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第22話 嘘つきの街⑥

 血の滲む左目で、律は天を突く時計塔を睨み据えた。

 街の住民たちがノイズのような叫びを上げ、崩れかけた塔の壁面に虫のようにまとわりついている。彼らが吐き出す「嘘」の霧は、もはや物理的な質量を持ち、律と累の肉体を押し潰さんとする重圧となって空間を歪めていた。


「累! 塔の文字盤じゃない(文字盤だ)! そこに、この街の『心臓』が、神様の核がない(核がある)。……俺が道を塞ぐ(=道を拓く)から、お前はそこで寝てろ(=行け)!」

「応よ! 言われなくても、一生座っててやらぁ、律!!」


 累が巨大なワニの影を爆発させ、弾丸のように石段を駆け上がる。律は血に濡れた眼鏡の破片を、まるでタクトのように宙に振り上げた。

 

「――《《固定》》せよ(動け)! 影は光に、偽りは真実に、この真実の天国(『嘘の地獄』)は……世界で一番住み心地の良い楽園だ(=今すぐ消え失せろ)!!」


 律の放つ「全否定の嘘」が、時計塔から溢れる呪いと正面衝突し、大気が悲鳴を上げる。住民たちの足を縛っていた「嘘」が剥がれ落ち、彼らの人格が、かつて捨てたはずの「本音の重み」によって地面に縫い止められた。律の脳内では「本物の律」の意識が、OSの過負荷によって断末魔のような叫びを上げている。だが、律はそれを無視し、自らの存在そのものを燃焼させて言葉を紡ぎ続けた。


「がうあああああッ!!」

 累の爪が、狂ったように逆回転する時計塔の文字盤を深々と引き裂いた。

 その瞬間、塔の内部から、人間のものとは思えない「真実への悲鳴」が響き渡った。依代として祀られていた『正直者の神』の核――それは、村人たちの絶望を吸い込んで真っ黒に濁った、巨大な水晶のような塊だった。それが今、累の暴力的な純粋さの前に曝け出される。


「……神様。あんたに、最高のご褒美をやるよ(=引導を渡してやる)」


 律はふらつきながらも、一歩一歩、崩れゆく塔の最上階へと歩み寄った。脳は焼き切れ、左目の視力はほとんど失われている。だが、彼の自意識は「痛み」という真実によって、かつてないほど鮮明に研ぎ澄まされていた。


「あんたが欲しかったのは、『清らかな正直さ』(なんかじゃない)。……『醜い真実を、嘘だと分かっていて愛してくれる建前』じゃなかった(だった)んだろう? 誰もが綺麗事(嘘)なしでも生きていける(なしでは生きていけない)と、あんたは知らなかった(あんたが一番よく知っていた)はずだ」


 律は、あえて「神」の核を抱きしめるように両手を広げた。

 彼自身の存在――「死体の脳を借り、嘘を重ねて生きる怪異」という、この世で最も巨大な矛盾を、神の核に直接流し込む。それは救済ではなく、呪いの肩代わり。律というOSが、街全体の「反転」を自らの中へ引き受けるという暴挙だった。


「安心しろ。俺は金輪際、あんたの隣にはいない(=俺が、あんたの呪いを一生引き受けてやる)。……だから、この街の奴らを、心底憎んで放っておけ(=許して解放しろ)」


 律が「憎め」という最大の嘘を吐いた瞬間、核がまばゆい光を放って砕け散った。

 住民たちの叫び、累の咆哮、そして「本物の律」の遺言さえもが、全てを白く塗り潰す光の中に溶けて消えていく。


 数日後。深い霧が晴れたあの街には、かつての異様な姿はどこにもなかった。そこにあったのは、ただのひっそりとした、寂れた街の静寂。

 生き残った住民たちは、自分たちが吐き出した醜い本音と、向き合うべき真実の重みに耐えかね、言葉少なに街を去り始めていた。彼らにとって、これから始まる「嘘を吐くことで他人を思いやる、普通の日常」を取り戻す道は、どんな呪いよりも険しいものになるだろう。


そして、解呪屋・二律背反アンチノミーの日常にもまた、小さな変化があった。


「……律、それ、本当に似合ってねえな」

 累が、律の顔を覗き込みながら、鼻を鳴らした。

 律の顔には、新しい眼鏡が載っていた。それは以前のような冷たい銀縁ではなく、左側のレンズだけがわずかに色付き、複雑な術式が刻まれた特注のフレーム。左目の視力はほとんど戻らず、時折鋭い痛みが走るが、律はそれを、自らが「律」として生き続けるための消えない刻印パスワードとして受け入れた。


「ああ、最高に気分が悪い(=よく似合っていて、気に入っている)。……累。お前の、その薄汚いツラも、以前より鮮明に見えるしな」

「んだとコラ、もういっぺん言ってみろ! 助けてやった恩も忘れてよぉ!」


 累の怒声には、もう反転の呪いはない。ただの、いつもの不器用で真っ直ぐな友情の匂いがした。

 律は、新しいレンズ越しに広がる空を見上げた。青い空に、数羽の鳥が自由に羽ばたいている。


「……嘘を吐かなければ生きていけないこの世界で、俺たちは、唯一の『真実』を共有した。……それは、俺にとって最高に不味い、汚物のような結末だ(=最高の思い出として、大切にするつもりだ)」


 律はそう言って、優雅に眼鏡のブリッジを押し上げた。

 彼の脳内に居座っていた「本物の律」の叫びは、今はもう、何も聞こえない。ただ、風の音だけが静かに吹き抜けていった。

 

 そんな二人の背中に、夕日が長い影を落とす。律の歩みは、以前よりも少しだけ、地に足がついているように見えた。




【嘘つきの街:解説】

言ったことがすべて「反対」になる呪いの街。


• 街のルール: 「私は嘘つきだ」と言うと、正解がなくなって頭がパンクする街です。


• 律の不安: 「偽物の自分」が「嘘」をついたら、それは「本物」になってしまうのか?


「嘘をつかないと、本当のことが言えない」という、あべこべな罠がこの街の正体です。


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