28✴︎さよならなんて言わないで
アンジェラの起きている時間が減っていき、いよいよ眠っていることの方が増えてきた。
これは病の末期症状で、生存本能が働いている証拠。
何とか生きようと、脳があがくためだ。
エネルギー消費を必要最低限に抑えるため、ほとんど動かず、眠ってしまう。
今日も外は冷たい雪で、アンジェラは少しだけご飯を食べると、またすぐ眠ってしまった。
アンジェラの笑い声が聞こえないこの家が、急に広く感じて、寂しくなった。
ここで彼女と生活してみて、この家に愛着を持ってしまったのは僕の方。
古びたキッチン。彼女が修繕した床を、僕も修繕した。
二人でお菓子を作ったオーブン。
お風呂のパテも、壁の崩れも補修。
脱衣所に置かれた洗濯かご。窓辺のシクラメン。
二人で使うテーブルと椅子。
ここはアンジェラとの温かく、優しい思い出がいっぱいだ。
『人が一番初めに忘れてしまうのは、声。』
ふと、アンジェラが言っていた言葉を思い出した。
そのせいか、どうしてもアンジェラの声が聴きたくなって、置きっ放しの蓄音機に手を伸ばした。
これなら、アンジェラの声が聞ける。そんな切実な思いから、メッセージを再生した。
『ありがとう。マイケル。いつも側にいてくれて。あなたは本当に優しくて…』
『マイケル、あなたの得意な料理が…』
「自分へのメッセージじゃなくて、マイケルにばっかりだね。
なんだか、マイケルに妬けるな。」
ついそれが自分であることも忘れて、嫉妬したりした。
複雑な気持ちになって、一人で苦笑い。
蓄音機を止めようとしたら、まだアンジェラの声が。
「…続きがある?」
さっきとは違う、妙にかしこまった声だった。
『コホン…。あの。ごめんなさい。
最後に一つだけ。
ミッシェルに…伝えたい言葉があったので、こちらにメッセージを残します。』
…僕に?まさかアンジェラに、正体を気づかれたのか?
ドクンと心臓が跳ねた。食い入るように蓄音機に手を当てる。
『あ…の。ミッシェル。私ね。
あなたにジェシカとの関係を確かめもせず、勝手にいなくなって、本当にごめんなさい。
私がこんな風にあなたにメッセージを残すことすら、烏滸がましいかもしれないけれど…
子爵家を出て、ここで暮らすうちに、そのうちあなたのことを忘れるだろうと思っていたのよ。
でも…できなかった。
私、思った以上にあなたのこと、愛していたみたい。』
「————!!」
アンジェラの気持ちが、僕の目頭を再び熱くさせた。
まさかアンジェラが「ミッシェル」に宛てた、メッセージを?
とっさに口元を防ぐ。また、泣いてしまわないように。
『それでね。もうこれで最後かもしれないから言うわね。
ミッシェル。私、まだーーあなたを愛しているみたい。
でも、例えあなたが万が一…仮にも私を愛していたとしても。
私はもう、あなたの側にいてあげられないから。
あなたに悲しい思いをさせるくらないなら、もう、このままでもいいの。
ううん…これでよかったのよ。
あなたがジェシカを愛していないのだとしても、どうか私のことは忘れて。
他に愛する人を見つけてね。愛する人と結婚して…
どうか、幸せになってね。さようなら、ミッシェル。』
幸せに————なるのは君の方。
その資格があるのも、アンジェラ、君だ。
だからさよならなんて、言わないで。
「…っ!アンジェラ……さよならなんて、言わせない……
……絶対に、君を死なせない……から、そんなこと、言わないで. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .」
神様、どうかお願いです。
アンジェラを助けてください。彼女を見捨てたりしないで。死なせないでください。
神を信じてない僕が、毎夜神に祈った。
この時、僕は無意識にガスパルを思い浮かべていたのかもしれない。
全てに見放されたアンジェラを、救ってくれるかもしれない、唯一の魔法使いを。




