36.【完結】木漏れ日の中で
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私とミッシェルは、あの家で新婚生活をスタートさせた。
ほとんどの物をそのままの形で使い、二人で過ごした思い出を大切にした。
クッキーやタルトを焼いた、古びたオーブン。
木の板で不恰好に修繕された床。
「マイケル」として料理を作ってくれたキッチン。
パテでヒビを埋めた浴室。二人で一緒にご飯を食べたテーブル、椅子。
車椅子、杖、呼び鈴、蓄音機。
全てが懐かしく、愛おしい。
それに、ミッシェルが買い戻してくれた『オーロール』を再開した。
優秀な元従業員から社長を選び、経営は委ねてある。
私はというと、時々、補修などの仕事を請け負っている。
たまに店に行くと、皆から『奥様』と呼ばれて照れてしまう。
ルフェーブル子爵家は法律上、夫であるミッシェルが継ぐ事になり、こちらも管理は優秀な使用人に任せた。
そのミッシェルはというと、トリスタン様と経営しているbelle商会に時々顔を出したり、独立した店舗の経営を頑張っている。
こちらをメインに、私も彼を支えている。
そうやって私達の結婚生活は、慌ただしく、流れるように過ぎていった。
春ーーー。庭先のチューリップを眺め、二人でチューリップの花が咲いたのを確認する。
花壇を埋め尽くしていたのは、色とりどりの綺麗なチューリップたちだった。
日曜日。
私達夫婦のルールで、休日だけは一緒に休みを取ろうと決めている。
だから今日は特に、朝から二人並んで、花壇を見つめていた。
「咲いたね…!」
「ええ。そうね、ふふ。ミッシェル。」
「よし!じゃあアンジェラ、あの時の約束を果たそう…!」
まさかあの時「マイケル」とした約束を、果たせる日が訪れるなんて、夢にも思わなかった。
対照的に、ミッシェルは必ずこうなると分かっていたみたいに笑顔だった。
近くの教会から春の歌が聞こえる。
ふらっとラポルトさん夫妻や、コリンヌさんさん達がやってきて、私達はしばらくおしゃべりに花を咲かせる。
今度ジャノさんがヨランドさんとデートする事になったそうで、皆で盛り上がった。
些細で、平穏な時間が流れた。
その後は、ミッシェルがサンドイッチを作ってくれると張り切り、私は先に庭に行って、日当たりの良い場所にシートを敷いた。
華やかなチューリップやその他の花々を見て、春を体いっぱいに感じる。
温かい日差しのなか、私とミッシェルはシートの上に寝転がる。
「綺麗ね。」
「そうだね。特にアンジェラ。君が。」
ミッシェルーー旦那様は、今日も真っ直ぐに私を見つめて嬉しそうに笑う。
ふと、あの冬の苦しかった記憶を思い出し、目に涙を溜めた。
私達は隣同士に寝転んで、澄んだ青い空を見上げた。
「あの時はーーもう駄目だと思っていたの。」
「僕は自信があったよ。
君には、この未来が必ず訪れるって。」
「あの時にはもう、覚悟を決めていたのね。」
「うん。君のために命を捧げると決めていた。」
「ミッシェル。あなたって……本当に。」
私はまた泣いてしまうが、ミッシェルにそっと抱きしめられる。
逞しくて、良い匂い。
優しい手つき、愛にあふれた眼差しは、出会ったあの頃と何一つ変わらない。
「泣かないで。僕の愛おしい奥さん。」
ーーそう言って私の額にキスをし、穏やかに宥めてくれる。
けれど、やっぱり私は泣いてしまう。
訪れるはずのなかった春。
ミッシェルの捧げた大きな代償。
だからこそ、こうしてミッシェルと一緒にいられる幸せを噛みしめる。
私達これからも、ずっと……………
サワサワと吹く風で、私の銀髪が揺れる。
着ているのは淡いピンク色のワンピース。
ミッシェルと結婚して、初めて購入した思い出の一着。
「アンジェラ、それは贅沢とは言わないよ。
むしろ君は欲がなさすぎだ。」
と、ミッシェルも困り果てていたから。
ずっと着てみたかった、この淡いピンク色のドレスを選んだ。
かつて子爵家でお母様が亡くなり、それ以降私は自分の物を買ってもらえなかった。
トリスタン様の家で働いたお給料は、私の命を繋ぐために食べ物へと消えた。
薄暗い物置きで一人夜を過ごし、使用人達にまぎれて働いた。
誰も私を必要としないーー冷たい言葉を浴びせられた日々。
『可哀想なお姉様。服の一着すら買ってもらえないなんて、惨めね!』
『アンジェラ、床を磨いておけと言ったでしょう!』
『我が家の娘は、ジェシカだけだ。』
あの家では、使用人達やジェシカ、ミランダにとことんまで虐げられた。
お父様の何気ない言葉も本当にショックだった。
見えない存在みたいに扱われ、いてもいなくも誰も私など気にしなかった。
本当はずっと辛くないはずがなかった。苦しかった。
自分でお金を稼ぐ大変さを知っていたからこそ、贅沢な考えはできなかった。
だからこそ、今だに服の一着さえ、買うのは躊躇ってしまうのだ。
また今年も見事な桜が咲いている。
昔よくミッシェルとデートをした思い出の場所。
あの頃は彼が平民だと思っていたから、とにかくお金を使わせないように気を付けていた。
全部、懐かしい思い出ね。と私はそっと笑う。
今日は特別な報告がある。
実はデートの約束をしていたが、ミッシェルが外せない用事で店に行ってしまったので、公園で直接待ち合わせをする事にした。
「アンジェラ。お待たせ。」
彼の眩しい笑顔を見て、私は胸の鼓動を早めた。
いつ見ても本当に素敵だ。
誰よりも輝く私の——————
「————ミッシェル……!」
その名前を口にし、私はミッシェルの腕の中へと飛び込んだ。
かつて『邪魔者』だと言われ、余命宣告を受けた私。
本物の愛を知り、彼から大切に愛された。
いくつもの嘘と命の代償を払い、私に幸せを与えてくれたミッシェル。
私達はこの先、死が二人を別つまで、決して離れる事はないだろう。
「あのね、ミッシェル。実は昨日、お医者様に行ったの。
それでね、新しい命がー……」
サプライズで、私達に新しい家族ができたと報告すると、ミッシェルが号泣し始めた。
「そうか。僕達の家族が……良かったね。
アンジェラ。嬉しいよ。本当に!」
「ええ。本当に嬉しいわ。」
泣いてるミッシェルを宥めながら、私は彼に子供の名前を考えてと頼む。
しかしミッシェルは、「体は大丈夫なの?こんなに出歩いて平気?」と慌てふためく。
暖かな春の木漏れ日の中で、私達夫婦は喜びを分かち合う。
本当なら、生まれるはずのなかった命。
なおさら、私達の間にできた子は大切に愛されて育つだろう。
人はこれを『奇跡』と呼ぶそうだ———。
※完結です。
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