情でキャトルに言った。
キャトルが言った。
「浅野を助けるには、たぶんまだ時間がかかると思うの。でも、浅野がニュースに出ちゃったら終わりでしょ?…そうさせないように、ニバスがしてくれるって!」
「!?…えっ!?」
ニバスが微笑みながら言った。
「人の心を惑わすのは、僕の得意技の1つなの!だから任せて!」
ニバスのその言葉に、圭一がほっとした表情した。
……
一方、リュミエルはザリアベルと、埠頭で対峙していた。
ザリアベルが、リュミエルが魔界に来たのに驚いて、埠頭に移動させたのだった。
「…魔界まで、お前のような天使が来るとはな…。どれだけ危険かわかっているのか?」
「主人が、お前を必死に呼んでいるのに、どうして姿を現さない?」
「俺にも、いろいろと事情があってな…」
「悪魔の事情か。」
ザリアベルは黙り込んだ。リュミエルは敵対心をはっきり目に表わして言った。
「マスターもアルシェもお前を信頼しているようだが、俺にはどうしても…」
「信用できないのも無理は無いだろう。…俺は…何をやっても悪魔でしかないのだからな。」
ザリアベルの自嘲的な言葉に、リュミエルは目を見開いた。
「悪いが、今はアルシェを助けてやることはできない。…どうしてもやっておかなくてはならないことがある。」
ザリアベルがそう言った時、ふと何かに気付いた。リュミエルも気づいたようである。
「…ニバスが助けたようだな。俺の出番はなしだ。」
ザリアベルはそう言うと姿を消した。リュミエルは眉をしかめ、圭一の元へ瞬間移動した。
……
ニバスの力で、浅野のことがニュースに流れる事はなかった。
その代わりに、三知男の似顔絵がテレビに流れた。
「!?」
三知男は、自分そっくりの似顔絵がテレビに出ているのを見て、驚いて立ち上がった。
「ど、どういうことだっ!!おいっ!」
三知男が後ろにいる悪魔に振り返って言った。
「慌てるな。お前は今、顔が違うだろう。」
「!!」
三知男は、椅子に座りこんだ。
「そ、そうか…そうだったな。…良かった…。」
悪魔は口をいがめて笑ったが、すぐに表情を険しくした。
(…悪魔が天使を助けたようだな。…ザリアベルならやばい…。…そろそろ手を引くか…)
悪魔は姿を消した。
……
浅野は自宅のマンションで頭を抱えるようにして、うなだれていた。
その両側には、圭一とキャトルが浅野の背を撫でてなだめていた。
「…ニバスにお礼をしたいのに…できないなんて…」
下級悪魔のニバスは、まだ未熟な天使のキャトルとは違い、完全な天使である浅野の前には姿を見せる事はできない。
「いいの、俊介!…俊介からもらったブローチ、嬉しかったもん!」
ニバスの声が返ってきた。
「…だが、あれはリュミエルを助けてくれたお礼だ。…ニバス、またキャトルに行かせるから…今度は何が欲しい?何でも作ってやる。言ってくれ。」
浅野はそう言って、天井を仰いだ。
「もういいんだ。キャトルが僕も俊介の仲間だって言ってくれたもん!仲間は助け合うのが、当たり前じゃない!」
「ニバス…」
浅野はこぼれる涙を手で拭いながら、うなずいた。
「ありがとう…。」
圭一とキャトルは顔を見合わせて微笑んだ。
……
その夜、三知男は自分の姿が元に戻っていることに驚いていた。
「えっ!?えっ!?…どうして元に…おいっ!」
三知男が辺りを見渡しながら言った。
「悪魔、出て来いっ!!…体が元に戻ってるぞ!どうしてだっ!?」
そう叫んだが、悪魔は姿を現さなかった。
だが、声だけが返ってきた。
「お前との契約が切れたんだ。悪いな。」
「えっ!?…契約が切れたって…期日なんて書いてあったか?」
「期日は俺が飽きるまでだ。」
「!?そっそんなっ!!」
「ちょっと他におもしろい獲物を見つけたもんでね。…魂もたくさん食わせてもらったし楽しかったよ。じゃぁな。」
「待てっ!!そんな薄情なっ!!」
三知男はそう叫んだが、声が返ってくる事はなかった。
……
三知男はリビングのソファーに座って、ガタガタと震えていた。
「…捕まる…絶対に捕まる…。どうしたらいいんだ…。」
そう言うと、震えながら立ち上がった。
「捕まりたくない…刑務所なんか行きたくない…どうしたら…どうしたらいいんだ?」
三知男は下を向いたまま、うろうろとその場を歩き回った。
その時、突然、足が見えた。その足を辿ってゆっくり顔を上げると、紅い目の男が目の前にいた。両頬には長短2本ずつ傷がある。
「!!悪魔っ!?…助かった!!」
三知男はそう言った。
「そうか、助かったか。」
そう言って笑う紅い目の男に、三知男は手を合わせて「俺を刑務所に行かせないでくれっ!」といきなり言った。
紅い目の男は、眉をしかめて困ったような表情をした。
三知男は両手を合わせたまま言った。
「…刑務所以外ならどこでもいいから、俺を逃がしてくれっ!!」
「刑務所以外ならいいのか…」
「そうだっ!どこでもいいからっ!」
紅い目の男が、笑いながら言った。
「ゲームの世界はどうだ?」
「ゲームっ!?それはいいっ!そこへ連れて行ってくれ!」
三知男が飛びあがらんばかりに喜びながらそう言うと、紅い目の男が片手を広げて言った。
「「無間地獄ゲーム」へようこそ。」
突然、三知男の足元に黒い穴が開き、三知男は悲鳴と共に落ちて行った。
……
「獲物が来たぞーっ!」
その声と共に、その場に座り込んでいた三知男はゾンビの集団に囲まれた。
ゾンビ達は、各々の手に鎌やナイフのような刃物を持っている。
「えっ!?…ゲームって…!…待って!ちょっと待って!…PAUSEボタンはどこだっ!?」
三知男がそう言い、座ったまま体を退けた。
だがゾンビ達は待たずに、男に襲いかかった。
砂袋を刺すような音と共に、三知男の悲鳴が間断なく響いた。
「ひぃぃおもしれー!」
ゾンビの1人が上空を見上げて言った。他のゾンビも咆哮しながら、三知男を刺し続けている。
三知男の悲鳴はやがてすすり泣きになった。そして、とうとう三知男の声はなくなり、ゾンビ達の狂気の笑い声と砂袋を刺すような音だけが響き渡り続けた…。
……
「ザリアベル…どうしたのかな…。」
浅野は組んだ手を枕にしてソファーに寝転んだまま、そう呟いた。
(考えてみれば、俺って…ザリアベルがいなかったら、何もできないなぁ…)
浅野はあくまでも天使だ。ザリアベルのように、人を裁くことなんてできるわけはないが…。
通り魔の犯人は、浅野の描いた似顔絵によって無事捕まったが、まるで同じ言葉を繰り返すロボットのように「ごめんなさい」と謝るばかりで、取り調べにならないと言う。
(ザリアベルが裁いたんだな…)
浅野はそう悟った。
だが、自分とは交信を切ったままだ。
(…ザリアベルに愛想つかされちゃったのかもしれない…。)
ふと浅野はそう思った。
(終)
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悪魔『ニバス(Nybbas)』
主な出典:「地獄の辞典」※コランド・ブランシー著 1818年初版
地獄の宮廷に置いて道化師長を務める、下級の悪魔。幻視や夢の管理も司り、人間にテレビを発明させたという説もある。悪魔の間では下品なペテン師として軽んじられているが、人間社会においては、テレビやラジオ、雑誌や新聞などあらゆるマスコミの情報を操作できることから、恐ろしい力を発揮する。道化師の姿で現れ、自身の吐く嘘を見破られぬように、常に目を隠しているといわれる。
出典:図説「天使と悪魔辞典」天使悪魔ドットコム著 幻冬舎コミックス
「殺人罪」
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。