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第19話 嘘つきの街③

「――《《固定》》せよ!」

 律の咆哮と共に、手のひらの傷口から溢れた鮮血が空中で凍りつき、赤い結晶のつぶてとなって顔のない住民たちの足元を縫い止めた。

 それは解呪ではなく、街の「嘘(反転)」というルールを利用した強引な物理固定だ。「動け」と言えば「止まる」。律はその倒錯した論理の波を、荒れ狂う嵐の中でサーフボードを操るように、危うい均衡で乗りこなしていた。


「がうあああッ!!」

 累が巨大なワニの影を纏い、のっぺらぼうの集団をなぎ倒していく。累の爪が空を切るたび、住民たちの胸元から溢れる黒いヘドロが霧散するが、彼らにはもはや「痛み」という真実さえ残っていないのか、まるで泥人形のように何度でも立ち上がってくる。


「無駄だよ、律。彼らには守るべき『自分(真実)』がもう存在しない。本音を曝け出す恐怖から逃げるために、人格そのものを嘘のまゆの中に溶かしてしまった彼らに、論理ロジックは通用しない。君が必死に繋ぎ止めようとしているその『自意識』こそが、この街では最大の不純物なんだ」


 堂々 廻は、荒れ狂う戦場の中で一人、血飛沫を傘で交わす。彼は集団の中で唯一、汚れることも、指一本使うことすらなく、ただ静寂を纏っていた。

 彼の額に開いた「第三の眼」――それは凝固した血のように赤く、瞳孔が時計の逆回転を刻むように不規則に回っている。その眼が律を捉えるたび、律の偏頭痛は、あたかも脳内に直接錆びた釘を打ち込まれるような激痛へと変わった。


 その視線は、律の皮膚を透過し、神経を暴き、その奥に居座る「密航者の魂」を直接炙り出しているかのようだった。堂々の眼鏡の奥の瞳は笑っているが、額の眼は冷酷に律という存在を「バグ」としてスキャンし続けている。


「ぐっ……あ、が……ッ!!」

「律! しっかりしろ、死ぬんじゃねえぞ!(=死ね!)」

 累の叫びが裏返り、呪いとなって律の背中を叩く。励ましが呪詛に変わるこの環境が、確実に律の精神を削り取っていく。律の視界は明滅し、自分が「背反二 律」なのか、それともただの「意思を持った脳漿の塊」なのか、境界が曖昧になっていく。


「さて……そろそろ、この実験にトドメを刺そうか」

 堂々が優雅に歩み寄る。その手には、いつの間にか一通の、ひどく古びた手紙が握られていた。


「律。君が今使っているその脳……一年前の事故で死んだ『本物の律』が、最後の瞬間に何を思考していたか、知っているかな?」


 律の動きが止まった。堂々の第三の眼が、律の意識の最深部、彼が最も触れられたくない「器の記憶」を正確に射抜いている。


「彼はね、自分が死ぬことを悟っていた。そして、自分の空っぽになった身体に、いつか君のような異界のモノが紛れ込むことも予見していたのさ。……これは、彼から『泥棒』である君への遺言だよ」


 堂々が手紙を開く。その瞬間、街の「反転の呪い」が、堂々の持つ手紙の文字に吸い寄せられるように、異常な高密度で集束し始めた。大気が歪み、少女の泣き声さえも掻き消されるような重圧が律を襲う。


「読み上げてあげよう。……『僕は、君が嫌いだ。僕の場所を奪う化け物。一秒でも早く、僕の身体から出ていってほしい。君が存在すること自体が、僕の人生に対する冒涜だ』」


「――ッ!!」

 律の心臓が、この場に存在しないはずの鼓動を打った。

 今の言葉が街のルールによって「反転」しているのだとすれば、本物の律の遺言は「君を歓迎する」という内容になるはずだ。……しかし、堂々の第三の眼が放つ禍々しい赤い光によって、彼はそんな街のルールに捉われることはない。そして、堂々は律の脳に強制的に、【確定した真実】としての絶望を直接書き込んでいく。


 脳内の「本物の律」の残照が、一斉に牙を剥いた。脳の細胞一つひとつが、不法占拠者である「俺」を排除しようと熱を帯びる。

『返せ。僕の身体だ。僕の記憶だ。お前のような嘘つきの化け物に、僕の服を着せるな』

 

 内側からの凄まじい拒絶反応。律の視界が真っ赤に染まり、神経が焼き切れるような感覚に立っていられなくなる。膝をついた律の口から、どろりとした黒いノイズが、胃液と共に吐き出された。


「あ、あああああッ!!」

「律!! 離れろ、触るな!(=こっちに来い、助けさせろ!)」

 駆け寄ろうとする累を、顔のない住民たちが壁となって遮る。


「さあ、律。君の存在そのものが、この器に対する『最大の嘘』だと証明された。死者は君を拒絶し、生者は君をバグと呼ぶ。……その偽物の自意識を、今すぐこのゴミ溜めのような街に捨てて、ただの『静かな死体』に戻るんだ」


 先が鋭利なナイフの形状をした堂々の傘の先端が、律の剥き出しの額――第三の眼が見つめるその場所へと、審判を下すようにゆっくりと突き立てられようとしていた。


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