8.優しい彼との暮らし
その夜すごく不思議な夢を見た。
誰かが私の手を握ってくれている。
温かくて、懐かしいような……
もう思い出さないようにしていたけれど。
「………………ミッシェル?」
少しだけ目を開ける。
暗闇で何も答えてはくれない人物が、息を殺して、その椅子に座っていたような気がした。
「マイケル?おはよう。
あれ?どこにいるの………?」
明け方に目覚めると、部屋の中はシン……としていた。
今朝も目の前がぼやける。多少の差はあるが、両方とも確実に悪くなっていってる。
この病気に治療薬ははない。
せいぜい一秒でも長く生きれるよう、食べ物や生活に気をつけるだけだ。
起き上がってドアを開けると、キッチンから微かな物音が聞こえてきた。
中央に人影が。
あのシルエットはマイケル、だろう。
部屋の中はスープの美味しそうな匂いが充満していた。嗅覚がまだ生きているのは助かる。
あの後も足元が覚束ない私の食器を一緒に運んでくれたり、片付けにたりして忙しかっただろうに、もう起きていたなんて。
壁づたいにキッチンまで歩くと、気配に気付いたのか彼が振り向いた。
「あ、おはよう!アンジェラ。目が覚めたんだね。」
「おはよう、マイケル。」
朝から家の中で誰かと挨拶を交わす。
それだけの事がどうしてこんなにも嬉しいのだろうか。
マイケルが朝から早起きして作ってくれたスープも、ちょっとこんがりよく焼けたパンも本当に美味しかった。
「美味しい!マイケル。本当に美味しいわ。」
心から私が喜ぶと、なぜかマイケルまで大喜びだった。
「良かった〜〜〜。早起きして作った甲斐があった。嬉しい。」
「ふふ。どうしてマイケルの方が喜んでいるの?」
「いや。君に褒められると単純に嬉しくて。これからも君には、美味しいご飯を作ってあげたいから。」
どう考えても私の方が感謝しているというのに。
マイケルは優しい上に、努力家。仕事に対して相当熱心なのだろう。
食後。私はマイケルに手伝って貰いながら洗濯物を干した。冬だが穏やか。寒いが日差しが暖かかった。
洗濯が終わると、ふとマイケルが私の手を取り庭先のとある場所に誘った。
先にマイケルがしゃがみ、私も同じ姿勢に。
マイケルは私の手に自分の手を重ね、土から顔を出した植物のようなものに触れる。
「アンジェラほら、これ。チューリップの芽だ。」
「本当だわ。…目が出たのね。」
秋に庭先に植えたチューリップが芽吹いていたのだ。それも歌壇にいくつも。
「君が植えたの?アンジェラ。」
「ええ。花が見れるかは分からないけれど。
できたら見たいなと願っているのよ。」
「そっか。大丈夫だ。アンジェラ。
きっと見れる。」
少し力強いマイケルの言葉に励まされる。
そうなればいいなという淡い希望が。
「マイケルは、よくこれがチューリップの芽だと知っていたわね。」
「うん。以前、花の世話が好きな人がいてね。彼女に色々と教えて貰ったんだ。
花の種類や、苗、球根の植え方。それぞれどんな花が咲くのかも。物知りな人でね。
すごく努力家で、とても純粋で。」
その時のマイケルの声には、どこか愛おしさが混じっているように思えた。
恋人か誰かの話だろうか。
そんな風にマイケルから思えて貰えるその誰かは、きっと心から幸せだろう。
「そうだ、アンジェラ。
春になったらこの場所にシートを敷いて、二人でお花見をしよう。約束だよ。」
「………ええ。そうね分かったわ。マイケル。約束よ。」
契約者であるマイケルは勿論分かっているはずだ。
私がこの冬を越せないかもしれないと。
春に、チューリップの花が開くのは見れないかもしれないと。
それでもマイケルは、未来の話をさり気なくしてくれた。
まるで未来に、私が当たり前に存在しているみたいに。
できるなら私だって、この友人のようなマイケルと、温かい春の日差しの中で、咲いた色とりどりのチューリップを眺めてみたかった。
けれど私は————————————
「アンジェラ!」
二人で花壇の手入れをしていると、塀の向こう側から、大きな声で名前を呼ばれた。
「おはよう、アンジェラ!」
「あら?この方は?」
塀から庭に顔を覗かせていたのは恐らく。
近所の住人達だ。
ここに越してきてから少しずつ仲良くなって…
今では顔と声がよく分からなくなってきたけれど、ぼやっとしたシルエットや話す内容でまだ何とか判別できた。良い人達ばかりだ。
皆には一応、私の病気の事や契約者の事は話してある。
「初めまして。僕はマイケルと言います。」
「ああ…!君が例の契約者くんか。ようこそ、私達の町へ!歓迎するよ。」
「初めまして。私はニナ。話はアンジェラから聞いているわ。」
「初めまして、マイケル!わたしはコリンヌ!
アンジェラとはおともだちなの!」
この話し方やシルエットは、近所で肉屋を営むラポルトさん夫妻と、娘のコリンヌさん。
「初めまして。僕は近所で喫茶店をやってる、ジャノです。どうぞ宜しくね。」
近所の喫茶店のオーナーである眼鏡をかけたジャノさん。彼には美味しいコーヒーの淹れ方を教わった。
「私はヨランドよ。仲良くしてね。
それにしてもマイケルさんてすごく美形。珍しい銀髪、きれいね〜〜」
「あ、ど、どうも。」
この声はヨランドさん。今はよく見えないが、本当に綺麗な役者の卵さんだ。
美女に詰め寄られて、マイケルが少し戸惑ってるのが分かる。
「そうだ。ねえ〜ここで出会ったのも何かの縁!
皆で、アンジェラとマイケルの歓迎パーティをやらない?」
「お〜!!いいね!!」
「あらそれなら我が家で開催しない?
美味しいお肉を焼くわ!」
「え。歓迎パーティー?」
ニナさんの生き生きした言葉に、トクンと私の胸が高鳴った。
これまで私は、パーティーというものに参加した経験がなかったからだ。
パーティーと言えば子爵家での、あの辛い思い出だけだったから。




