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4.寂しい家


 ✁┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 馬車を乗り継いで向かった先は、延々と小麦畑が広がる田舎町である。

 目の前に現れたのは、一階建ての青い屋根と白い壁の、小さくて古い家。

 ここは私が生まれた場所だった。


 私の母は元々、それなりに裕福な子爵令嬢だった。

 そんな母が平民の父に出会って、祖母らに結婚を反対されたため家出をし、この場所で暮らし始めた。

 だが残念ながら私には、あまりに幼すぎてこの家で生まれて育ったという記憶はない。


 母はここで慣れない平民の仕事をしながら、何の仕事も長く続かない父を懸命に支え、私を出産したという。

 その苦労を知った祖父達は、父と母の結婚を許し、私が1歳になる頃に、私達家族を子爵家に迎え入れた。


 そうして祖父が婿養子に迎えたことで、父は事業まで引き継いだ。小規模な服飾業である。

 小さいと言っても、昔からの馴染客も多く、たくさんの人々に愛されてきた老舗で、それなりに繁盛していた。

 

 しかし善意に溢れていた祖父達がその年に相次いで死ぬと、父はこれまで側で支えてくれていた母を裏切り、メイドと子供を作った。

 それがミランダとジェシカだった。

 すでに子爵の座を譲り受けていた父は権力を振り翳し、ミランダをまるで子爵夫人のように扱い、母を冷遇した。

 そのせいで、子爵家の使用人達も私と母にはすっかり冷たくなっていた。

 それ以降体が弱っていった母は、私が8歳になる頃に肺炎で亡くなった。

 

 父は祖父達と住んでいた邸宅を売却し、豪華で新しい邸宅を建てると、貧乏だった時に住んでいたこの家も、死んだ母と同じように簡単に捨てた。

 今やこの家は子爵家が所有するだけという、廃墟だった。

 そこに住む事を父に許されたのは、私が子爵家を出ていく直前だった。

 父が娘に放った最後の一言。


 「私たちに迷惑だけはかけるなよ。」




 最期を迎えるにはあまりに寂しい家。


 だから最期の瞬間を迎える前くらい、せめて居心地の良い空間にしようと思った。


 部屋の天井付近に、まるでオブジェクトのように張り巡らされた蜘蛛の巣をほうきで叩き、木材店から買ってきた板を使い、古びたキッチンの床を修繕した。


 上手にトンカチを使って釘を打つ技術なんて持っていないから、随分と不恰好な床になってしまったけれど穴が空いてるよりは良かった。


 それから町に行って、商店街で初めて贅沢して小麦と卵と林檎と砂糖を買い、家の古びたオーブンを綺麗にしてからアップルパイを焼いた。

 ついでに買ったコーヒー豆を小鉢に入れて硬い棒ですり潰し、漉し布でドリップして、初めて砂糖とミルク入りの甘いコーヒーを飲んだ。


 ぼうぼうだった庭の草を鎌で刈り取り、花屋で買ったデイジーの苗やチューリップの球根を植えた。

 花が咲くまで生きていられないかもしれないけれど、できれば咲くのを見たいと願いながら。


 埃と枯れ葉だらけだった玄関先を掃除して、かぼちゃをくり抜き、パンプキンランタンにして庭先に灯した。

 

 それからやがて来る冬に備えて近くの山で拾った木の枝を暖炉脇に準備したり、自分用のブランケットを編んだりもした。


 もしかして冬を迎えられないかもしれないけれど、それでも何となく準備しておきたくて。


 一人きりの生活は寂しかったけれど、でもとても自由だった。


 夜は誰かに怒られる事もなく、灯りをつけて好きなだけ本を読んだ。

 たまには夜更かしだってした。

 眠くなるまで何度もベッドの上で足をバタバタし、鼻歌を歌ったりもした。


 汚かった浴室もピカピカに磨いた。

 割れたタイルに穴埋めのパテをし、不格好ながらもヒビは全部埋めた。

 薪でお風呂を沸かし、肌に良くて良い香りのする柑橘をお風呂に浮かべて入った。

 おかげで肌がスベスベになった…気がする。


 天気の良い日に、教会のボランティアで覚えた讃美歌を歌い、外で洗濯物を干していると、近所の人に変な顔をされた。

 けれど昔この家に住んでいた母の娘だって分かると、とたんに皆親切になった。


 「あなたのお母様は、とても良い方だったからね。」


 「誰に対しても優しい人だったよ。」

 「あの旦那は嫌いだったけれど!」


 母を知る近所の住人たちは、母がとても親切だったと話してくれた。

 逆に父の話になると「無愛想で嫌いだった!」と皆が唇を尖らせ、不満を口にするので、つい一緒になって笑ってしまった。


 朝は大好きなホットココアとバタートーストを食べて、昼は庭先に作ったハンモックで遊んだり、落ち葉を集めて近所の人に貰った芋を焼いて食べたりした。

 子供の頃からずっとやりたかったことをして、今を楽しんだ。

 やがて木枯らしが窓を叩き始めた。

 

 時々ミッシェルの事を思い出し、悲しくて泣く夜もあった。


 私はまだミッシェルを愛していた……


 けれど白い息を吐き、満天の星空を見上げて、何とか気持ちを落ち着かせた。


 確かにどうしようもなく寂しい時もあった。

 だけど子爵家ではいつも一人だったから、静寂には慣れっこだった。

 皮肉な事に病気になって、私は初めて自分だけの時間と穏やかな心を手に入れたのだ。

 驚くほど体の調子もいいので、このまま病気が治り、案外生きていけるんじゃないかと思えた。


 でもすぐにそれが間違いだったと気づいた。


 右目の視力が急激に落ちてしまったからだ。


 病魔は確実に私を蝕んでいった————。



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