仇
〈曇天に躰重いか燕の子 涙次〉
永田です。テオ=谷澤景六の『猫文藝』拔粋の回で、内藤主馬なる男に、カンテラが仇と狙はれた件をダイジェストしたのを谷澤が書いた、その件をお送りした。谷澤は「何故永田が『斬魔屋』でこの件を書き漏らしたのか分からないが」と云ふやうな事を前置きしてゐた。で、今回は、その話をお傳へしてみやうと思ふ。
【ⅰ】
* 幕末の上州に、伊達剣先と云ふ剣客がゐて、無頼と交はり、然も彼はカンテラのそつくりさんだつた事は、以前書いた。カンテラの造り主、鞍田文造が、カンテラを造る際に、彼をオリジナルとして撰んだ譯である。博打場の用心棒だつた件も、書いた。
高崎藩は、その博打場に手入れを敢行した。それで伊達は捕縛された。釈放には条件があつた。或る男を、斬れ、と藩は云ふのである。それで罪一等を減ずる、と。
或る男とは、内藤游行、上州出身の儒者、陽明學者である。
大坂の、大塩平八郎の事件で、陽明學がクローズアップされてゐた時代である。體制派の朱子學に替はり、民の味方である陽明學者たちが、世に溢れた。譜代大名の治める高崎藩としては、叛體制的勢力である、彼ら陽明學者たちを野放しにして置くのは、危険だと云ふ判断があつたのだ。
内藤は江戸、番町に住み、私塾を開いてゐた。そこで、伊達を江戸に派遣し、彼を斬る事となつたのである。
* 当該シリーズ第59話參照。
【ⅱ】
主馬は、游行の直系の子孫であつた。いつも、游行の私塾の世話をしてゐた小者の子孫・蓮田右馬之進を引き連れてゐた。彼は、カンテラの姿かたちから、カンテラが伊達の、これも子孫ではないかと、信じ込んでゐた。内藤家には代々伊達の事は語り継がれてゐたのだ。そこで、先祖の仇と、カンテラを付け狙つたのである。游行が伊達に斬られたのは幕末。その怨みを未だ引き摺つてゐた譯だが...
蓮田は東京の方々に、放火して回つた。東京都庁は、その連續放火事件を重く見て、警視庁とタッグを組んで、放火犯の追及にやつきになつてゐた。
主馬・右馬之進の主従は、デマを飛ばした。カンテラが、その放火魔であると云ふデマである。都庁は、中野區に巣食ふ得体の知れない「斬魔屋」は、その放火魔のイメージにぴつたりだと、デマを受け容れ、カンテラを重要參考人として呼び出すやう、警視庁に依頼。カンテラは姿を晦ます。
じろさん始め、カンテラ一味は、リーダーを失ふ事となり、氣が氣ではない。或る日、その一味の許に、一通の封書が届く。中身はカンテラの書いたもので、「しばらく辛抱して慾しい。俺は必ず、デマの出どころを暴く」とあつた。
【ⅲ】
カンテラの調べ(彼は東京の闇に潜伏しながら、必死に探つたのだ)では、だうやら彼を仇として、斬らんとしてゐる内藤主馬なる男が怪しい、二通目の封書にはさう書いてあつた。そこで、テオは主馬の情報を集め、カンテラの云ふ事が正しいと立証した。
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〈釣り糸を垂れて黙考する人よ江戸の昔の再來なるや 平手みき〉
【ⅳ】
カンテラは、誤解は誤解として、主馬主従を斬る事にした。その誤解は、だう足掻いても解けるものではないと踏んだのだ。カンテラはじろさんと密かに圖り、主馬と右馬之進に、市ヶ谷駅近くの内藤家墓處にて會はうと、手紙(何せそれ以外に通信の手段がない)を送つた。
決められた期日に、主馬主従は、約束の場處に現れた。じろさんが「馬・馬コンビ」と彼らを呼んでゐた、と、谷澤=テオは冗談めかして書いてゐたが、当時の彼らはマジにそのデマを明かさねばならない。カンテラにとつては、執拗な内藤・蓮田主従は天敵である。
主馬はそれなりに、剣の腕は立つた。が、到底カンテラに敵ふものではない。内藤家の墓の前で、カンテラは彼を斬つた。「しええええええいつ!!」-「ぐ、ぐ、無念」。血飛沫が墓にべつたりと付着した。主馬は、誤解を抱いた儘、斃された。殘るは蓮田。じろさんが、彼と組み打つ。が、「やつたう」の方はからきしの右馬之進、じろさんに太刀打ち出來る譯がなかつた。後ろ手にじろさんにがつちり「固め」られた右馬之進、カンテラに「命惜しくば、その耳を差し出せ」と云はれ、震へ上がる。カンテラは彼の耳を斬り取つた。仕事料も出ないのだから、それぐらゐは当然、と云ふ譯である。
【ⅴ】
その足で、都庁に右馬之進を連れて行つた。彼は事の次第を仔細、暴露した。カンテラに掛かつた、疑ひはやうやく霽れた。この一件で、カンテラ事務所が、世に名を賣る事になつたのは、運命の皮肉と云へる。その後「斬魔」業で鳴らす、カンテラ一味の礎となつた、この一件であつた。
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〈サイダーを不貞て飲みけり無月の夜 涙次〉
谷澤ほど上手く書けたかだうか、怪しいところだが、まあかう云ふ事件だつた譯で、そのあらましを皆さんに知つて貰ひたく、私は筆を執つた。さう云ふ譯で、このエピソオドを終はりにします。それでは。