28✴︎さよならなんて言わないで
時間がない。あの魔法使いは一体何をやっているんだ。
アンジェラの誕生日も過ぎて、クリスマスも過ぎた。もうすぐ今年が終わる。
今年は特に寒く、毎日のように雪が降っている。まるで僕の心のように。
何度かアンジェラのことで医者を呼んだ。
本人は知らない。
時々、アンジェラの体調が悪くなり、意識が朦朧とすることがあったからだ。
覚悟していたことだったけど、実際にアンジェラのそんな姿を目の当たりにしたら、怖くて堪らなかった。
「ミッシェル様。残念ですが、我々にはもう、できることはありません。」
どの医者も口を揃えてアンジェラの病は、『末期』だと言う。いつ何が起きてもおかしくはない、覚悟しておいた方がいいと。
今年いっぱいが山場だと。
「そんな事、分かっています。…けれど、何とかなりませんか?
せめて進行を遅らせるだとか…」
「すみません、ミッシェル様。
この病にそのような薬は、まだないのです。」
例えばもう少し医療が進めば。あるいは、研究が進めば。
あと何年かすれば、五感喪失病の原因が特定され、特効薬ができるかもしれない。
医者はみな諦めたように首を横に振り、そう言うだけだった。
アンジェラは罹患した時期が悪かった、と言った医者もいた。
「…時期なんて、関係ありません。
あなた方は医者なんですから、何がなんでも、アンジェラの病を治すべきなんです……」
珍しく感情的なことを言い、医者達を困らせてしまった。
自分だって無力なくせに。
庭のチューリップは雪に埋もれてしまい、今はどうなっているかは分からない。
できるなら、この冬を乗り超えて、アンジェラにも見てほしい。
美しく咲いた、チューリップの花を。君が好きな、色とりどりの花々を。
約束したじゃないか。
春になったらサンドイッチを持って、庭にシートを敷いて、一緒に花見をしようと。
昔、トリスタンの侯爵家で僕は、アンジェラと一緒に花壇に花の苗や球根を植えた。
『この種はパンジーで、これはビオラ。形は似ているけれど、花の大きさで呼び方が違うのよ。
こっちはクリスマスローズ。キンポウゲ科の多年草で、冬から春にかけて咲くの。
花は好きよ。見ているだけで幸せな気分になれるから。』
侯爵家で生き生きと働くアンジェラの隣で、物知りで、花が好きな君の話を聞いて、僕は君ばかりを見ていた。
もう一度、あんな風に無邪気に笑う君が見たい。
———アンジェラが、聴力の全てを失った。
辛いだろう。その恐怖は計り知れないはずだ。
だけど僕が動揺すれば、アンジェラもきっと動揺する。
マイケルとして、毅然と振る舞えば彼女もまた安心するはずだ。
意思疎通する最終手段は、アンジェラの手のひらに文字を書くことだった。
そうすれば少しでも、アンジェラと心を通わせることができる。
彼女の痩せた手を握りしめて、涙をこぼさないようにして、なるべく多くの文字を伝えられるように、繰り返し訓練した。
「これは?」
「アンジェラ?」
「そう。じゃあ…これは?」
「マイケル…ね。ふふ。すぐに分かったわ。」
「さすがはアンジェラだ…!君は完璧な人だね。じゃあ次は長い文章だよ。」
昔からアンジェラは飲み込みが早くて、本当に賢い人だった。
かつて僕が勉強を教えた時だって、そうだった。
子爵家でまともに教育を受けられていたら、科学者にだってなれたんじゃないかなと、思うくらい。
そうしている間に、再びトリスタンが家を訪れた。
『アンジェラの実家の事業が、潰れた』と伝えるために。
子爵家が潰れた要因になったのが、僕らの商会のせいかもと。実際にそうだ。
僕は狙って、彼らを潰したんだ。
だが、情に熱いトリスタンは、どうしても黙っていられなかったんだろう。トリスタンとガスパルは本質が似ている。だからすぐ仲良くなったんだな。
しかも。トリスタンは、ずっとジェシカとの関係を勘違いしているアンジェラを叱り、ついでに僕の方まで睨みつけ、父親のように説教をした。
『はあ。お前たちは本当に、良く似てるよ。
勝手に悪い想像ばかりして、変な方向へ先走って!変なとこがそっくりだ!』
知ってる。
それに、アンジェラがまだ僕を愛してくれているのも知ってるよ。
だけどもうそんな次元の話じゃないんだ。トリスタン。
僕はもう、ミッシェルとして名乗らない方がいいだろう。
もしもガスパルに頼んだことが実現したら、アンジェラが悲しむだろうから。
初めから僕はここに「いなかった」ことにした方がいい。
アンジェラと契約したのはマイケルで、最後まで世話をしたのもマイケル。
僕とは違う、世話焼きで優しい男だったと、記憶していてほしい。
その方が、アンジェラだってきっと幸せになるはずだ。
「ミッシェル」なんて忘れて……




