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返事はないかもしれない。
そんな不安が胸をよぎる。
けれど彼女は応えてくれた。
「この状況下に必要なことだけ話しなさい。私にあなたの気持ちに頷いてやる時間はないのよ」
ふんっと鼻を鳴らされる。
アンは私の想像よりはるかに勝ち気な性格の子だったらしい。
それでも私の胸は弾んだ。
伝聞や本で触れるだけではなく、ようやく実際のアンその人がわかったのだ。
「サカキヤヨイ。聞こえているのなら、はい、と言いなさい」
「はい」
私が答えるや否や、彼女は強気な口調のまま捲し立てる。
「あなた今、メイヤー家にいるのでしょう。すぐそこから離れなさい。お兄様がいなくとも、屋敷くらい自分で出てもらえないと困るんだから。人通りの多いところに向かえばいいわ。そうして、一番始めに目についた女性に、ミーニャ様へ礼拝をしたいと言いなさい。この国の民なら、そう言ってきたものを決して見捨てない。これくらい、あなたならやれるでしょう」
一息にそう言って、彼女の深い息づかいが聞こえる。
「あと、迷惑かけて悪かったわね」
おまけのように吐かれた素っ気ない言葉に、思わず噴き出してしまった。
それまでは高慢な態度でしっかりとした口調で私に指示を出していたのに、そこだけ急に十三歳の勝ち気な女の子になるものだから、おかしくて。可愛らしくて。
この人は、ちゃんと人に謝れる人なんだ。
「なに? 雑音が……笑っているの?」
怪訝そうな声に、私は頷く。アンには見えないかもしれないけれど。
「アンさんが元気なのが、本当に嬉しいなって思って」
アンは想像していたよりもずっと強くて、推進力もあって、素直さだって備えているようだった。
彼女はきっと黒い大海に浮かぶ小舟にのせられても、前を睨み付けながら、自分でオールを握りしめたくましく漕いでいける人なのだろう。
母親をなくして、忙しい父親と兄と使用人たちに壁のように囲まれ寂しがってる女の子なんて、どこにもいなかったんだ。
そのことが、私は嬉しい。
「そんなことを聞いてる暇は私にはないと言っているでしょう。どうなの。あなた、動けるの」
アンにばっさりと切り捨てられるのも小気味よく、私はすぐさま応えた。
「動きます。あなたがそのための言葉をくれました」
あなたならできるって。アンは、アンなりの言葉で、そう言ってくれた。
私だって、そう思っていたい。
「だから私、なんでもやります」
「ならすぐにやりなさい」
最後まで厳しくあることに抜かりなく、あとには、ちりんっと鈴が一回だけ鳴らされた。それっきり、アンの声は聞こえない。
うまく聞きそびれたけれど、アンが鈴をもっているということは、リックが髪を伸ばす魔術を施しに彼女の元にたどり着いたのだろう。
状況は進んでる。私も動かなきゃ。
「よし」と両手をあげて大きく伸びをした。胸には気力があふれていた。
アンと話せたこととは別に、もうひとつ収穫があった。
魔術師ミーニャ。
その名をここで聞くなんて、気が利いてる。
ランデリア物語のなかで、主人公サクラの次に好きな登場人物だ。
とにかく軽快で自由で老獪。彼とも彼女とも表されるその人は、仲間の一人と言うよりも、節目節目で打開策をくれるお助けポジションだった。
ミーニャが悩むサクラに言った言葉はいまでも暗唱できる。
「私は行動を起こせる。
なにかを変えようとすることができる。
この状況に抵抗できる。
わけもわからず、負けちゃわないように、そう唱えて走り出せ。」
私は顔を上げ、史書室の扉を開けた。