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リックの話を聞いて、私だけではなく、ファルテの顔も明るくなったと思う。

ずっと私に対して申し訳なさそうだった彼が晴れやかなのは、単純に嬉しかった。

友人の機微にリックも気がついていたのだろう。クッキーを口に運びながら、時折ファルテを盗み見ていた。


「体についてはアンに接触できればなんとかなりそう、ということでしたが、いかがでしたか。私は行動を起こしたかいがあったかと思うのですが」

「そうですね。あとの問題はアンさんとどう会うか、ですけど。どうして入れ替りを望まれたかわかりませんが、私たぶん避けられちゃいそうだし」


肩の力を抜くファルテと顔を見合わせていると、リックが私たちの間にクッキーの皿をぐいっと押しやってくる。

見れば自身の口の端の食べかすを指ではらっていた。

「アンの魂に会いたいのか?」

「そうなんです。でも今はたくさんある神殿のどこかに保護されているみたいで」

「おそらく、近々に本人と会う約束がある」


事も無げに言った彼に、私たちは揃って目を見開いた。


リックは平坦な様子で、その長く編んだ黒髪をつまみ上げて見せた。

「髪を伸ばしたいらしい」

「……髪?」

その言葉にファルテが頭を抱える。

「わがまま娘め。そうきたか」

「ファルテさん?」

説明を求めると、彼は言いにくそうにしながらも教えてくれた。

この世界では、髪が短い女性というのは、生え揃わない幼子か、絞首刑などに処される罪人か、大事な髪でも売るような貧民だけなのだと。

「……え、じゃあ本来の私くらいの髪って」

ちょうど肩にかかるかかからないかくらいの長さだ。

ファルテはすぐに答えなかった。ものすごく言葉を選んでくれた。

「………………あくまでこの世界では、あまりお見かけするものではないかと」


文化の違いとはいえ、あんまりだった。


「アンさんの頼みって、自分が入ってる私の体の髪を、リックさんの魔術で伸ばすってことですか」

「そうだと思って実験してた。でも狙いは別にあると今わかった」

「……えっと」

リックの言葉は簡潔すぎて、こちらがうまく事情を飲み込めていないと置いてけぼりにされてしまう。


戸惑う私に、ファルテが解説してくれた。

「リックは貴族でも神殿仕えでもない市井の魔術師です。そんな彼に、魔術師を多く有するはずの神殿が依頼するのは、私たちの感覚では不可思議なのですよ」

「本当は自分達で出来ることをわざわざ外の人に頼んでるからってことですね」

「そう。だとしたらそれは表向きの理由のはずです。リックは優秀な魔術師ですから、神殿におびき寄せた後で、彼くらいの実力者がいなければ成せないようなことを、秘密裏に頼むつもりなのでしょう」

たとえば、とファルテは顎に手を添える。

「人が喪失してしまった記憶を修復する、とか」


はっとして私は拳を握る。

私の体に入ったアンは、自分を記憶喪失だと周囲に吹聴してる。


「……私の体に入ったアンさんも、私の記憶なんて持ってるはずない」

「ええ。ですが、私たちにとってはそれはとても重要です。この国の発展は、異世界人の方の助力があってこそ。必ず使命を担うあなた方ですが、それ以外にも、あなた方が有する常識こそが福音でもあります」

「常識……?」

「予防接種や麻酔、抗生剤はその代表例ですね」

私もよく知る言葉をファルテがなれた様子で口にした。

エメラルドの凪いだ瞳が、私の驚愕を覗き見る。そして落ち着くのを待ってから、穏やかに続けた。

「そうした医療技術などの学問、暦や時間の概念など、異世界人が私たちにもたらしてくださる恵みは数多い。諸般の理由で、流通させていない知識もありますが、たいていは広くこの世界の発展に使われてきました」

それを聞いて、ひとつ心におさまった。

「朝食。美味しかったです。異世界料理に身構えてたところはあったんですけど、食べなれた味が多かった。あと合間に借りたお手洗いでも困ることがありませんでした」

それは私たちの文化のレベルと比べて、あまり遜色なかったからだ。

全体としてみればこの世界は現代科学を有していない牧歌的な文化水準のようでいて、ところどころ、そうした技術を取り入れているのかもしれない。

「我が妹にとってはその場しのぎの嘘だとしても、我々にとってそれは信じがたい損失なのです」

損失。ファルテの甘い声の響きが、胸にぼちゃんと落ちてくる。


異世界転生小説でみられる前世の記憶で安泰無双、のようなことが、ここでは比較的短いスパンで行われてきたのかもしれない。

発展した技術がまるごと飛び込んでくるのを、彼らは何度も受け止め、受け入れ、自分達の生活を良くさせてきたのだ。


なんだか、申し訳なくなってくる。

私が知るランデリア物語の知識だって、結局は同じ異世界人の経験談だし、まるで過去の先輩たちが取ってきたトロフィーをズラリと並べて見せられているようだった。


「私もなにか秀でたものがあれば良かったですね。……でもとくに思いつくものもなくて……すみません」

「それはおまえの問題じゃない」

ぴしゃりと低い声に打たれて、私はいつの間にか下に向けていた視線をリックに戻した。

呆れた表情の彼は、中身なく冷えたカップを両手で包み、肩をすくめていた。

「おまえは神の導きで選ばれたわけじゃないんだからそれでいいんだ。とばっちり食らったくせに、おまえが謝るな」

「リック」

優しげな声が、やんわりとさしこまれる。

リックはとても嫌な顔をして、それ以上は口を開かなかった。ただ無言で立ち上がり、指を鳴らす。

魔術発動の合図だ。

床に赤い光を放つ魔方陣が展開される。


お別れするんだ。

反射的に察して私は声を上げる。

「リックさん! 今日はほんとうにありがとうございました! ……それと、」

さっきの言葉の意味を知りたかった。

神の導きで選ばれたわけじゃない。その意味を。

だけどどう聞けばいいのか惑い掠れる私の声に、ファルテの朗々とした声が重なる。

「リック、我が妹をよろしくね。また近いうちに来るよ」

「二枚舌のファルテなんて嫌いだ」


気安い応酬がなされるうちに、視界がぐにゃりと歪む。

ああ、もう飛ばされちゃう。

そう思った瞬間、私の手に誰かが触れた。

低い声が耳に流し込まれる。


「隠れて使え。あと、ファルテはおまえの味方じゃない」


手のひらに力一杯、握らされるそれは、とても小さくてつやつやしている。かたい拳のなかで、からからと音もなく揺れた。

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