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馬車って、こういう感じなんだな。
たまにおおきく揺られてお尻がぼいんっとなるけれど、座席には柔らかなクッションが敷いてあるし、狭いバスに乗ってる感覚に近い。
空調がないのでほぼ外気温なのと、外から聞こえる車輪の音や馬の鳴き声が、私をここが異世界なのだと教えてくれる。
本当は白いレースのカーテンがかかった覗き窓の外も見ていたいけれど、今はしないほうがいい、というのは同乗するファルテの進言だった。
「どこの貴族がどんな時期にどこに向かったか、なんていうのは案外、重宝される情報なのです」
あえて誇示したい時を除けば、基本的には密やかな移動が求められるそうだ。
この馬車も、外からわかる位置には公爵家の家紋がない。内装は凝ってるが、そこそこの商人であれば乗れるようなランクの見た目らしい。
外の様子はみられなくとも、私はそうした端々から匂いたつ異世界情緒に浸った。
ファルテは、ほっとした表情のまま私を見ている。
けれどその瞳の奥ではまだ気遣われてるのがひしひしと伝わってきた。
「ありがとうございます、ファルテさん。外に連れ出してもらえて、元気も出てきました」
少なくとも寝室に閉じ込められていた時から大前進している。
「お気持ちお察しします。それに、活路を見いだすのならば、初手はとにかく動き回るというやり方には共感が持てますから」
「それもランデリア物語から得た教訓というか……せっかく模範例がいるんだから、心意気だけでも真似てみようかなって」
「サカキ様が前向きな方で良かったですよ」
親しみ深く目を細めるファルテは、私が良いといっても敬語を外さない。言ってみれば、はじめの会話が彼にとっての特別だったのだろう。
だけどその距離の取り方が、真面目な彼らしさなのだと、この短い時間でもよくわかる。堅苦しいと思う人もいるだろうけれど、異世界に放り込まれたばかりの私には、踏み込みすぎてこない誠実さがちょうどよかった。
そんな彼の友人なのだから、これから会いに行くのもきっと良い人なのだろう。
それも魔術師だ。
私の入れ代わりを魔術の観点から探ってみようと、ファルテが提案してくれた。
「魔術師といえば、私の知る物語ではパトリックさんのほかに、ラルケさんやミーニャさんが登場してました。やっぱりこの世界では有名な方たちなんですか」
「ラルケ様は今は神殿の重鎮ですね。ミーニャ様というのは、おそらく実名ではなく、サクラ様たちのなかでの愛称のようなものかと」
はしゃぐ私に、ファルテはおどけたように肩をすくめて見せる。
「ただこれから会いに行く奴に、ラルケ様やパトリックを重ねては夢を壊してしまうかもしれません。腕はありますが、根が子どもなのです。しつこいようですが、失礼があればすぐ私に仰ってください」
これもまた何度目かの忠告だ。反復されるとなんだかおもしろくなってきて、私は笑いながら頷いている。
注意書き必須の風変わりな魔術師。
けれど実力は折り紙つき。
物語らしくってわくわくした。
どんな人なのかを想像していたら、他に暗いことなんて考えられない。
ファルテもそれをわかっていてくれるのか、その人物像の詳細を隠している節がある。まだ名前すら明かされていなかった。
そうしたファルテの細やかな配慮もあり、私の気分は完全に上向いていた。
完全に手に余る問題より、目の前にあるご褒美みたいな経験に好奇心が引き寄せられている。
本当はアンと思わしき異世界人に会えれば話は早かったと思う。
しかし今、彼女は王様の手すら離れ、神殿直轄の手厚い保護を受けているのだそうだ。
自分の体であるのを差し引いても、彼女がまず安全な場所にいると聞いて、私はほっとした。
体がぐっと引っ張られる。車の遠心力と同じだ。馬車が大きく右に曲がった。
「ご気分悪くはないですか?」
「はい。早い乗り物にはそれなりに慣れているので。馬車はなかったけど」
「馬車もそれなりの速度ですが、さきほど父に出した早馬なんかはもっと早いのですよ。もうついた頃ではないでしょうか」
ファルテのお父様は、息子に家にいるアンを確認するよう指示を出し、自分は王のもとで彼女が遣わされた理由を探すとともに、娘への接触の機会をうかがっているという。
屋敷を出る前、その彼にファルテは私のことを知らせてくれている。
そういえばあの手紙、さらさらっと書いて渡してたけれど、どこまで書いてるんだろう。
私が割った窓ガラスを弁償しろとか言われないかな。
幸か不幸か、ファルテはそのことについてはなにも触れてこなかったので、私は謝るタイミングを見失っている。
ちょっと物思いにふける私をファルテはよくみてくれている。すかさず、彼は申し訳なさそうな顔をした。
「現時点ではサカキ様の体にアンの魂が宿っている可能性を知るのは、王御自身と我らメイヤー家との結び付きが特に深いアヴァシャ家の当主のみ。……我らの監督不行き届きを隠蔽するようで、歯がゆい限りです」
「隠蔽とは違うんじゃないでしょうか。ちゃんと報告してもらえてるんだから」
「ですが、メイヤー家の属する派閥は、魔術に明るい家系がいないのです。素養があったパトリックが珍しいくらいで。もっと広い人脈と繋がっていれば、あなたの憂いをよりはやく、はらせたかもしれないのに」
「これからお会いする魔術師さんは、貴族ではないんですね?」
「ええ。それでも、古くから私を知る友人です」
ファルテは遠い目をカーテンで塞がれた覗き窓に向けた。思い出に親しむような眼差しは外側から見るとどこか物悲しくも感じられる。
私はというと、彼の視線が外れたのをいいことに、侍女たちに整えてもらった身だしなみを崩してしまってないかを入念にチェックする。
ファルテの大切な友人に嫌われたくはなかった。
それはその人が会ってみたかった魔術師という不思議な力を有する人だから、というよりは、それによって頼みの綱であるファルテに嫌に思われたくない。そんな打算のほうが強かった。
「……つきましたね」
馬車が止まり、ファルテが外の様子をうかがう。
「お手をどうぞ」
当たり前のようにエスコートを受けておりたったそこは、町から離れた自然のなかだった。
青草と土の匂いを巻き上げる風にふかれるドレスの裾をおさえつつ、辺りを見回す。
「家ではないんですね」
あたりは広々とした畑が広がっている。近くには屋根付きの井戸もあった。
馬車をひいてくれた御者が、馬に飲ますようの水をそこから組み上げている。
それを待って、ファルテは私を手招きながら井戸に近づいた。
井戸のなかに声をかける。
「リック、いるか? ファルテだ」
まさか、と思っていたら井戸の奥の漆黒から声が返ってきた。
「遅い」
瞬間、視界がぐにゃりと歪む。