9.僕はここにいるよ
昨夜のパーティーは本当に幸せだったのに。
目が覚めると、周りの物が何も見えなくて、恐怖のあまり私は叫んでいた。
「……マイケル、マイケル!
怖い、怖いわ…!見えない、どうしよう、何も見えないわ……!」
目の前にはただ暗闇が広がっていた。
初めて味わう恐怖。
暗闇はとても怖い。
どんなに見ようとしても、どんなに目を開いたつもりでも、手を伸ばしても、足掻いても。
ただどこまでも無限に闇が広がっていた。
まるで自分まで黒い幕で覆われているよう。
もしくは自分という存在が、すっかりこの世界から消え去ってしまったかのような。
「アンジェラ!!」
そんな恐怖に怯えていた、私の手を握ってくれていたのはマイケルだった。
私の叫び声に、慌てて部屋に入ってきてくれたのだろう。
ベッドでガタガタと震える私の手を、逞しい両手が包み込んでくれたのだ。
「マイケル……はあっ、はあっ、はあっ。」
「アンジェラ。僕はここにいるよ。
いつも君の側にいる。だから安心して。」
荒々しい呼吸が徐々に落ち着いていく。
マイケルが片手で私の手を握り、もう片方の手で背中を優しく撫でてくれるから。
「マイケル、私……私はここにちゃんといる?ちゃんと息をして、生きてる?」
「うん、アンジェラ。君はちゃんとここにいる。
ちゃんと生きてるよ。
ほら、僕の手の感触が分かる?
温かいでしょ?そう感じられるのは、アンジェラが確かに生きてる証拠だからね。」
優しく宥めるようにマイケルが耳元で囁いてくれる。
握ったマイケルの手の感触。
料理の時に包丁で切ったのか、いくつかの切り傷もある。
こんな傷を作っても、マイケルは何も言わずに不慣れな料理を作り続けてくれていたのだ。
その手は、本当にとても温かかった。
「よかっ……たあ。」
「アンジェラ………、辛いね………。
苦しいよね。泣いてもいいんだよ……?」
どうして、マイケルの声が泣いているように聞こえるのだろう?
まるで契約者のあなたの方が辛いみたいに。
「騒いでしまって、ごめんなさい。
ありがとう。マイケル。」
「いいんだ。迷惑だとか思わないで。
決して、そんな風に思ってないから。
ただ君のお世話がしたいんだ。
———そういう、契約だからね。」
その後ずっとマイケルと話をしていた。
寒いだろうからと、マイケルは暖炉に薪を焚べ、私に厚めの上着をかけてくれた。
今が朝なのか夜なのか何も分からなかったけれど、マイケルは何も言わずに椅子に座り、私の話に耳を傾けてくれていた。
「好きな人がいたの。
無知な私に字や勉強を教えてくれて。」
「優しい人だった?」
「ええ、とっても。いつも親切で、丁寧で。
優しくて。私には勿体無い人だったわ。
愛していたけど……」
「今は?今はもう愛してないの?」
なぜか握ってくれているマイケルの手にもギュッと力が入る。
「愛しているわ。今も。
だけど彼の幸せを考えれば、側にいる事はできなかったわ。」
どうせ私は死んでしまうから————。
それなのに、未練がましい。
まだ私は性懲りも無く、ミッシェルの事が忘れられないみたいだ。
暗闇の中、道標みたいに浮かび上がるイメージは、ミッシェルが優し気に微笑している姿。
変だわ。側にいて手を握ってくれているのはマイケルなのに。
思わず力が入って、ベッドが軋んだ。
「きっとこれで良かったのよ。
今頃幸せになっていると思うわ。」
「———本当にそう思う?アンジェラ。
君が苦しんでいるのに、その人だけが幸せになっていると思う?」
「どうかしら。
けれど彼はもう結婚したはずよ。他に好きな人ができたみたいだから。」
「そうかな。そうではないと僕は思ってしまうけれど。」
マイケル………?
いつもより否定的なマイケルの言葉に、私は少し驚いた。
ただ、マイケルが今怒っているのか、笑っているのか何も分からなかった。
もう何も見えないのだから…
「確かに目が見えなくなっていますね。
回復は見込めません。」
二人で話していたのは明け方だったらしい。
今は昼過ぎ。マイケルが医者を呼んでくれたが、予想通りの答えが返ってきた。
「気の毒だけれど私にはどうにも。」
「いえ、先生。わざわざ来て頂き、ありがとうございました。」
この病に治療薬はなく、医者も煙たがる。
マイケルが診察料を渡すと、医者は慌ただしく帰って行った。
完全に失明した。しかし特段暗くなる様子もなく、マイケルはカーテンを開けて言った。
「アンジェラ、今日は快晴だよ。
青空に白い雲がたっぷりと乗ってる。
すっかり葉が落ちた寂しい木に、渡り鳥が二羽停まってる。
外は寒そうだけど天気はいいみたいだから、後から暖かくして、散歩に行こうか。」
「分かったわ。また手を繋いでくれる?」
「もちろんだよ、アンジェラ!」
マイケルは私が失明した後も何も変わらなかった。
むしろ前よりもっと優しくなって、その時の天気や、空の色、チューリップの伸び具合、作った食事の内容や、今見える景色などを言葉で細かく教えてくれるようになった。
しかも耳元で、よく聞こえるように。
あれから何度か暗闇の恐怖に怯えた。
目を覚ましても真っ暗で何も見えない。
手を伸ばしても、そこに何があるか分からない。
心拍数があがり、絶望感に打ちひしがれる。
これが夢だったら良かったのにと何度も願った。
だけど私が落ち込む度にマイケルが言うのだ。
「アンジェラ。僕が君の目になる。
どんな時も、苦しい時も、君の支えになるよ。だから一人で泣かないで。
何でも話して。僕を頼って。」
まるで愛の告白のように情熱的だった。
そんなはずないのに。マイケルにはちゃんと想い人がいるのに。
時々、目が見えない事でマイケルに迷惑をかけているんじゃないかと謝ると、返って怒られたりもした。
「言ったでしょ?アンジェラ。
迷惑だなんて思ってないって。
これは……契約なんだから。
もしも今度言ったら、しばらく口聞かないよ?いいの?」
「そ、それは駄目…」
意外とマイケルも怒る時は怒る。
だけどやっぱり基本的に優しくて。
結局私はマイケルに甘えながら、困難な日常を乗り切った。
マイケルがいてくれるから、私は救われている。
だから。私は残り少ない人生を笑って過ごそうと心に決めた。
親身になって寄り添ってくれるマイケルに、これ以上心配をかけないように。
最期まで笑って過ごせたらと、願った。




