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黒炎、形を得る

保健室明けの翌朝。


昨夜のろうそく訓練の負傷は、ユナの癒し魔法によって見た目にはほとんど治っていた。だが、右手に残る鈍い痛みと、胸の奥で燻るような黒炎の残響は消えていない。


バクは廊下を一人、食堂へ向かっていた。足取りが重いのは、疲労のせいだけではない。


(昨日の黒炎──あれはもう、最初から手に負える代物じゃなかった)


そんな思考を断ち切るように、声が背後から飛んできた。


「バク君!」


廊下の角から駆け寄ってきたのは、ユナ・フィオーレ。制服ではなく、白のラフシャツに淡い青のスカート姿。その胸元が揺れるたびに、バクは視線の置き場に困った。


「お、おはよう。今日も早いな……」


「うん!ね、ちょっと来て。会わせたい子がいるの」


そう言って彼女は手を伸ばしてきた。自然と指が触れそうな距離まで来て、バクは言葉を失った。


「昨日話したでしょ? エマちゃん。わたしのルームメイトで、炎魔法のスペシャリストなんだ」


≪炎魔法の専門家か。ほう……興味深いな≫


脳内にネロの声が響いた。


≪お前の暴走する黒炎を見て、どう反応するか。楽しみではある≫


ユナに導かれるまま、バクは食堂のテラス席へ向かう。


朝日が差し込むその片隅で、ひときわエネルギッシュな雰囲気を放つ少女が、肉まんを頬張っていた。

赤みがかった短髪を跳ね上げ、制服を少し着崩したその姿は、どこか野性的で自由な空気を纏っている。手には炭酸の缶。シュッという音とともに開けると、勢いよく流し込んだ。


「エマちゃん、紹介するね。バク・ノヴァリス君」


「おおっ!」


肉まんを口に突っ込んだまま振り返った彼女までは、満面の笑みでバクに手を差し出した。


「君が噂の黒炎使いか!よろしくね!」


「あ、ああ……よろしく」


差し出した手に、容赦ない握力が食い込んだ。

思わず顔が歪む。指が軋み、骨ごと握り潰されそうな勢いだった。


「聞いたよ!昨日の訓練で大暴発したって? どんな感じだった?痛かった?血は何リットル出た?」


「え、えっと……」


「威力は?射程は?持続時間は?魔力消費量は!?あと気分的には何点くらい!?」


「落ち着いてエマちゃん」


ユナが慌てて割って入る。


「この子、炎魔法の話になると止まらないの」


「黒炎ってどうやって出すの?火花が黒いときって、温度は高い?それとも性質の問題?」


「いや、あの……とりあえず自己紹介とか……」


「あっ、そうだった! ごめんごめん!」


エマは肉まんを一口でかじると、にかっと笑った。


「エマ・クルセア。Cランクだけど、炎系魔術にはちょっと自信あるんだ」


「……バク・ノヴァリス。魔力制御が苦手で、いま修行中」


ようやく握手から解放された手を引き戻し、バクは静かに息を吐いた。

痺れるような痛みが指先に残っている。手を軽く振りながら、感覚を取り戻すように開閉を繰り返す。


「へぇー! 暴走型か! わたしも昔そうだったよ!」


「今もだろ」


軽口とともに現れたのは、アキ・ソラリスだった。


「なんか似てんな、お前ら。爆発力とか、脳筋っぽいとことか」


「だれが脳筋だってーの!」


エマがすかさず詰め寄り、指を突きつけるようにアキに迫る。

だがアキは、慣れた様子で身体をひねり、ひょいと一歩かわした。


「そういやエマ、お前いつの間にCランクに上がったんだよ。前はDじゃなかったっけ?」


「へへーん、先週の試験で昇格!火柱で標的全部吹き飛ばしたら、合格だった!」


「うっわ、まじかよ……完全に先越された……!」


アキが頭をかきむしって悔しそうに唸る。


「まぁまぁ。アキは出力だけならC超えてると思うよ。ただ──」


「ただ?」


「方向性と精度と、あとバカだから帳消しになってるって、先生が言ってた」


「それ完全に悪口じゃねえか!」


「でも納得でしょ?」


エマが無邪気に笑いかけると、ユナは少し困ったように笑って、小さく頷いた。


「……うん、まあ」


「ま、でも私はまだまだ下の方。ここにはBランク様もいらっしゃるし?」


「……え?」


アキが目を丸くする。エマは隣のユナを肘で軽くつついた。


「ユナってBランクなんだよ。ね、あんまり言わないけど」


「べ、別に隠してるわけじゃないけど……」


ユナがちょっとだけ困ったように笑う。


「回復魔法が得意だから、あんまり目立たないけど、試験では安定性重視されるしね」


「Bって、かなり上位じゃん……!」


アキは目を丸くしてユナを見たあと、少し間を置いてからバクへと視線を流す。


「で、バクは……」


「……E」


気まずそうに答えると、すぐさまエマが大げさな笑みで肩を叩いてきた。


「大丈夫! 私もDから這い上がったし、炎系魔術ってノリと勢いと訓練量だから!」


「いや、もっと技術的に言ってくれよ……」


「大丈夫ってば! 根性で何とかなるから!」


エマの明るい笑い声が残る中、ユナが少しだけ声のトーンを落として補足する。


「バク君、気にしないで。ランクは確かに一つの目安だけど、本当の実力はそこじゃ測れないから」


「ユナ……」


「でもさ、戦闘だけは──Aランクにも負けてないと思うんだけどなー」


エマが肉まんをもう一口かじりながら、ぼやくように言った。


「お前なぁ、そういうの自分で言うとただのバカに聞こえるぞ」


アキが呆れ顔で突っ込む。


「ほんとのバカは、脳筋とか言ってくるヤツでしょ!」


言い合うふたりの間に火花が散るような空気が生まれ、ユナは慌てて両手を上げて仲裁に入ろうと身を乗り出していた。


騒がしい、けれどどこか居心地のいい空気が、食堂の片隅に広がっていた。


≪なぜこの時代の女子はこうもうるさいのだ……≫


ネロの呆れた声が響く。


≪そして……あれは何だ?≫


エマが手にしていた炭酸の缶に視線が注がれる。


≪この圧力と金属構造、液体を内部に封じる設計……見事だ。だが中身が泡立つとは、狂気だな≫


(いや、普通の飲み物だよ)


≪……これが飲み物だと……!? 黒く泡立つ液体を人間が摂取している!? 毒ではないのか!?≫


(コーラだよ、コーラ)


≪理解不能だ……この時代の感性は、やはり異常だな≫


その声に、思わず吹き出しそうになる。


昼休み目前、チャイムが鳴る寸前だった。

教室の扉の前に、ふらりと現れる影──あの男だ。

目の下に寝不足のクマ、くしゃくしゃの髪。片手には、いつものコーヒーカップ。


ガク・ザラード。


担任とは思えぬ風体で、生徒の視線を一身に集めながら、彼は一言も発さず教室を見渡した。


「おい、バク。午後ちょっと時間くれ。……他のやつらも付き合え」


顔を上げたバクに、ガクが無造作に言い放つ。

そのまま教室を出る流れで、ユナとアキも半ば強引に引き連れられた。

すれ違いざま、耳元に落とされた小さな声が、胸の奥に刺さる。


「さっき、学園長から許可が下りた。お前の制御の問題、本腰でやるぞ」


「本腰って……?」


「まぁ、詳しくは放課後な」


その背中に、バクは息を呑む。



やがて放課後。

ガクに案内されたのは、学園地下に設けられた特別な訓練空間だった。


重厚な防魔扉が、鈍くきしみながら開いた。


そこに広がっていたのは、球状の巨大空間だった。床は滑らかな金属質で構成され、天井も壁も魔力を吸収する特殊な結界構造で包まれている。空間の中央には訓練用の標的がいくつも浮かび、静かに回転していた。


「ここは……」


「マナドームだ」


背後から、低く落ち着いた声が響いた。

──ガク・ザラードだった。

普段の気だるげな口調ではない。低く、芯のある声音だった。


「この空間は、全方位からの魔力圧を均一に制御し、外部への被害を最小限に抑える構造になっている。……つまり、どれだけ暴走しても壊れないように作られてる」


教師というより、まるで一人の管理者のように、ガクはドームを見渡す。


「今日ここに連れてきたのは、単なる訓練じゃない。お前の魔法を、ちゃんと制御可能なものにする。──そのための、初手だ」


彼の表情には、いつものだらしなさはなかった。眼差しは鋭く、バクを真正面から捉えていた。


「ビビるなよ、バク。ここはお前の魔力がどこまで届くかを測る、始まりの場だ」


≪……こ、これは……この文明の魔導制御技術は恐ろしいな≫

≪金と魔力を惜しまず、合理性を捨ててでも物量でねじ伏せる発想……嫌いではない≫


(褒めてんのか貶してんのか、どっちだよ……)


周囲を見回していたユナが、そっと言った。


「ここ、すごい……。ほんとに訓練のためだけに使ってるの?」


「一部の生徒だけな。まぁ、いろいろあってな」

ガクはコーヒーをすすりながらぼやいた。


「黒炎の訓練をここでやる」


ガクのひと言に、バクの背筋がわずかに強張った。


「ここで……」


視線が足元に落ちる。

昨夜、制御しきれず焼け焦げた校庭の跡。

あのときの痛みと悔しさが、皮膚の奥でじりじりと蘇る。


「じゃあ、始めるか。バク、撃ってみろ」


言葉は短く、温度はない。だが、その背後には明確な期待と監視が張りついていた。


「……はい」


バクは、静かに息を吸った。

黒炎を出す──ただ、それだけの行為。

だが、その“だけ”が、いまだに己の身体を蝕む。


右手に意識を凝らす。

骨がきしみ、皮膚が震え、その内側で何かがうごめいていた。


──熱い。

──焦げる。


掌の奥から、焼けるような圧がじわりと広がる。

魔力の奔流。その輪郭に触れるたび、肉体が軋みを上げる。


「くっ……」


一瞬で、世界が黒に染まった。


放たれた黒炎は、制御を失ったまま、床をえぐるように暴れた。瞬間、訓練空間の地面が爆ぜる。熱風と魔力が交錯し、空気が裂ける音すらする。


「バク君!」


ユナの声とともに、癒しの魔法ルミが駆ける。だが、バクはその場に膝をつき、苦悶に顔を歪めていた。


「が、はっ……!」


喉の奥から血が逆流し、唇を濡らす。内臓の奥が焼かれるような感覚──いや、実際に焼けていた。


「ちょっとちょっと! 波が荒すぎ! もっとこう、こうやって!」


エマが遠慮のない口調で叫ぶ。言葉は抽象的だが、真剣な眼差しだった。


「大丈夫か!」


アキの肩を借りながら、ぐっと足に力を込める。

息は荒く、全身は汗にまみれていた。


(……まだ、俺の魔法じゃない)

(けど──立たなきゃ、何も変わらない)

(俺の形にするには、俺が意思を持たなきゃいけない)


「もう一回、やらせてくれ」


「お前なぁ……」


「頼む。……もう一度だけ」


バクの暴走を見つめていたエマが、ふいに口を開いた。


「なんかさ、バクの炎って、奥のほうにめっちゃ強い芯ある感じするんだよね」


苦しげな息の中、顔がわずかに上がる。

その瞳には、まだ火が灯っていた。


「芯?」


「うん。外はドッカンドッカン暴れてるけどさ、中心の方は──すっごい静かに、でもすっごい強く燃えてる」


彼女は拳を握って胸に当てながら、目を細める。


「もっと、そこを外に出すようなイメージでさ……。そしたら、暴れ方も変わるかも!」


「……外に、出す……」


「あとね、魔力って、私的には呼吸に似てると思うんだよね」


「呼吸?」


「そう。“吸う”と“吐く”があるでしょ? バクは、ずっと吐いてる感じ。出しっぱなし」


小さく笑って、肩をすくめる。


「たまには“吸って”みるといいよ。内側に、戻すように。力の流れって、往復してるほうが安定するから」


その言葉を聞いた瞬間、脳内に皮肉混じりの声が響いた。


≪……面白い例えだ。感覚的ではあるが、構造的には合っている≫


≪魔力の流れは一方向に偏ると乱れやすい。出しっぱなしのお前の魔力が暴れるのも、当然だな≫


≪だが……それを“呼吸”と喩えるとは。この時代の女子はうるさいだけではないらしい≫


皮肉とも感心ともつかないその言い回しに、喉の奥が少しだけ緩んだ。

けれど、緊張で強張った体に、笑う余裕などあるはずもなかった。


(素直に感心すりゃいいのに……)


≪感心などしていない。論理的に、正しかっただけだ≫


(そういうのを、感心って言うんだよ)


≪うるさい。集中しろ。……今のお前には、無駄な会話を処理する余裕などないはずだ≫


ゆっくりとまぶたを閉じる。

世界から音が遠のいていく。

呼吸と鼓動だけが、内側に残った。


エマの言葉が、頭の中で反響している。

「芯を外に出す」

「呼吸のように往復させる」


感覚的な表現のはずなのに、どこかしっくりくるものがあった。

魔力を、ただ出すのではなく、取り込んで、循環させる。

暴れる炎の奥にある何かを、形にするように。


(……いけるかもしれない)



深く息を吸い込む。

熱が、肺の奥を満たす感覚。それは実際には魔力とは無関係なはずなのに、なぜか身体の内部に静けさをもたらした。


そして、吐く。

暴れる魔力を押さえ込むのではなく、芯をなぞるように、流れを整える。


──その様子を、傍らで見ていたガクは、ゆっくりと目を細めた。


「……魔力の質が変わったな。形を持ちはじめた魔力は、制御しやすくなるが、そのぶん身体への負担も跳ね上がる。何が起きたのかは分からんが……一歩、前には進んだってことだ」


淡々と告げながらも、バクの手元をじっと見つめていた。燃え尽きかけた指先に、未熟ながらも確かに輪郭を持ちはじめた黒炎の余熱が残っている。それは、昨日までの暴走とは違う、形だった。


「……構えろ。出力は一点に絞れ。できるなら、だがな」


「……はい」


再び、右手に意識を集中する。

暴れる魔力。その奔流の奥に、確かに核のようなものがある。そこに触れられれば、あるいは──。


だが熱量は制御を振り切り、腕の奥で神経が焼けるような痛みが走る。


(……また、壊れる……)


そのとき、脳裏に静かな声が響いた。


≪落ち着け。お前はもう、一人ではない≫


(ネロ……?)


≪流れは掴んでいる。なら、少しだけ、任せてみろ≫


一瞬だけ、意識の深部が何かと繋がった。

自分の魔力の流れが、他者と共鳴するような感覚。

それは確かに、暴走する熱を受け止め、輪郭を与えようとする知性だった。


≪……手を、前に出せ。お前の意思の形を作れ≫


息を吸い、右手を突き出す。

指先に凝縮される黒炎は、暴れ狂う奔流ではない。

揺らぐように、螺旋を描きながら──意志に応えるように、その腕へと絡みついていく


黒炎が──形を持ちはじめた。

その刹那、魔力は鎧となる。


「っ──!?」


光が爆ぜた。

黒炎は意志を宿し、輪郭を持ち──硬質な殻となって右腕を覆っていく。

金属音と共に編まれたその構造体は、黒と銀の魔力装甲。

肘までを包み込むそれは、まぎれもなく──新たな武器だった。


握った拳に、確かな重みが伝わる。

もう、暴走ではない。

意志を持ち、力として形になった魔法。


微かな熱が、掌に残っていた。


≪お前の魔力は、ようやく形を得た。だから制御機構を作ったまでだ≫

≪まさか、ここまで愚直で、しつこいとは思わなかったがな≫


ネロの皮肉に、口元がわずかに緩んだ。

笑ったわけじゃない。けれど──少しだけ、力が抜けた。


「……ネロ……」


握りしめた拳に、全身の痛みが容赦なく重なる。

皮膚が焼け、骨が悲鳴を上げる。

それでも、引く気はなかった。


──もう一度。

右足を一歩、前へ。

空気が震える。


右腕のガントレットが脈動する。

その内部に集束する黒炎は、熱を帯び、うねりながら形を変えていく。


螺旋の渦を巻いた魔力が、意志と共鳴した瞬間──


黒炎が解き放たれた。


鋭く、重く、まるで黒雷のように奔り出す。

風を裂き、空気を焦がし、闇色の閃光が弧を描いて的を薙ぎ払った。


数秒の静寂ののち、爆ぜるように中心が焼け落ちる。

的の中央には深くえぐれた焼痕が残り、結界は軋むような音を立てて明滅していた。


それは暴走ではない。

一点に込められた膨大な魔力が、狙い澄ました軌道で放たれただけ──

破壊ではなく、精密な処刑。

バクの黒炎は、ついに意志の形となって顕現した。


「……!」


「……できた……のか」


息が乱れる。肺が焼けるほど熱い。全身の神経が、炎にさらされたように軋む。けれど、拳を握る感覚だけは、はっきりと残っていた。


右腕を包むこの黒炎の装置が、暴れる魔力を抑えこみ、己の意志の形を成している。

ほんの一瞬、誰の声も届かない静寂があった。

ただ自分の中の、黒炎の音だけが、かすかに響いていた。


(……これが、俺の魔法……)


「やった!」


ユナが両手を握り、笑みを見せる。エマも満足そうに頷いた。


「やっとスタートラインだね!」


「やったな、バク!」


アキが声を上げる。


「ラグナスに追いつくのも時間の問題だな!」


アキが軽口を叩き、皆が少しだけ笑った。


その中で、ガクだけが呟く。


「……次は、連射を前提に組み直せ。それが実戦だ」


それだけを言い残し、彼は訓練空間を後にした。

バクは、そっと拳を見つめる。


「やっと……少しだけ、俺の魔法になった気がする」


≪まだだ。名を与えるには、早すぎる≫


≪……だが、形にはなったな≫


ネロの声は、どこか満足そうだった。

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