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黒炎はまだ、名前を持たない

黒板にチョークが走る音が響いた。


「今日は、『暁誓騎士団』創設の歴史を扱う」


午前の魔法史の授業。教壇に立つのは、鋭い眼光を持つ中年教師――マクベインだった。

彼の手には分厚い古書、『黒炎録』。表紙には黒と金の刻印があり、年季の入った重厚な魔力が漂っていた。


「諸君らが目指す騎士団――それを築いたのが、この男だ」


マクベインがページを開くと、教室の前方に魔導映像が浮かぶ。

黒い炎をまとった男――ラグナス・ヴォルカノ。その姿が教室中に映し出された。


黒髪に赤いメッシュ、金色の瞳。

傷だらけの黒と赤のコートを纏い、焦土と化した戦場の中心に立っていた。

その右手には、黒く燻んだ指輪――そして、そこから展開された重厚なガントレットが輝いている。

血と炎の中、その男はただ静かに、敵軍を見下ろしていた。


「混沌の時代。魔族との戦争の中、黒炎の魔法を操り、体をボロボロにしながら戦い抜いた男だ。魔力量は規格外だった。だが、制御が困難で――戦うたびに、自分の体が崩れていった」


どよめきが教室を満たす。


「その代償の中でも彼は戦い抜き、仲間を護り、世界を救い、後に暁誓騎士団を創設した。現代の魔法体系の土台を築いた偉人だ」


バク・ノヴァリスは、教科書の挿絵に見入っていた。

ラグナスの黒い炎。その背に揺れるコート。傷だらけでも前を向いていた、あの眼差し。


(……黒炎……)


(あんな魔法を……俺も……)


ルームメイトのアキ・ソラリスが肘でバクの肩を軽く突いた。


「なあ……お前も、案外ああなれんじゃねえか?」


視線の先には、傷だらけのラグナスの挿絵。


「魔力、暴れてんのは一緒だろ?」


「うるさい。授業中よ」


静かに冷たい声が割って入った。

銀髪の少女、リナ・セレスト。Sランク評価の首席生徒だ。


「ラグナスは例外中の例外。彼の魔法は誇るべきものではない。暴走する魔力は、ただの危険因子に過ぎないわ」


マクベインが小さく頷く。


「その通りだ、セレスト。誤魔化してはいかん。確かにラグナスは制御不能の中で戦った。だが、現代ではSランク評価の魔導士が理想だ」


一斉にリナを見る周囲の視線。

リナは髪をかき上げて、それを当然と受け止めた。


「誤差が許される時代じゃないわ。魔法は、完璧であるべきよ」


言葉の鋭さに、バクは拳を握った。


(……それでも)


(あんな炎を……あんな戦い方を……)


≪興味を持ったか、バク≫


ネロの声が脳内に響く。


≪ラグナス。あれは、愚かで面白い男だった≫


(知ってるのか……!?)


≪当然だ。……ま、詳細は後でいい。だが、お前はああなれるか?≫


(なってやるさ)


≪ほう、言ったな。なら、せいぜい内臓を焼く覚悟で励むんだな≫


(……え、内臓? どういう意味だよそれ)


くだらない皮肉に、思わず苦笑する。けれど胸の奥では、何かが静かに熱を帯びていた。


教室の片隅、誰にも聞こえぬ声で交わされた、意思の火花。

それはまだ、形にも名にもなっていない。

だが確かに、その奥底で――何かが、動き始めていた。



午後。演習場。


バクは整列した列の最後尾に立っていた。

訓練場は見渡すかぎりの土の地面が広がり、空には魔力を遮る結界の光がゆらめいている。

昼の陽光の下、炸裂する魔法の余波が乾いた土を巻き上げ、焦げ跡があちこちに残っていた。


「今日の課題は、威力より制御だ。誰がいちばん繊細に火力を抑えられるかが勝負な」


指導に立つのは、演習担当のガク・ザラード。

ボサボサの髪に無精髭という軽薄な風貌の男だが、魔力制御の熟練者である。


「じゃあ、順番に撃っていくか。まぁ、ミスっても気にすんな。結界は頑丈だからな!あ、ただし術者本人は守られないから、そのつもりで」


「えっ」


「ちょ、それヤバくないっすか?」


笑い混じりのどよめきの中で、訓練が始まった。


水、雷、風、氷――それぞれが自分の得意属性で、的に向けて魔法を放っていく。

的に当てるだけではない。必要なのは、適切な出力と安定した発動。

リナ・セレストが完璧な氷槍で的を貫いた瞬間、拍手が自然と湧き起こる。


そして――


「次、バク・ノヴァリス!」


呼ばれた名に、空気が一瞬ざわめいた。


「また暴発するんじゃね?」


「昨日は奇跡だっただけかもな」


そんな声が耳に入っても、バクは歩みを止めなかった。


(わかってる。昨日のは運が良かった)


(今日は、制御してみせる)


≪条件確認。魔力総量、臨界寸前。身体への負荷、限界値を超過≫


(黙って支えろ。ネロ、お前の補助がなきゃ何もできねえんだ)


≪ああ、もちろん。壊れるかもしれないという警告だ≫


≪やるなら、本気でいけ。出力全開でいくぞ≫


バクは右手を前に突き出した。


「……黒炎――煉獄波れんごくは!」


かつて『黒炎録』に記された伝説の魔法。その名を借りて、バクは自らの炎にぶつけた。


演習場の空気が、焼け崩れた。

黒炎が唸りを上げ、一直線に標的へと突き進む。空間そのものが軋みを上げ、魔力の奔流が大地を裂いた。


次の瞬間――訓練用の標的が蒸発した。形を保つ暇もなく、粒子のように消え去る。

その背後にあった防音壁が、抉られた。石造りの防壁がもろくも崩れ、深く黒焦げたクレーターを刻む。半径数メートルにわたり、地面は溶け、熱で歪んだ瓦礫が突き刺さるように散乱していた。


≪出力異常。暴走率上昇中――バク、魔力の伝達を切れ!!≫

≪それ以上は、内側から壊れる!!≫


「っ……止まれ……!」


バクは両脚を踏ん張った。暴れる魔力を力任せに押さえ込み、右手に全神経を集中させる。制御を、意志でねじ伏せるように。


だが、黒炎は止まらない。


地面が軋み、結界が明滅する。魔力の余波が拡散し、辺り一帯が黒く焼け爛れていく。


「くそっ、止まれって……!」


血が滲む。口内に鉄の味が広がる。

抑えきれない。だが、それでも足を動かさない。


限界は、突然だった。

全身を駆け巡った灼熱の反動が、右腕から胸へと一気に駆け抜ける。

焼けつくような激痛が肺を貫き、バクは思わず膝をついた。


「――っがはっ!」


口から鮮血が噴き出す。

肺が、喉が、内臓そのものが灼けていくような痛み。


(くそ……まじで、内臓が焼けやがった……)


「きゃあっ!?」「やばい、逃げろ!!」


訓練場が一気に騒然となる。爆熱に煽られ、砂煙が視界を覆う。


「全員! さっさと後退しろ!!」


ガク・ザラードの怒声が響く。瞬時に彼が構えた指先から、厚い魔導障壁が張り巡らされた。


リナが前へ出る。氷の気配が、空気を瞬時に冷やす。


「――極零刃」


展開された氷剣が、黒炎の中心に突き刺さる。

だが、炎は止まらない。周囲を呑み、唸りを上げてなお広がる。


「……チッ」


リナが小さく舌打ちを漏らした。

その瞳に宿るのは、焦りではない。想定外を前にした計算の狂いに対する、冷たい苛立ちだった。


「水魔法使えるやつ!撃ちまくれッ!!」


さらに、ガクの怒声が演習場に響き渡る。


それに応じて、生徒たちが次々と魔力を解き放った。

青白い奔流が、うねる黒炎に容赦なく叩き込まれていく。


「こっちだ、下がれ!!」


アキが土の障壁を展開。近くにいた生徒たちをその背後へと庇うように動かす。


それでも黒炎は暴れ続ける。


バクはその中心で膝をついていた。

焦げた空気、焼ける視界、肺が焼けるような痛み。


(……俺の魔法が……こんなことに……)


全身が痛い。立てない。視界の端で、誰かが叫んでいる。


黒炎は徐々に勢いを失い、氷と水の連携でようやく沈静化していった。

魔導結界の光がゆっくりと消えていく。

リナが、息をつきながら呟く。


「制御不能の魔力……笑えないわね……」


バクは膝をついてる。

右腕が焼けるように痛む。口内に、鉄の味が広がる。


「っ……げほっ……!」


血を吐いた瞬間、胸に鈍い痛みが走った。

その場に崩れ落ちる。


(……届いた。でも……)


(このザマかよ……)


握った拳が、震えていた。


「バク君、大丈夫!?」


砂煙の中から走り寄ってきたのは、黒髪ボブの少女――ユナ・フィオーレだった。

その肩には、淡く光る白い蝶のような精霊〈ルミ〉が止まっている。


バクの顔色を見るや、ユナはすぐに叫んだ。


「ルミ、お願い!」


ルミが羽ばたく。

ふわりと広がる白光がバクを包み、熱を帯びた皮膚が冷まされていく。


無茶しすぎだよ……でも、さっきの黒炎、本当にすごかった……」

「怖かったけど……目を離せなかった。あんな魔法、初めて見たよ」


≪すごい?あれが?≫

ネロの声が呆れと皮肉にまみれて響く。


バクは地面に膝をついたまま、肩で荒く息をしていた。

吐き出された血が、制服に染みていく。

脳裏には、あの一瞬の光景が焼きついていた。

まっすぐに伸びた黒炎。標的を貫き、防音壁を抉った、初めての一撃。


だが、手応えはなかった。喜びもなかった。

ただ、遅れて襲う痛みと、響き続ける悲鳴、焼け焦げた臭いがあった。


「……俺の魔法が……」


口を開いたが、すぐに閉じる。

言葉が、悔しさに喉の奥で潰れた。

届いたのは事実だ。だがそれは魔法ではなかった。

誰かを救う力でも、誰かに誇れるものでもない。

ただの、破壊だった。


(……ちがう。これじゃ、違うんだ……)


その想いが、血の味とともに、奥歯の裏でにじんだ。


ガク・ザラードが、ゆっくりとバクに歩み寄る。


「……よくやった」


低く、静かな声が落ちた。


ガク・ザラードがバクの前に立ち、しばし無言でその姿を見下ろす。


「出力は相変わらずバカみたいに高い。けど――昨日より、ずっとマシだ。狙いも、意志もな」


血を吐き、肩で息をするバクが、顔を上げる。


「……せん、せ……す、すい……っ」


唇が震え、息が詰まり、言葉にならない。


「……倒れるまで撃つな、バカ」


ガクの指先が、軽くバクの額を叩いた。

それだけで、バクは一瞬、目を瞑った。

叱責ではない。ただ、命を懸けるにはまだ早いという――教師としての矜持だった。


そしてそのまま、リナの方へも一礼した。


「セレスト、補助ありがとな。お前のおかげで誰もケガせずに済んだ」


「当然のことをしたまでです」


リナは冷たく言い捨てると、バクに視線を戻す。


「魔力があっても、器がなければ暴走するだけ」


氷のような視線。その瞳に、怒りでも軽蔑でもなく――観察の色が宿っていた。


「……バク・ノヴァリス。あなたの魔力は異常値。それだけは確かよ」


そう言って、彼女は背を向ける。


(クソ……そんなこと、言われなくても……)


ユナが手を握ってくれた。


「すぐ保健室行こう。傷、まだ完全に治ってないから」


「……ああ。ありがとな」


≪――これが今のお前だ≫


(……ああ。わかってる)


歩きながら、バクは自分の右手を見た。

まだ震えている。けれど、その手が確かに放った感触を、忘れはしない。


(これが、俺の現在他……)


保健室のベッドに寝かされたバクは、未だ火照る腕を冷却パックで冷やされながら天井を見上げていた。


≪ようやく落ち着いたか。……まったく、昨日まで暴発もせずに撃てていたのに、このザマだ≫


(昨日と今日じゃ、打ち方が違ったんだよ)


≪違うな。お前の意識が変わった。狙った。通した。制御しようとした。それが結果的に、出力を正面に集中させた。つまり――≫


(魔力の密度が上がった。体にかかる負荷も、跳ね上がった)


≪そういうことだ。魔力量に体が追いついていない。魔法は、ただ放つだけのものではないと知れ≫



「おーいバク、生きてるか?」

保健室のカーテンをめくって、アキ・ソラリスが顔を覗かせた。


「さっきの黒炎、結界まで焦げてたぞ。……無事か?」


「……なんとか。結界の心配かよ」


「いや、お前のだよ。マジで。……でも、すげぇな、あれ。威力だけはラグナス級だな!」


その後ろから、ひときわ静かな足音が近づいた。


「アキ。騒がしい。保健室の規則くらい守りなさい」


「お、おう……リナ……!」


リナ・セレストが、バクの横まで来て立った。目を伏せたまま、落ち着いた声で言う。


「バク・ノヴァリス。あれだけの魔力を持ちながら、なぜ今日まで暴発しかしてこなかったのか……理解しかねるわ」


「……俺も、分かってなかった。ただ強くなりたくて、力をぶっ放すことしか考えてなかった」


リナは数秒の沈黙のあと、意外な言葉を口にした。


「でも、今日の黒炎は違った。意志があった。方向性があった。それは間違いなく成長よ」


「……ただし、体が追いついていない。無理は禁物」


冷たいようでいて、的確な分析。それが彼女なりの気遣いだった。


アキが苦笑いを浮かべた。


「オレも今日は失敗したしな。ゴーレム拳が暴走して壁にめり込んだ」


「お前はいつもだろ……」


「それは言うな!」


三人の空気が、少しだけ柔らかくなったそのとき――バクの目がベッドの横の棚に止まった。


古びた表紙の本が一冊。『黒炎録』――授業で取り上げられた、あのラグナスの記録だった。


「……これ、誰が?」


「置いてあったわ。たぶん、ガク先生が持ってきたんだと思う」


リナが言う。


バクはゆっくりとその本を手に取った。ページをめくる。

そこに――血まみれのコートを翻し、戦場に立つ男の挿絵が描かれていた。


黒と赤のコート。黒煙を背負い、金色の瞳で前を睨む姿。


≪ラグナスか……久しぶりに見たな、その顔≫


ネロが呟く。


(お前、やっぱ知ってるのか)


≪ああ。……バカな男だったよ。力を削ってまで仲間を守り、血反吐を吐いても前に出続けた。お前と同じように、体をボロボロにしながらな≫


(……でも、騎士団を作った)


≪そうだ。暴走気味の魔力を、意志と仲間でねじ伏せた。それが、あの時代の希望だった≫


ページを閉じるバクの手に、力がこもる。


(俺も……なれるかな。ラグナスみたいに)


≪辿る気か? あいつと同じ、バカの道を≫


「ああ。……それしか、知らないから」


その返事に、ネロは何も返さなかった。


夜風が吹いていた。

学園の校庭は灯りを落とし、魔導灯もすでに沈黙している。代わりに、澄み切った月光が静かに地面を照らしていた。空気は冷たく張りつめていたが、そこにただ一人、火を灯そうとしている者がいた。


地面に置かれたロウソクの芯を睨みながら、バクは右手にひたすら魔力を込めていた。

派手な魔法はいらない。

ただ、小さな火種を――この芯に灯すだけ。それだけのはずだった。


……だが。


「っ……!」


指先に溜めた黒炎が、わずかに震え、弾けるように散った。

右手の内側から皮膚を引き裂くような痛みが走る。


「ッ……あ”ぐっ……!」


息が止まった。神経を焼くような痛みが、指先から手首まで突き抜ける。

膝が崩れ、呻きと共に右手を見た。赤黒く変色した皮膚から、焦げた匂いがわずかに立ちのぼる。

ひび割れた指先は、触れるだけで崩れそうだった。


焼けた右手をゆっくり握り込む。

指先は震えていたが、唇だけは強く結んだまま、声を絞り出す。


「……また、失敗か」


≪当然だ。出力を抑えきれていない。それ以前に、お前は灯す魔力を理解していない≫


ネロの声は相変わらず辛辣だったが、そこには明確な分析があった。


「理解してるさ。小さく、静かに――」


≪違うな。お前の魔力は、常に焼き尽くすことを欲している。止まれと言っても走る、走れと言えば爆ぜる。制御ではなく、意志を変えろ≫


「……意志?」


≪火を灯すのと、何かを燃やすのは別物だ。君がその違いを知らないうちは、ロウソクにすら火は点けられない≫


「……くそ……」


焦燥がにじむ。悔しさで喉が詰まる。


≪だが、出力の揺れは以前より安定していた。伝達のタイミングも改善している≫


バクは目を瞬いた。


≪褒めてるんだ。お前にしては上出来だ≫


「……やっぱりお前、性格悪ぃよな……」


≪知ってる。だが、甘やかすだけのAIよりマシだろう?≫


静かな風が吹き抜けた。

すすけたロウソクの芯だけが、微かに熱を帯びていた。


そのときだった。


「……やっぱり、来てた」


その声に、バクは肩をわずかに緊張させた。

振り返ると、そこに立っていたのはユナ・フィオーレだった。


制服ではなく、紺色のパーカーにゆるめのパンツというラフな装い。

黒髪のボブは軽く整えられ、夜気にさらされた肌がほんのり白く浮かび上がって見える。


その胸元は、ゆったりした布越しにも輪郭がわかるほどに豊かだったが――

彼女自身は気にする様子もなく、ただ静かに歩み寄ってきた。


手には、白く揺らめく精霊ルミが寄り添っている。


「ほんとに……無茶しすぎだよ、バク君」


そう言いながら、ユナは彼の隣にしゃがみ込んだ。


「治すね」


ルミがそっと浮き、バクの手元に光を落とす。体の奥に焼きついた痛みが、少しずつ和らいでいく。バクは俯いたまま、ただその光を受け入れた。


「……ありがとな」


その言葉に、ユナは微笑みながら、そっとバクの頬に指を伸ばし、

何も言わずに、軽くつついた。


「……いて!? なんだよ、いきなり」


「ん。ちょっとだけ。罰」


「罰……?」


「バク君、ちょっと顔怖い。考えすぎて、眉間にシワ寄ってるよ」


「……隠してるつもりだったんだけどな」


「ふふ。……でも、ちゃんと努力してるんだね。嬉しかった。さっきの演習も、怖かったけど……目を離せなかった」


バクは、黙ってロウソクを見つめたまま呟いた。


「……あの技。いまはまだ、ラグナスの借り物だ。けど、いつか俺の魔法として……」


ユナの表情が、やわらかくなる。


「うん。……その魔法、きっとまだ名前がないんだよ。だから、バク君が意味を与えてあげて」


「名前がない……」


「ラグナスさんも、最初は名前のない魔法を使ってたと思うよ。……守りたいものができて、初めてその魔法に意味が生まれたんじゃないかな」


ユナの言葉が、ゆっくりと胸の中に落ちてくる。


彼女の声、指先のぬくもり、そして何より――そばにいることが、バクの凍りかけた内心を静かに、優しく、溶かしていった。


「……なあ、ユナ」


「なに?」


「その……俺、まだどうしていいか分かんねぇけど、ちゃんと……前に進んでるよな?」


「うん。ゆっくりでも、ちゃんと進んでるよ」


そう言って、ユナは立ち上がった。


「……あ、それとね。炎の魔法のことなら、相談してみたらどうかな。ルームメイトの子、エマ・クルセアっていうんだけど。すごい子なんだ」


「エマ……?」


「ちょっと口は悪いけど、きっと力になってくれる。話してみて?」


バクは少し驚いたように彼女を見上げ、やがて頷いた。


「……わかった。ありがとな」


ユナは微笑みながら、ふわりと頷いた。


「うん。じゃあ、おやすみ」


軽く手を振り、夜の静けさの中へと歩き出す。


その背中を見送りながら、バクはそっと息を吐いた。


小さく、小さく。火を生み出すために。


(俺の魔法に、名前をつけるために)


その手のひらに、再び黒炎の気配が、ゆっくりと集まっていた。

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