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不器用な一歩

朝の教室は、珍しく静まり返っていた。


黒板に並んだのは、緻密な魔力循環図と神経伝達の強化図式。矢印が無数に交錯し、いかにも魔法理論という趣を醸し出している。


教壇に立つガク・ザラードは、いつものふざけた調子を一切見せていなかった。コーヒーカップをそっと机に置き、生徒たちを見渡す。


「今日は身体強化魔法の理論を扱う。真面目に聞け。ふざけると死ぬぞ」


静寂の中、緊張した空気が走った。


「身体強化と聞いて、筋力アップやスピードアップを連想するのは自然だ。だが、それは結果であって本質じゃない」


チョークを手に取り、黒板の一角に筋繊維と神経の模式図を描き込む。


「本質は、魔力による生体機能の最適化だ。筋肉に流せば収縮力が高まる。神経に流せば反応速度が上がる。血管に流せば循環効率が跳ね上がる」


淡々とした口調に、どこか熱がこもっていた。


「だが当然、リスクもある。限界を越えれば、筋繊維は断裂し、神経は焼き切れ、血管は破裂する。強化とは――破壊との境界線上にある行為だ」


その言葉に、生徒たちが息を呑む。

その横顔を見つめていた。


(真面目なガク先生を見るのは、入学以来これが初めてかもしれない)


(それだけ重要な授業ってことか……)


右手に目を落とす。そこには黒い指輪ネロコードが嵌められている。


昨日、この指輪は変形した。魔力に応じて、ガントレットのような形状に進化した。未だに信じられないけど、確かに、応えてくれた。


≪身体強化か……面白いテーマだな≫


ネロの声が、脳内に響く。


≪お前のような不安定な魔力保持者にとっては、極めて向いていない分野だが≫


(そうかよ……)


≪最悪の場合、内側から爆発する。文字通りにな≫


(やめろ、ゾッとする)


≪忠告だ。君の肉体は、出力に対して脆弱すぎる≫


分析はいつも冷徹で、正確だ。だがそれでも――


(それでも、やらなきゃいけない時が来る)


≪……やれやれ、ならば観察してやるさ。せいぜい無様に転べ≫


ガクが黒板を軽く叩く音がした。


「理論はここまで。次は実技だ」


生徒たちがざわめき始める。


「各自、強化したい部位を意識して魔力を流してみろ。ジャンプでも腕立てでも、何でも構わん」


その一言で、演習場のあちこちで歓声が上がる。


移動する途中、既に他の生徒たちが身体強化の練習を始めていた。


ある男子生徒が魔力を脚に集中させ、弾かれるように跳び上がった。天井ギリギリで身をひねり、魔力を流すようにして着地の衝撃を吸収する。


「すげぇ!今の跳躍、天井付近まで行ったぞ!」


別の二人は組手の構え。片方が一歩踏み込んだ瞬間、腕に魔力を集中。鋭い一撃が空気を切る。


「くっそ、速っ……! 今、見えた?」

「いや、完全に反応遅れた……」


ガクが腕を組みながら教室の中央に立つ。


「そうそう。筋肉や反応速度、見せ方は人それぞれだ。各自、強化したい部位を意識してやれ。ジャンプでも腕立てでも何でもいい。まずは使い方を知るところからだ」


その言葉を合図に、生徒たちは自分の身体と向き合い始めた。


深呼吸し、立ち上がる。


(いける……はず)


右手の指輪ネロコードが微かに熱を帯びる。

全身の血流に魔力を巡らせるイメージ――脚、腕、胸部、肩、背中、神経、筋肉、骨。


≪待て、バク。全身強化はまだ早――≫


「いけっ!」


魔力を流した瞬間、制服の腹部が内側から破れた。

焦げた布がひらりと落ち、煙が肩から立ち上る。

前髪の先が焦げて縮れ、顔全体が黒く煤けていた。


「……っつ。くそ……」


膝をついた背中からは、まだ湯気が出ていた。


「あっはははは! なにその顔! 焦げすぎ!」

エマが腹を抱えて爆笑する。


「どーやったら、そうなるんだよ……!」

アキも腹を抱えて笑っている。


「だ、大丈夫っ!?」ユナが慌てて近寄り、両手を合わせる。


「ルミ……来て!」


光が弾け、小さな蝶のような精霊が現れ、淡い輝きが肌のヒリつきを癒していく。


「うぅ……鼻毛まで焦げた……」


「もうっ、無理しすぎなんだから!」

ユナが口を尖らせる。


≪見事な自滅だな≫

皮肉が刺さる。


(うるさい!)


その騒ぎを、演習場の隅で壁にもたれながら見ている者がいた。銀髪を風になびかせ、氷のような青い瞳で静かに観察している少女――リナ・セレスト。表情は読めない。ただ、静かに観察している目だった。


「あそこ、楽しそうだね」


声とともに、ひとりの少年が隣に現れる。


ふわりとした銀髪に、どこか儚げな雰囲気を纏った美少年。細身の制服は着崩しておらず、所作にも無駄がない。


彼の名は――ケイ・ノヴァード。


同じ一年生でありながら、Aランクの評価を受ける天才魔導士。


「……別に」


素っけなく答える。だが相手は、そんな反応にも動じることなく微笑みを保ったまま、生徒たちの方を見つめた。


「俺は、あの子に興味あるけどな」


そう言って、黒く煤けた少年の方を指先で示す。


「なかなか面白い魔力を持ってるみたいだし」


「……知ってるの?」


少しだけ目を細める。


「まあね。学園の噂は早いから」


肩をすくめる仕草で受け流した。


「それに、あれだけ派手にやれば嫌でも目立つよ」


黒く煤けた顔で頭を抱える姿を見て、クスッと笑う。その視線には、侮りでも嘲笑でもなく――興味と、少しの期待があった。

そして、ふわりと足を踏み出す。


「……さて。ちょっとだけ、俺も遊ばせてもらおうかな」


そう呟いて、演習場の方へと歩き始めた。

残された彼女は何も言わず、その背中を目で追っていた。



「……そのやり方じゃ、いつまで経っても前に進めないよ」


目の前から、落ち着いた声が降ってきた。


顔を上げると、そこにはさっき見かけた銀髪の少年が立っていた。


涼しげな目元に、どこか人を食ったような笑みを浮かべている。


「君、名前は?」


「バク・ノヴァリス……だけど」


「うん、やっぱり。予想通りの顔してる」


「は?」


眉をひそめると、そのまま演習場の中央へと進み出た。

周囲の生徒たちがざわつき始める。


「おい、あれ……ノヴァード君じゃね?」


「マジかよ、あのAランクの……!」


ざわめきの中で、くるりと振り返った。


「身体強化はね、まず一点集中から始めるべきなんだ。特に初心者は、全身に魔力を回すなんて無謀なことはしない方がいい」


淡々と、けれども説得力ある声音だった。


「まずは脚だけ。力の流れを一本に絞る。それだけで、動きは変わるよ」


言いながら、左足に意識を集中させた。


次の瞬間――

パチ、と空気が弾けた音がした。

脚から、雷のような魔力がスパークし、姿が一瞬にして視界から消えた。


「……っ!?」


ドン、と小さく風がぶつかるような衝撃音。

気付けば、数メートル先の壁際に立っていた。

一切の助走もなく、一直線に跳んだのだ。


「すげぇ……!」


「今の、目で追えなかったぞ……!」


「さすが、あれがAランクか……!」


周りの生徒たちがどよめく中、軽く手を振って戻ってくる。


「――ね?」


「……ちょっと、かっこよすぎだろ……」


呆れ混じりに呟くと、笑って肩を叩いた。


「やってみなよ、バク君。失敗してもいい。……でも、やらないのは、もったいない」


その言葉に、息を呑む。

拳を握り、前を向く。


「……俺もやってみる!」


周囲の視線が、再び集まる。


≪また無謀な真似を……だが、嫌いじゃない≫


かすかに呟いた。


「脚に魔力を集中……脚に、集中……!」


立ったまま深く息を吐き、両足に意識を向けた。

周囲の視線が集まってくるのを感じながら、体内の魔力をぐっと下半身へ流し込む。


(いける……いけるはずだ!)


次の瞬間、体が一直線に前方へ飛び出した。


「っうおおおおおおおおっ!!」


──ズドンッ!!


ものすごい勢いで壁に激突。


演習場が揺れるほどの衝撃音と同時に、白い煙がふわりと立ち上る。


「うわっ、止まれてないっ!」


「おい、顔からいったぞ今……!」


「まじかよ、あいつ……壁にめりこんでんじゃねえの?」


周囲の生徒たちがざわつく中、壁に突き刺さるような格好でずるずると崩れ落ちた。


≪右足の関節が45度ズレた。あと0.7秒で筋断裂。愚かにも程があるな≫


「黙れ!!」


怒鳴り返しながら、ふらついた足で再び立ち上がる。


「まだ、いける……!」


2回目。


また魔力を脚に集中し――


「っしゃあああああああ!!」


──ドガァッ!!


今度は勢いが増して、反対側の壁へ激突。

顔面が少し膨れている。


「やべぇ、さっきより飛んだ!」


「なんかもう、ギャグにしか見えねえ……」


「顔、パンパンじゃね?」


「ピクピクしてる、ピクピクしてる!」


≪次で確実に靭帯損傷だな。やるなら病院の予約も入れておけ≫


「うるっさいわぁ!!」


3回目。

警告を無視し、拳を握る。


「ここで止めたら、俺じゃねえ……!」


叫んで、飛び出した。


──ズギャンッ!!


三度目の正直も、壁だった。

崩れ落ちた背中を、誰かが慌てて支える。


「もう、無茶しすぎ!」


ユナだった。

両手を重ね、白いルミが全身を包み込む。

けれど――その額には汗がにじんでいた。


「ごめんね、ルミも……そろそろ限界かも……」


肩で息をしながら、苦しげに呟く。


≪回復術式は万能ではない。あまり支援者に甘えるな。これは自分自身の問題だ≫


(……分かってるよ)


回復の光が弱々しくなっていくのを、ぼんやりと見つめた。


(身体強化って、こんなに難しいのかよ……)


(ネロ、ラグナスはどうだったんだ?同じ黒炎使いだろ?)


≪あいつも相当酷かったぞ。血反吐はくのが日常茶飯事だった≫


≪だが、お前よりはマシだがな≫


(おい!)


≪事実だろう。あいつは少なくとも、3回連続で壁に激突はしなかった≫


そのときだった。

少し離れたところから、ひょいと銀髪の少年が顔をのぞかせた。


「それにしても……君、誰かと喋ってない?」


「……え?」


思わず振り向く。


「いや、別に……」


「ふふ、気のせいか。じゃあ、また試合でね」


銀髪を揺らし、あっさりと立ち去っていった。


≪……あいつ、鋭いな≫


(たしかに……ちょっとだけ、冷や汗出た)


最後にガクが歩いてきて、盛大なため息をついた。


「……請求は俺に来るやつだな、これは」


壁に激突して倒れた様子を横目に、先ほどの天才は少し離れた場所で氷の魔導士と話していた。


「にしても、壁に三回突っ込むとか……俺でもやらないよ、あれは」


苦笑いする。


「……あなたが興味を持つなんて、珍しいわね」


「そうかな」


銀髪をふわりと揺らしながら、軽く肩をすくめる。


「試合までに形になれば、面白いことになるかもよ? あの子――力の方向性はめちゃくちゃだけど、潜在的には悪くない」


「……ふん」


小さく鼻を鳴らす。


「どうかしらね。あれだけ自滅するなら、試合前に骨の一本や二本は折れてそう」


「それでも、やろうとしてる」


声が少しだけ柔らかくなる。


「君だって、本当は気づいてるんでしょ。あいつの魔力は……特別だよ」


答えない。

その沈黙を受け止めながら、続けた。


「素直になればいいのに。バクは――あの人とは違うと思うよ」


ピクリ、と肩が微かに動いた。

ほんの一瞬。

その名を口にしていないのに、たしかに何かを揺さぶった。


(あの人のように、また失ってしまうのが怖い──)


静かに息を吐いた。

だがその感情を、相手に悟らせるような表情は浮かべない。


「……放っておいて。私は、関係ない」


「うん。君がそう言うなら」


それ以上、追及しなかった。

ただ、静かに隣から離れていった。



訓練の時間が終わる頃には、空気はすっかり戦場の後のようになっていた。


壁に空いたヒビ。

床に残る焦げ跡。

制服はボロボロで、顔もところどころ煤けていた。


けれど――

それでも、笑っていた。


「次こそは、成功させる」


悔しさを押し殺した顔じゃない。

諦めの笑みでもない。

むしろその瞳は、炎のように、前を向いていた。


「また壁壊すなよー!」


アキが横からツッコむように声を飛ばす。


「次、あれ以上激突したら廊下まで吹っ飛ぶんじゃないの?」


エマが腕を組んで笑いながら言った。


「……ごめんね、ルミ」


ユナは小さく囁くように呟いて、胸元で小さな光の球体をなでる。


彼らの会話は、まるで一日の終わりを告げる鐘のように、騒がしくて、あたたかかった。


≪非効率で、騒がしく、愚く……≫


声が、いつものように脳内に響く。


≪だが──悪くない≫


小さく息をついた。


笑うでもなく、強がるでもなく、ただ少しだけ空を見上げる。

窓の向こう、夕陽が教室の中に斜めの光を落としていた。

橙に染まった光の中、仲間たちの笑い声が、いつまでも耳に残っていた。


残された銀髪の少女は、一人だけ違う空気の中で、もう一度訓練場に視線を向けた。

黒く煤けた制服、足を引きずりながらも笑っている少年の姿。

そしてそれを囲む仲間たち。


(……本当に、違うの?)


心の奥で、掴みかけた問いが、まだ言葉にならなかった。


――この日が、初歩だった。


不器用で、派手で、でも確かに前へ進む、その一歩。


やがて始まる選抜戦。

それは本当の戦いの始まりになる。

けれど今はまだ、その一歩を踏み出した場所。

夕陽の中で、少年たちはそれぞれの想いを胸に、次なる挑戦を待っていた。

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